第46回衆院選が終了し、
自民党が圧勝し294議席を獲得した。
民主党は230議席から、大きく議席を減らし57議席に留まった。
維新の会は11議席から54議席に躍進した。
議席数から見れば、
「ふわりとした民意」は、
まさに自民党と維新の会に舞い降りた事になる。
選挙後は、
何故かこの事実を喜ばず、
自民が勝ったのではなく、民主党が負けたのだ、
などと報道されているが、
私は、少し違うと思う。
矢張り、日本人は愚かではなかった。
例えば、2010年9月に起こった「中国漁船体当たり」事件一つ取っても、
中国漁船船長を釈放するのに、
「地検独自の判断だ、それを了とする。」
と官房長官が言った。
本来なら、釈放はすべきではない。
釈放するなら、責任は首相か、少なくとも官房長官が負うべきだ。
それを、沖縄地検に責任をなすりつけて終わりにした。
震災後の原発が危機的状況の時、
情報を開示せず、「直ちに健康には影響しない。」
と言い続け、情報公開が遅れた。
国民は、政治家のように、
政治や経済、法律の専門家ではないが、
別に、子ども手当が実現されなかったから、
民主離れが起きたのではない。
この様な、誰の目から見ても、
非常識で傲慢な国家運営の連続に、
日本中が、
国が沈没しそうだと感じ、呆れ果てていた。
但し、それだけでは民主党の敗北だけで、
自民党勝利の理由にはならない。
自民党圧勝の理由は、
「日本を取り戻す」の一語に尽きる。
多くの日本人が、
このコピーと、その言葉を言うのに相応しい安倍総裁が、
力強く「日本を取り戻す」と宣言するCMに、心ひかれたのだと思う。
更に、自民党の公約は、民主党とは真逆であり、
景気回復策も具体的で、
日本を「日出処国(ひいづるところのくに)」に
戻す事が期待できそうだった。
多くの国民は、TPP・原発について賛否を決めかねていたが、
小沢氏・鳩山氏・菅氏等には、拒否反応を示していた。
だから、この人物達の政策に対して懐疑的だった。
例えば、第三極の中で、
小沢党とも言うべき「日本未来の党」は、
選挙前には61議席あったものが、
選挙後は七分の一の9議席、
民主党の四分の一に比べても大きく減らしている。
嘉田代表は「結党が公示1週間前。時間が少なく、
有権者に政策が十分に伝わらなかった」と述べたが、
「卒原発」の公約そのものが、
「民主党」を連想させ、嘉田代表の影に小沢氏が映って、
拒否反応が広がったのではないかと思う。
日本維新の会も、またしかり。
石原氏が都知事を辞任して、太陽の党を結成したが、
結成直後の支持率は、例えば「新報道2001」によれば、
11月18日、
日本維新の会 3.6%
太陽の党 5.2%
この時点で既に、太陽の党は、自民・民主に次いで、第三極に立っているが、
オリジナル維新の支持率は、橋下氏のスキャンダルもあって、十月は低迷し、
十一月に入って、やっと上昇を始める。
11月25日 太陽と維新の合併後は、
民主党 13.2%
自民党 24.0%
日本維新の会 10.2%
この時点で既に、民主党に迫る勢いだ。
維新の会の支持率が急上昇するのは、明らかに太陽の党との合併後からで、
それが、選挙戦にも大きく影響したのは言うまでもない。
嘉田「未来」とは違って、
石原「維新」は、発足直後から高い支持率を誇っていた。
大阪維新の会は、関西では絶大な人気があったが、
橋下氏一人では、矢張り限界がある。
しかも、大阪維新の政策は、民主党とかぶる所が少なくなく、
「公明党」とも近かった。
更に、「公明」は「自民」「維新」と共闘した御蔭で、
票を伸ばすことに成功したが、
「維新」は民主色が強まり、選挙中盤で失速した。
「宋襄之仁(そうじょうのじん)」以外の何物でもない。
しかし、終盤「太陽の党」と石原氏の看板で、
中途半端ではあったが、
「反民主」路線を色濃く示すことに成功した。
一歩間違えば「未来の党」と同じ運命になる所だった。
私は個人的には、始めから強力に「太陽の党」路線を打ち出していれば、
或いは、「自民」よりも純粋な政策を敷いていれば、
更に支持が集まったのではないかと思う。
「ふわりとした民意」は、まさにそこにあったからだ。
さて、報道によれば、
今回、橋下氏を、共同代表に推す声があるようだ。
選挙期間中、橋下氏は連日、候補者の応援に努め、
非常に良くやっていたと思うし、
大阪維新は、橋下氏の作った党だ。
しかし、忘れて貰っては困るのは、
そもそも、「太陽の党」が参加しなければ、
今回の勝利は無かったと言う事だ。
橋下氏が共同代表にと言うのであれば、
平沼先生も当然共同代表に就任されるべきだ、
と、私は思う。
中国メディア「釣魚島出漁で70万元の収益」
自民党が圧勝し294議席を獲得した。
民主党は230議席から、大きく議席を減らし57議席に留まった。
維新の会は11議席から54議席に躍進した。
議席数から見れば、
「ふわりとした民意」は、
まさに自民党と維新の会に舞い降りた事になる。
選挙後は、
何故かこの事実を喜ばず、
自民が勝ったのではなく、民主党が負けたのだ、
などと報道されているが、
私は、少し違うと思う。
矢張り、日本人は愚かではなかった。
例えば、2010年9月に起こった「中国漁船体当たり」事件一つ取っても、
中国漁船船長を釈放するのに、
「地検独自の判断だ、それを了とする。」
と官房長官が言った。
本来なら、釈放はすべきではない。
釈放するなら、責任は首相か、少なくとも官房長官が負うべきだ。
それを、沖縄地検に責任をなすりつけて終わりにした。
震災後の原発が危機的状況の時、
情報を開示せず、「直ちに健康には影響しない。」
と言い続け、情報公開が遅れた。
国民は、政治家のように、
政治や経済、法律の専門家ではないが、
別に、子ども手当が実現されなかったから、
民主離れが起きたのではない。
この様な、誰の目から見ても、
非常識で傲慢な国家運営の連続に、
日本中が、
国が沈没しそうだと感じ、呆れ果てていた。
但し、それだけでは民主党の敗北だけで、
自民党勝利の理由にはならない。
自民党圧勝の理由は、
「日本を取り戻す」の一語に尽きる。
多くの日本人が、
このコピーと、その言葉を言うのに相応しい安倍総裁が、
力強く「日本を取り戻す」と宣言するCMに、心ひかれたのだと思う。
更に、自民党の公約は、民主党とは真逆であり、
景気回復策も具体的で、
日本を「日出処国(ひいづるところのくに)」に
戻す事が期待できそうだった。
多くの国民は、TPP・原発について賛否を決めかねていたが、
小沢氏・鳩山氏・菅氏等には、拒否反応を示していた。
だから、この人物達の政策に対して懐疑的だった。
例えば、第三極の中で、
小沢党とも言うべき「日本未来の党」は、
選挙前には61議席あったものが、
選挙後は七分の一の9議席、
民主党の四分の一に比べても大きく減らしている。
嘉田代表は「結党が公示1週間前。時間が少なく、
有権者に政策が十分に伝わらなかった」と述べたが、
「卒原発」の公約そのものが、
「民主党」を連想させ、嘉田代表の影に小沢氏が映って、
拒否反応が広がったのではないかと思う。
日本維新の会も、またしかり。
石原氏が都知事を辞任して、太陽の党を結成したが、
結成直後の支持率は、例えば「新報道2001」によれば、
11月18日、
日本維新の会 3.6%
太陽の党 5.2%
この時点で既に、太陽の党は、自民・民主に次いで、第三極に立っているが、
オリジナル維新の支持率は、橋下氏のスキャンダルもあって、十月は低迷し、
十一月に入って、やっと上昇を始める。
11月25日 太陽と維新の合併後は、
民主党 13.2%
自民党 24.0%
日本維新の会 10.2%
この時点で既に、民主党に迫る勢いだ。
維新の会の支持率が急上昇するのは、明らかに太陽の党との合併後からで、
それが、選挙戦にも大きく影響したのは言うまでもない。
嘉田「未来」とは違って、
石原「維新」は、発足直後から高い支持率を誇っていた。
大阪維新の会は、関西では絶大な人気があったが、
橋下氏一人では、矢張り限界がある。
しかも、大阪維新の政策は、民主党とかぶる所が少なくなく、
「公明党」とも近かった。
更に、「公明」は「自民」「維新」と共闘した御蔭で、
票を伸ばすことに成功したが、
「維新」は民主色が強まり、選挙中盤で失速した。
「宋襄之仁(そうじょうのじん)」以外の何物でもない。
しかし、終盤「太陽の党」と石原氏の看板で、
中途半端ではあったが、
「反民主」路線を色濃く示すことに成功した。
一歩間違えば「未来の党」と同じ運命になる所だった。
私は個人的には、始めから強力に「太陽の党」路線を打ち出していれば、
或いは、「自民」よりも純粋な政策を敷いていれば、
更に支持が集まったのではないかと思う。
「ふわりとした民意」は、まさにそこにあったからだ。
さて、報道によれば、
今回、橋下氏を、共同代表に推す声があるようだ。
選挙期間中、橋下氏は連日、候補者の応援に努め、
非常に良くやっていたと思うし、
大阪維新は、橋下氏の作った党だ。
しかし、忘れて貰っては困るのは、
そもそも、「太陽の党」が参加しなければ、
今回の勝利は無かったと言う事だ。
橋下氏が共同代表にと言うのであれば、
平沼先生も当然共同代表に就任されるべきだ、
と、私は思う。
中国メディア「釣魚島出漁で70万元の収益」