子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ジェーン・エア」:オーソドックスである,という真っ当な主張

2012年07月16日 11時00分17秒 | 映画(新作レヴュー)
中南米の貧困と犯罪にあえぐ生活から逃れようとアメリカを目指す少年と少女の逃避行を描いた「闇の列車 光の旅」で鮮烈なデビューを果たしたキャリー・ジョージ=フクナガの新作は,160年以上も前の女性の自立と愛を描いた古典の映画化だった。
趣味に走って結果を出した「(500)日のサマー」のマーク・ウェブが,ジャンルも予算も飛び越えて「アメイジング・スパイダーマン」のディレクターに抜擢されたことも驚きだったが,気品溢れるコスチューム・プレイを要求される本作に,現代社会の恥部をひたすらリアルに描写して見せたフクナガを敢えて起用した制作サイドの判断は,間違ってはいなかったようだ。特に相撲ファンと言う訳ではないのだが,がっぷり組んだ押し相撲の醍醐味,という言葉を使いたくなるような本格的文芸作品の登場に拍手を送りたい。

シャーロット・ブロンテの原作は未読。それでも過去に何度も映画化されてきた歴代のヒロイン役,たとえばジョーン・フォンテインやスザンナ・ヨーク,シャルロット・ゲンズブールらと比較しても,「ヒロインが地味」という一点において本作のミア・ワシコウスカが,最も原作に忠実だろうという予測は容易に成り立つ。
「イギリスの時代もの」には欠かせないジュディ・デンチを,まるで全盛期のジダンの横に寄り添っていたマケレレの役で起用した,驚きはないけれどもひたすら手堅いキャスティングもツボにはまっている。

エアが結婚しようとした主人ロチェスター(マイケル・ファスベンダー)の,幽閉していた妻が顔を見せるクライマックス・シーンに,おどろおどろしい演出が一切ないのも潔い。共に回想形式で描かれる,邸宅の火事のシーンやエアの親友の死の場面のあっさりとした扱いと併せて,「正攻法の映画化」という言葉がこれほど似合う作品は珍しいだろう。
全体的にギミックのない抑えた演出で統一されている分,冒頭で邸宅から走って逃げ出すエアを下降するクレーンに据えたカメラで捉えたショットや,荒野を一人行くエアのロング・ショットなど,極めてオーソドックスな映画ならではの表現が,渋い光を放っている。

それにしてもヒロインの佇まいも含めてもの凄く地味な作品にも拘わらず,小さな劇場の客席を埋めた中高年女性の熱気は,独特のものがあった。日本のものにしか興味を示さない,望んで「ガラパゴス」化しつつあるように見える若者たちに比べると,若き日に原作を読んで胸を焦がしたであろう彼女たちの審美眼の方が,世界に向いていることは確かなようだ。残念ながら。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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