子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「桐島,部活やめるってよ」:過酷なヒエラルキーを写し取る8mmカメラの逞しさ

2013年01月12日 17時11分17秒 | 映画(新作レヴュー)
高校バレー部の花形で,美形の彼女もいる桐島君が,突然バレー部を辞め,学校からも姿を消す。彼を取り巻く同級生たちは一様に動揺するが,そんな騒動にもめげず,映画研究会の面々は顧問の反対を押し切ってゾンビ映画を撮る。
桐島君は最後まで画面に登場せず,同級生たちは桐島の気持ちを忖度できずにいらいらを募らせ,遂にはゾンビと化して高校の屋上で惨劇が繰り広げられる(?)。
無限のエントロピーを抱え込みつつ,不安と期待と諦念が入り混じった日々を送る現代の高校生の姿が,ヒリヒリするような痛みと,真剣であるが故に滲み出てくるユーモアを伴って,下手な3D映画は裸足で逃げ出すようなリアルさで迫ってくる。

原作は未読だが,「社会の縮図」と簡単には括れない微妙なニュアンスに満ちた高校のヒエラルキーが,ミステリー仕立ての緊密な物語に織り込まれることによって,見事に活写されている。
スポーツ部活>帰宅部>文化系部活という,古代から変わらない学校内カーストと,それぞれのカーストに所属する人間同士の目に見えない連帯感と嫌悪感,そして他のカーストを見下ろす,あるいは見上げる視線を切り取るのは,もっぱら最底辺のカーストに属する映画研究会の監督前田(神木隆之介)の冷静な視点だ。
彼が持つ時代遅れの8㎜カメラに写る色が滲んで荒れた画面に,格差という点ではひょっとすると実社会以上に過酷かもしれない高校生活の歪みを集約させて見せた吉田大八の演出が実にシャープだ。

自分が書いた脚本を押しつけようとする顧問が,ジョージ・A・ロメロの作品を擁護する前田に,随分マニアックだなと言ったことに関して,「ロメロなんて,全然マニアックじゃありませんよ」と言い返す場面や,前田の盟友武文が,吹部の奴らは,映研のことを下だと思ってんだぜ,と嘯く場面など,最下層の矜持が噴出する場面のおかしさはたまらない。
神木君の巧さは相変わらずだが,物語の軸になる桐島の親友宏樹役で演技デビューした東出昌大の佇まいと,「鉄男」を上映している映画館で前田と鉢合わせして,噛み合わないけれども低温の心地よさのようなものを感じさせる会話を繰り広げるかすみを演じた橋本愛のまなざしの強さも印象に残る。

吹奏楽部が奏でる曲に乗って,複数のカーストが入り乱れるダイナミックなクライマックスの後,宏樹が前田に歩み寄っていく「南北対話」とも呼ぶべきシーンが実に美しい。
私が観た昨年の日本映画のベストだ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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