子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「THE GUILTY/ギルティー」:脚本と役者と音で紡がれる悪夢

2019年03月10日 11時48分22秒 | 映画(新作レヴュー)
その昔,電話から聞こえてくる声と背景音のみから誘拐事件を解決するミステリーがあった。邦題はそのものズバリ「音の手がかり」。同様に映画でも,犯罪絡みの緊急通報を受けるオペレーターの奮闘を描いたハル・ベリー主演の「ザ・コール(緊急通報司令室)」という作品があった。共に事件解決の重要な要素として「音」にフォーカスした作品で,どちらもその音を物語のガイドとしてリニアに話が進んでいく佳作であった。
ところが本作はそのどちらとも趣を異にする。受話器から聞こえてくる被害者の声が,主人公のオペレーターの判断だけでなく感情をも激しく揺さぶる展開は,私の安易な想像を置き去りにして突き進んでいく。

シンプルな犯罪捜査ものではない。なにしろ,どこか荒んだ雰囲気の主人公は冒頭で,電話をかけてきた市民に対して「そんなことでいちいち電話してくるな!」と怒鳴りつけるのだ。そんな彼を心配する同僚に対してもひどくぞんざいな応対をする男はどう見ても,腕力にモノを言わせる暴力刑事ものならまだしも,知的な推理ものの主人公としては相応しくないことは明白だ。そんな男が受けた一本の電話から聞こえてきた「助けて」という女の声が,男の足元を揺るがし,やがて立場は逆転し,最後に魂の底から救いを求める声を男の方が上げる展開になるとは想像できなかった。
練りに練られた脚本の構成力と,歪な感情を必死にコントロールしながら葛藤する主人公を演じたヤコブ・セーダーグレンの卓抜な演技力,そして「このアイデアで映画を1本撮るのだ」という制作陣の執念は,ジャンルを問わずもの作りを生業にする人々すべての背中を押すレヴェルに昇華している。

カメラは司令室から出ない。しかも主人公は途中から個室に移動してしまうため,同じ業務に従事している同僚との絡みも殆どない。従って画面に映し出されるのは,電話の受け答えをするためのヘッドセットを装着した主人公のアップがほとんど。そうなると,わざわざ映画にするまでもない,ラジオドラマで十分ではないか,という意見も出てくるだろう。だが決して逆説的な言辞ではなく,電話を受け,考え,電話をかけ,絶叫する主人公の姿を目にする観客のエモーションの振幅は,映画だからこそもたらされたものと断言できる。
「カメラを止めるな」とは異なるアプローチで「お金は一番の問題ではない」を実証した作品。カール・テホ=ドライヤーも草葉の陰から拍手しているはず。
★★★★
(★★★★★が最高)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。