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映画「恋人はアンバー」:「田舎町」という名の過酷な環境からの果敢な脱出劇

2022年11月13日 12時09分52秒 | 映画(新作レヴュー)
NETFLIXオリジナル作品「ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから」は,複数のマイノリティ要素を背負いながらも,懸命に前を向いて歩み続ける少女の姿を描いて,小品ながら強い光を放つ秀作だった。監督のアリス・ウーがデビュー作「Saving Face」から同作の制作まで16年間というインターバルを要した,という事実からは,監督本人が主人公と同様にアメリカ映画界において苦難の道程を歩んできたのであろうことが推察されるが,次は是非ともそんな長い時間を措かずに新作が観られることを期待していたところに現れたのが本作。LGBTQに対する社会の理解が,大都会に比べるとどうしても一段低くなる傾向のある郊外の町が,性的少数派を自認し始める年齢の少年少女にとってより過酷な環境である,という点において「ハーフ・オブ・イット」との共通項を多く持つアイルランド映画「恋人はアンバー」もまた,瑞々しい輝きを湛えた佳品だ。

レズビアンだと周囲に噂をされることに嫌気がさしているアンバーは,同じクラスの男子高校生エディが男性教師を見つめる視線から,彼もまたゲイであることを見抜き,エディに「偽装恋人」になることを提案する。性的指向を自認していながらも,彼をからかう同級生の圧力から逃れるためエディはアンバーの提案に同意し,ふたりはデートを重ねていく(原題は「DATING AMBER」)。ダブリンへの小旅行によって,ふたりの間には性的指向を越えた強い絆が芽生えるが,それと同時に新たな世界への扉も開いていく。だがエディはそんな新たな可能性を振り切るように,マッチョな男性優位社会の象徴である軍人の父の後を追って入隊しようと家を出るが,基地の前で待ち構えていたのはアンバーだった。

主人公を演じるエディ・レッドメイン似のフィン・オシェイと,「ザ・クラウン」でエリザベス女王を演じているイメルダ・スタウントンの若き日を彷彿とさせるようなローラ・ペティクルーのふたりが素晴らしい。虚勢と諦めと希望が交互に訪れる若者特有の揺らぎを,ここまで繊細に演じる二人がいなければ,本作は成立しなかったであろうと思わせるほどだ。
アンバーの父親の自殺や,エディに仲間であると告白しようとする同級生,娘の告白を聞いて理解を示しながらも牧師に告げてしまうアンバーの母親の姿など,物語を支える幾つものプロットをさりげなく配し,静かな語り口を保って密度の濃い92分間のドラマを作り上げた監督と脚本のデヴィッド・フレインの力量は,アリス・ウーと双璧をなすと言っても過言ではない。
「すずめの戸締まり」がシネコンで1日20回近く上映されることが話題になっている中,1日1回のみの本作の上映が一桁の観客(札幌シネマ・フロンティア12日)だったことが残念でならない。悩める中高校生に広く薦めたい。
★★★★
(★★★★★が最高)


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