子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ヘイル,シーザー!」:「腹の底から仕事をする」監督の渾身のバカ話

2016年05月22日 09時43分27秒 | 映画(新作レヴュー)
「監督も記録係も腹の底から仕事をしている。とっとと行って,お前もスターの証明をしてこい!」。誘拐から解放され,ようやく撮影現場に戻ったのはよいが,いまだ誘拐犯である共産主義者たちから受けた洗脳の影響下にある気の良い映画スター(ジョージ・クルーニー)に向かって,主人公の映画制作会社のよろず担当(ジョシュ・ブローリン)が投げつける台詞だ。
日本の人気若手女優がバラエティ番組で,音声係の仕事を「一生をかけて人の声を録音しようと思うなんて信じられない」と発言して物議を醸したことがあったが,その女優さんにも是非観て貰いたい,映画に携わるすべての人に対する賛辞のような作品だ。

映画が大衆にとって最大の娯楽であり,映画スターこそが庶民の憧れの眼差しを一身に受ける特別な存在であった1950年代のハリウッドを舞台に,インディペンデント界から現れて瞬く間にメジャーの頂点にまで上り詰めたジョエル&イーサン・コーエン兄弟の映画愛が炸裂するコメディ。
「ザッツ・エンターテインメント」シリーズにまとめられた,かつてワーナーが作り上げた煌めくような作品群を彷彿とさせるミュージカル作品を白眉として,恋愛劇,西部劇,史劇等々の制作の舞台裏が次から次へと描かれる展開は,全編コーエン版の「雨に唄えば」と呼びたいくらいの楽しさに満ちている。

一見,映画スターの誘拐劇が中心に据えられ,犯罪劇なのかと思わせはするが,「ファーゴ」や「ノー・カントリー」等々の本格的なスリラーとは異なり,犯罪自体は物語を前に進めるための「小道具」的存在に留まる。ストーリーの中では,スターの私生活のトラブル,スターのわがままに振り回される監督の悲哀,共産主義の進出と赤狩り,公然の秘密となっていながら公には出来ない性的少数者の姿など,どれを取っても独立した作品に発展させられそうなプロットも同様に,物語の中のあるべきポジションに淡々と並列されるだけで,各テーマは決して深掘りされない。その代わり,これでもかと現れる大勢の(現実の)スターが,監督と共に徹底的に,そう「腹の底から」遊ぶ姿こそが,「たかが映画,されど映画」と声高らかに宣言しているように見える。

野球チームでいえば「6番バッター」辺りの打順を任されたアルデン・エーレンライクが,年齢不詳感を増量させたティルダ・スウィントンと共に,ピリリと辛いスパイスとなって効いている。
「ザッツ~」シリーズでしか観たことがなかったエスター・ウィリアムズの映画,ちゃんと観てみようかな。
★★★★
(★★★★★が最高)


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