子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「グランドフィナーレ」:安心して下さい。マイケル・ケインは執事役ではありません。

2016年05月14日 22時52分56秒 | 映画(新作レヴュー)
舞台となっているアルプスのホテルに長逗留している人々の中に,ハリウッドの若手映画スターが出て来る。最初はポール・ダノだと思っていた。ところが主人公である引退した作曲家(マイケル・ケイン)との会話から,どうやらロボット・アクション作品に出演しているらしいということが分かってくる。するとどうしたことか,ダノだと思っていた俳優が実は「トランスフォーマー」のシャイア・ラブーフ本人だったのか,と途中から本気で思い込んでしまった。
更には,往年の名サッカー選手と思しき人物も出てきて,止せば良いのに「実は俺も左利きだったんだ」と喋ってしまい,途端に「そんなこと,世界中が知ってるぜ」と反論されてしまうという場面まで出てくる。
芸術家の晩年と宿命を描いたパオロ・ソレンティーノの「グランドフィナーレ」は,そのテーマの重さと深い余韻に反して,仕立ては実に軽快で,「欧州映画」という冠が持つ重厚さを,まるでスラロームの名手のような華麗なポール捌きで回避しながら,124分のゲレンデを鮮やかに滑り降りてみせる。

まるで絵はがきに出てくるようなアルプスののどかな山道を,親友の映画監督(ハーヴェイ・カイテル)と主人公が,今朝はおしっこが何滴出たかを自慢し合いながら歩くシークエンスが何度も出てくる。物語のベースをなす,このゆったりとした会話によって,悠々自適の,人も羨むような生活に見える二人の現在が,原題である「YOUTH」時代の波瀾の積み重ねの上に成り立っていることが徐々に立体的な像を結んでいく。
加えて上述した映画スター,作曲家の娘,ホテルのマッサージ嬢,監督の脚本チーム等々,若さの絶頂にある登場人物と老境にある二人の対比,更には一見悟りを開いたように見えながら,今もなお芸術の道を進み続けようとする映画監督の突然の退場と,妻がいなくなった世の中から完全に隠遁していた作曲家の運命的なカムバックとの対比は,「待ってました!」と大向こうから声がかかりそうなくらい鮮やかなエネルギーを発している。

マイケル・ケインは新生「バットマン」シリーズでの受けの演技から離れて,面倒臭くも可愛らしい英国紳士を演じて,「トゥルース」時に匹敵する存在感を放っている。カイテル,ダノの飄々とした巧さ,レイチェル・ワイズの美しさも特筆すべきだが,終盤をさらうジェーン・フォンダの熱量も凄い。
マラドーナ(そっくりの男)は,今も私の頭の中で夜中にひとりテニスボールでリフティングをやり続けている。ソレンティーノ,恐れ入りーの。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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