拝観受付を通りギャラリー上層(高欄上)へ。内殿の3側面に計10枚の胴羽目彫刻が施されており、それぞれの内容は法華経の代表的説話から選ばれています。
まず南側面に3枚
(1) 塔供養の図(序品第一より)
今、日月燈明佛の眉間から光が放たれると、東方一萬八千の佛国土が照らし出されます。それらの佛国土では、さかんに塔供養が行われているのが見えます。このような光景が見られことは、「法華経」が演説される前ぶれです(現地説明板より、以下同様)。
(2) 三車火宅の図(譬喩品第三より)
三車とは、羊・鹿・牛がひく三種の車のことで、火宅とは、燃える家のことです。われわれ凡夫は、火宅の中で遊びたわれる子供と同じで何のおそれも感じません。父親は、子供たちを救出するために三つの車を用意したのです。
(3) 慈雨等潤の図(薬草喩品第五より)
佛の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じです。今、雷神と風神が現れて、雨をふらし、大地には、緑があふれ、さまざまな花々が咲きほこります。天人たちも地上の楽園に舞いおりて来ました。
南側面から東側面へ進みます
東側面には4枚
(4) 法師修行の図(法師品第十より)
インドでは、法師たちは森の中や洞窟の中で独り静かに修行しています。しかし、虎や狼の危険があり、心淋しく、修行はきびしいものです。その修行者を励ますために、佛が立ち現れたり、象に乗った普賢ぼさつが姿を現わすのです。
(5) 多宝塔出現の図(見宝塔品第十一より)
「法華経」を信仰するところでは、多宝塔(多宝如来の塔)が、地面から涌き出してきて人々の信仰をほめたたえます。人々は歓喜にふるえ、一心にその塔を礼拝します。人々の顔には、法悦のほほえみが浮かんでいます。
(6) 千載給仕の図(提婆達多品第十二より)
阿私仙という仙人が、「法華経」という尊い教えを持っていました。この仙人について私は千年の間、給仕のまことを捧げ、水を汲み、薪を拾い、果の実を採り、ある時には仙人の腰掛けになりました。法華経を知りたいための修業でした。
(7) 龍女成佛の図(提婆達多品第十二より)
「法華経」では、女性が成佛できることを説示します。今、龍王の娘で、八才になる智慧にすぐれ弁舌さわやかなこの娘は、多くの教えを理解し、不動の境地に達しました。波の上にあって龍女が宝珠を佛に献げています。
北面に進みます
(8) 病即消滅の図(薬王菩薩本事品第二十三より)
「法華経」は、全世界の人びとの病いの良薬です。もしある人が病いにかかり、この「法華経」を聞く幸運に恵まれたら、たちどころに病いはなおり、不老不死の境地を得ることができるのです。
(9) 常不軽菩薩受難の図(常不軽菩薩品第二十より)、法華経功徳の図(薬王菩薩本事品第二十三より)
常不軽ぼさつは、「常に人を軽べつしない」という修行をしていましたが、却って迫害を受けました。又、「法華経」は、寒さに火を得たように、子のところに母親が来たように、渡りに舟を得たように、闇に灯りを得たように、救いの道を示すのです。
(10) 法師守護の図(陀羅尼品第二十六より)
「法華経」を受持・読・誦・解説・書写することを、法師の五種の修業と言います。まず経をたもつことを誓い、読み、あるいは誦して、説き明かし、経文を書写して法華経をひろめます。修行する法師を天人も阿修羅も協力して守護するのです。
北側面の3枚を振り返ります
10枚の彫刻は10人の彫刻師が一面ずつを任され、大正12年(1923)から昭和9年(1934)まで10数年の年月をかけて製作されたとのこと。素人目には別々の方が彫ったようには映りません。
非常に硬い欅材にも関わらず、まるで細密画のような細かさで優美に彫り起こされています。
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