柴又の題経寺、ご本尊が帝釈天なので、柴又帝釈天と呼び習わされています。
4年半ぶりに訪れましたが、電撃訪問のためご近所のGT家に伝えていなかったので叱られるかもー
まずは、駐車場で石塔群(?)を発見
双体地蔵、三猿などの中央に庚申塔??
上方に日輪月輪が配されていますが、弁髪を垂らしていることから不動明王?
でも、宝剣や羂索は見当たらず、持物や印などの手がかりがありません
ちょっと判然としませんが、いずれも比較的新しく、右方には三猿が横たえられていて、どこかから集められてきたような感じがします。
さて、正面に回り、二天門
二天門には、四天王のうち増長天と広目天が配備されています。
桜がいい感じです
二天門の額縁に帝釈堂。緑青が映えます。
帝釈堂と瑞龍松。この松は、冬場の追肥の後、日本酒一升瓶×120本(≒216L)が与えられるのだそうです。ほぼほぼ、浴槽一杯分です
帝釈堂と本堂を結ぶ渡り廊下から望む境内
帝釈天では、帝釈堂も本堂も、ともに拝殿の奥に内殿(本殿)が連結されていて、もし神社であれば権現造と呼ばれる建築構造になっています。
そして、この日のお目当ては、このガラス張りの中。帝釈殿の拝殿奥の内殿です。
ここは彫刻ギャラリーと呼ばれ、二層の回廊が設られていて、高欄上下の胴羽目や腰羽目の彫刻を間近に鑑賞できるようになっています。
この内殿の中に、帝釈天板本尊と持国天、多聞天が祀られています。二天門の二天と合わせて四天王が揃い踏みです。
木鼻の龍
木鼻の獅子
「帝釈天板本尊出現を描いた絵馬」
板本尊のレプリカ。帝釈天像の上に、南無妙法蓮華経のお題目、法華経薬王品の要文、日蓮上人の花押が配されています。
二天門と南大門の間、お守り授与所の裏側に「帝釈天出現由来碑」
永らく行方不明だった帝釈天の板本尊が、安永8年(1779年)の本堂改修時に棟上から見つかり、その日が庚申日だったことから、帝釈天と庚申信仰の結びつきが強くなったようです。
「ご神水が湧き出る様子の絵馬」
境内にある御神水。寅さんが産湯につかった水です。
帝釈天。四天王の隊長としては、これぐらいのインパクトが必要かも知れません。よもや、東寺講堂の帝釈天と同一人物(神)とは思えません
池泉式庭園「邃渓園」
レトロ調なランプシェード
庭園内に富士塚がありました。手前の猿は富士山が出現した年(孝安92年、紀元前301年)が庚申年であったことに由来します。
到着したときは、結構、強い雨が降っていましたが、
帰路に着く頃には、傘がいらない程度に落ち着いていました。
60日に1度訪れる庚申日が、帝釈天の縁日になっています。平均的には年に6回ですが、今年は7回ありますね。
内殿の彫刻は、後日あらためて紹介したいと思います。
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