ども。
京都東九条に1973年から76年まで住んでいた。
小学校4年から中学1年の1学期まで。
東寺は、私の遊び場の一つ。
子どもの目から見ると、広い境内は格好の遊び場だった。
今のように境内が整っていた記憶はない。
同じように東寺の近くに住んでいた同僚は「午後4時になると門が閉められへんかった?」と聞かれたが、その辺の記憶はもう曖昧だ。
昨日は、本当に久しぶりに「東寺とその周りを歩いて見たい」と突然、何故か思いついて行動したもの。カメラをもってブラブラ歩く。
近鉄京都駅に降り立ったのは、ちょうど正午ごろ。
真上からの日射しで、影がないのが少し苦しい。
影を探し、裏道を選んで歩く。
ほんの5・6分で東寺に着く。
境内を歩き、食堂を見て、拝観受付で500円を払い、講堂・金堂・五十塔を見て歩く。
国宝の梵天様など、重要な仏様はちょうど東京の博物館へ行っていらっしゃる。
1時間ほどかけて、ゆっくりと境内を歩き、写真を写し金堂の庇が覆う軒先に腰をかけて座れば、暑い時間帯だが、日陰を通り抜ける風が気持ちがいい。
ゆっくりとした時間。
ぜいたくである。
子どもの頃の記憶をたどりながら、周りの風景を眺めた。
東寺の雰囲気、夏の風景を十分に味わって、寺を後にした。
こんな時間をたまにもつと、何となく豊かな気持ちになる。
京都に住んでいながら、なかなかこうした時間を持てないのは、もったいない。
昨日はいい気分になった。
良かった。
帰って、パンフレットを見ていると「題字 榊莫山」とある。
ゆったりとして味わいのある字だと思う。これも発見。
京都東九条に1973年から76年まで住んでいた。
小学校4年から中学1年の1学期まで。
東寺は、私の遊び場の一つ。
子どもの目から見ると、広い境内は格好の遊び場だった。
今のように境内が整っていた記憶はない。
同じように東寺の近くに住んでいた同僚は「午後4時になると門が閉められへんかった?」と聞かれたが、その辺の記憶はもう曖昧だ。
昨日は、本当に久しぶりに「東寺とその周りを歩いて見たい」と突然、何故か思いついて行動したもの。カメラをもってブラブラ歩く。
近鉄京都駅に降り立ったのは、ちょうど正午ごろ。
真上からの日射しで、影がないのが少し苦しい。
影を探し、裏道を選んで歩く。
ほんの5・6分で東寺に着く。
境内を歩き、食堂を見て、拝観受付で500円を払い、講堂・金堂・五十塔を見て歩く。
国宝の梵天様など、重要な仏様はちょうど東京の博物館へ行っていらっしゃる。
1時間ほどかけて、ゆっくりと境内を歩き、写真を写し金堂の庇が覆う軒先に腰をかけて座れば、暑い時間帯だが、日陰を通り抜ける風が気持ちがいい。
ゆっくりとした時間。
ぜいたくである。
子どもの頃の記憶をたどりながら、周りの風景を眺めた。
東寺の雰囲気、夏の風景を十分に味わって、寺を後にした。
こんな時間をたまにもつと、何となく豊かな気持ちになる。
京都に住んでいながら、なかなかこうした時間を持てないのは、もったいない。
昨日はいい気分になった。
良かった。
帰って、パンフレットを見ていると「題字 榊莫山」とある。
ゆったりとして味わいのある字だと思う。これも発見。
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