ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

2012千歳マラソン(ハーフ)

2012年06月07日 | 完走記

めっぽう朝に弱い私だが、早朝5時にむっくりと起き上がり、女房マネとともに一路千歳に向かった。高速道路経由だとなんと2時間で会場に到着できる。しかし目指した駐車場は7時半の時点でもはや満車。仕方なく私だけ降りて、受付を済ませた。昨年と比べるとずいぶん寒い!しばし娘のところで休ませてもらい、エネルギー補給とトイレを済ませ、出走の準備をした。9時過ぎに会場に戻り、今日一緒に走ることになっている友人を探したが、やはり大人数の中では簡単には見つけられない。スタート地点で整列しているランナーの中を少しずつ前方に移動していくと、女房マネが偶然にも友人を発見。なんとか友人とその仲間たちに合流できた。今年は準備不足もあり、今大会は初めてハーフにエントリーしていた。寒さが心配だったのでTシャツの下にアンダーアーマーを着用し2枚重ねとした。下はロングタイツが欲しかったが、残念ながらハーフパンツしか用意していなかった。手袋はノーマークで持ってこなかったので、女房マネの日よけ手袋を拝借した。

 

 

9時30分レース開始。千歳の林間コースは道幅が狭いので、スタート直後から鮭の遡上のような混雑状態が続く。あわてず流れに沿っていこうとするが、ペースは全く上がらない。5kmほどしてようやくあたりが空いてきて、一定のペースで走れる状態となった。このコースで少しでもタイムを求めようとするならば、できる限り前方に並んでおく必要があるだろう。しかしここでタイムを出すことは難しい。7km位走ったところでなんとか友人に追いついた。10km手前でフルのコースから離れ、ハーフ折り返し地点の方向に進んだ。先を行くランナーたちは、やはり顔つきが違う。私のようにキョロキョロ人物探しをしている者はまず見かけない。みなさん前方をしっかりと見据えて走っていた。その中に先輩のM先生の姿があった。もちろん先輩は例によって猪突猛進に走り去っていった。すれ違うランナーの中にはほかに知人はいないようだった。給水地点では必ず水を飲みカロリーメイトを頬張った。12km地点からは登りだ。フルのコースでは32km過ぎに出現してくる難所だ。毎回ここではほとんど歩きそうになっていたことを思い出した。しかし今回はなんとか友人とともにここを登り切った。森を抜けて国道にでると、そこは例の下剋上の道であった。例年ここらでどんどん抜かれていったものだ。今回はハーフということで余力があったせいか、これまで気づくことのなかった病院や公共施設を沿道に発見したのには驚いた。人間というものは疲労困憊していると情報処理能力が極端に低下し、現状を維持することで精一杯となり、他のことには注意が向かなくなってしまうものなのだと再認識。いよいよ川沿いの道に入ってきた。焼肉の準備をしたテントが立ちならび、多くの人たちが声援を送ってくる。その中を私と友人は並走しながらゴールを目指す。そして遂に初めての笑顔でのフィニッシュ!<記録:2時間21分>

 

 

 

レース前は寒いと思っていたが、走ってみると意外にも苦にならず、かえって最高のランニング日和となっていた。今回はゴール前の笑顔が物語るように、友人と一緒に充実したランニングの一日を過ごすことができ、大満足であった。とはいうものの、レース後は娘のところで1時間ほど横にならせてもらったし、帰路の運転は女房マネ一人に任せてしまい、いつものことながら、家族にはたっぷりと助けてもらいました。感謝である。

 


2011函館ハーフマラソン(9/25)

2011年09月29日 | 完走記

 何十年ぶりかでチンチン電車に乗って千代台の電停に降り立った。丁度娘達も到着し、家族全員で陸上競技場に集合した。私が高校生だった40年ほど前は、周囲が板塀に囲まれた土のトラックだったと記憶しているが、今や立派な競技場に生まれ変わっていた。今回は長男と次女と私の3人でエントリーしており、妻と長女と三女は応援だ。記念にお揃いのTシャツを新調した。背には今春17才で逝った我が家の愛犬ブラボーの絵柄を入れた。

 次女は初めてのマラソン参加で緊張気味。フルでサブ4経験済みの長男は余裕たっぷりだ。私は娘に伴走することにした。秋の日差しが燦々と降り注ぎ、それでいて風はさわやかで、マラソンには絶好の条件だ。家族がスタンドから見守る中、談笑しながらスタートを待つ。

 9時50分スタート。トラックを1周しロードに出た。いつもながら最初は団子状態だが、3人一緒に進んだ。ほぼ6分/kmのペース。娘には少し速いのではないかと思っていたが、着いてきている。電車通りに出る頃には周囲がばらけて走りやすくなった。松風町の信号を過ぎ立待岬方向にコースを進む。折り返してきたトップランナー達とすれ違うようになると、5kmの給水所が見えてきた。娘には全ての給水所で給水することを指示。青柳町から谷地頭への道はこのコース唯一の起伏があるが、娘はあまりスピードを落とすことなく進んだので、後半が少し心配になった。最初の折り返しは応援も多く賑やかだ。東雲町あたりは街路樹の日陰もあり静かに淡々と進んだ。

 松風町の交差点を大森浜の方へ曲がったところで妻達の姿が見えた。やはり千代台からの電車が遅れたようで、反対側の歩道から手を振って応援していた。おかげで発見しやすかったので、こちらも手を振って元気よく先に向かった。大森浜ではもうトップランナー達が折り返してきてゴールの方向へターンしていく姿が見えた。こちらはなお6分/kmペースを維持している。10kmの給水所が見えてきて、しっかり給水(10km:1時間00分18秒)

 ここで息子が我慢できなくなったようで、私たちから離れて先に向かった。娘のペースが若干落ちた。身体に痛みが出てきたようだが、息はあがっていない。苦しくなったら言うように伝えたが、もうダメだと言ってくることは最後までなかった。13km付近で折り返してきた息子とすれ違い、この先に私の母達が応援していることを知らせてくれた。そして間もなく母と妹と姪の姿を発見。携帯したカメラで写真を撮った。やはり知り合いがいるとマラソンも走り甲斐があるものだ。少し行って第二の折り返しとなった。

 再び母達の前を通過し、漁り火通りを引き返した。15kmの給水地点を過ぎると、娘が足にきたというので少しペースを落とし、塩飴をなめることにした。このあたりにくると正直言って走りに飽きがくるようになる。長い距離を走ったことのない娘には辛い時期かもしれない。収容バスとすれ違い、函太郎の前を通り過ぎ、新川手前で右折すると20kmの給水地点だった(20km:2時間06分13秒)

 もう息子はゴールしているだろう。再び応援も多くなりゴールが近いことを知らせてくる。娘も黙々と走り続けており、完走は大丈夫そうだ。競技場が見えてきていよいよトラックに入った。正面に先着した息子の姿を発見しカメラを手渡した。あと1km程なのでラストスパートしてみるよう指示。しかしこれがいけなかったかもしれない。妻達がスタンドで見守っているとは思うが、なかなかそちらを見ている余裕がない。頑張ってフィニッシュ(記録:2時間13分38秒)

 最後に負荷をかけてしまったようで、ゴール後娘は消耗しきって倒れ込んだ。済まないことをしてしまった。ゆっくりスタンドを見回しながらゴールすべきであったと反省。それにしても娘は初めてのレースを最後まで弱音を吐かずによく走りとおしたもので、感心した。息子にとっては十分に走りきれずに満足感の足りないレースだったかもしれないが、よく付き合ってくれた。妻も長女も三女もサポートと応援に徹し、みな快く協力してくれた。この秋晴れの清々しい一日を、子どもたちと一緒にランニングし、家族と楽しい時間を共有でき、本当に思い出に残る素晴らしいひとときであった。感謝である。みんな、ありがとう!



2011北海道マラソン

2011年08月29日 | 完走記

 中島公園近くのホテルに前泊。朝カーテン越しに外を覗くと陽が燦々と降り注いでいた。窓ガラスもすでに熱く火照っている。ふーっとため息が出てしまう。家族と朝食会場に向かい、普段の2倍以上ガッツリ食べた。排便を済ませていざ出発。菖蒲池の前で友人達と久しぶりに再会した。みな準備万端の様子だ。記念写真を撮った後、完走を誓い合ってそれぞれのスタート地点に移動。今回の出で立ちはこれだ。

 ガーミンがとうとう壊れ、セイコースーパーランナーズを装着。塩羊羹2本、熱塩飴5個、アスリートソルトそして終盤の水切れを想定し予備のために空のボトルを装備した。昨年重宝した日よけ帽子に加え今年はネッククーラーも身につけた。足にはサロメチール、顔、首、腕には日焼け防止乳液を丹念に塗り込んだ。昨年と同じFブロックだったが、スタート地点がもっと後方にずれていた。それだけ参加人数が増えているということなのか。スタート時の気温は28.9℃とアナウンスされた。

 12時10分号砲。スタート地点を越えるまで約3分を要した。濁流のなかで一定のペースを維持するのは難しい。なるべく走路の端を進んだ。制限時間ギリギリランナーにとっては、まず5km地点40分の関門をクリアすることが最初の目標だ。スタート時の3分のロスを除くと、平均6分/kmのペースで進む。(5km:33分38秒)

 給水は毎回積極的に摂っていくことにする。アスリートソルトをかじってから水を飲み、次に水を身体にかけ、最後にスポドリを飲む、という作戦だ。創成トンネルの中は蒸し暑く、歓声もないままにごうごうと流れてゆく。地上に出ると風がさわやかで気持ちよかった。(10km:30分57秒、1時間04分35秒)
 
 気温が上がってきている気配を感じたのでスポンジで水を頭、首、脇の下、太腿にかける。尿意を感じ出すが、以前このあたりでコンビニのトイレを利用させてもらい、たいそう時間を喰ったことを思い出し、もう少し我慢することにした。路肩のコースは凹凸があり注意が必要。(15km:30分36秒、1時間35分01秒)

 新琴似1番通りに入る。例年この付近で折り返してきた1位の選手とすれ違うのだが、今年はこのタイミングが遅い気がする。と、思っていたらやがて集団で通過していった。左折してしばらく進むと今度は女子の先頭集団がすれ違って行った。これを見送ってから、18km地点手前のガソリンスタンドのトイレに駆け込んだ。しかし残念ながら今年もここで数分待たされた。その間初出場のランナーにこれからのコースを尋ねられて簡単に説明。若干休養できた、と気持ちを入れ替え、新川通に入った。(20km:33分34秒、2時間08分35秒)

 水を補給し、給食のバナナを貪り喰う。コース上には日差しを遮るものが全く無く、これからしばらくが正念場と肝に銘じる。中間地点を2時間16分で通過。このまま行けば4時間30分前後だが、どこまでこのペースを維持できるかが課題だ。熱塩飴を口に放り込んだ。この辺は私設エイドが点在しているが、一人団体の私は黙々と進むのみ。「凄い、凄い、みんなかっこいいよ~」と威勢の良い声で応援をしてくれる女性がいて、たいそう元気をもらった。すれ違う折り返しランナーの数もだんだんと増えてきた。(25km:33分07秒、2時間41分42秒)

 ようやく私にも折り返し地点がやってきた。多くの選手がマーカーにタッチしてUターンして行くので私も記念に触れておく。足の張りを感じるようになってきたが、なんとか最後までもってくれることを願い、ひたすら前をみつめ、雑念無く進んだ。多分暑いのだろうが、日よけ帽子のおかげか、湿度が高くないせいか、私自身は今年もそれほど暑さを感じない。(30km:31分58秒、3時間13分40秒)
 
 30km地点で羊羹を食べようと思っていたら、バナナが待っていたので、それを一気に2つ頬張った。しばし立ち止まって給水し、用意していた空ボトルを水で満水にした。さらに飴をなめながら先を目指す。収容バスと行き違った。昨年よりはそのポイントが遅いのは今年の方がタイムが良いからだ。気を引き締めてフォームを正す。新琴似1番通りに戻ってくると、ちらほら日陰が出現し涼しくなる。道路の紙コップやスポンジの散乱が激しく、足を取られそうになる。(35km:35分14秒、3時間48分54秒)

 35km地点到着。走路の端によって立ち止まり、ご褒美の羊羹を食し、ボトルに水を補給した。なんとかこのまま行けば5時間以内にゴールできそうだが、油断は禁物。終盤が怖い。このあたりからは給水地点の間隔が短く、水分摂りすぎの感がなくもない。36km地点近くで、昨年と同じガソリンスタンドのトイレを今年も利用させてもらった。おっ、誰もいない、ラッキー。道の脇でいすに腰をかけて応援している初老の男性が「凄いな~立派です」と声をかけ続けてくれていた。有り難いお言葉である。自分の方から、思わず「頑張ります」と言いたくなってしまう。これからのスピード減をどのレベルで止められるかが鍵だ。遂に北大構内に入ってゆく。今年は学生の応援が随分少ない気がする。(40km:35分29秒、4時間24分23秒)

 正直言って足が棒のようになっている。やめて良いと言われたら何時でも簡単にやめられる。でも誰もそうは言わない。むしろあともう少しだと叫んでいる。残りは歩いても5時間以内に到着できそうだと思うのだが、なかなか自分がそれを許さない。緊張の糸が切れそうな状態で進んでいると、北大構内の終盤にハイタッチの長い列が出来ていた。その流れに沿って最後まで力を緩めずにハイタッチを続けていたら、不思議なことに最後には自分で「よ~し」と声を出していた。これが力をもらうと言うことなのか!その後は残った力を振り絞るようにしてゴールを目指した。北大通りに入った最後の直線、家族が応援してくれているはずなので、歯を食いしばって懸命に走った。(ゴール:15分02秒、正式タイム:4時間39分39秒)



 この写真を見て驚いた。なぜならゴール前の走る姿で私の片足が浮いている瞬間を捉えたものは実は数少ないのだ。これまではまるで競歩のような状態で映っているのが殆どだった。これは私にとっては珍しい写真だったので公開!
 今回のレースは、終始歩くこともなく、また最後まで急激なペースダウンも無く走り通せたので、私としては久しぶりに満足のいくものだった。有終の美とはいかないまでも、これをもってフルマラソンを卒業するに相応しい会心のレースだったと言えるだろう。その記念の完走メダルがこの安田侃メダルである。



 フィニッシュ後は初めて救護テントに向かった。両足がわなわなとしていたからだ。そこで若い理学療法士さんにマッサージを受けている最中に、本当に足の指や肩の筋肉が攣ってくる羽目に陥った。みなさんの介抱をうけて少し楽になったが、点滴を受けて横になっている重症の人たちの中で自分はたいしたことがなく見えたので、早急にテントを後にした。その時一瞬そこでボランティアとして手伝っている娘の姿が見えた。こんな経緯があったので、家族との待ち合わせにはかなり遅れてしまった。連絡も取れず心配させてしまって申し訳なかったね。

11千歳JAL国際マラソン(フル)

2011年06月06日 | 完走記

 4年ぶりの千歳だ。今回は道マラの前哨戦。道マラでの完走を占う大事なレースだ。娘宅に前泊し焼き肉屋で炭水化物とタンパク質と脂質を潤沢に摂取した。春日湯につかって筋肉を程良くほぐした。寝酒にビールで心地よい眠りにつく。翌朝は早めに覚醒。7時過ぎに受付を終えた。昨夕の雨が嘘のように晴れ上がり、日差しが強くなる気配。少し風はあるがかえって気持ちよいくらいだ。カーボローディングを意識した朝食を摂り、仕上げに餅を2枚食べる。栄養面での準備は完璧。もうガス欠の心配はないだろう。朝の排便もまあまあ。短パンにTシャツ。靴はDSトレーナーだが今のは靴底がちびたので、その前に履いていた古いので代用(結果的にこれが致命傷だったようだ)。

 9時半娘宅を出発し、女房と娘二入とともに会場に到着。友人を探してウロウロするが見つからず、代わりに娘のかつての中学校の担任の先生に出会う。定年も近く、最近は長期休みに日本縦断てくてく歩きに挑戦しているという。年齢はほとんど同じだが、とても元気だ。結局スタート位置はかなり後方となる。

 10時10分丁度に出走の合図が鳴る。スタートラインを超えるまでに約3分を要した。相変わらずの団子集団の中、あまり無理せず進む。<5km:37分56秒>

 5km地点の給水所はごった返しており、一番手前のテーブルには、すでにカップはなくボトルがそのまま置いてあってビックリする。次のテーブルには何もなく、ひしゃくの水を手ですくって飲んでいる人がいて仰天する。ここでの給水は諦め、スピードを上げて前に進むことにした。しばらくは林間の比較的平坦なコース。順調に前に進んだ。<10km:31分24秒、1時間9分20秒>

 10kmの給水地点では、覚悟していたので、ひしゃくから手で水をもらった。林間コースは少しずつ緩やかな上りとなる。GPSでの定位が出来にくく、ペース配分がよく分からないので、心拍数を目安としながら進む。快調である。<15km:31分09秒:1時間40分29秒>

 これ以降の給水所では十分な水と給食を得ることが出来た。上り勾配がやや大きくなり、路面が細かい土で滑りやすくなってくる。ペースを上げまいとするのだが、心拍数を目安にしていると何故かあがってしまう。<20km:30分37秒:2時間11分06秒>

 中間地点を過ぎた。家族にそのことをメールで知らせた。この辺ではまだ余裕あり。いよいよ折り返し地点。今年はまだハーフのレースに1回と練習で25km走を1回走っただけなので、これからがきつくなるところだ。<25km:33分37秒:2時間44分43秒>

 コースは下りだが、地盤はゆるく、路肩で足を踏み外すランナーが時々見られた。下りなのでスピードが出そうなものだが、今回のレースは妙に足裏に痛みを感じて知らず知らずに踏ん張ってしまう。レース後に判明したが、足爪が2枚やられていた。今回の靴が足に合わず、つま先が靴の先端に当たっていたのだろう。足が窮屈でこわばり、それで足底に痛みを感じていたのだと思う。この下りでのダメージが後々じわりと出てくるのだった。<30km:32分56秒:3時間17分39秒>

 29kmからの上りと公道に入る手前の上りは相変わらずきつく感じられた。なんとか歩かず進んだが、スピードが落ちた。公道では日照りがきつく、さらにスピードが落ちた。歩いている人が徐々に増えてくる。<35km:34分50秒:3時間52分29秒>

 下克上の道は今回も厳しい試練を与えてくれた。歩いたらどんなに楽か、レースを止めたら一気にこの苦痛から解放される、そんな思いがちらっと脳裏をかすめるが、後悔するに決まっているので、ひたすら進んだ。36km地点で少し長い休憩をとり女房にメールを送った。なんとか5時間は切りたいものだ。その後はもう歩くのと大差ないスピードだった。頭は何も考えていなくて、ただ1kmがとても長く感じられた。<40km:41分05秒:4時間33分34秒>

 あともう少しの筈だが、ここからが長い。河川敷の人々からの声援を受け、どんどん抜かれながら進む。千歳はキツイ!そう心の中で呟く。途中娘が声援を送ってくれていたらしいが、全く気づかず進む。ゴール手前で女房の姿を発見。もう足が上がらず歩くようにしてゴールラインを超えた。いや~疲れた!<結果:17分09秒:4時間50分46秒>

 今回も精一杯のレースだった。友人二人は先着していたようだが、私としてはこれが限界だった。道マラまでにはもう少し練習を積み距離を踏んでいかなければならない、特に暑い夏場に。そしてあとは靴の新調か。


ノーザンホースパークマラソン2011

2011年05月15日 | 完走記

 女房マネの提案を素直に受けてエントリーした大会。第一回大会だとは後で知った。初回にしては有名ランナーの招待やチャリティーオークションがあり、NHKも取材に入るなど、随分力の入った大会であった。私もゴール直後にNHKのインタビューを受けたが、照れ屋の私は躊躇なく断った。

 当日早朝に自宅を出発し、途中で娘を拾って現地に到着した。薄曇りで風が強く肌寒い朝で、最初の競技、親子マラソンは寒い中でのレースで気の毒だった。一方トレイルランに挑戦する選手たちは闘志満々に見えたが、競走馬の練習坂路を走るトレイルは今回の目玉だったからか。

 ビュッフェ内のトイレは思いの外混んでおり、時間をくってしまった。1時間前から仮設テント内で更衣を開始、フル装備とする。荷物を預け、10分前に外に出てみたが、寒くてじっとしてはいられない。出走5分前から掲示板の前をウロウロとアップを繰り返す。

 スタートの合図の後、最後尾から走り出した。コースは牧場間の舗装路ないし牧場内の連絡路といって良い。放牧されている競走馬の細くて美しい雄姿を眺めながら、沿道で手を振ってくれるお年寄りに手を振り返しつつのラン。対向車はなく安全快適なコースである。走っているうちに空が開けてきて、完全防備のおかげで寒さは感じなかった。ただ風は相変わらず強く、向かい風になると風圧が少々きつかった。高低差は若干あるのだろうが、あまり気にならない。

 

 

 久しぶりのハーフマラソンだったので、ペース感覚が鈍っており、序盤の追い風下り坂で突っ込みすぎたようだ。しかし後半ペースが落ちたものの、気を抜くことなく最後まで走り終えられた。目標の2時間を切り、1時間52分51秒でフィニッシュ。概して気持ちよく走れる良いコースだった。フルマラソンを目標にして練習しているとどうしても長くゆっくりのペースが身についてしまう。スピードが求められるハーフマラソンへの対応が出来ていなかったのが反省点。しかしもう無理なことはできないな、としみじみ感じる。

 走後、着替えて家族とビュッフェに向かった。もの凄い混みよう。選手は無料のランチバイキングだが、正直言って質より量で勝負と言ったところ。戸外のステージ外れの席に陣取り、空腹を満たす。チャリティーオークションが始まったが、風が吹き止まないので抽選会を前に早々に退散。帰り道に、ランコース中で印象的だった親子馬の放牧場を探したが、丁度牧舎に追われているところで、家族は一瞬しか見ることが出来なかったのが残念だった。その後娘宅で軽く一眠りしてから帰途についた。

 追記:私は拝見できなかったが、猫ひろし選手は速く、吉田香織選手はきれいだったそうだ。