ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

仙台

2011-03-20 | 独り言

私がかつて住んでいた東北の地。
緑が多く、杜の都と言われる土地です。

東北関東大震災は、東北の海岸線を総なめにして甚大な被害を及ぼしました。
仙台も津波の影響を受けている場所があると報道されている。
私の友達は?隣人は?町内会の人たちは?
連絡の取れないもどかしさでした。

ちょうど2週間たった日、私の携帯に着信マークがありました。
仙台の友達からでした。
『ワッ!! やっとつながった』

我が家と彼女の住まいは同じ団地の中にありした。
35年くらい前の宮城沖地震の時の住んでいたアパート周辺で一番、地震の被害の少なく思えた団地で下から。
あの時は、ブロック塀が倒壊して沢山の人がその下敷きになって亡くなった。
そして造成したばかりの団地の家が庭と一緒に崩れ落ち崩壊したりもした。
地震の怖さを体験して安心できる土地に住みたいと思いました。
やっぱり長命が丘団地は無事だったとホッと胸を撫でる気持ちでした。

彼女の経営している国分町の店の中の瓶はことごとく落ちて割れしまい、
当分の間休業するそうです。
被災した従業員を家族ごと受け入れ、自分の家で集団生活をしているとのことでした。

世話好きでいつも明るく彼女らしいなぁ~と私は友達をとても頼もしく思いました。

『我が家はね、娘夫婦もやって来て、若い人がたくさんいるから機動力あるわょ。』
『断水しているけど、娘夫婦の家が水出るからそこから汲んで生活できるし。』
いつもより弾んだ彼女の声に私の方が励まされる気分でした。

『家に買い置きしてあった乾めんをゆでて食事しているの。』
『一部屋に集まっているのよ。小さな昔のストーブ捨てないで良かった。』

でも話をよく聞いてみると、
停電もしているのでエアコンも、オイルヒーターも使えないのだ。
ガスもストップしているからもちろん煮炊きは自由に出来ないのだ。
ガソリンが入らず、車を思うように出せない。もちろん灯油も買えない。
食料も店頭から消えて手に入らず、気温がマイナス近くになることもある今の時期だから
想像もつかない環境の中で彼女たちは、寄り添い生活している。

テレビの放映で感じる東北の被災者の方々はとても我慢強い。
そしてとても前向き。
『命があったから・・・・本当に良かった』
そう言って涙ぐむ姿に私もウルウルとなっている。

彼女もその東北の一市民。しっかりとその性格を感じる。

そして・・・・私がおそるおそる尋ねたご主人の石巻の家のこと。

『あそことはまだ全然連絡付かない。津波の被害が大きかったし・・・何人かいる友達とも全然。』
こんなにも気がかりなことを抱えているのに健気に頑張っている彼女。

私と同年齢の彼女、ちょっと無理をすると体中、ガチガチになってマッサージにすぐかかる人だった。
今、彼女は人生で一番の難関に向かっているのかもしれない。

『頑張ってネ。又、電話するよ。』



今、私の出来ることは・・・・真剣に考えています。