8月に近くの互助会の催しのセミナーに出席してみた。
葬儀の執り行い方などのセミナーと思いきや、終活(エンディング)の在り方であって自分にも関係する内容で興味深かった。終末に備えるエンディングノートを残す必要があることなど改めて知った。
このときは遺産を誰に残すか自分の葬儀をどのように執り行うか、誰に出席してもらうか・・・・エンディングノートに残すようにとのこと。
9月になって招待状が届き別の会場でのセミナーがあるのを知った。
今回は『尊厳死』がテーマだった。
日本尊厳死協会の副理事であもあり、メディカルセンターの会長の
鈴木氏による講演で、今回も興味深い内容だった。
日本人の平均寿命は更に延びて男女ともに世界一になっているそうだが、これは健康寿命とは違っている。
現在、寿命が来ても死ねない.......医療が死なせてくれないのだ。それで尊厳死協会では尊厳死を法律化する活動をしているとか
❶ 不治の病で終末期となったら単なる延命措置はしない。
❷ 苦痛を和らげる治療を中心に行う。
この結果、口から食べられなくなった時が尊厳死を主張する時。
そう言えば、わんこのひかるが終末期になったと思われる時、大好きな肉も受けつけなくなって約1週間、私の腕の中で安らかに亡くなった。リンパ腫とい重篤な病だったが最期まで粗相もなくきれいに亡くなった。
最愛の娘も同様だった。医師達は当初、彼女の終末期には気管挿管や胃ろうなども手段として考えているようだった。
病が治るなら・・・・私もそうしたいと思ったが単なる延命は彼女の苦痛を伸ばすだけでもあり選択したくなかった。
20年前の事だから尊厳死のような終末期に対する情報が余りなかった。が、気管挿管や胃ろうで彼女の無垢な体を傷つけたくなかった。治療方針を医師に要求をすることは出来ないものと思っていたし、医師は最高の治療をするものだと思っていた。
ひたすらに神様に祈った。治らない病なら、彼女に苦痛を与える延命措置は避けたいと。私の祈りが神様に受け入れられて彼女も私の腕の中で安らかに息を引き取った。
あの時は、私の祈りが神様に届けられたのだと思ったが、今は医師が母親である私の気持ちを察して延命しない措置を選んだのだのかもしれないとも思うようにもなってきた。
彼女は本当に安らかな顔をしていた。死に対する恐怖がないのなら、誰も死ぬことを恐れる必要がないように思われたくらいだった。
今回のセミナーで日本尊厳死協会という組織があって過剰な加療を拒否できる権利もあることを知った。
この組織、毎年5~6千人の入会があるけれど人数が余り増えないそうだ。ということは新規加入者と同数くらいの死者があると言う意味らしい。
ハハ様もいつも不要な医療は受けないと言っていたけれど、文書などで残してはくれていないと思う。
2回のセミナーに出席して、終末期に備えてエンディングノートを残す必要性をつくづく感じた。そして私も不治の病に侵された時、終末期を迎える前に尊厳死協会に入会するのも必要なのかしらと思った。
2回とも重いテーマでもあるが、文書で残してくれたら・・・・・人間は必ず死ぬのだから、残されるであろう家族にとっては心の迷いや選択の迷いがなくなるかもしれない。遺産相続も問題を残さないで済むのかもしれない。
今回も出席者にはそのノートが配布された。