ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

旅の余韻

2012-01-30 | その他

12月のヨーロッパ旅行から帰ってから何だか夢心地の私です。

1週間くらいは時差の影響かと思っていましたが1カ月経った今でも・・・・変ですねぇ~~

写してきた画像を整理しながら旅の余韻にどっぷりとつかっています。

ヨーロッパでとても華やかなクリスマス・マーケットを見て来ましたので、日本に戻ってから何を見ても心が動きません。

旅で知り合ったKさんが素敵なクリスマスカードを送って下さった時、あ~~~、クリスマスなんだぁ~と思い、その晩ケーキを焼きました。

続いて秋田に住んでいる同じく旅でご一緒したMさんが私の似顔絵を描いて送って下さりました。オットも少し絵心のあるニィニィもびっくり。同時に、Hさんから似顔絵が届いているとメールが入りました。

そんなわけで年が明けたら一度、会って旅の思い出を語り合おうということになりました。

原宿の『南国酒家』という中華料理店で会いました。秋田のMさんは3月ごろに上京すると言うことで今回は3人で会うことになりました。

 

再会に乾杯!!

 

私のとKさんのグラスの中はノンアルコールです。わたしはひどい下戸ですから。

Mさんは全員に似顔絵を描いて下さいましたので持ちより、記念撮影をしました。

 

          

私もお礼に写してきた画像を編集してアルバムとDVDを作りプレゼントしました。

 

Kさんと初めてあった時、懐かしい気持ちがしました。何処かで会ったような・・・・・

そうです、彼女 マリア様 に似ているんです。

そしてHさんですが、彼女のお帽子が綺麗なピンク色。とても良く似合っていました。描かれた絵もピンク系で素敵です。

私は20代の頃から帽子が好きでいつでも帽子を被ります。

画家のMさんは私の帽子のかぶり方が雰囲気があるぅ~~~と言って下さいました。私のこだわりを分かってくれたので嬉しかったですネぇ・・・・・・・・

 実のところは私の髪の毛は天然パーマで、それをボーイフレンドであったオットがいつもからかうのです。それがいやで帽子を被り隠していました。キャッ(*^^)vハハ    それ以来、ずっと帽子です。

 

 

 


サンコンさん

2012-01-24 | 独り言

日曜日、国際交流の会でサンコンさんの講演会と交流バーティーがあった。

大使の職務のため、本国のギニアから、昨日、この公演会の為に一時、ギニアから戻って来たばかりと言っていた。

ギニアは1年中暑い国で日本に向かう日は44度あり、日本のこの寒さでが耐えられないと、そして時差ボケで頭がふらふらしますと笑いながら話をしていた。

白い正装用の衣装はギニアだからこそで日本の冬には風通しが良すぎるだろう。(笑)

日本に戻るのにギニア→カサブランカ(モロッコ)→ドバイ→日本と飛行機を乗り継ぎ信じられないくらいの時間をかけて日本に戻って来た。

現在、彼は、日本人と国際結婚をして埼玉に住んでいるらしい。

ギニア大使としての職務で一時、本国に戻り、そして、講演会の為に日本に戻ったとか。

私の住んでいる市に最近、入国管理局が出来たからか、町の中も国際的になってきたと思う。

・・・・↓ は余談ですので・・・・

去年の大震災の直後の東電の事故のあとは・・・・・入国管理局では帰国の手続きで外国人が道路まで列を作って並んでいた。その光景を、何日も見ていた私は、ここに残っていて大丈夫なんだろうかと不安にもなった。アメリカなどでは帰国命令が出たようでサークルのK先生は、日本人の夫と泣き泣き別れて帰米した。一人っ子であるKさんを日本に置いておいて万一のことがあった場合、アメリカの両親にどうお詫びをして良いか分からないと彼女の夫のTさんは言っていた。そんなわけで、夫としても仕方なく妻に帰国を依頼したそうだ。あの時、私は思った。外人って、日本に来ても何かあるとすぐに逃げ出すのか・・・・正直なところ裏切られたような気分がしたのも確かだ。だんだん小さな声になってしまうが・・・・それで、外人に日本語を教えるというボランティアの件も棚上げされている。

 

そんなわけで、入国管理局がわが市に出来たからかどうかは分からないが、県知事も特に国際協力に力を注ぐことを宣言して予算も増やしたらしい。そして、サンコンさんに公演の依頼をお願いしたようだ。

 

ギニアと日本は似ている点があり、米食と魚中心の食事だとか。もっともギニアでは刺身は食べないそうだが。サンコンさんは大の日本びいきだそうです。20代の頃、来日してTV局のオーディションで選ばれ名前が知れタレントとしても活躍し、現在は週3日間、従兄のギニア大使館長を補佐する仕事もしている。

彼の国はまだ文明が進んでいなくて水の問題や子供の教育などいろいろな課題があるようだ。そんな中、彼は、サンコン学校を設立して子供の教育に力を注いでいるらしい。兄弟も30人近くいるらしく、一族は、ギニアの要職に付き、女性も教師やI/Tの仕事、看護婦などをしている人が多いとか。彼のファミリーはギニアではエリートなんだと思う。

そんなサンコンさん、外人は最初、日本に来てとても不安で緊張している。だから、外人に会った時はちょっとスマイルして欲しいと言う。それだけで心が和らぎ緊張がゆるむそうだ。これは、私たちにとっても同様で、外人さんに会った時、あちらがニコッとしてくれた時はホッとする。

そう言えば、駐輪場を出て入り口近くでサンコンさんに出会った。普通の服装だったし最初は気付かなかったけど私は笑って挨拶をした。そしたら彼から『おはよう!!』って返って来た。すでに午後1時近く、おはようは業界用語だったのだと思うし、その直後、アッ!!サンコンさんだと気付いた。彼も私もこのニコッ!!でホッとしたのかも知れないな。

国籍が違えば習慣も異なる。それを認めるのが大切と彼は言う。彼は現地では超エリート、母国語、フランス語、英語、日本語・・・いろいろな言語を話すことが出来る。空港などにいても彼は人々が話す言葉を理解することが出来るから楽しいと言っていた。確かに海外に行った時などは言葉の壁がなければ旅行も十分に楽しめると思うし、不安も少なくなるのだろう。私も、12月のヨーロッパ旅行でヨーロッパの言葉が理解出来たら不安もなかったかも知れない。又、アムステルダムでの例のハプニングを思い出してしまった。 

 

 知り合いになったグレースさん、日本に来て20年。すっかり言葉の壁も乗り越得たようです。

日本人と結婚、二人の子供のお母さんです。母国の正装用のドレスで参加してくれました。

 

 知事や埼玉大学教授などの出席があり、パーティーは盛況でした。

埼玉グローバル賞を受賞した方達の表彰式もありました。ネパールの子供や女性を援助するNPO法人の展示もあり、私の知らないところでいろいろな方達が頑張っているんだなと実感しました。

 

 


フランクフルト

2012-01-13 | 旅行 

2011年12月15日

今日は旅行最期の日でフランクフルト市内の自由行動です。ホテルのすぐ近くにトラムと言うヨーロッパの路面電車の駅があリましたのでそれに乗って・・・

 

トラムの切符の買い方も、これもちょっと変わっていました。4人でグループ買いをした私たちは一人分として普通に買うよりもお安く買えました。ちょっと、切符を買うのに手間取りましたが無事にストックホルム駅に到着しました。

 

レーマ広場ではクリスマスマー・マーケットがここでも開催されていました。

ドイツのクリスマス・マーケットが一番きれいと言う意味が分かりました。お店の屋台の飾りを見て下さい。とても凝っています。オランダやベルギーではクリスマスの飾りつけは控え目だったように思います。

ギルドの建物も何だかメルヘンチックで華やかです。

 

まるでおとぎの国にいるような気分。

 

メリーゴーランドもなんとまぁ~華やかなこと。

さすが、活気あるドイツ2番目の都市、フランクフルト。経済の面ではドイツ一番の都市だそうです。(一番は首都のベルリンだそうです)

 

 

 

マイン川沿いの散策の後、人だけ通行できるホルパイン橋を渡って対岸の美術館へ。

 

ウィンターマイン橋の向こうには大聖堂が見える。

 

歴史ある建物の後ろ側には近代ビルが立ち並び、フランクフルトは、中世と近代が調和している。

フランクフルト美術館はドイツ有数の美術館として知られ所蔵作品数6万点を越えるそうです。ドイツやオランダのルネッサンス期の画家が中心。印象派、近代画家の画家も作品もあり、見応えがある美術館でした。それらを全て目の前で見られたから幸せでした。

 

STADEL MUSEUM 美術館のホームページ

ホームページのcollectionタグから所蔵されている美術品が沢山見られますょ。

     

 

夕方、ツアーの待合せ場所のホテルに戻り、バスに乗ってフランクフルト空港へ行き、

夜の8時25分発の飛行機に乗って無事に帰国しました。

 

 

後記

しばらくは時差ぼけなのかの関係か昼間に眠くなったり、夜に眼が冴えたりでした。写真を眺めたりして旅行の楽しかったにどっぷりとつかっているような状態でした。そのままお正月を迎え、ようやく本来の生活が戻ってきた感じです。Hさんはもう、次の旅行を考えているようです。さすが40回の海外旅行の超ベテランです。

私には、初めてのツアー参加でしたが、31人そしてツアコンのSさん運転手さんこの旅行でいろいろな人と出会いました。ハプニングもありましたが、心温まる経験も沢山ありました。10年ぶりの海外旅行を決める前、躊躇していた私の背中を押してくれたHさんはもちろんのこと、留守の間、私に代わって家事とハハ様の世話をしてくれたオット、そして息子、更にご近所お友達、・・・・そして私の海外旅行に刺激してくれたサークルやわんこやニャンコのお友達みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さん、本当にありがとうございました。❦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 


ルクセンブルク

2012-01-12 | 旅行 

2011年12月14日

最期の訪問国は★世界遺産★ルクセンブルク旧市街観光です。ベルギー、フランス、ドイツなどに囲まれた小さな国ですが、世界で最もリッチな国の一つだそうです。

まずはノートルダム寺院へ

教会の中はステンドグラスがとても美しい 

英国のように君主国だそうですが、元首は国王でなく大公と呼ばれ、その大公宮殿の周囲には公衛兵が警備していたけどほとんど観光的なものかな?

Hさん公衛兵と一緒にウォーキングです。

 

ボックの砲台跡

断崖を利用した城塞には砲台跡が見られた。断崖を利用した城壁と小さな二つの川が自然の水濠となって長い間ルクセンブルクは不落の城砦都市だったそうです。

その下の低地には町並が続く。上からの眺めは興味ある風景でした。あの下まで行けないのが(ツアーだから)残念です。

 

広場ではクリスマス・マーケットが開催されています。

 ここでも大きなチーズが売っている

可愛いお店も

イエス誕生の様子

男性アカペラの歌が街角に響いていた。

ルクセンブルクもオシャレな町でした。

 

 

 

 

 


デュルブイ

2012-01-10 | 旅行 

12月14日 

人口500人足らずの世界で一番小さい町といわれているベルギー南部のデュルブイへ・・

街全体が絵本に描かれているような可愛い町で風情がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この町の人口は500人足らず・・・・

石造りの可愛い小さな家、私たちは思い思いに散策しました。

 

石畳の道路・・・

ここは標高400メートルくらいの所だそうですが、夏は涼しくリゾート地になっているそうです。そして住人の40%以上が芸術家だそうです。

 

確かに、芸術家の町らしく何処かセンスを感じる町並でした。

窓際のプランターもセンスが光っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

小窓のカーテンも手作りらしい・・・      青色のドアーもここでは自然に見えるから不思議

これは、クリスマスリースのようなものだそうです。大きな木の宿り木で、クリスマスの時期に採って来て窓の軒下につる下げてある家が見られました。

ヨーロッパの冬は朝が遅く、又、戸外は寒いので室内にいるらしいです。人影はやはり見えないのですが、ここでは人が生活しているという確信も持て、親しみも感じる町でした。

芸術家が多く住むこの町はレストランもオシャレで人口の割にレストランやカフェが多く、グルメの町としても有名だそうです。

 

 

続く

 

 

 

 


ゲント

2012-01-08 | 旅行 

 12月13日 

ブルージュからバスで約1時間、ゲントの町に向かいました。

石造りの建物が多く街全体は、荘厳な印象の町でした。

午前中に行ったブルージュの町とは雰囲気が全く違いますが、

ここも中世をしっかりと感じる町でした。

 

 

 

どっしりと構える市庁舎。

 

町の中心には 

★世界遺産★ 鐘楼が・・・・

二つの町は中世の時代は毛織物産業で栄えた共通点があるものの、

時代の流れに乗り遅れたブルージュと近代化が進んだゲント。

二つの都市は中世の頃、互いに競い合うライバル都市だったそうです。

ゲントでもクリスマス・マーケットが催されていました。

 

 

 

レイエ川沿いには中世の富の象徴、ギルドハウスが建ち並んでいる。

 聖バーフ大聖堂ですが

「神秘の子羊」 の祭壇画があるところで有名です。

 

  

 この教会に展示してある 「神秘の子羊」 の祭壇画、

これが有名で是非、マリア様とイエス様のお顔を拝聴したい・・・・・

観音開きになる屏風のような形のものに24枚の絵が描かれていて宗教的理想郷を描いた作品だそうですが・・・・

マリア様が本当に美しい・・・・・・・。

イエス様のお顔については、オヤッと私は思いましたが、後で知ったのはイエスかどうかハッキリと断定出来ないそうです。

フランドル地方の景色や草の葉まで緻密な技法で描かれてはいるが全体的には遠近感など超自然。それに風景も植物も当時のフランドル地方の物と違うそうです。

この絵は何回も盗難に合ったり焼き討ちに合いそうになったり、数奇な運命をたどったそうですが・・・・歴史的にも美術史的にも貴重な絵を、目の前で(さわることも出来るくらい)見られたのは幸運でした。

 

神秘の子羊  ← クリック

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 


ブルージュ 

2012-01-08 | 旅行 

 12月13日 

水の都 ブルージュへ

今回の旅行で私が一番、楽しみにしていた★世界遺産★ブルージュ歴史地区です。


ブルージュという名前は”橋 ”という言葉が語源だとか。



ギルドハウス風の建物が並ぶ道を歩きながら・・・・




ブルージュの中心、マルクト広場の鐘楼がカリヨンの鐘の音を響かせていました。

歴史が感じられる立派な市庁舎。




朝方降っていた雨も上がり・・・
例年の冬より暖かく、道も凍らず助かります。
ヨーロッパの今頃の季節はもめまぐるしく天候の変化する所だそうです。

ヨーロッパでも“晴れ女“の威力が発揮されたのか雨模様の空でも傘をさすことはほとんどなかったです。


自由時間の40分、買い物をするか?それとも・・・・鐘楼に登るか?
私たちの判断、迷わず、鐘楼に登りました。









13世紀、ブルージュは対岸のイギリスから羊毛を仕入れて作る高級毛織物の生産地で貿易で繁栄した町でもあったそうですが・・・・・・

その後、北海からの土砂で水路が埋まり船の通行が不可能になり繁栄は15世紀後半で終わったとか・・・・



その後の産業革命からも取り残され、中世の美しい面影はそのまま封印されて歴史に埋もれた街になってしまったブルージュ・・・・

この小さな町は、その後の戦火も免れ、美しい中世のたたずまいが時が止まったように現在に残ったとか・・・・

★世界遺産★歴史区は、ゆったりとした中世に紛れ込んだような錯覚すら感じました。


























レストランの中の窓際の女性・・・
絵になるなぁ~~~思わずシャッターを切りました。



ブルージュは私の、想像した通りの町で、
過ぎ去った過去の美しさ、大切にしなければならない何かを感じさせてくれました。


ここからは19世紀末の詩人ローデンバックの『死都ブリュージュ』の中の言葉です。

「人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる一人の主要人物のような『都』を描きたかった・・・・・。」

私は、この言葉を十分に受け止めることが出来ました。

鐘楼に登り買い物も出来なかった私ですが、この街の思い出にと・・・・
バスが待っている広場までの道路を歩きながら、
見かけたお店のショーウインドウの中からクッションカバーをゲットしました。

続く





2011年12月13日




又も焦りました

2012-01-07 | 旅行 

夕方、4時頃のグランプラス。

ライトアップした美しい建物の市庁舎やグランプラス周囲の様子です。

動画で撮りました、



クリスマス・マーケットでにぎわう広場では自由時間がありました。

マーケットの屋台では、クリスマスの小物やチーズなど売っていました。

周囲のチョコレートを売っているお店でお土産のチョコレートを買ったりしました。

ベルギーのチョコレートって最高なんだそうです。







自由見学の後、広場でツアーの仲間たちと待ち合わせ、

私たちは音楽と光の幻想的な光景にうっとりと・・・・・

グランプラスの広場には沢山の人が出て来て夢のようなこの光景を見ていました。

午後8時過ぎ広場は真っ暗で、グランプラスは最高潮!!





ツアコンが人数を数えバスの待つ場所に移動し始めましたが、


音楽は白鳥の湖、ライトの動きも最高潮、

私、
『みんな、行ってしまうわよ。』

Hさん、
『もうちょっと、この曲が終わるまで・・・・』

私も立ち去るのに忍びなく皆の後ろ姿を目で追いながらカメラを回していたのです。


一瞬・・・・・・・皆の姿が人ごみに消えて見えなくなりましたが、

Hさんはグランプラスは2回目とのことでよく知っているし・・・・・
私、単純にそう思っていました。

その後、
皆の後を追いかけましたが分かれ道では、どちらに行って良いかさっぱりわかりませ~~ん。

何と又、アムステルダム駅でご一緒のAさんもいます。

困ったぁ~~!! 私って昔から方向音痴!!

暗くなった街の雰囲気は全く違うので夕方に歩いた時と全く違って見えます。




その後、ツアコンのSさんが汗をかきながら、三人を探しに来てくれましたので、
無事に皆と同じバスでホテルに帰ることが出来ましたが・・・・。

私たちも探しに来てくれるのを信じて待った方が良いと判断したのも正解でした。

ツアコンのSさんは私達を見つけてホッとした表情をしましが、内心はどう思われていたのでしょうねぇ?

大人が三人も迷子ですから。でも、私たち三人だったので心強かったです。

アムステルダム駅のハプニングに引き続いてのことで、
Sさんは責任ある立場ですし焦ったことでしょう。
ごめんなさいの一言です。

ヨーロッパの冬の夜の何と寒いこと・・・・・・

さっき見かけた物乞いの老婆の姿が目に焼き付いてしまいました。


2011年12月12日