日曜日、国際交流の会でサンコンさんの講演会と交流バーティーがあった。
大使の職務のため、本国のギニアから、昨日、この公演会の為に一時、ギニアから戻って来たばかりと言っていた。
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ギニアは1年中暑い国で日本に向かう日は44度あり、日本のこの寒さでが耐えられないと、そして時差ボケで頭がふらふらしますと笑いながら話をしていた。
白い正装用の衣装はギニアだからこそで日本の冬には風通しが良すぎるだろう。(笑)
日本に戻るのにギニア→カサブランカ(モロッコ)→ドバイ→日本と飛行機を乗り継ぎ信じられないくらいの時間をかけて日本に戻って来た。
現在、彼は、日本人と国際結婚をして埼玉に住んでいるらしい。
ギニア大使としての職務で一時、本国に戻り、そして、講演会の為に日本に戻ったとか。
私の住んでいる市に最近、入国管理局が出来たからか、町の中も国際的になってきたと思う。
・・・・↓ は余談ですので・・・・
去年の大震災の直後の東電の事故のあとは・・・・・入国管理局では帰国の手続きで外国人が道路まで列を作って並んでいた。その光景を、何日も見ていた私は、ここに残っていて大丈夫なんだろうかと不安にもなった。アメリカなどでは帰国命令が出たようでサークルのK先生は、日本人の夫と泣き泣き別れて帰米した。一人っ子であるKさんを日本に置いておいて万一のことがあった場合、アメリカの両親にどうお詫びをして良いか分からないと彼女の夫のTさんは言っていた。そんなわけで、夫としても仕方なく妻に帰国を依頼したそうだ。あの時、私は思った。外人って、日本に来ても何かあるとすぐに逃げ出すのか・・・・正直なところ裏切られたような気分がしたのも確かだ。だんだん小さな声になってしまうが・・・・それで、外人に日本語を教えるというボランティアの件も棚上げされている。
そんなわけで、入国管理局がわが市に出来たからかどうかは分からないが、県知事も特に国際協力に力を注ぐことを宣言して予算も増やしたらしい。そして、サンコンさんに公演の依頼をお願いしたようだ。
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ギニアと日本は似ている点があり、米食と魚中心の食事だとか。もっともギニアでは刺身は食べないそうだが。サンコンさんは大の日本びいきだそうです。20代の頃、来日してTV局のオーディションで選ばれ名前が知れタレントとしても活躍し、現在は週3日間、従兄のギニア大使館長を補佐する仕事もしている。
彼の国はまだ文明が進んでいなくて水の問題や子供の教育などいろいろな課題があるようだ。そんな中、彼は、サンコン学校を設立して子供の教育に力を注いでいるらしい。兄弟も30人近くいるらしく、一族は、ギニアの要職に付き、女性も教師やI/Tの仕事、看護婦などをしている人が多いとか。彼のファミリーはギニアではエリートなんだと思う。
そんなサンコンさん、外人は最初、日本に来てとても不安で緊張している。だから、外人に会った時はちょっとスマイルして欲しいと言う。それだけで心が和らぎ緊張がゆるむそうだ。これは、私たちにとっても同様で、外人さんに会った時、あちらがニコッとしてくれた時はホッとする。
そう言えば、駐輪場を出て入り口近くでサンコンさんに出会った。普通の服装だったし最初は気付かなかったけど私は笑って挨拶をした。そしたら彼から『おはよう!!』って返って来た。すでに午後1時近く、おはようは業界用語だったのだと思うし、その直後、アッ!!サンコンさんだと気付いた。彼も私もこのニコッ!!でホッとしたのかも知れないな。
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国籍が違えば習慣も異なる。それを認めるのが大切と彼は言う。彼は現地では超エリート、母国語、フランス語、英語、日本語・・・いろいろな言語を話すことが出来る。空港などにいても彼は人々が話す言葉を理解することが出来るから楽しいと言っていた。確かに海外に行った時などは言葉の壁がなければ旅行も十分に楽しめると思うし、不安も少なくなるのだろう。私も、12月のヨーロッパ旅行でヨーロッパの言葉が理解出来たら不安もなかったかも知れない。又、アムステルダムでの例のハプニングを思い出してしまった。
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知り合いになったグレースさん、日本に来て20年。すっかり言葉の壁も乗り越得たようです。
日本人と結婚、二人の子供のお母さんです。母国の正装用のドレスで参加してくれました。
知事や埼玉大学教授などの出席があり、パーティーは盛況でした。
埼玉グローバル賞を受賞した方達の表彰式もありました。ネパールの子供や女性を援助するNPO法人の展示もあり、私の知らないところでいろいろな方達が頑張っているんだなと実感しました。