ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

虫さされ?

2015-06-30 | その他

ハハ様が元気なころは、植木の手入れや落ち葉の清掃をしてくれていた。最近では手入れもおろそかになって風通しも悪くなってきた。

気になって気になって・・・・オットット様にずっと頼んでいたのだが、やっとやってくれることになった。

広い庭の手入れを全て一人でする友達がいる。私は虫が苦手だし・・・・・余りしたくないのでオットット様にお願いした。

もっと伸びる脚立も欲しいと・・・・早速、近くのホームセンターで購入してきた。(早く、手入れをすれば不要だったのに・・・・又、道具が増えてしまったと私、思う。手入れする植木だって我が家は少ないのに・・・・・。)

長袖、長ズボン、帽子と身支度を整えて・・・・ そう言えば何でも形から入るのがオットット様の流儀。

 

終了した後・・・・・見ると手などに小さなあせものような湿疹が。

チクチクする葉に触ったのかもしれないと思っていたが、翌日は腫れているようにも見えた。

 

腕の方まで広がり痛々しいので医者に行ってもらった。

本人は気付かなかったようだが毛虫に刺されとのこと。

 

医者の指示

毛虫に刺され、その毒素が広がった。軟膏を塗り、痒くてもかかないように。

使用したタオルを他の人と共有しないように。

毛虫の毒素がタオルに付き、それが他の人も湿疹がでる可能性があるとのこと。

刺された場所は一部なのに腕中に広がるのも、その毒素がほかの人にも移るなんて初耳で驚いた。

 

腕に包帯をグルグルと巻かれて帰宅した。

私は蚊の好む血液型で刺されやすい。子供の頃にスズメバチに背中を刺されたことがあって虫は怖いし苦手。毛虫には刺されたこともない。

オットット様が木の世話をしなかったら・・・・・私が、毛虫にやられたかもしれないと思ったらゾクッとした。

 

 

 

窓ガラスに1cmもない小さな虫がいた。羽もあるし小さな蛾?よく見ると可愛い顔をしている。クリックすると大きくなるので可愛い顔を見て!!

もしかしてオットット様を刺した毛虫が成長するとこんな蛾になるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1年前の記事を読んで思うこと

2015-06-19 | 独り言
 
消費税アップの対策 ①

今年の4月からアップした消費税。アップ前の対策として買いだめをしたり、そのうちと計画していた耐久消費財を前倒しで購入した家庭もあったでしょう。当初、我が家は高齢者のみの家庭で食...
 

昨年の今頃に投稿した記事の内容がメールで届いた。

 

あの時は消費税が8%に上がって3か月。買い控えも我慢出来なくなって、再び同じように消費するようになるだろうと思っていた。が、1年以上が経過した現在の我が家の家計を見ると。

食費については、外食が減ったり高価な食品を買わないようにしているから金額については少し増えたくらい。シニアが二人、高齢者一人の計3人だから購入する量も減り金額的にはやや、増というわけ。レジで精算をする時に消費税がプラスされて思わずエッ!!と思う時もある。食品など消費税がアップした分の3%より高額になっているような気がする。

一番、少なくなっているのは衣料費。魅力ある商品が見当たらず買い物に出ても手ぶらで帰宅することも多くなった。すでに持っていて、箪笥や衣装ケースの中の物を整理して捨てたいくらいだし、日常生活では着る衣類も限られ今あるもので十分だしね。

一番、増えているのが医療費。あと健康保険料や介護保険料。ハハ様の薬は増える一方だし、医者にかかる頻度も上がったから。今まで医者と縁がなかったオットット様も最近、やたらと医者と仲良しになってきた。皮膚科、歯科、内科、整形外科・・・・私は自分の事は後回しになっているからオットット様のように人間ドッグに入って検査をしてもらったら・・・・。どういうことになるか自信がない。山などに行った時、帰りに耳が難聴になり耳鼻科にも行きたいけど・・・・さしあたって命にかかわらないと思うとなかなか行く、チャンスが見つからない。重い持病があって医者通いが必須になったら大変なことと想像する。

いわゆる社会保険料は、給料からの天引きされているときは意識しなかったけど、年金などから後払いするのは負担になる。おまけに65歳からは夫婦、一人一人に介護保険料まで増えて負担が大きく感じる。

年金も少しはアップしたけれど介護保険料が増えた感じだし我が家は実質収入は増えたように感じない。不足分は預貯金からの持ち崩しで何とかしのいでいる。いわゆる団塊の世代で人口が一番多い私たちが年金だけに頼れる生活は無理なのを見ていて、若い世代の人たちは年金に信頼を持つことも出来ないだろう。彼らには子育てや教育費も掛かるだろうし、少しでも余裕のあるお金は預貯金に回そうとするのは必然。こういう状態では消費は増えないのは当たり前。日本がデノミから抜け出るのは難しいと思う。

アベノミクスとかで株やら外貨預金をしている人は恩恵を受けているかもしれないが、一般の投資家はここまで上がってくるのを待てずに、すでに売却済みの人が多いと聞く。大企業で働いている人は給料もアップして、それを消費に回し、お金が循環して下の層まで恩恵がまわってくるというトリクルダウン効果は??どうなったのだろう。

聞くところによると実質賃金は大企業ではプラスになったのかもしれないけれど、日本全体ではマイナスだったと聞く。収入の増えない企業も多いらしいから。

東京オリンピックが開催された若い頃、日本全体が迎える高度成長への期待で盛り上がっていた。2020年、再び開催される5輪はあのころのような活気はあるのだろうか。

 

以上、シニア主婦の独り言でした

 

 

 

 

 


 


サクランボ狩りと南アルプス

2015-06-15 | 旅行 

サクランボが実る季節は梅雨時で雨はつきもの・・・・

自称、晴れ女の私だけど・・・・お天気を祈りながらのバスツアーに参加した。

 

現地の天気はまずまずで高原の爽やかな風が心地よかった。この美しいフラワーガーデンではしばらくここにとどまって楽しみたかった。

 

ツアーは並んで待つ・・・・これが原則、希望は通らないけど団体行動だから仕方ない。

せめて写真を写して思い出にと同行した友達のMさん、

彼女のカメラの向こうには・・・・・・・・・プラチナ製?メタリックの大きなカブトムシが輝いている。

 

この時期、高原に咲く花々は色が冴えていてきれい。

南アルプスの山々に雲がかかっている、雲の中には八ヶ岳が隠れているのだろうか???

昨年、登った天狗岳はどこ? 青空のもとで見た硫黄岳はどこ? 今年も八ヶ岳連山を歩く夢に幸せの想像力が膨らむ。

 

 

ハイジの村という施設のある場所の近くのサクランボのハウスの中。高い場所に実っているサクランボは梯子をかけてとる。今年のサクランボの出来は上々とかで目の高さの枝にもたわわに実っている。枝によって甘さが違うのよとYさんが教えてくれた。本当に同じハウスの中にあるサクランボなのに枝により、甘さが全然違っている。

可愛く赤いサクランボの実をつまんで、口に入れる幸福。初体験!! 今まではサクランボ狩りの看板を横目で眺めて通過するだけだった。

入園料も結構するので、考えてしまうしね。入園料込み、これもツアーの利点かもね。

赤く色づいた可愛いサクランボ。

大きなサクランボを枝からもいで食べる・・・・こういうことに幸せを感じる。

 

 

 


 

 

バスツアーは余り参加することがない私。あちこちに連れて行ってくれるのは嬉しいのだが、移動や買い物に時間を取られれるのが難点。今回は早朝に出発した割には訪問場所がランチバイキングの場所を含めて4か所だけだった。同行したMさんはゆったりのバスツアーでよかったと言っていた。

ツアーの終わりに、サクランボのパック詰めプレゼントがあった。フラワーガーデンでは、お花、野菜、ハーブなどから一鉢のプレゼントを頂いた。こういうのもツアーのお楽しみの一つなのかもしれない。、

独自に旅行をするのが面倒になった時、このようなバスツアーに参加して気分転するのも良いかもしれない。爽やかなな高原の風に癒され、又、日常を過ごせる元気をもらって来た。

 

 

 


ちっち猫の監視

2015-06-13 | ちっち

 

 

ちっちのお邪魔虫。先日の服作りの時

 

『おかあさん、今度は何作るのでちゅか?』 またもや広げた型紙の上に乗ってきて

 

 

座り込んで動かないちっち。

 

 

 

 

別の日に、型紙を写し終えて布の裁断をしようとすると・・・・・

 

ちゃっかりと布の上でを見学です。

『今度の服は柄いりでしゅね。上下、柄合わせ気を付けてくだちゃい。』

ハサミの動きに目が釘づけ。しっかりと私の事を見守っているのか、監視しているのか?

 

 

ニャンコってマイペースで単独行をすることが多い。けれど我が家のちっち、私のすることに興味津々。

いつもと違うことをしようとするとすぐに、駆けつけてお邪魔虫。何故なんでしょうね?????

 

 

 

 


朝日岳~茶臼岳 

2015-06-09 | 山歩き

2015年6月7日

朝、6時 さいたま出発

2015年6月7日  天気 晴れ

 ← 地図

9:30

登山口駐車場から登山開始

山の神をまつる小さな神社があった。

峰の茶屋跡の避難小屋が見える。今日はあそこまで行ければOKのつもりで歩いた。

天気は上々。もうすぐ梅雨入りを控え、この上ない天気に押され先へ、行けるところまで行ってみよう。

 

 

高山植物のイワカガミ。夏山に向かい山は楽しく美しくなっていく。

 

10:30

峰の茶屋跡 避難小屋 着

ここは茶臼岳と朝日岳の分岐点。ここで小休止。この辺りは天候が荒れると強烈な風が吹く。12年前の5月は残雪があって朝日岳方面へ行く道は雪渓の尾根をこわごわと歩いた。

駐車場は満杯だったから今日は登山者も多い。にぎわう避難小屋あたり。

 

この山の向こうに朝日岳があるはず。雲の中に隠れて山頂は見えない。行こうか迷う。腰はかがむと痛いけど歩くのは支障がないみたいだ。こんな青空を見ていたら進むきゃないと決断。

10:45 避難小屋出発。

 

岩がゴロゴロと転がる山道。途中、崖を巻く道をにへばりつき歩く処がある。前回はそこでリタイアしたのだ。カメラとストックをリュックに入れて両手がしっかり使えるように歩行。残念ながら撮影の余裕もなかったわ。💦

今回は何とかクリアできて進めた。小学1年生の可愛い女の子も登っていたから励まされた。子供の方がずっと身軽だけどね。

 

11:45 朝日岳山頂。

 

 

ランチ休憩をとりながら撮影。雲が出てきて下界が見えない。尖っている山のずっと向こうに避難小屋があるはず。

あの辺りの崖を巻く登山道が極端に狭く、鎖を頼りに壁にへばりつく様に歩いた。下を見下ろすと、とても怖かった。

上昇気流で雲が湧き上がりどんどん雲が増えてきている。

 

12:30 下山開始 ピストンで避難小屋に向かう。後ろを見上げると朝日岳山頂は雲の中で見えない。

ここから又、例の崖が待っている。行きは夢中で登ったけれど、下山するときは下が見えるから、なお、怖いかも~~~~と思ったが案外と大丈夫だった。何事も同様だけど知らない恐怖が一番、怖いのかも。一度、経験すると恐怖心もなくなるのかもしれない。

 

避難小屋が見えてきた。

 

13:00 避難小屋着。

12年前は朝日岳ももう少しで山頂だったのだ。それにしてもわんこも良く歩いたと思う。あの時は茶臼岳にも向かった。

まだまだお天気は続きそうだから・・・・そうだ、茶臼岳も行けるところまで行こう。

13:10 避難小屋 出発

 

はるか下に避難小屋が見える。

この近く硫黄の匂いがする。岩肌からは白い湯気が湧き上がっているし、この頃、日本全体の火山活動が活発になってきていることをふと思う。

 

茶臼岳のお釜。ずっと以前、ここから噴火が起きた跡。河口には水はなかった。

火口を左手に見ながらお鉢めぐりをして山頂へ向かう。

 

2:00 茶臼岳 山頂着 思わず万歳の手が挙がる。

 

登山口から何回かこの若者たち3人に出会った。足の速い若者たちはいつも私たちを追い越し先で休憩をとっている。何回も挨拶をしているうちに顔馴染になって話をした。全員、32歳。独身。私たち夫婦で登山が出来るのを羨ましがっていた。シニアになった今、二人で山歩きが出来る幸せに感謝した。

山歩きをしながらいくつかの可愛い花に目が留まった。この花は?ドウダンツツジに似ているようだがちょっと違うようでもある。

15:50 駐車場着。満杯だった車も下山して私たちの青い愛車(駐車場所がなくて出口近くの道に駐車)がポツンと。

 朝日岳、茶臼岳、2山頂に立つことが出来た幸せに感謝、又、頑張れそう!!

 


 

登山後記

腰痛もあったので那須にしようか尾瀬にしようかずいぶん迷った。それにハハ様が又、発熱したり、立てなくなったりで今回の旅行はムリかもしれないと計画も思うように立てられなかった。

那須だったら直前予約で宿泊できるホテルがあるので便利と思い温泉に入るつもりで計画した。結局、12年前の朝日岳のリベンジまで出来て嬉しかった。これで山歩きの幸せホルモンの効果はしばらく続くと思う。

下山するときに同じくらいの年齢のおじさん。私たちに声かけてきて、避難小屋から一緒に下山した。道々の会話で夫婦で同じ趣味を持つ私たちを羨ましがっていた。山頂で会話した若者も、すぐ私たちに追いつき会話に参加。こんなに羨ましがられて・・・・ちょっと照れる。

私の体力にオットット様が合わせてくれているのが良く分かるので、『私が足を引っ張るから・・・・オットは山歩きを楽しめないと思うし迷惑がっているかも・・・・。』と言ったら、おじさんや若者は私の言葉を否定してそんなわけないでしょうと言う。

オットット様は何も言わないで笑っているだけ。知り合って45年以上たつ私たちだけど自分の心情や本音を語らないオットット様はどう思っているのだろうかといつも思う。

 

 

 

 

 

天気が良かったので、日焼け止め、サングラスなど必要だった。夫は半そでで真っ黒に。長袖でも暑くなかった。セカンドバッグが邪魔にもなったのでなるべく両手は空けておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


12年前のリベンジ

2015-06-09 | 山歩き

関東地方が梅雨入り宣言される前の山歩きをして来ました。

 

小屋の左側に行くと茶臼岳、右側は朝日岳。

11年前の5月わんこのひかると一緒に、ここへ来て朝日岳山頂近くでリタイアしたことがあった。

今回も前々日に突然の腰痛で山歩きが出来るか不安だったけど・・・・・強引に何とかリベンジ成功!!

梅雨入り直前の晴天に晴れ女全開を確信する山歩きでした。

 又、頑張れそう \(^o^)/

 

わんこのひかるは頑張りましたが、残雪と急な崖が私は怖くてもう少しで山頂だったはずなのにリタイア。

いつかきっと、朝日岳山頂に登るという私の “ 夢 ”がかなった瞬間でした。

 

12年前の山歩き

 

 

 

 


悪夢再来か?

2015-06-05 | 独り言

先週の月曜日、ハハ様がショートから帰宅した。

元気で出かけて行ったのに発熱、そして足腰が痛いとのこと。(家でいるときは体調も良くて帰るといつも病人だ。立ちあがった時によろけて転んでしまったとか。おぃおぃ、私一人で看ているけど転ばしたことは一度もないのに~~~しっかり看てほしいと内心思う。)

余り痛がるので医者に連れて行きたくても嫌がるハハ様を私、一人で連れて行くのはとてもムリ。

熱は多分、感染症だと思うが足の痛みは????又も骨折? 去年の大腿骨の骨折の時と同じような状態に感じる。悪夢がよぎる。

あの時は痛くて悲鳴を上げるハハ様を何回も医者に連れまわしたような結果で、骨折が判明するまで1週間もかかってしまった。

 

熱は何とか抗生剤を医者からもらってきて落ち着いた。(足の痛みはひどいけど内科医だから医者には言わない。きっと連れて来るように言われるからネ。前回、血液検査やら検査をしたけど骨折は解らなかった。血液検査で骨折も分かると先生は言ったのにねぇ~~。)

今朝なんか、ベッドに上がれない。両足が踏ん張れなくて立ち上がるのも一人ではムリ。私が手と方と腰を貸しやっとこさハハ様をベッドに。小さくて軽いけど36kgある体重を持ち上げることはかなり大変。

ギック!!私の左側の腰から音がしたように感じて痛みが走った。これがぎっくり腰か。そのあと痛くって痛くって・・・・・こういうのは初めて。

二人で悲鳴を上げていてオットット様に助けてもらった。65歳の再々雇用で働き方が楽になり、家にいることも多くて本当に助かる。

まぁ~何とか私の方は落ち着いきハハ様を日赤に連れて行き、見てもらうことにした。どうしても自分の事は後回しになってしまう。💦

 

午前10時前に受付を済ました。予約外だから時間がかかると言われた。仕方ない。明日からショートに行く予定だけど、原因が分からないと先に進めないから。

待合室は相変わらず混雑していて予約した人が先に診察してもらうようだから順番がなかなか回ってこない。おおよその時間でも教えてもらえれば喫茶店かどこかで時間待ちが出来るのだけど・・・・急に来たので仕方ない。ただ順番を待つ。

およそ3時間くらい経過した後、名前を呼ばれ、レントゲンを撮るように指示された。

担当の先生はいなかったので別の医師の見立て。

『骨折はしている様子は見られない。おばあちゃん、痛みが心配で来てくれたんだ。又ねぇ~~。』若い先生、ハハ様に笑いながら言った。

ホッとした。これで明日ショートに送れる。私たちも何処かへ行ける。

前回の発熱では計画していた旅行があわやパァ~になるところだった。あの時は、1日ショートの日取りを遅らしてもらい私たちの出発も遅らせ何とか計画の旅行を達成できたけどヒヤヒヤだった。

これから何処か気晴らしの旅行をしようと思うけど・・・・思いつかない。私の腰もちょっと痛いし。山歩きはムリかもしれないし~~~介護ってこういういろいろなハプニングがあって、まるで子育ての時のようだ。

それにしても子育てはおおよそのめどがたつけどぉ~~~私のこの老々介護、いつまで続くのよぉ~~~~。それにしても妹は気楽。前回のハハ様の発熱の時も電話を伝えたけど……心配じゃないのかしら。向こう側からハハ様の事を気遣って様子を聞いてくることは皆無。

そのくせ、

『お姉さんの用事があったり体調が悪い時はいつでも交代するから。』なんて言う。こちらもその気になって連絡すると、

『孫の世話があるから~~~~。』

『私もパートに出るようになって忙しいから~~~~。』

『突然の、ミーティングがあってずっと欠席したから今回は出席しなくてはならないから~~~』

なんて代われない理由を言う。ハハ様の認知症が分かってから約8年以上、一度も代わってくれたことがない。全く調子だけいいんだからぁ~~と思う。

そして、『ハハ様の認知症の介護は楽な方だと思うょ。』なんてのたまったことがある。

私の場合、認知症だと分かる前が一番、大変で何かと突っかかって来たり、被害妄想になるハハ様の対応に神経をすり減らしたことがある。そういうことが数年、続いた後に認知症だと分かった。

そして、ハハ様の異常行動や言動が認知症が原因であることが分かった後、心の中がすぅ~~っと軽くなったのを覚えている。

気分的には負担も軽くなったような気持ちはあるけれど、夜中の徘徊騒ぎやうん〇騒ぎは気を休める時もなく、徘徊できなくなった今は夜中に何回か起きてトイレの世話をしているし、昼間も外出もままならない日々を過ごしている。

楽って言うなら、『それじゃ~代わって介護してくれる?』と言ってみたら、

『・・・・・・・・・・・。』妹、しばらく無言。

『家には、介護ベッドないし私、運転できないから何かあると大変だし・・・・・。』

運転できないのは私も一緒。要するに介護を代わる気持ちはあっても具体的になるといつも拒否なんだから。口ではなんとでも言えるよね。

 

以上 老々介護者のボヤキでした。

 

 

 

 

 


服づくり 

2015-06-03 | その他

ワンピース

ワンピースの2作目に挑戦した。

模様入りの生地なので柄合わせが必要。胸の切り替えの柄合わせと、柄の中心に前後見ごろの中心になるように気をつけた。初心者の私には高度すぎたかな?苦労したよ~~~。

 

胸元に切り替え線でダーツも前後身ごろに入る。

 

後ろファスナー、襟見返しが付く。前回のに比べるとやや作り方が混んでいる。

コンシールファスナーが付いたけどミシンの抑えが専用のものがないのでちょっと手こずった。上手に付くとファスナーが完全に隠れて縫い目のようになるはず。これでも脱ぎ着が楽になるからまぁ~いいっか。

    

 

前回のパターンで、今度はチェック地で作ってみた。もちろん麻混。前回のはやや厚めの布だったので縫うのも苦労したので今回はやや薄手。アンダーの上に直接着れば涼しく過ごせそう。

 

後ろ身ごろに前後の区別がつくようにリボンを切り、タグ替わりしてみた。

ハハ様の見守りで退屈しのぎです。

 

 


突然の揺れ

2015-06-02 | その他

A君がドイツから一時帰国した機会に先生、旧友が集まった。お楽しみ会が盛り上がった勢いで、カラオケ店に入った途端、グラグラと大きな地震。

あまりに揺れが大きいので部屋のドアーを開けて万一に備えた。

5階でもあり揺れも大きかったのかもしれない。

 

すぐに治まったので2時間くらいカラオケ店で過ごし、調布駅から京王線に乗り新宿へ。

 

新宿駅では様子がいつもと違うのを感じたけどそのまま埼京線へ。すると階段下に大勢の人が並び上に上がれない。

その時、初めて地震の影響があったことを知った。東京のJR線はストップしたり乱れている。地震後3時間くらい経過しているのに?????。そんなに大きな地震だったの?

地下鉄は動いているらしいけど・・・・・私、地下鉄は大の苦手💦 閉所恐怖症の発作が起きるかもしれないから。

旧友二人は地下鉄で帰るという。さいたま市の美園まで地下鉄はあるけれど乗ったことがないし、南北線はどこから乗るのかも分からない。あのあたり、車で行ったことあるけれど完全に無知。未知の世界と同じ。それに夜でもあるし・・・・美園からの帰り道はどうするか思いつかない。

A君のアドバイスで南北線で王子まで行き、そこから京浜東北線の大宮まで行けることを知った。赤羽からは荒川大橋を渡れば埼玉県の川口市。もし、赤羽以北のJRが動いていなかった場合、自宅まで歩く覚悟もしていた。

王子駅で途中下車して京浜東北線の事をA君は聞いてくれた。・・・・やっぱり、ストップしていた。

駅員に埼玉まではどうしたら良いか聞くと赤羽から先はピストンしているらしいので大宮まで行けることが分かった。

そんなわけで地下鉄南北線の志茂という駅でA君と下車して私はそこから赤羽駅まで歩いた。

赤羽には親戚もあるし昔、住んでいたこともあるので地理もよく知っているから安心。15分くらい歩くのも苦にならない。A君は人通りの多い通りまで送ってくれそこでお別れした。彼は明日の早朝に八条島にに旅行に行くことになっている。ドイツから帰国して連日、飲み会があり疲れているだろうに彼は、いつでも元気いっぱい。日本に帰国するといつでもあちこち出かけ、山歩きや旅行をしている。八条島から帰ると週末は尾瀬に2泊で行くという。いいなぁ~~~。

 

赤羽駅からは埼京線に間引き運転ではあったけど少し待っただけで乗れて無事に自宅に帰れた。

私は今まで大きな地震に何回か遭遇したけれいつも何かに守られているのを感じる。今回も何かの力で私は守られたような感覚がする。

最近の路線が全く分からない私があの時、一人だったらかなりパニクっていただろうと思う。A君は昔から頼りになる人で学生時代はいつでも彼を頼っていたような気がする。この関係、社会人になって高齢者に仲間入りした今でも同じみたいで笑っちゃう。

家に着いたら携帯にメールしてと言われたけど・・・・・私、忘れてしまった。💦

 

今回の地震で首都圏の弱さを痛感した。もし、エレベーターに乗っていたら?もし、ビルの部屋に閉じ込められたら。あぁ~~~考えると怖い。閉所恐怖症の発作が出そう。