映画「花まんま」を映画館で観てきました。
映画「花まんま」は朱川湊人の直木賞作品を鈴木亮太と有村架純の主演で監督三浦哲で映画化した作品である。日経新聞で何気なく読んだ朱川湊人が書いたコラムの文章に引き寄せられ、彼の小説を連続して読んだことがある。東京や大阪の下町を舞台にした怪奇じみた現実離れした要素を持つ創作話が中心だ。温かみのある文章が自分に合っていた。今から14年前に「花まんま」を読みブログ記事にupしたこともある。他にも短編集「赤々楝恋」の小説も絶品だ。
それなので、今回の映画化を知り楽しみだった。公開初日に見ようと映画館に向かう。blog閉鎖発表からのれずに映画も観る気がせずにブログ化には戸惑った。
東大阪市に兄加藤俊樹(鈴木亮平)、妹フミ子(有村架純)の2人兄妹で暮らしている。運転手だった父は妹が生まれてすぐなくなり,母親(安藤玉恵)も子供を育てるため掛け持ちで仕事をして早く亡くなった。その後東大阪の工場で働き妹の面倒を見てきた。そんな妹が今度結婚することになり、フィアンセと一緒に承諾を得ようときた。兄がいやいや承諾して結婚式を迎える前々日妹の姿が見えない。連絡はあったけど、その昔の出来事が兄の脳裏に浮かんだ。
妹が小学校に入った時、夜突然嘔吐したり、行方不明になることがあった。ある時は京都まで行ってしまった。そんな妹の自由帳を読むとむずかしい漢字で繁田喜代美という女性の名前が書いてある。まだむずかしい漢字は習っていないころだ。兄がどうしたのかと聞くと、自分の前世はこの女の人だったというのだ。
その後兄は妹から自分が住んでいた滋賀まで一緒に行ってくれないかと頼まれる。母親に言うと心配するので動物園に行くとウソをついて電車に乗り向かった。
小説のクライマックスの場面で思わず大粒の涙を流してしまった。
朱川湊人の花まんまは短編小説である。映画化するにあたり、原作を大きく脚色して元々の小説の世界を広げた。
短編小説について吉行淳之介がこんなことを言っている。名言だ。
「長い棒があるとしますね。長編は左から右まで棒の全体を書く。短編は短く切って切り口で全体をみせる。あるいは、短い草がはえていて、すぐ抜けるのと根がはっているのとがある。地上の短い部分を書いて根まで想像させるものがあれば、いくら短いものでもよいと思う。」
吉行の言う「地上の短い部分」に関して、朱川湊人が絶妙のタッチで書いた文章に映画は忠実である。それに加えて「根を想像して」現在の婚約が決まった兄妹の世界を脚色している。小説でサラッと流した大学の助教であるフィアンセにも存在感がある。結婚式の場面などのディテールには若干無理のある設定が目立つ。でも目をつぶってもいいだろう。
小説のクライマックスがある。父娘の厚情を示すシーンには弱い。その場面を実像の映像で観ると、泣けて泣けて仕方なかった。加えて小さな弁当箱に食べ物に似せた花が詰まっている「花まんま」も文章でなく実際に見ると感動する。最後まで効果的に使われていた。
実はこの映画を観るまで知らなかったが、主演の鈴木亮平も有村架純も関西出身だ。自分も転勤で5年大阪に住んだ。エセ関西弁はすぐわかるし不自然だ。コテコテの関西を描くには、ネイティブな言葉を話す関西人を起用するかしないかで映画のレベルが変わる良い例だ。2人が住む戸建も小さい頃住んだ文化住宅もいかにも大阪らしい風景だ。古い建物が建ち並ぶ滋賀の風景もよく見える。ロケハンには成功している映画だ。