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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

自己啓発と橘玲さんの本

2010-10-21 20:44:48 | 
月曜日から火曜日にかけて、会社主催の研修があった。
会社の研修センターに宿泊しての研修であった。
外部講師による研修は時折ある。自分と同じような立場の人たちが全国から集まり研修した。

正直こういうのは得意ではない。
どちらかというと、グループワークで人とコンセンサスを得ようなんて考えない方である。
トップダウンの方が下にいた場合も、上になったときも楽である。
新入社員で入ったときから、こういうときはハズレものだった。

研修が始まって6人づつのチームに分かれた。そしてあるロールプレイゲームをやった。
みんなが意気投合するためのゲームである。
やりだすと乗ってくるものである。

でも悪いくせで自分のチームが勝つために
人のチームから意見を聞こうとしていなかった。
それは失敗だった。
独断専行もあまり良くないことがある。
そういう自己啓発ともいうべき研修だ。

そんな研修に行くときに電車で橘玲氏の新作
「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」
を読んだ。
これが実におもしろかった。

勝間和代と香山りかの論争から話がスタートしている。
勝間和代が「努力をして、経済的独立を果たせば幸せになれる」という。
だから正しい習慣を立てて勉強に励もうという。
「やればできる」ことはあるかもしれない。
しかし、「やってもできない」ことが多い。
したがって、勝間さんの本を読んで自己啓発に目覚めた人もできないものはできない。
香山りかはそうして心を病む女性が続出すると勝間に反論する。

でも筆者は別に勝間女史を否定しているわけではない。香山をかばっているわけでもない。

筆者は言う。本質的な能力は遺伝によって決まる。自己啓発に関して否定である。
高度な資本主義社会では、数学や言語の特殊な機能が発達した人だけが成功する。
こうしたことは遺伝的で、意識的に開発することはできない。

(ただお金があっても幸せになるかはわからないと言ってはいるが。。。)
しかも子供の成長に親は必要ないと言い切る。

この言い方もちょっと行きすぎと感じる部分はある。
もう少し読んでみる必要性はあるが、論点はいいところを突いている。
毎度ながら何かを感じさせてくれる本ではあった。もう少し熟読したい。
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村上春樹を読み返して1

2010-09-02 05:14:37 | 
この夏は村上春樹を読み返してみた。

小説として重厚感がある「海辺のカフカ」「ねじまき鳥クロニエル」をじっくり堪能させてもらった。時間はかかるけれど、高級ウィスキーを飲んでいるようなコクのある上質な雰囲気を味わえる。同時に、軽めの「アフターダーク」「東京奇譚集」やエッセイも読んだ。これはさほどでもなかった。
あとは何度読んだかわからない「国境の南太陽の西」も再読した。村上春樹は先日発刊されたインタビューでこの小説も評判悪かったなあといっていたが、個人的には好きだ。

彼が本領を発揮するのは「ねじまき鳥」「海辺のカフカ」などの長編小説だと思う。比較するのもどうかと思うが、長編小説ということで山崎豊子さんと比べてみる。村上春樹の小説は何度も推敲された結果文章になっている深みのあるものが多い。逆に山崎豊子の場合、周到な取材を重ねた結果書かれたというのが小説から読み取れる。しかし、連載小説を締め切りぎりぎりに書きあげたようなノリで推敲を重ねたような文章の厚みがない。「ねじ巻き鳥」ではノモンハン事件に関して綿密な資料の読み込みをした形跡がある。でもこれは珍しい。彼の場合、彼が重要と感じるいくつかの現実の出来事や映画の場面を基点にして、自分の想像を膨らましていく感じだ。

「国境の南太陽の西」は「ねじまき鳥」に比較すると短い小説だ。でも「ねじまき鳥」で書ききれないことをここで語ったと先日読んだインタビュー記事に書いてあった。この小説の時代背景はバブル崩壊直前だ。基調は小学校の同級生との純愛物語である。「1Q84」と同じような出会いである。ここではビジネスに関しての彼の考えが読み取れる。もともとジャズクラブを経営していた村上春樹が、主人公の言葉を通じてビジネスについて語る。これが興味深かった。初めて読んだ後そこだけを何度も読み返した。店の模様替えの話、出来のいいバーテンダーの話などがいい。あとはバブル紳士たちの言葉が、妻の父親の言葉として語られる。これも意味深い。「ねじまき鳥」にも一瞬だけそれを彷彿させるところがあった。「やり方」を知っているか知らないかでチャンスをつかめたりできなかったりするという話だ。

村上春樹の小説がまともに映画化されたのは「風の歌を聴け」くらいだ。あとは小品の映画だと思う。この映画は真行寺君枝さんが出演していた。個人的には物足りなかった。それはセットがあまりに稚拙な感じがしたからだ。ロケハンティングもうまくいっていないと思う。「国境の南太陽の西」を仮に映画化とすると、青山あたりをロケにしてうまくいくと思う。その場合に美術にがんばってもらって、しゃれたジャズクラブの演出が必要であろう。
でも「海辺のカフカ」、「ねじまき鳥」は映画化がかなり難しいであろう。
「ノルウェイの森」の映画公開は期待して待っている。

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村上春樹 インタビュー

2010-07-24 05:17:23 | 
村上春樹が3日間にわたってロングインタビューを受けるという。
掲載されている雑誌「考える人」を読んだ。一通り読んだ後再読した。約100ページにわたるインタビュー記事であるが、「1Q84」の出版後だけあって内容のある記事であった。保存に値する素晴らしい内容である。

いくつか読んで気になったことを書いておく。
村上春樹が分析的描写や心理的描写が好きでないこと。作者の思いを登場人物のセリフの中にできるだけ描写を織り込んでいくというのが気になった。確かに村上春樹の小説では、平易な話し言葉だけれども、非常に練られたセリフで登場人物が話していることが多い。
むしろ小説に出てくる場面の情景をかなり詳細にわざと表現することで、会話の流れをいったんあえてとめることを心がけているとのこと。どうでもいいことを詳しく書いてしまうと。彼の文章が非常に丹念に書かれていると私は感じていた。それは会話が練られていることだけでなく、ときどき使う丹念な描写によるものなのであろう。
詳細にわたる心理描写が純文学のも持ち味という世間のコンセンサスが気に入らないようだ。三島由紀夫が好きでないというのは意外であった。

私の好きな映画監督には、言葉の思いをセリフで表現するよりも画像で表現するのがうまい人が多い。でもこれは上で述べた村上春樹の考えに近い気がする。妙に心理描写を詳細に表現するのも結構であるが、言葉でその思いを表現してくれたほうがむしろ平易で分かりやすくなる。映画において言葉で表わさずに画像という表現にすることとむしろ近いのではないか?私はそう考える。

あとは彼の日常である。
朝4時に起きて、パソコンに向かい原稿を書く。何があっても10枚書く。それ以上でなければ、それ以下でもない。そして書いたら、外へ出て10キロ走る。走り終わって翻訳をすることはあるが、小説を書くことはしない。音楽を聴いたり、買い物をしたりして、自分の好きなように時間を過ごして夜9時過ぎに寝る。そんな生活をしているようだ。毎日必ず10枚ともかく書いてしまうというルーティンさに驚いた。意外であった。

他にも驚かされることが多々あった。
何度か再読してもっと彼の言葉をかみしめたい。
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ユダヤの商法  藤田田

2010-06-01 05:25:47 | 
先週品川の家に寄った時、庭の木が伸びていて新緑がもっさりしていた。親がなくなってから、草木がやたらに育つ気がする。花も咲く。
父親の書斎であった部屋から、古い本をぬき去った。
「ユダヤの商法」である。これは大ベストセラーであった。
日本マクドナルドの創始者藤田田が書いた本である。

銀座が祝日に歩行者天国となったあと、銀座三越の1階で「マクドナルド」がオープンした。こういう文化が日本で行き渡るのか恐る恐るのスタートであったと思う。
結果、銀座の「マクドナルド」はすさまじい動員力だった。
そのあたりの事情も書いてある。
自分も何かにつけよく行った。
自宅からは都営地下鉄に乗っていけば近いので、銀座は近い存在だった。夕方放送の「ぎんざnow」をライブで観るため、銀座三越の屋上で並んだ。「キャロル」も生で聴いた。
皮のジャケットに身を包んだ若き日の矢沢はかっこよかった。

この本は中学生の自分も読んだ。
ここで書いてあるのは、契約社会であるユダヤ人の振る舞いと、「女と口」で儲けろというユダヤ人、そして藤田田のビジネス哲学が書いてある。今読み返して「78対22」の法則や「金持ちから流行が始まる」などの文面は今もって思い出される。

書かれたのは昭和47年である。
なんせニクソンショックのすぐ後である。貨幣価値も、サラリーマンの賃金体系もちがう。円切り上げ前のユダヤ人によるドル売りの話が書いてある。読んだ当時このあたりがよく理解できなかった。為替の仕組みが理解できなかったのである。
でもこの年になると文面が容易に理解できる。しかも今は為替を家庭のパソコンでトレードできる時代である。テクニカルタームがなじみやすくなってきた。
ドル切り下げ前から猛然とドル売りを日本に仕掛けている様子がデータを使って説明されている。本当にユダヤ系の人々は儲けたようだ。
90年初頭からの日本株の大幅下落の犯人はユダヤによる日本株売りと国債売りといわれたことを思い出した。ユダヤ系といわれるソロモンブラザーズ証券を中心とした、日経平均先物の裁定売りに振りまわされたのは事実だ。指数先物を利用するのに日本人がなれていなかった中、日本人皆大損の一方で大もうけしたと伝えられている。

本でほぼリアルに近い形でアメリカによるドル切り下げ(円切り上げ)の動きが書いてあるのは興味深く読めた。それこそ今人民元切り上げの論議が現在繰り返しされていることもユダヤと何かつながりがあるような感じがした。

たまには昔の軽い本も悪くない。
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未納が増えると年金が破綻するって誰が言った? 細野真宏

2010-05-30 13:28:05 | 
表題の本を読んだ。
国民年金未加入の人が多い。よって年金はいずれ破綻するという議論は違うよという話。

この本で年金未納の問題はよくわかった。
年金全体における未納者の比率は全体の中で5%程度となれば
たしかに年金が破綻することにはならないであろう。

ただ年金を払わないという人がいること自体は問題だ。
でもこれは自分で自分の首を絞めることですよ。と言い切る。
国民年金で支払額の約1.7倍、厚生年金では支払額の約2.3倍をもらえるのにこれを放棄するというのはもったいないですよ。
払わない人おばかさんですねというような話だ。
なるほど

年金の税方式の件はよくわかった。
半分会社に負担してもらっている厚生年金の金額がそうならないとなると家計への影響は大きい。これはかなりの負担になる。
今でも給与明細をみると、これさえ引かれていなければと思ってしまう。
それが倍になれば大変なことだ。

企業経営者はこの方式を支持するというが、そもそも企業経営者の大多数はサラリーマンである。経営者になれば少し観点が変わるかもしれないが、サラリーマンのときにこの案を支持するとは思えない。
だって毎月の手取りが3万から4万程度厚生年金の支払いのために大幅に減るわけであるから。。。
経営者になったとしても同じように思うでしょう。
これは読んで良かった。やさしく説明されてよくわかった。
これ以上この議論がされないことを希望します。

でも円高によって企業が利益が出なくなる構図の議論は若干違うと思う。

円が強くなったとき、価格が高くなるので日本製品を買わなくなると論じる。
そうだろうか?
もともと設定していた製品価格が突然高くなるはずがない。
仮に1000ユーロだったものは、そのままの価格だと思う。
企業はそんなに簡単には価格転嫁できないはずだ。

むしろ1ユーロ160円だったときに100ユーロ16000円の商品があったとして
円に換算して1万6千円の収入が入るのが、1万1千円の収入しか入らないということだと思う。
なんだかんだ言って経済の本質的なことをすべて理解してはいないと思った。

細野氏と日経の論説委員との年金未納に関する論争はどっちもどっちという感じがする。
それと同時に新聞や活字に縁がないと言い切っている細野氏もどうかと思う。
あまり自慢するような話ではない。日経も稚拙な男と話をしても仕方ないという感じだろう。

でも細野氏は新鮮な目で社会現象をうまくとらえているとは思う。
この本もためにはなった。
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大地の子 山崎豊子

2010-05-25 22:00:51 | 
時間がずいぶんかかったけど、山崎豊子「大地の子」を読み終えた。

主人公は終戦まもなく日本人孤児として路頭に迷った。そこを中国人夫婦に助けられ九死に一生を得た。日本人として差別を受ける中、学校の教員であった養父母に大事に育てられ、大学まで行かせてもらった。そして国家発展の根幹である鉄鋼業に従事することになった。そうしたとき文化大革命がおきる。インテリ層が軒並み更正を言い渡される中、彼も逮捕される。まったくの無実であるが、政治犯として、日本人に生まれてきたことで迫害を受ける。中国人の父親は行方がしれない息子を心配するのであるが。。。。

山崎豊子の小説はダイナミックである。中国を舞台にするとよりスケールが大きくなる。この映画は「不毛地帯」や「沈まぬ太陽」のような具体的個人モデルがあるわけではない。しかし、歴史上の史実は概ねその通りである。
モデルがいないだけ他の作品よりフィクション性が強くなる。そのせいか、作者の山崎豊子は主人公陸一心を次から次へと谷底に突き落とす。意地悪な人が主人公をいじめるテレビドラマのように、ねたみを持たれて主人公がいじめられる。むしろ女性読者がすきそうな陰湿ないじめぶりだ。

文化大革命の悲惨さは現在では中国映画でも観られるようになっている。権力回復のためとはいえ、毛沢東もちょっとやりすぎだ。国家主席劉少奇が廃人になるくらいいじめを喰らって失意のまま亡くなったのは有名な話である。その末端で数多くの知識人が紅衛兵にコテンパンにやられた。その一人として日本人残留孤児の主人公を登場させる。ヤクザのリンチ顔負けのすさまじさだ。

それでも養父を尊敬し敬い、家族を大事にする姿勢は素晴らしかった。
この小説の中で、「もし日本と中国の立場が逆転したとしたら、はたして日本人は中国の子供を助け育てたであろうか?」という話があった。
大多数の日本人は同じような慈悲の心を持っているはずだ。でもあの戦前の流れからするとわからない。逆にそのことで迫害を受けたかもしれない。

当時の中国の元首蒋介石が戦争が終わったときに、日本に対して賠償を要求しなかったことは有名だ。第1次大戦後戦争に負けたドイツが戦争賠償金のためにハイパーインフレになり、その後復讐を始めたことへの懸念があったと思う。この決断によって日本はかなり復興を早めることができたと思う。蒋介石は日本の恩人と言ってもいいかもしれない。
この小説の中で「中国は日本に戦争賠償を求めなかった。」ということが何度も言及される。そのためにもっと無償で日本は経済援助をすべきだと言っている。ある意味その要求は正論かもしれない。でもあまり引きずられるのもどうかと思う。中国の経済発展のためにかなり尽力をはたらいたのであるから、もういいであろう。

そんなこと思った。
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花まんま  朱川湊人

2010-05-16 07:51:50 | 
通勤途中に、朱川湊人の短編集「花まんま」を読んだ。
特に題名の「花まんま」の愛情あふれる文面に思わず涙してしまった。
心が洗われて、妹への愛情という言葉が気になり、品川の家に一人住む妹のところへ寄った。

花まんま
妹をもつ兄の語りではじまる。妹は生まれたときから変わった子であった。父を亡くした
兄妹は母と一緒につつましく暮らしていた。時々妹は行方不明になったりして家族を心配させた。
そのとき行方の手がかりを得るため、妹の日記帳を兄は見た。そうすると漢字で名前が書いてあった。
小学校の低学年では書けないような字の名前だ。誰なんだろうと兄は思ったが、それは彼女の前世の名前であることがわかった。。。。。

凍蝶
差別を受けて子供のころいつも一人ぼっちだった少年が、やすらぎを求めて遊び相手を探しに自分の住むエリアから離れたところを放浪していた。そこで繰り返し会うようになる18歳の女性がいた。彼女は病気の弟のためにウェイトレスとして働いていると言っている。ある冬の日、二人が会話している時白い蝶が飛んできた。春よりも早く飛びはじめているなあというが、彼女によれば春からずっと生きてきて飛んでいるのだという。。。。

送りん婆
主人公が大阪の古いアパートに住んでいたときの50年ほど前の回想である。アパートに酒乱のおじさんがいた。
おじさんはがんに侵されていた。そのとき、おばさんが呼ばれた。耳元でおばさんが一言話すと、苦しんでいた顔つきが一転柔和な表情となり、そして少しして亡くなっていった。このおばさんは死ぬ寸前の病人のところへ行き、同じように言葉をささやくのであが。。。。

大阪で暮らすということと差別の話はきっても切れない話である。
朝鮮人の差別問題と同時に、はっきり何の差別とは言わないが、いわゆる「差別」の話も出てくる。
それを書くことでいかにも大阪らしい話となる。

それにしてもなんと愛情に満ち溢れている話であろう。
電車の中で本を読みながら、家族のことをおもった。
妻と娘だけでなく、亡くなった父と母そして妹のことを思った。
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赤々煉恋 朱川湊人

2010-05-12 09:16:04 | 
朱川さんが日経新聞に書いた「入学式の奇妙な写真」のエッセイを見てから、彼の本を読み続けている。読めば読むほど彼の世界に引き込まれる。そんな中でも短編集「赤々煉恋」の出来が非常に良い。
特に「死体写真師」「レイニー・エレーン」「私はフランセス」の3作は凄い!

「死体写真師」
22歳で死んだ妹を弔う姉の話。妹思いの姉は、亡くなった妹の葬儀にあたって、彼女の写真を撮っておこうと特別な葬儀社に相談する。葬儀社の写真班は段取りよく美しい彼女の写真を撮る。手際よく葬儀を済ませたあと、病院の看護士が姉のところに訪ねてきて妙な話をするが。。。。

「レイニー・エレーン」
出会い系サイトで知り合った若い女の子と渋谷のホテルで逢引きしている際に、昔学生時代に知り合ってその後別れた女性との思い出をラップさせていく話。別れた女性は昼間有名企業のOLとして働き、夜は渋谷で客をとっていたが、殺されていた。

「私はフランシス」
昔中学の同級生だった女性にあてた手紙に、それまでの過酷な人生を告白して行く話。新興宗教を信じている家で育ったが、レイプされ妊娠する。その事実が教義に反するとその家を10代半ばにして追い出されてしまう女の子のその後の人生を語る。。。。

上のあらすじはいずれもストーリーの核心に触れていない。「レイニー・エレーン」の登場人物がだぶる東電OL殺人事件は最近の小説で繰り返し使われている題材である。ある意味村上春樹の「1Q84」もその類である。
上に述べたあらすじの先に独特の朱川ワールドがある。これがすばらしい!平易な言葉で異常な世界を描いていく。ついつい引きずりこまれる。ぞくぞくする。
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沈まぬ太陽  山崎豊子

2010-05-12 06:53:10 | 
大著である。ページ数にすると1700ページにもおよび、通勤時間往復にかなりの時間を当てても読むのに数日かかった。

山崎豊子さんとの出会いは大学時代に「不毛地帯」を読んだときである。そのスケールの大きさに圧倒された。商社マンってかっこいいなあと思った。「華麗なる一族」「女系家族」「白い巨塔」と読みはじめた。学窓を離れて久しいが、時間を空けてそれぞれ再読している。
しかし、「沈まぬ太陽」とはご縁がなかった。

いつもお世話になっている大先輩から食事をごちそうになったとき、その大先輩が「沈まぬ太陽」のモデルになっている元社員を良く知っていて、山岳仲間だった話をされていた。いくつか逸話を聞いて、急に関心を持った。映画も上映された。大著を読むしかないとゴールデンウィークにかけて読了した。

主人公の航空会社の社員が意図せず組合の委員長に推挙される。国策会社として生まれたこの会社の従業員の待遇は当時あまりよくなかった。その待遇改善を求めて会社に強い要求をする。1年だけの予定が後任がいないため、もう一年やることになる。再度強い会社との対立をして、パキスタンのカラチへの異動を命じられる。そして10年近く遠隔地のみの海外移動を命じられることになるが。。。。

モデルになった航空会社も時を経てついに破綻した。労働組合がいくつかに別れて、まったく言うことを聞かない連中ばかりいるという話はあまりにも有名である。そんな体質とわかっていながらも、ナショナルフラッグの信頼感と颯爽と着こなしているユニフォームを全面的に信頼して自分は使っていたものだった。
それにしてもここで書かれていることはあまりにもひどすぎる。
モデルになった社員と元会長I氏がここでは正義の味方になっている。書いている内容に腹をたてた会社がかなり出版側にプレッシャーをかけたようだ。そうする気持ちは読めばよくわかる。でも子会社のホテル経営に関する事項なんてひどいものだ。裏金体質もよく糾弾されなかったと思う。書いてあることが全て事実とは思わないが、70%以上は真実だろう。これには本当に驚いた。

山崎豊子さんの綿密な取材は有名である。今回もかなりの人からの話を聞いていたであろう。政財界の複雑な動きに報道機関の取材を絡ませた書き方は不毛地帯と同じである。不毛地帯のモデルが再度ここで登場するのは見ものである。昭和60年の墜落事故という事実があまりにも鮮明なので、これまでもある人物をモデルにしていたけれど、よりドキュメンタリータッチに映る。

自分自身は労働組合活動には関心がない。むしろ労働分子を「アカ」とよんでしまう傾向がある人間である。今とご時世が違うが、主人公は不運だったと感じる。意図せず労働組合委員長に推挙されて、物事に真剣な性格のため、徹底的に会社側と対決する。ただ、赤字決算なのに会社に従業員の待遇改善を強引に訴えたり、ストで首相の乗る飛行機を止めようとすることなどは明らかにやりすぎだろう。それで冷や飯をくらってもある程度はしかたないとは感じる。でも会社側もやりすぎだなあ。どっちもどっちかな?もともと共産党員でないのに「アカ」と言われ続けられたのはかわいそうな気もした。

あくまで取材をもとにしたドキュメンタリータッチに近く、文学的な要素は弱い気がする。先日の村上春樹の600ページは読み応えがあり、一つの事実を文学的な技巧で細かく描写していく。どっちがいいのかは好き好きであろう。
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入学式の奇妙な写真 朱川湊人

2010-04-30 06:00:41 | 
毎日見ている日経新聞の裏面は文化欄になっていて、私の履歴書とエッセイが連載されている。今月の私の履歴書は有馬稲子さんで、月中一瞬ドキッとさせられたけれど、途中からは割りと普通であった。それを見ている時に何げなくエッセイに目をやったら、すごく素敵なエッセイで一気に引きずりこまれてしまった。4月18日にでていた。

入学式の奇妙な写真 朱川湊人である。

作者のプロフィルをみると、自分よりすこし年下で同じ大学の出身のようだ。直木賞をとっているらしい。顔写真は非常に温和な顔をしている。そんな印象だった。
読み始めて文面のもつやさしさに感銘を受けた。

内容としては、
両親が離婚して男ばかりの3兄弟の末っ子で父親に育てられた筆者である。見栄っ張りで宵越しの金を持たない出来の悪い親父であった。筆者が実力以上の第一志望の大学に受かってしまったときにその親父が歓喜して入学式についてきた時の話である。そもそも高校と中学校の写真を一枚のフィルムに収めるような親父なのに、入学式で写真を撮りまくる。そうして撮った写真の中に2枚ほど奇妙な写真があった。それは見ず知らずの他の新入生と一緒に撮った写真である。親父さんが勢いで横を歩いている人をつかまえて、写真を撮ったというのだ。結局2度とあわなかった人になったようだ。でもその2人とも満面の笑みをたたえている。入学が嬉しかったからそういうノリのいいこともしてくれたんだ。でもいい写真だと思っている。
という話である。読んでさわやかな気持ちになった。

すごく素敵な文章を書く人だと思って、会社の行き帰りに朱川湊人さんの本を読むようになった。期待にそぐわない素敵なタッチの文面である。また別の機会に詳細は伝えたいが、ストーリーの大半は自分が生まれた昭和30年代に時間をタイムスリップさせている。ノスタルジックでいい。
昨日「超魔球スッポぬけ」というエッセイを読んでいたら、その中にこのエッセイの原型となる文面が載っていた。そして古新聞を引っ張り出してもう一度よんだ。
しばらく彼を追いかけてみよう。
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1Q84 3巻

2010-04-21 21:37:47 | 
アマゾンに予約していたら発売当日届いた。通勤を利用して読んだ。
なんせ600ページにおよぶ長さである。全2巻もそうだったが、厚みのある村上春樹の文章なるゆえ読み応えがある。結局千葉への電車2往復で読み終えた。

2巻が終わったとき、女性主人公青豆がピストル自殺をしたように思えた。それなので続作が出来るという話で、どうしたのか?と思った。結局ピストルを撃たずにそのまま生きる設定になっている。ストーリーの詳細はここでは書かないが、基本的には身を潜める青豆とそれを追う男そして男性主人公の3人を中心として語られる。それに絡むのが数人である。いずれもディテイルに細かい村上春樹特有の文面でじっくり語られる。
実に深みのある文章だ。

これを映像にしたらどうなるんであろうと思う。でも村上春樹のあの文章のタッチを映像にしたら、誰が脚本を作っても陳腐になってしまう気がする。日本人監督でなく、外国人監督に思いっきり予算をかけてつくってももらいたい。でも映像化は困難ではないか?

「1Q84」は村上春樹得意の純愛物語である。それが根底にあるから奇怪ないくつかの話やサスペンスタッチの展開もより引き立つ気がする。これで終わるのであろうか?まだ続くような気もするし、謎が解けていないことも多い。ただ12月が過ぎ1Q84年が終わってしまうので続くとなるとどうするのであろうか?気になる。
もう一度1巻目から読み直してみようか?
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甘苦上海3

2009-11-25 21:25:20 | 
もう一度甘苦上海読み直している。

1年少し連載されていたわけだが、読み直して見ると4冊は割とあっさり読める。前回指摘したように、自分の同級生に照らし合わせて、読んでみたりもした。その友人にかかわりのある会社名や地名も出てくる。いずれにせよ、上海は街路に名前があるのが素敵だ。

図書館で上海の写真集を借りた。買うほどのものではないからね。時代は小平が復活して統治しているころの上海だ。光景が若干違う。外灘の由緒ある建物だけでなく、街中の建物がみな戦前から残っておるもののようだ。今でも貧しそうな人はいるが、このころはもっと多そうだ。なんせ文化大革命や四人組の粛清など大事件が次から次へとおきた訳である。このころフランス租界の大邸宅は紅衛兵によって人民に解放なんていっていたのであろうか?

甘苦上海3で衡山路とクロスする東平路の光景が出てくる。このあたりは日本で言うと、麻布~六本木に向けてといったところか?香港の中環セントラルにも素敵なエリアがある。でも東平路のあたりの方が素敵だ。時代を経て残っている古い洋館が多いせいであろう。しかし、ランカイフォンなんて素敵なバー街が香港のセントラルに接してある。猥雑な感じで、セントラルで働く欧米のエリートたちがお酒を楽しんでいる。上海の「新天地」は作られた空間といった印象が強い。猥雑な感じが少し薄れると、楽しくはない。むしろ観光地に近いのではないか?文中に出てくる四川料理俏江南はたくさん支店がある。安定した良い味を出してくる。新天地に近いランドマークにある店が良い。夜のイルミネーションも美しく街並みもきれいだ。

そういったエリアが次から次へと甘苦上海には出てくる。作者はきっと違うというだろうが、私はその昔の田中康夫「なんとなくクリスタル」を連想させる。あの作品でも次から次へと当時の東京の最先端スポットが出ていた。年齢は大学生たちと、中年の遊び人たちと設定は違う。でも主人公紅子ときっと成長したであろう「なんとなくクリスタル」の主人公の年は一緒のはずだ。こんな風に成長してしまうということかもしれない。京との関係にさまよう激しい官能的な表現は、クリスタルの主人公が感じていたそれと似かよっている印象だ。

作者はきれいなところだけを見せるのではなく、中国の真実のようなところに入っていく。カラオケ嬢を作品の中で登場させる。しかも、彼女たちのルーツ、田舎まで追いかけていく。そこには都市部との落差が激しいものが存在する。彼らの顔を見ると、そこに住む人たちの年齢は、明らかに今の日本人よりも10歳はふけていると思う。紅子は運転手と一緒にそこへ向かう。作者は取材で当然田舎の方も行ったはずだがタイムマシーンに乗ったような錯覚に陥ったのだと思う。いかにも中国は奥が深い。
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甘苦上海2

2009-11-17 22:20:40 | 
書き足りなかったことがあったので、付け加えておく。

この小説を読みながら、上海在住の大学の同級生を思い出した。
京や紅子が上海に住みついたのと同様に、友人は上海に住み着いた。香港に15年以上住んだ彼が、上海に移り住んで3年である。
もともと香港にはまった彼であったが、今では商売上は上海の方が良いようだ。給料もかなりのハイレベルだ。
そして四川出身の中国人女性と暮らしている。彼は離婚歴一回、二人目とも離婚交渉中であるが、離婚成立しても3回目の結婚はするつもりはないらしい。一度四川の彼女の故郷へ行ったといっていた。四川で大きな都市である成都から相当時間がかかるらしい。かなりの田舎のようだ。みんなどうやって暮らしているのであろう。

上海はあの街の中で、物価の差が信じられないくらい大きい。例えば普通のコンビ二で500mlの水を買うと2元すなわち約27円である。日本では自動販売機で110円から120円だ。安売りの店でもそこまでは安くはない。そのほかのものもみな安い。給料が2000元程度の人が多いわけだから当然だろう。その一方でレストランでちゃんと食事すると、日本と比較すれば安いが、それなりの価格がする。でも郊外の食事店に行くと、ビールをがぶがぶ飲みながら食事をがんがん頼んでも一人40元もしない。信じられないくらい安い。不思議なところだ。その中国で自動車が飛ぶように売れているらしい。彼らが自動車をどうやって買っているのかがよくわからない。

この小説の中にも触れられているが、「カラオケ嬢」の存在がある。日本のキャバクラよりは安いが、彼女たちのチップを300元ほど払う。おそらくは彼女たちはそれで暮らしているのであろう。それと合わせて自由恋愛代が彼女たちの生活費となる。ほとんどが田舎からの出稼ぎである。
この小説に出てくるカラオケ嬢がいる。日本人商社マンがはまっている女性である。彼女は田舎に10歳の子供を残している。その話で驚いたのは、私の友人の話に通じていることだ。友人の彼女は彼よりも20以上若い。20代後半である。しかも昔結婚してできた10歳の子供がいるという。アレ!同じだと思った。

レストランのウェイトレスの顔を見ると皆若い。というよりも幼い。中学を出てすぐ働いていると思われる女の子ばかりに思われる。こういう子たちを見ていると、なぜかけなげに見えてくる。不思議なことだ。中国の教育に関しては大きなギャップがあるのであろう。日本だって、昭和30年代くらいまでは高校に行かない人たちがいっぱいいたはずだ。それと同じことであろう。10代後半で子供を生むということは不自然ではないのかもしれない。非常に興味がある。そういう中国の女の子になぜかはまっていく日本人駐在員はたくさんいるのであろう。気持ちはよくわかる。
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甘苦上海  高樹のぶ子

2009-11-16 07:18:55 | 
週末は何かと忙しくなり、昨日もイベントごとで出社した。
映画も数日ご無沙汰で、移動時間に本を読んだ。日経新聞の連載を先ごろ終えた「甘苦上海」である。日経新聞では、私の履歴書は必ず見ているが、これは読んだり読まなかったりであった。細切れになるとどうしてもわからなくなる。ただ、こうやって連載でなく一冊の本になるとまとまりがついている。
同じ日経連載の「失楽園」や「愛の流刑地」のようなかなり過激な性表現ではないが、51歳の独身社長の年下男になびく女心と上海在住日本人の偶像を上手に描いている。

都内でエステチェーン展開に成功して、3年前から上海に来ている紅子は、ひょんなきっかけで京という新聞記者上がりで上海に来ている39歳の男性と知り合う。危険人物と知りながら、京の大胆な女性の扱いに惹かれていき、はまっていった。そこに絡むのが京の中国人の恋人24歳の周さん、紅子のお抱え運転手の姪の中国人カラオケ嬢と彼女に惹かれる日本人商社マン石井と男女関係がからんでいく。

上海はすべての街路に名前がついている。それに味がある。南京東路、福州路、長楽路など響きが良い。特に旧フランス租界の街並みは非常にきれいだ。蒋介石や孫文に嫁いだことで有名な宋姉妹の旧家などもある。香港だけにコロニアル文化があるわけでなく、魔都上海のもつ雰囲気はある意味、香港を大きくしのぐ。文化大革命のときはあの洋風邸宅はどう扱われたのか、それだけが疑問に残る。賛否両論あるが、この小説は上海の街をよく知っている人には読みやすいのではないか?街路の名前や現代的なスポットを取り混ぜながら、登場人物を自由自在に作者は操っている。

上海に日本人は5万人程度いるといわれる。駐在の日本人男性は日本と比較すれば安い価格で女の子と遊んでいる。彼らは中国の田舎から来ている女性たちの低賃金に驚き、妙な同情心をもちながら若い子たちにはまっていく。登場人物の商社マンもその一人である。不思議なことに、こういう同情心は、日本の飲み屋にいる中国人女性たちにはそんなには抱かないものである。なぜなのであろうか?
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神田昌典  全脳思考

2009-07-12 20:50:08 | 

神田昌典の新作である。彼の一連の作品は一時期よく読んだ。エエカッコしいコンサルタントの言葉と違う、販売営業テクニックを学んだ。しばらくは、読んでいなかった。何気なく本屋で見つけ手にとったら、こういうセリフがあった
「私のとった結論は自己否定だった。営業している会社は時代遅れ、営業しなきゃいけないようじゃ先行き暗い。これを認めるのに、私は抵抗せざるを得なかった。。。。」
この文章を読んで驚いた。
これまで営業テクニックのプロとして売りまくっていた彼が、自己否定をするわけだから、よほどのことなのだ。
本屋で速読した。ここしばらくの本と違って、さっと読めない。内容もありそうだ。すぐ購入した。

内容盛りだくさんなので、一回では紹介しきれない。
まずは具体例も列挙しながら、産業構造の転換と知識社会への変化を解説する。そして昭和初期の小林多喜二のプロレタリア小説にたとえて現代の労働環境を「知的蟹工船」と評する。そのイメージはよくわかる。ちょうど10年くらいであろうか?パソコンが恐ろしく普及すると同時に、一人一台マイパソコンが与えられるようになった。エクセルやワープロソフトを通じての業務簡略化だけでなく、メールやネットの活用が急激に進んだ。むしろメールに追いまくられるようになった。私自身本社からの課題メールが続いて13kgやせたこともあった。

10年ほど前、神田昌典の本では、ファックスやセールスレターの効果的な使い方を伝えていた。「書いたことは実現する」という最近の流行をつくったのも彼だと思う。今も彼のビジネスモデルが完全に消えたわけでないと私は思う。しかし、神田は現在メジャーに売れているものは目立った営業活動をおこなっていないと主張する。(例えばグーグルやi-phone)それでは成功するにはどうするのか?現代の商品購入に当たって、インターネットの情報源をテレビや雑誌の2,3倍重要視する消費者が多いようだ。一日3回以上ネット検索する人は66%いるという
「検索されなければあなたの事業は存在しない。」と言い切る。

グーグル検索の上位にランキングを上げるように、ホームページの設定をすることを巷のIT会社は中小企業に売り込んでいたと思う。神田はこういう。「カテゴリーで検索される限り、競合ひしめく市場に参入されることになり、すでに事業に失敗していることになる。」巷で言われていることも否定する。 というように次から次へと神田の持論が展開される。

非常に内容がある。いつものように付箋をつけながら読んでいく。読了に時間がかかった。それと同時にもう一度付箋をつけたところを中心に読んでいった。何度も読む価値のある本だと思う。具体例も非常に身近に感じられることが書いてある。ホンダのMSXの話は知らなかった。最近のビジネスコーナーにおいてある本の中ではかなりいい本だと思う。
昔はあまり写真に出ていなかった彼が、写真入で雑誌の記事に見るようになった。コンサルタント向けの季刊雑誌「THINK」にもよく出るようになった。割とコンサルタントのことを否定していた口調が目立った彼がこういうところによく出るのはどういうわけなのか?とも思っていた。この本を読んで彼の目指そうとするものはなんとなく理解できた。自分もビジネスに役立てるように再読してみたい。

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