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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

「女のいない男たち (シェエラザード)」 村上春樹

2014-05-01 20:23:05 | 
村上春樹の短編集「女のいない男たち」を読んだ。

自分には面白い小説だった。結婚しない男あるいは妻に逃げられた男、浮気された男といろいろと出てくる。
この小説は若者が読むよりも、中年男性が読む方が楽しめると思う。それなりの人生経験を踏んだほうがこれらのストーリーにすんなり入っていけるかもしれない。

短編小説について吉行淳之介がこんなことを言っている。
「長い棒があるとしますね。長編は左から右まで棒の全体を書く。短編は短く切って切り口で全体をみせる。あるいは、短い草がはえていて、すぐ抜けるのと根がはっているのとがある。地上の短い部分を書いて根まで想像させるものがあれば、いくら短いものでもよいと思う。」
名言だ。

今回の村上春樹の短編集で、シェエラザード」と「木野は吉行淳之介の言う「地上の短い部分を書いて根まで想像させる」という匂いを感じた。両方とも決して超短いわけではないが、読者に想像させる行為を起こさせる。

「シェエラザード」の大意を追っていく。
この小説は「女のいない男」よりもその「面倒を見る女性」がクローズアップされる。
シェエラザードとは千夜に渡って毎夜王に話をしては気を紛らわさせた「千夜一夜物語」の王妃である。


(大意:文章より引用)
羽原は北関東の地方小都市にある「ハウス」に送られ、近くに住む彼女(シェエラザード)が「連絡係」として世話をすることになった。シェエラザードは35歳。。。身体のあちこちに贅肉が付着し始めた地方都市在住の主婦で、見るところ中年の領域に着実に歩を進めつつあった。羽原がそこに落ち着いた翌週から、ほとんど自明のこととして彼をベッドに誘った。シェエラザードは週に二度のペースで「ハウス」を訪れた。彼女は近所のスーパーマーケットで食品の買い物をし、それを車に積んでやってきた。時計の針が4時半を指すと。。ベッドを出て、床に散らばった服を集めて着こみ、帰り支度をした。

「十代の頃だけど」とある日、シェエラザードはベッドの中で打ち明けるように言った。
「私はときどきよその家に空き巣に入っていたの」
シェラザードが初めて他人の家に侵入したのは、高校二年生の時だった。彼女は地元の公立高校の、同じクラスの男の子に恋をしていた。。。しかし、それは女子高校生の多くがおおかたそうであるように、報われない恋だった。でも彼女はどうしてもその男の子をあきらめることができなかった。なんとかしないとそのままでは頭がおかしくなってしまいそうだった。

ある日シェエラザードは無断で学校を休み、その男の子の家に行った。彼の家には父親がいない。母親は隣の市の公立中学校で国語の教師をしていた。玄関のドアにはもちろん鍵がかかっていた。シェエラザードはためしに玄関のマットの下を探してみた。鍵はそこに見つかった。応答がないのを確かめ、また近所の人の目がないことを確認してから、シェエラザードは鍵を使って中へ入った。

彼の部屋は思った通り二階にあった。部屋の中はきれいに片づけられ、整頓されている。シェエラザードは勉強机の椅子に腰をおろし、しばらくそこでじっと座っていた。それから机の抽斗をひとつひとつ開けて、中に入っているものを細かく調べた。


「私は彼の持ちものがなにか欲しかった。だから彼の鉛筆を1本だけ盗むことにした。」
「そのかわりに、そこにしるしとして後に残していこうと思った。。。仕方ないからタンポンを一つ置いていくことにした。それを彼の机の一番下の抽斗の、いちばん奥の、見つかりにくいところにおいていく事にした。。。たぶんあまりに興奮したからだと思うけど、そのあとすぐに生理が始まってしまった」
「それから一週間ばかり、私はこれまでになく満ち足りた気持ちで日々を送ることができた」とシェエラザードは言った。
「彼の鉛筆を使ってノートにあてもなく字を書いた。その匂いを嗅いだり、それにキスしたり、頬をつけたり、指でこすったりした。。。」
「私は頭がまともに働かない状態になっていたのだろうと思う。」

彼女は十日後に再び学校を休み、彼の家に足を向けた。午前十一時。前と同じように玄関マットの下から鍵を取り出し、家の中へ入った。今回、半時間ばかりその部屋の中にいた。彼のノートを抽斗から出して一通り目を通した。彼の書いた読書感想文も読んだ。夏目漱石の「こころ」について書いたものだ。それからシェラザードは洋服ダンスの抽斗を開け、中に入っているものを順番に見ていった。どれも清潔に整頓されている。彼女は毎日彼のためにそういうことができる母親に、強い嫉妬を覚えた。無地のグレーのシャツを1枚抽斗から取り出し、それを広げ、顔をつけた。彼女はそれを手に入れたいと思った。

結局そのシャツを持って行くことをあきらめた。今回は鉛筆のほかに、抽斗の奥に見つけたサッカーボールをかたどった小さなバッジを持っていくことにした。ついでに、いちばん下の抽斗の奥に隠しておいたタンポンがまだあるかどうか、確かめてみた。それはまだそこにあった。
今回シェエラザードは二つ目のしるしとして、自分の髪を三本おいていく事にした。抽斗の中の古い数学のノートの間にはさんだ。彼女はそこを出て、その足で学校へ行き、昼休みのあとの授業に出席した。そして、その後の十日ばかりを、また満ち足りた気持ちで過ごした。彼のより多くの部分が自分のものになったような気がした。

空き巣に入るようになってから、学校の勉強にはほとんど身が入らなかった。シェエラザードはもともと成績は悪くなかった。だから彼女が授業中に指名されてほとんど何も答えられないとき、教師たちは怒るより前に怪訝そうな顔をした。

「私は定期的に彼の家に空き巣に入らないではいられないようになってしまった。」とシェエラザードは言った。
「二度目の<訪問>の十日後、私の足はまた自然に彼の家に向ってしまった。そうしないことには頭がおかしくなってしまいそうだったの。」
「私はまた玄関マットの下から鍵を取り、ドアを開けて中に入った。なぜかいつにも増して家の中はしんとしていた。。。途中で一度、電話のベルが鳴り出した。大きく響きわたる耳障りな音で、私の心臓はほとんど止まってしまいそうになった。。。十回ばかり鳴ってから止んだ。ベルが鳴り止んだあと、沈黙は前よりも深くなった」

浴室の脱衣場に洗濯かごをみつけ、その蓋を開けてみた。そこには彼と母親と妹と三人分の洗濯物が入っていた。シェエラザードはその中から男物のシャツを1枚見つけた。そのシャツを持って二階に上がり、もう一度彼のベッドに横になった。。。そしてシャツに顔を埋め、その汗の匂いを飽きることなく嗅ぎ続けた。。。とにかくその汗を吸い込んシャツを持ち帰ることにした。。。彼女は自分の下着を置いていくことを考えた。。。しかし、脱いでみると、実際にその股の部分が暖かく湿っていることがわかった。私の性欲のせいだ。しかし、そんな風に性欲で汚れてしまったものを、彼の部屋に残していくわけにはいかない。さて、何を置いていけばいいだろう。

シェラザードは黙り込んだ。「ねえ、羽原さん、もう一度私のことを抱けるかな?」と彼女は言った。
「できると思うけど」と羽原は言った。。。。この女は実際に時間を遡り、十七歳の自分自身に戻ってしまったのだ。。。そして二人はこれまでになく激しく交わった。。。
「それで結局、彼のシャツの代わりに何を置いていったの?」と羽原は沈黙を破って尋ねた。。。。


この後転換点を迎える。
それは読んでのお楽しみだが、村上春樹は吉行の言う「根を想像させる」という読者の楽しみを残していく。
狂っていくシェエラザードの心理状況を実にうまく描写している。実際にありそうな話に聞こえる。出来心で忍び込んだあと、徐々にヒートアップしていく。その心理状況を彼女が語る形で表現していく。当然その話を聞いての主人公の心の動きも伝わるが、ここでは特筆すべきことではない。

1.2人の素性はわからない。
主人公はなんで北関東のある町にある「ハウス」にいるのか?全く語られない。宗教法人の特殊な工作員なのかもしれないし、犯罪に関わり匿ってもらっている男なのかもしれない。謎である。
彼女も名前がない。普通の主婦であることは明らかだが、どういう生活をしているかわからない。村上春樹らしい。

2.恋する惑星
この映画でフェイ・ウォン演じる女の子が香港島のヒルサイドエスカレーター横にあるトニーレオン扮する警官のアパートに忍び込む。ひょんなことから以前店の常連だったトニーレオンの自宅の鍵をフェイウォンが手に入れる。忍び込んで部屋の模様替えをするフェイウォンの姿が脳裏に浮かぶ。でもシェエラザードはそんな大胆なことはしない。自分が侵入しているという証拠を少しは残すがあからさまにそうだという形にしない。全然ちがうのだが、女の子が片思いの男の部屋に忍び込むという設定はこの2つくらいしか知らない。


3.美貌の女性としない設定
この短編集に出てくる女性は美女ではない。「ドライブマイカー」の女性運転手は「彼女はおそらくはどのような見地から見ても、美人とは言えなかった」としている。「独立器官」の主人公が好きになった女性も「彼女より容貌の優れた女性。。。とつき合ったことがあります。でもそんな比較は何の意味も持ちません。なぜなら彼女は私にとって特別な存在なのです。」と言う。ブスではないかもしれないが、美人ではなさそうだ。「木野」でも「美人という範疇に入るか微妙なところだが、髪がまっすぐで長く、鼻が短く、人目を惹く独特の雰囲気があった。」どぎつい謎があった。
これらの言葉にすごく自分は魅かれる。美人でなくても独特の吸引力があるということなのであろう。
1Q84に出てくる主人公と交わりあった中年女性もノルウェーの森で一緒にギターをひいた女性もその系統である。

4.謎をつくる。
「転換点」をむかえた後、その時点からしばらく経ったあとの近未来物語があるという。
それが語られたら面白いなあと思う場面でストーリーは終末を迎える。主人公もシェエラザードが語るであろうストーリーを知りたがっていたのにと思っていた。研修で芥川龍之介「藪の中」を読んで、グループワークで事実を推定せよというのをやったことがある。近未来物語がどうなるのか?想像するとわくわくする。

「ネタばれあり」の別ブログを読むと、この作品についてすごい推理があります。
ネットで検索されることをお勧めします。
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2013年読了本

2013-12-30 20:22:46 | 
1.完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者 マーシャ ガッセン◎◎
2.猛牛と呼ばれた男「東声会」町井久之
3.井原高忠 元祖テレビ屋ゲバゲバ哲学
4.戦略読書日記  楠木建◎◎
5.スパークする思考  内田和成◎
6.おそめ 石井妙子◎◎
7.Hot pepper ミラクルストーリー  平尾勇司◎◎

8.ストラテジストにさよならを 広木隆
9.日本の喜劇人 小林信彦◎
10.植木等と藤山寛美  小林信彦◎

11.みんなの意見は案外正しい  ジェームス・スロウィッキー
12.稲盛和夫最後の闘い 大西康之◎
13.破滅の美学  笠原和夫◎

14.行動科学マネジメント入門  石田淳
15.昭和天皇の悲劇  小室直樹◎
16.プロの知的生産術 内田和成◎

17.羽生善治論 加藤一二三
18.日本人のための世界史入門 小谷野敦◎
19.経営センスの論理  楠木建◎
20.遺伝子の不都合な事実 安藤寿康◎◎

21.柳井正の希望を持とう 柳井正
22.古典で読み解く現代経済 池田信夫◎
23.数学文章作法基礎編 結城浩
24.あなたにも書ける自分史エッセイ 丸田研一
25.まずは動詞を決めなさい
26.ずる  ダンアリエリー
27.イノベーション・オブ・ライフ クレイトン・クリステンセン
28.イノベーションのDNA クレイトン・クリステンセン◎ 
29.日本の国家破綻に備えるマニュアル 橘玲
30.リーマンショックコンフィデンシャル
31.色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹◎
32.司法書士7カ月合格法 柴田幸◎
33.受験は要領 和田秀樹◎

34.贋世捨人 車谷長吉
35.ディーラーをやっつけろ エドワードソープ
36.今やる人になる40の習慣 林修◎
37.金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの? 堀江貴文
38.悪知恵の勧め 鹿島茂
39.世界一やさしいランチェスター№1理論 坂上仁志
40.儲けたければ原価率は40%にしなさい 日経レストラン
41.生きるチカラ 植島啓司◎
42.溥儀 入江曜子
43.鹽壺の匙 車谷長吉
44.赤目四十八瀧心中未遂 車谷長吉◎
45.かけひきの科学 唐津一◎
46.私の知的鍛練法 竹内均◎
47.超合格術 有賀悠◎◎

48.戦略の原点 清水勝彦
49.バカのための読書術 小谷野敦
50.ロマンチック街道 虫明亜呂無◎◎
51.売れる作家の全技術 大沢在昌
52.世界一楽しい速読勉強法  斎藤英治
53.1分スピード記憶勉強法 宇都宮雅巳
54.武蔵丸 車谷長吉
55.クオンツ スコット・パタースン
56.悪女の美食術 福田和也
57.私の田中角栄日記 佐藤昭子
58.ベストセラー小説の書き方 ディーン・クーンツ◎◎
59.気まぐれコンセプトクロニエル ホイチョイプロダクションズ
60.映画の必修項目「激辛韓国映画」 映画秘宝
61.共産主義批判の常識 小泉信三
62.賭ける魂 植島啓司◎
63.酒池肉林 井波律子
64.日本電産永守イズムの挑戦 日経新聞社
65.サービスの裏方たち 野地秩嘉
66.ピータードラッカー私の履歴書
67.リーンイン シェリル・サンドバーグ◎
68.間抜けの構造 ビートたけし
69.「頭の良さ」は遺伝子で決まる 石浦章一
70.流転の王妃の昭和史 愛新覚羅浩
71.ツキの波 竹内一郎
72.戸越銀座でつかまえて 星野博美◎
73.成功は一日で捨てされ 柳井正
74.私のマルクス 佐藤優
75.勉強のセオリー 伊藤真
76.外資系金融の終り 藤沢数希
77.銭湯の女神 星野博美
78.愚か者、中国へ行く。 星野博美
79.焼肉叙々苑の秘密 新井泰道
80.迷子の自由 星野博美
81.柳井正 わがドラッカー流経営論 NHK
82.転がる香港に苔は生えない 星野博美
83.面白いほど詰め込める勉強法 小谷野敦
84.ウィ二ング勝利の経営 ジャックウェルチ
85.コンニャク漂流記 星野博美◎◎
86.マネーボール マイケル・ルイス◎

87.三陸海岸大津波 吉村昭
88.「こころ」は本当に名作か 小谷野敦
89.嫉妬の世界史 山内昌之
90.だましの手口 西田公昭
91.40歳からの記憶術・想起力で差をつける 和田秀樹◎
92.言語の脳科学 酒井邦嘉
93.韓国天才少年の数奇な半生(キム・ウンヨン) 大橋義輝
94.天才!(OUTLIERS) マルコム・グラッドウェル
95.評論家入門 小谷野敦
96.なぜ選ぶたびに後悔するのか バリーシュワルツ◎
97.党生活者 小林多喜二
98.のりたまと煙突 星野博美
99.日本辺境論 内田樹
100.うらおもて人生録 色川武大◎◎
101.運を呼び込む気のパワー 早島正雄
102.若きサムライのために 三島由紀夫
103.海軍主計大尉小泉信吉 小泉信三◎
104.サービスはホテルに学べ 富田昭次
105.交渉術 佐藤優◎
106.子供が減って何が悪いか 赤川学
107.昭和天皇独白録 ◎ 
108.社会学講義 富永健一
109.経済学の巨人 危機と闘う 日経新聞社◎
110.友達がいないということ 小谷野敦
111.大本営参謀の情報戦記 堀栄三◎
112.アメリカ軍の撮影した占領下の日本
113.高木貞治 近代日本数学の父  高瀬正仁
114.数学を知らずに経済を語るな 高橋洋一
115.リーダーシップ 山内昌之
116.野蛮人のテーブルマナー 佐藤優
117.戦後を点検する 保阪正康 半藤一利
118.謝々チャイニーズ 星野博美
119.美人は罪悪か 小谷野敦
120.世界最終戦争 石原莞爾
121.英語と日本語のあいだ 菅原克也
122.英語は頭から訳す 竹下和男◎
123.映画の快楽 ぼくらはカルチャー探偵団
124.昭和史七つの謎 保坂正康
125.インテリジェンス人間論 佐藤優
126.ヴィレッジヴァンガードで休日を 菊池敬一
127.危機の外相 東郷茂徳 阿部牧郎
128.エースの資格 江夏豊
129.半島へ、ふたたび 蓮池薫
130.趣味力 秋元康
131.瀬島龍三参謀の昭和史 保阪正康
132.お金の流れが変わった 大前研一
133.アメーバ経営 稲盛和夫◎
134.天才数学者株にはまる ジョン・アレン・パウロス
135.天才伝説横山やすし 小林信彦
136.国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて 佐藤優
137.山下奉文 福田和也
138.熔ける  井川意高
139.昭和史忘れ得ぬ証言者たち 保阪正康
140.アイデンティティ経済学 ジョージ・アカロフ
141.フルハウス生命の全容 スティーヴン・ジェイ・グールド 
142.アニマル・スピリット ジョージ・アカロフ
143.有名人になること 勝間和代
144.知の編集術 松岡正剛◎
145.学校が教えてくれないヤクザ撃退法 宮本照夫
146.武器としての決断思考 瀧本哲史◎
147.まぐれ ナシ―ム・ニコラス・タレブ
148.僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? 木暮太一
149.すばらしき愚民社会 小谷野敦
150.越境者たち(上) 森巣博
151.絶対速読記憶術 椋木修三
152.販売の科学 唐木一
153.アカデミー賞 川本三郎
154.歴史と外交 東郷和彦
155.東條英機と天皇の時代(上) 保阪正康◎
156.東條英機と天皇の時代(下) 保阪正康
157.遺伝子が明かす脳と心のからくり 石浦章一
158.趣味は読書 斎藤美奈子
159.越境者たち(下) 森巣博
160.バカに付ける薬 呉
161.その数学が戦略を決める イアンエアーズ
162.母性社会日本の病理 河合隼雄
163.英文の読み方 行方昭夫
164.数学による思考のレッスン 栗田哲也◎◎
165.「黄金のバンタム」を破った男 百田尚樹◎

166.破獄 吉村昭
167.餃子屋と高級フレンチではどちらが儲かるか 林總
168.何が時代を動かすのか 栗田哲也
169.小説家への道Ⅱ
170.暗算力を身につける 栗田哲也
171.暗算の達人 アーサー・ベンジャミン
172.強さと脆さ ナシ―ム・ニコラス・タレブ
173.自分の仕事をつくる  西村佳哲◎
174.千夜千冊虎の巻 松岡正剛
175.7歳から辞書を引いて頭をきたえる 深谷圭助
176.1分間英語勉強法 石井貴士
177.数学に感動する頭をつくる 栗田哲也◎◎
178.失敗学実戦講義 畑村洋太郎 
179.国家と人生 佐藤優×竹村健一
180.プロ家庭教師の技 丸谷馨
181.言語を生みだす本能 スティーヴン・ピンカー
182.アロー戦争と圓明園
183.働きざかりの心理学 河合隼雄
184.映画もまた編集である ウォルターマーチとの会話 マイケル・オンダ―チェ◎
185.なぜ「教育が主戦場」となったか 栗田哲也◎◎

186.人はなぜ数学が嫌いになるか 芹沢光雄
187.戦略の本質 野中郁次郎他
188.占領下日本の教訓 保阪正康
189.歴代天皇総覧 笠原英彦
190.多読術 松岡正剛
191.映画の香り 川本三郎
192.数学が歩いてきた道 志賀浩二
193.高度成長ー昭和が燃えたもう一つの戦争 保阪正康
194.インテリジェンス武器なき戦争 手嶋龍一、佐藤優
195.名人に香車を引いた男 升田幸三
196.競争優位で勝つ統計学 ジェフリー・マー◎
197.音楽を語る W・フルトベングラ―
198.新自由主義の復権 八代尚宏
199.翻訳とは何かー職業としての翻訳 山岡洋一◎
200.子どもに教えたくなる算数 栗田哲也
201.昭和の名将と愚将 半藤一利、保阪正康
202.理系の子 ジュディ・ダットン

あと1日残して

 二度目を含む
娘用受験書多数 これは含まない。
立ち読み読了本多数 これも含まない。
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柳井正「わがドラッカー流経営論」

2013-10-13 05:32:53 | 
1.お店に来ていただけるお客様だけをターゲットにモノを売ってみても、それ以上の広がりは望めない。本来我々がターゲットにすべきは、まだお店に来ていないお客様なんです。
すでにある需要に対して何かを提供するだけでは、顧客の要望に応えているということにはならない。お客様が潜在的需要として持っているのに、まだ世の中に存在しないものを形にして、「これなんかいかがでしょう?」と提示してあげることが、ビジネスで付加価値を生むという意味だ。
2.その店や企業が何をやっているか、何を売っているかをきちんとお客様に伝えなくては何も始まらない。
3.2万セットを無料で配布するというと、費用対効果で問題があると思う人がいるかもしれませんが、なぜこのような大掛かりな戦略をとったかには、ちゃんと理由がある。ヒートテックの場合は、見た目もそれなりにスタイリッシュですが、一番の魅力は見た目というよりも、着心地の良さや保温性、保湿性にあるために実際にきていただかないと本当の良さはわからない。つまり、まず商品をきていただいて、そこから発生するであろう口コミを狙った。
4.ドラッカー「あらゆる者が、強みによって報酬を手にする。弱みによってではない。最初に問うべきは、我々の強みである。」(乱気流の経営)
5.不思議なことに長所を伸ばしていくと、欠点というものはどんどん消えていく。
6.ドラッカーの経営理論の中心には「人」がいる。
7.ドラッカー「知的労働者は、すべて企業家として行動しなければならない。知識が中心の資源となった今日では、トップだけで成功をもたらすことはできない。」従業員一人一人の知識や判断が企業経営を支えている。
8.現場でお客様の動向を直に感じているのは店長だ。それでユニクロでは、店舗、店長が事業の主役で、本部はそれをサポートしている。店長こそが組織内で一番偉いという考え方だ。。。生涯一店長というのを理想と考えている。店長になった時点で、サラリーマンという意識は捨てて、自営業者の意識になってもらう必要がある。
9.ドラッカー「成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何にとらわれているかを明らかにすることからスタートする。」自分の得意のものに集中するということも肝心です。不得意のものをダラダラと時間をかけてやっていては意味がない。
10.ビジネスも一種の団体競技だと考えるべきなんですよ。個人競技で優勝を狙えなくても、みんなで一緒に努力すれば団体優勝を狙うことはできる。。。。お互いに補いながら、自分の得意なところを伸ばしていけば、企業としての全体のポテンシャルはどんどん高まっていくんです。
11.「店舗経営ができて、お客様に満足していただける店舗を作る自信があります。」と面接で答えるべき
12.一番いい会社というのは「社長が行っていることがそのまま行われない会社」
言われたことを右から左へと聞き流せということではなく、その本質をつかみ、具現化するのは現場スタッフの務めなのだ。
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹

2013-04-21 09:30:30 | 
村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を早速読んだ。
長い間の彼のファンとしては本当に楽しみにしていた新作である。

題名を一読して意味がわかる人は誰もいないであろう。
「多崎つくる」は主人公の名前だ。なぜ色彩か?というと、高校時代や大学時代の仲間の名前に赤、青、白、黒、灰と色が入るのに彼の名前に色の名前が入っていないということ。それで「色彩を持たない」となる。「巡礼」はいくつか意味が込められているが、昔のある出来事に関して、その真相を確かめに行くために旅に出るという意味が強い。

いずれにせよ、読んでいくとわかっていく。
たまたま駅の構内で売られているのをみつけて、さっと購入して、翌日の電車の行きで90ページ、帰りで100ページ、自宅で残り全部を読んだ。
「1Q84」は600ページにわたるので、1冊読むのにも少し時間がかかったが、意外にさらっと読めた。長編の後こういう小説を入れることが多い。いずれも内容は違うけど「国境の南太陽の西」「スプートニクの恋人」が数ある長編の間に書かれているのと同じだ。

主人公多崎つくるは36歳の技術屋だ。電鉄会社の中で駅舎をつくる仕事に従事している。独身だ。今は2つ上の旅行会社に勤める沙羅と付き合い始めたところだ。
主人公にはつらい体験があった。高校時代仲の良い5人組でいつも行動を共にしていた。彼のほかに男2人、女2人でいつでも一緒にいた。主人公は名古屋出身で大学に進学する時、関心のある駅舎設計の専門の教授が東京の工科大学にいることを知り、東京に行ったのだ。残りの4人は名古屋に残った。進学後1年たった時、彼は残りの4人から絶交を申し立てられた。意味がわからないまま、もう15年以上たっている。そのことが彼の心に大きな傷となっている。
その話を沙羅にした後で、つくるが自分を抱いている時も心ここにあらずの感じがすることがあると言われる。昔の事件がわだかまりになっているのではないかと、残りの4人の消息を探すことを勧められる。段取り上手な沙羅は4人の消息を探しだしてきた。そして主人公の4人それぞれの消息を追う巡礼が始まる。。。

この間に大学で知り合った灰田という2つ下の男との関わりや、灰田の父親の体験が織り交ぜられていく。話自体は比較的単純な話だと思う。村上春樹の長編ではいくつものストーリーが平行線で語られることが多い。謎の人物も多い。それが彼の小説の重層性につながるが、ここでは灰田の話を思ったほど語りすぎないので単純化している。あえて長すぎないようにつくったのであろう。
昔の仲間ということで4人の人物を登場させている。
「国境の南太陽の西」では主人公の中学時代の同級生との純愛が語られ、あとは主人公の妻以外には存在感を持たせていない。ここでは昔の仲間4人にそれぞれ存在感を与える。このように昔の4人を普通に紹介すること自体は珍しい。それでもやり方次第では200ページで構成することすらできるストーリーだと思う。ストーリーは単純である。


村上春樹は分析的描写や心理的描写が好きでないと言っている。確かに彼の小説では、平易な話し言葉だけれども、非常に練られたセリフで登場人物が話していることが多い。それによって登場人物のキャラクターを浮き上がらせるのが彼の特徴である。
しかし、それだけだと軽く流されてしまうので、むしろ小説に出てくる場面の情景をかなり詳細にわざと表現することで、会話の流れをいったんあえてとめることを心がけていると彼が語るのを読んだことがある。フィッツジェラルドに影響を受けたそういう彼の書き方が好きだ。

でも、今回の小説は若干違うかもしれない。分析描写が目立つし、会話でキャラを浮き上がらせるのは同じであるが、前段の人物紹介がいつもより長い気がする。読者に読みやすくするつもりだと思う。最後の新宿の描写が意外に長いのであれと思った。軽く流されないためにそうしているのであろうか。彼の小説は謎の人物を織り交ぜることが多い。今回は緑川くらいかな?でもその緑川のキャラに一番自分は関心を持った。まずは彼の言葉をかみしめるように再読した。緑川がピアノを弾きがたるあたりが、一番好きだ。読みながら「ラウンドミッドナイト」のフレーズが耳についてきた、村上春樹の小説をよんでいるという実感が一番強い部分だった。

最後の締めはあれでよかったのかもしれない。自分なりに推理する楽しみができた。
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小谷野敦「日本人のための世界史入門」

2013-04-04 19:56:47 | 
小谷野敦「日本人のための世界史入門」を読んだ。
いや一回見終わったときに再読した。そのあともう一回マーカーひきながら読んだ。基本は世界史の教科書の内容をベースにしながら、小谷野氏の思いと雑談を書いていく。なかなか面白いんじゃないと思う。

この男面白い。
このブログでいうのは初めてだけど、ムチャクチャ勉強している割に適度にしか評価されない。なんかうさんく評価されるんだろうか?でもいい男だなあ。一度飲んでみたい。

彼は自分より少し年下
いわゆる学園紛争でクズになった年齢ではない。東大出身だけど当時メジャーな高校の出身ではない。(今は逆にメジャーになったけど)そういえば彼がでた高校は自分も滑り止めで受けている。その中でも彼はいじめられている。
今でもamazonの批評をしていじめられている。
彼は色々な著作や映画に対して割と辛口のアマゾンレビューを書く。それを見て「参考にならない」と一般人にいじめられている。。
ここまで自分から辛口で評したら復讐しようとする奴いるだろうなあ。
彼の意見と違うことも多いが、映画レビューは面白い

でも彼の書いた「母子寮前」という小説を芥川賞候補になった時買って読んだ。
自分が母親をガンで亡くした時の構図によく似てますます好きになった。
他の評論も読んでいて楽しい。変な奴だと思うけど参考になる。

彼の考えのベースは自分と一緒である。
「私はあさま山荘事件について全く理解できないし、理解しようとも思わない。あるいは宗教でなくても、マルクス主義についても異様な情熱を燃やす人たちを理解できないし、理解しようとも思わない。。。。」

変な奴って多かったよね。今でも多いのかも。
昭和20年代生まれには多い人間のクズ。昔社会主義思想にかぶっていた奴。でもこういう人間のクズ、アベノミクスがうまくっているから今沈黙しているかもしれない。

「多くのリベラル知識人が50年にわたって自民党政権を批判してきたのに、選挙で自民党は第一党であり続けたし、知識人がどれほど石原慎太郎を非難しようとも選挙をすれば勝つ」
その通りじゃない。

彼はこういう。
「かつての英雄の子孫を国民が支持する現象をボナパルティズムという。現在、ビルマの軍事独裁政権に抵抗しているアウンサンスーチーも。。。アウンサンスーチー将軍の娘なのでボナパルティズムなのだ。」

なるほど
彼女を描いたリュックベッソン監督の映画見たのでその事実知っていたけど、そう言われるとボナパルティズムなんて言葉あったのね。知らなかった。
日本でいうと、時代ごとにあるよね。この間落選した田中真紀子さんもそうだし、いつまでもつかわからないけど小泉元首相の息子さんも同じだよね。

他にも
宋の蘇さんが流刑なのに妾を連れて地方で豪邸に住む姿の話は面白いし、欧州の王室が何で他の王室から王を連れてくるかという滑稽さ、イスラムの教書コーラン(クアルーン)が「旧約聖書」の内容を焼き直しをしている話など面白かったあ~
まだまだたくさん。。。
「チャールズ1世はピューリタン革命で斬首された人だし、王政復古の後もチャールズ2世だったとはいえ、あまり縁起のいい名前とは言えないけどなんでつけたんだろう。。。」
この言い方もその通りだなあ

この本amazonの批評ではクソミソで、学生には勧められないという人いるけど違うと思う。
むしろ高校2年生くらいが普通に読むと教養になるんじゃないかしら。世界史は流れという論者にもピッタリ。世界史教科書らしい流れを基本に簡潔に逸話をまじえて楽しくよめる。現代史が弱めだけど、ちくっと戦後インチキ知識人を愚弄する。

著者はいう。
「戦後日本人の知識人の多くは、社会主義や平和主義に幻想を抱きすぎていた。中国は1966年から毛沢東が主導して、あの悪名高い文化大革命を行った。多くの文学者はこれを批判したが、これを称賛するものもあり、新島淳良などはのち過ちを認めたが、未だ認めないものもいる。」


「日米を問わず、戦後の知識人のソ連、中共への心酔は恐ろしいほどで、米国やNATOが核兵器を持つのは許されないが、ソ連が中共が持つのはいいという議論が普通になされていた。」
これって今も狂っている反原発で名高い某左翼系新聞社でしょうね。
彼の批評を悪く言う奴はいわゆる学園紛争とかにうつつをぬかした奴か日教組(今もいるかな?)の教師だと思う。いずれも人間のクズだ。

アヘン戦争って誰がどう見てもひどいよね。
著者はいう。
「中共政府は日本に対して強く出るが、一番ひどい加害をおこなった英国は、第二次大戦の戦勝国か、それとも冊封国ではないからか、何も言わない。」
本当そうだ。

論敵ディズレーリ首相とともに19世紀後半ヴィクトリア女王時代の英国をささえたグラッドストーン首相はその若き日アヘン戦争出費が議会で271対262で可決されたときこういったという。
「これほど不正な、恥さらしな戦争はかって聞いたことがない。大英帝国の国旗ユニオン=ジャックは、かっては正義の味方、圧制の敵であり、民族の権利、公正な商業のために戦ってきたのに、いまやあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられることになった。国旗の名誉はけがされた。」
その通りだ。
それを機に諸外国は図にのった。日本も人のことは言えない。
でも他の国の方がずいぶんだと思うけど。

これから娘の大学受験の世界史の点数上げようと思うと、この本だけではさすがに無理だと思う。
ちょっとやり方考えてみよう。

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「K」 三木卓

2012-11-04 20:16:13 | 
通勤は二日酔いの日は別として、仕事の準備をするか、読書する。帰りも同様だ。
であるからかなり本を読んでいるんだけど、小説を読むのは減ってきた。あるきっかけでこれを読んだ。
久々に書評を書く気になった。

「K」三木卓氏の本である。
Kとは詩人でもあった妻のニックネームである。自伝的作品で妻の話をしてくれる。彼女は夫より先にあの世に行ってしまった。

三木卓氏は中国からの引き揚げ者だ。自分の故郷を失い喪失感を持って戦後を迎えた。そして早大に進み就職しようとするが、うまくいかずやむなく書評新聞の記者となる。そのあとに出会ったのがKである。詩雑誌の同志として知り合った。小さい身体の彼女を最初は普通の労働者の娘だと思っていた。お互い相性が合い、2人で会うようになる。実は東京女子大学出の出版社の編集者だった。1959年当時であれば、大卒の女性は限られた。しかも、彼女の実家は青森県八戸で手広く商売を営む商家で、お嬢さんであった。

2人はひっそり入籍をする。主人公の稼ぎは少ない。それでも2人は貧しいながら幸せを築こうとしてきた。金銭感覚が引き揚げ者でギリギリで生きてきた主人公と全く違う。青果関係の仕事をしてきた実家では現金が右から左へ常に流れていた。しかも、子供のころは外に出されて育てられる。乳母がいた。そういう特殊な生い立ちをしていた。家事はあまり得意でない。というより風呂を沸かしたことすらなかった。

そんな中2人は子供に恵まれ、3人で暮らしていく。編集者として踏ん張りながら、詩を書き始めた主人公は徐々に認められていく。そして小説も書くようになる。しかし、徐々に2人の気持ちは離れていく。主人公は自分勝手に生きる妻に対して音をあげていくのである。妻も一緒に暮さない方がいいように思うのだ。仕事場と称する場所で主人公は著述活動をしていく。家には一年に数回しか帰らない。そういう時代がずっと続いた。
ところが初老の域に達した時、妻がガンに侵されていくのである。。。。

やさしいタッチで進んでいく。
妻は特殊な育ち方をしたせいか、独特の世界観を持っている。それがやさしく描かれている。ある動物をじっくり観察しているかのごとく語って行く。彼女はある時夫にこう言う。
「あなたに家に帰ってほしくないの」驚く夫だ。
娘が言うことを聞かないので、夫は小さい頃から強く叱責したようだ。素直じゃないということで、その意味は分からなくもない。でも妻はもし家に戻ってきたら同じように娘に強く叱責することがありそうな気がすると言って戻らないでといったのだ。
そりゃないよ。といった感じだが、夫はそれに従う。
何か不思議な感じの話だ。

それでも彼女は大みそかだけは帰ってほしいというのだ。それ自体は子供のころから主人が家にいて、年の終わりを祝うという八戸の大晦日を再現するようだ。ごちそうが振る舞われるのに最初は戸惑う夫だ。

彼女が亡くなった今たんたんとその性格を語る。

残りは闘病記だ。
必ずしも賢妻とは言えない妻が病気になる。手術を何度も繰り返す。自分の母がガンで死んだ時は抗がん剤治療であった。手遅れなので手術は無理なのである。真逆だ。

そしてこの小説の肝という場面が出てくる。
主人公が娘と食事をしながら、あふれ出る涙が止まらず号泣する場面だ。これには本当にジーンとした。

自分自身のことを思い出した。
母が診察を受けてガンだということがわかった。そして入院することになる。その入院の日、自分ひとりだけ呼ばれた。父は心筋梗塞を病んでいて、とても母に付き添える状態じゃない。主治医は自分にあと半年の命だという。本当に驚いた。病室に戻った時、ジーンとして母の顔がまともに見れなかった。
そのあと妹と昼食に行った。ラーメンを食べている最中に涙が止まらなくなった。もちろん妹には何も言っていない。鼻をすすっているふりをしながら、涙が抑えられなくなった。食べながら、次から次へと涙が流れるのである。一生忘れられない場面だ。


この小説を読んでそのことを思い出した。ジーンときた。
小谷野敦「母子寮前」でも同じような話があり、その時もジーンとした。

ガン闘病記というのはどうも涙腺をいじめて困る。
もうすぐ母の4回目の命日を迎える。
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新東京いい店やれる店

2012-07-16 06:46:24 | 
「新東京いい店やれる店」がついに出版された。
期待を裏切らない面白さに感動しました。さすがホイチョイプロダクションだ。

ホイチョイプロダクションの傑作中の傑作「東京いい店やれる店」が出てから何と18年がたつ。
文章の面白さとお店の選出の素晴らしさに感動して、今だに自分の本棚からグルメ本の帝王の地位を動かさなかった。その続編が発行されることをネットで何気なく発見した。ちょっと立ち読みしてから買おうかと思って大きな本屋をいくつか回ったが、どこにもない。そんなに売れてるの??
そう思いながら、近くのツタヤで何げなく置いてある本を見つけた。立ち読みしている暇はない。即購入した。

94年に出た前作「東京いい店やれる店」にはいわゆる東京の老舗が全般的に取り上げられている。
自分の手元に父が持っていた1973年のグルメ本「新東京うまい店」(料理本の老舗、柴田書店刊)がある。それと比較してみると、今回も含め和風系には共通しているお店が多い。中江、いせ源、並木藪蕎麦、鮎正など。。ただ、1973年すなわち昭和48年というとフレンチ、イタリアン系はまだまだ今ほどはメジャーではなかった。昭和50年代のディスコブームのころからしゃれた店が多くなった気がする。そしてバブルを迎える。一気にフレンチイタリアンが増えた。しゃれたバーも急激に増えた。
古いも新しいも含めた集大成が前作「東京いい店やれる店」だと思う。
ともかく面白かったし、素晴らしい。


今回の本をざっと読んでみた。
単なる前作の延長になっていないのがいい。
例えばミシュラン本はいくつか中身が変わるが、基調は大きく変わらない。そんな本は毎回買う気にもならないだろう。立ち読みで済ませればいいわけだ。
これは違う。

季節感を大事にする。春であれば花見、夏でいえば花火やホタル狩り、秋はお月見、冬は雪見というように日本には江戸時代から強い季節感があった。今はこういう季節だからこれ食べに行こうよというような誘い方ができるような設定にしている。その構成の仕方が実にうまい。
プチ夜景、ハモ極楽、サルサ、アユ、すっぽん、生ガキなどの話には思わずなるほど。。。
西麻布のすし屋リストは凄い!四川料理の店リストも参考になる。
個人的好物インド料理の話もいい感じだ。嶮暮帰が№1というのは確かだ。
経験のない北欧料理には挑戦してみたい気になった。「大人たちよもう一度湘南を目指せ」には全く同感
そしてそれぞれの東京の伝統的な食の歴史を取り上げている。
嫌味にならないうんちくがいい。

今回もデートそしてそのあとも盛り上がる店という選定だ。絶妙なタッチの文章で東京都内をかけめくる。
20年近くたって、前作で取り上げられたフレンチイタリアン系の店は大きく変わった。バーについても同様である。今行ってもない所が多い。前のアクアパッツァの場所に今ある店が取り上げられているのも象徴的だ。

3つだけ取り上げたい。
そのうちの2つがよくいくところである。逆に取り上げられるのが意外だった。
まずはシェラトン都ホテルの中華料理「四川」だ。
うちの墓のある高輪の寺も近くで、祖父祖母の法事や父の四十九日もこの店でやった。母の四十九日の時は目黒駅前の中華の老舗「香港園」にした。天皇家や美智子さんの実家正田英三郎一家の気品ある写真があると妙に高尚に見える店だ。母の姉妹で辛いのが苦手そうな人が多かったその時だけ変えた。
昼間は非常にリーズナブルな価格だ。予約は必須、なめてかかって予約なしできたら入れないので注意。客層はいい。ここでマーボー豆腐を小さい頃から食べているうちの娘は悲劇だ。どこへ行って四川系の料理を食べても絶対に満足できない。小さい頃からおいしいものを食べるとそれはそれで悲劇だ。

夜も行くが、安くはない。上のような普通の牛肉オイスター炒めでも抜群にうまい。
アラカルトで頼む四川風味付けをした蒸し鳥が絶品。
夜窓の外の竹が揺れ、非常にムードある。こういう形で取り上げられるのは意外。

小さい頃、この隣にある「清正公」という寺のお祭り縁日に祖母とよくいったものだ。通りを都電が走っていた。寺の隣に大きな屋敷があった。故藤山愛一郎元外務大臣の大邸宅である。盛りの時期は過ぎたが、そのころも現役の衆議院議員だった。財閥の御曹司でロマンスグレーの紳士であるが、自腹で政治資金を調達して財産をつぶしたので有名な政治家だ。女優細川某との付き合いはあまりにも有名だ。いつの間にやら屋敷がなくなりホテルが建設された。都ホテルだ。大学生の頃だったと思う。藤山の御霊が宿ったのか、このホテルは政治家がよく女性との密会に使っていた。今はどうなんだろう。

キャピタル東急ホテルのバーはよく使う。
「李白バー」という名であった。
正直建て替える前のウッド基調のインテリアが好きだった。落ち着く場所で、友人ともよく来たものだ。小腹を満たすためにホテル内の中華料理屋から出前もとれる。この点心が抜群にうまい。
このホテルはビートルズが来日した時宿泊したのであまりにも有名だった。東京に外資のホテルが次々と出来て存在感が薄くなっているのに危機感を持って建て替えをしたと思うが、正直前の方が良かった。
新しいキャピトルバーも素敵だが少しイメージが違う。
それでもこの本で「猿でもチュウできる店」として取り上げていた。
この気持ちはわかる。淡い想い出がある。

大学に入った後、高校を卒業をしてすでに働いていた女の子にばったり駅で会った。幼稚園から中学まで一緒だった子だ。幼稚園の頃うちに遊びに来て、結婚するまで帰らないと自分の母に行ったという。小さい頃からおませな女の子だった。彼女が誘ってくれた。それがこのホテルだ。赤坂のビブロスやムゲンは知っていてもホテルなんてまだ無縁だった。ホテルに行き大人の雰囲気を持ったレストランで食事をした。天井が高かった印象がある。夏でホテルに入るときはまだ明るかった。食べ終わってホテルの外へ出たら暗い。異様なムードが漂いぞくぞくした。山王日枝神社の裏手を2人で歩く道筋が妙に暗く、歩きながらドキドキ心臓が鳴り始めた。まだ大人になりきれない自分は静かにふるえながら歩くしかなかった。。。。人生の道理を知っている彼女が僕に大人になるための何かを教えてくれた気がする。
まさにその場面がこの本で取り上げられている。
恥ずかしながら、この本と同じ作戦ずいぶんと使わせてもらった。幼馴染に感謝すれど、彼女は8年前もう別世界の人となった。

以上のよくいく2つの店のほかにポルトガル料理が紹介されているのが気になった。
いろんなグルメ雑誌ではあまり紹介されていない。香港好きの自分はマカオも当然好きだが、最初に行った時のポルトガル料理の印象がよくないのか、食べていなかった。それが2年前マカオに一緒に行った人たちと食べたポルトガル料理に感動した。見方が180度変わった。それまでの日々を後悔した。
この本ではイラストが紹介されているダックライス
鯛めしを食べているような食感だ。

アフリカンチキンは抜群だ。(この写真はマカオのポルトガル料理屋で撮った)

ちなみにここで紹介されている高輪の店「マヌエル」はうちのお墓の寺のすぐそばだ。ある時突如見慣れぬ国旗が立っていてビックリしたものだ。でも店出て次の展開どうするのかな?墓の横の道歩くのは逆効果だよね

ほかにもたくさん書きたいことあるがやめておこう。
帯に「エロ本」と書いてある。女性に手の内を教えないのが趣旨だから心の中にひっそり思う方がいいのだ。
この本あれば当面新しいグルメ雑誌は買う必要はないことがわかった。
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韃靼の馬2

2011-10-10 09:15:16 | 
ブログにコメントして何かいい残しているなあと思った。
朝鮮通信使と対馬の話を書いているけど、肝心な韃靼の馬について触れていない。

韃靼の言葉の定義は難しい。モンゴルから中央アジアにかけてのことを指すといったらよいのであろうか?日本では朝鮮から中国を北に向かった方のエリアを総称していたらしい。もともと中国で韃靼という言葉をモンゴル方面で使っていた時期もあるが、今は蒙古に戻っているらしい。
いずれにしてもそのあたりらしい。

でも鎖国の日本人が何でそんなところまで行くの?というわけである。
前のコラムで新井白石の話を書いた。綱吉以降若い将軍が政治の中心を占めていたが、紀州より吉宗が来て将軍職に就くことになった。前任の否定というのは今の世の中も昔も変わらない。
新井白石は追放される。同時に将軍徳川吉宗が強い色を出す。これはいろんな時代劇で見られる話である。江戸幕府が出来て100年、武士が武士らしくなくなっている気運に吉宗が疑問を持っていたわけである。鷹狩りも復活させた。中国の王朝が周辺の騎馬民族に攻められて苦慮していたのは歴史が証明している。特に劉邦が天下統一した漢王朝において、騎馬民族匈奴にいきなりコテンパンにやられた。それをしばらくたって武帝が馬には馬をとばかりに復讐するのである。そして中央アジアから天馬というべき堂々とした馬を連れてくるという話が語られる。
中国史を学んだ吉宗はその天馬を幕府に連れて来いと対馬藩に命令を出す。そんなことできるかい?ということだが、またまた朝鮮にいる主人公阿比留克人に命が下されるわけである。
馬が欲しいのは江戸幕府だけではない。朝鮮馬というのは比較的貧弱だ。大陸でも堂々とした馬が求められているのである。高く取引される。昔も今の商社のような存在がいたが、金を出せばうまくいくというわけではない。馬によって国の命運が左右されるのだ。天馬はそう簡単に異邦人に提供されるものではない。

この第2部はその話だ。
そんなに単純にはいかない。第1部の朝鮮通信使の来日で様々なトラブルが起きている。その中でいろんな人物が死んで、死んでいるようで死んでいず生き延びている人物もいる。今の世の中であれば、すべてがわかってしまうが、当時は形を変えて生きていくということが可能であったかもしれない。この例をあげるのには少々ためらうが、北朝鮮に拉致された人たちが朝鮮語の教育を受け、向こうの国で堂々と生きてきた事実もある。主人公やその他の人物存在自体と拉致されてきた人たちの生きざまの世界を作者がオーバーラップさせた可能性もあるかもしれない。

そんな無理難題を受け主人公は走る。仲間が加わる。旅の途中で予想もしないことが次々と起こる。ロシア、すでに清となった中国そして中央アジアの騎馬民族の民族が入り乱れた中ストーリーが展開される。ネルチンスク条約、キャフタ条約、ジョーンモドの戦いなんて実在の世界史にも強くかかわる。
ロシアのピョートル一世、清の康熙帝といえば名君として名高い。言葉も違う両国が17世紀後半広大な中央アジアを舞台に交渉して国境条約を結ぶということに妙に関心を昔から持っていた。西欧史と異なる響きがしてなんか素敵な匂いがする。もちろん現場は荒れ狂う連中たちの先陣争いがあったとは思うけど。
これらの歴史の事実とフィクションとの交錯で、登場人物たちのふるまいにリアリティを感じさせる。

映画化を望むといったが、この作品は大河ドラマ向きかもしれない。映像にしたらどんなに素晴らしいと思うシーンが実に多い。朝鮮通信使が日本を縦断する様子もあでやかに映るだろう。大坂のお堀の上を朝鮮の衣装で船を走らせる映像コンテなんてなんて美しいのであろう。中央アジアの壮大さも見モノだ。
そういう日が実現することを祈りたい。
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韃靼の馬

2011-10-06 19:12:48 | 
辻原登「韃靼の馬」は今年初めまで日経新聞朝刊に連載されていた新聞小説である。
日経新聞の歴史小説の連載を読むのはあんまり得意ではない。しかも異国の話でちょっと違うのかなと「私の履歴書」から裏面下の部分に一瞥もなく通り過ぎることが多かった。

ところが、ある日目を向けると日本の光景の描写がある。あれ?と思うと、江戸時代の大坂が表現されているではないか?大淀の河口九条に浮かぶ大量の朝鮮船の話に一瞬驚いた。鎖国の日本しかも大坂になんで朝鮮人がいるの?しかも大坂の街を堂々と闊歩するではないか!

そうか朝鮮通信使の話かと思い浮かんだ。歴史教科書で朝鮮通信使の存在をしっていても、どういうものかは知識がない。ときおり新聞の連載部分に目を留めるようになった。
スケールの大きな話である。実際の江戸将軍、新井白石など実在の人物が出てくるのに加えて、朝鮮語に堪能な対馬の武士である主人公阿比留克人がものすごい存在感を示す。ライバルの朝鮮人柳の存在も凄味がある。
今回改めて一冊の本としてのこの本をじっくりと読んだ。すばらしい!

秀吉の朝鮮遠征で、日本軍は朝鮮本土をめちゃくちゃにした。明軍の参戦や秀吉の病気で日本軍は引き揚げたが、朝鮮との関係は最悪であった。そのころ、朝鮮との間に浮かぶ対馬はむしろ日本本土よりも朝鮮に近いこともあり、両国の通商のかなめになっていた。日本から売買代価が銀貨で支払われ、朝鮮からは薬用朝鮮人参が運ばれる。中国には朝鮮から銀貨からつくられた銀が輸出される。朝鮮にとっても重要な銀の存在である。
時は1711年、対馬藩から釜山には大使館というべき倭館がつくられて、主人公阿比留克人が派遣されていた。朝鮮通信使は17世紀初めから交流があったが、30年以上交流が途絶えていた。それが復活して再度朝鮮通信使一行が大挙江戸に向かうことになった。しかし、朝鮮から日本への文書に将軍のことを「大君」から「国王」とするように交渉するよう対馬藩へと命令が出た。朝鮮語に堪能で、対馬独特の和語もできる文武両道に優れる阿比留克人に朝鮮側と交渉する重要な任務が出される。阿比留克人はほとんどの人が知らない「銀の道」という道をソウルまで馬でかけていく。しかし、隠密の任務で行く途中に、日本でいえば警察にあたる監察御史とすれ違うのであったが。。。。

600ページを超す大著である。対馬についての予備知識がなく、改めて地図をみた。日本よりも韓国に近い。これだけ近いのであれば、お互いに交流がされていたのはよくわかる。昔の外国の交流にあたっては言葉についてどういう様にかわされていたのかと思うものであるが、朝鮮語に堪能な人間がいたとしてもおかしくはない。それと同時に人種が入り乱れていたとしても不思議ではない。
何かと韓国との間には恨みつらみのようなものが混在しているようだが、こういう小説を読むともっとお互いに近い存在だったのではと思うしかない。あの民俗学者宮本常一は対馬に行き、600年以上昔からの古文書が各集落に多数残されていることに驚かされたという。戦後間もなくまで日本の中世がそのまま残っていたのだ。今の韓国の「対馬を返せ」議論の貧弱さには笑うしかない。対馬に一度行ってみたい。

登場人物が多彩でみな魅力的である。そこに新井白石などの実在の人物をからめてくる。フィクションでありながら、実在の風景、人物の存在がリアルなものに感じさせ、読む自分のこころをとらえる。大航海時代に突入したあとの東西交流と有史以来続く日朝貿易の経済的な交流のとらえ方が実にうまく書かれていてある意味経済小説にも読めてしまうところにより一層凄味を感じる。
映画化を希望するが、難しいだろうなあ。でも実現したらどんなに素晴らしいことかと思う。
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伊集院静の本1

2011-09-04 17:09:06 | 
週に5回は本屋に行くが、ここのところ伊集院静さんの本がメインのところにおいているので少々驚いている。一体どうしたんだろう。売れているみたいだ。

ましてや「いねむり先生」なんて本まで書いている。故阿佐田哲也こと色川武大さんのことだ。
考えてみると阿佐田哲也さんが亡くなってなんと22年もたつのである。今年はいわゆる23回忌ということなのであろう。自分が文筆家としての伊集院静を知るようになったのも、阿佐田哲也の競輪に関するエッセイを読んでからだと思う。
昭和の最後のころ、麻雀でその名を知られた阿佐田哲也が競輪の予想に力を入れるようになった。同時に週刊誌に競輪エッセイを書くようになっていた。これが実におもしろかった。まったく競輪に興味のなかった自分もそのエッセイに引き寄せられ、競輪を見に行くようになった。車券もかった。ここ15年近く車券を買ったこともないが、年末のグランプリだけはテレビで見てしまう。競馬とは違い競輪は賭けなくても見ているだけでおもしろい。

そこに伊集院静氏のことが書いてあった。
伊集院静が故夏目雅子のご主人であったのはあまりにも有名だ。もちろんその時も知っていた。彼女が結婚する前は数人の女性で彼のことをとりあっていたと記憶する。なんでそんなにもてるんだろうと思っていたら、阿佐田哲也のエッセイによれば風来坊のようだった。そして阿佐田哲也ばかりでなく、伊集院静に興味を持つようになっていた。ずいぶんと優しいエッセイを書いていた。

自分の書棚は転勤も多いので、必要最小限にして残りは品川の家の元父の書斎だった書棚に押し込んでいる。その必要最小限の棚から絶対にはみでない本の中に「阿佐田哲也の競輪教科書」と伊集院静の「夢は枯野を」がある。もともとは雑誌の連載である。この2冊には62年ころから阿佐田哲也が亡くなるまでの平成元年4月くらいの2人の様子が詳細に書いてある。これを何度読んだであろうか。
自分も昭和の最後から平成入ってしばらくは割と自堕落な生活をしていた。でも伊集院静のエッセイを見るとおれよりひどい奴がいるもんだと思っていた。完ぺきにアル中状態でギャンブル依存症もひどい。ものすごく廃れた生活をした人だと思っていた。たぶんこの人長生きしないなあと思っていた。美しい篠ひろ子さんという奥様を得て、今持って生きていらっしゃるのは凄いとしか言いようにない。
阿佐田哲也こと色川武大によれば、人生の運は最終プラスマイナスゼロになるようだと書いている。伊集院静のプラスマイナスのヴォラティリテイは凄いなんてもんじゃない。東北にいらっしゃるので今回の地震で被災されたようだが、ここにきて大きなプラスもゲットしている。そんなことは彼にとってはどうでもいいことなんだろうけど、阿佐田哲也の本の縮図を伊集院静が演じているようで興味深い。

今日久々に「夢は枯野を」を読んでみた。この本は競輪の旅回りの本である。全国の競輪場に勝負しに行くわけである。スタートは阿佐田哲也との対談である。そこから競輪を語っていく。滝沢正光、中野浩一、井上茂徳という3大スターとの関わりも随所に書いてある。凄い役者がいた時の競輪だけに読んでいておもしろい。しかも、単に競輪競技にはとどまらない味のある文章が続く。競輪選手への愛情のようなものも感じる。年齢がまだ30代後半だったせいもあるので、人生観的な話は阿佐田哲也の本ほどないが、人生の達人から何かを得ようとしている姿が目に浮かぶ。
写真家の加納典明のお父さんと一緒に競輪を見に行く話は何度も読んで頭にこびりついていたが、やっぱり面白かった。あとは阿佐田哲也との別れの話、それまで全国を遊び歩いていた仲間が突如いなくなるさみしさはなんとも言えないものであったと思う。新作まで読んでいないが、早々に読んでみたい。
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数学的思考の技術  小島寛之

2011-03-09 19:29:54 | 
「数学的思考の技術」は小島寛之という経済学者が書いた本だ。
新書で彼の書いた本はいくつか読んだことがある。正直さほど感銘を受けたわけではない。娘の受験にあたり「高校への数学」の増刊号を見ていて、彼の書いた本があった。あれ!と思ったら、同一人物だった。
なるほど彼は東大の数学科出身であった。「高校への数学」の増刊ではいわゆる受験の難問を扱っていた。その彼が書いた「数学的思考の技術」を読んで久々にピクンと来た。これはいい。
大量に発刊される新書の中ではずばぬけておもしろい。意見が一致することが多かった。

最近は行動経済学の本が多い。それにつながる本かと第1章を見て思った。
「給料があがらないのはなぜか」
「だらしない人の経済学」
「勝ち組は運か実力か」

そういう議論がなされる。これ自体は目新しいものではない。
でも彼一流のやさしい論じかたで読みやすい。しかし、この本の凄味は第2章以降だ。

「不況時は正義感が仇となる。」とする。まさにその通りだ。
「市民は当初、バブル期に無軌道な投資をした銀行や大企業を仮想「悪者」として足並みをそろえる。。。。無謀な土地投資をした金融機関を糾弾し、借金で行かなくなった大企業の救済にブーイングした。。。でも市民は、この段階ではまだ、自分の職と所得は確保され続けることを疑ってさえいない。彼らの大多数は、この投資銀行や大企業とは直接関係ないからだ。
けれど、経済社会では、対岸にいる人など一人もいない。仮想「悪者」を叩いたことから湧いてくる災いは、巡り巡って自分に降りかかってくるのだ。
経済社会は、すべての歯車が複雑に噛み合っていて、遠くの歯車が壊れることで、すべての歯車が動かなくなるからだ。それこそが不況や恐慌なのだ。」

まさに同意見だ。バブル崩壊に至るプロセスでは、マスコミが徹底的にバブルつぶしをした。
久米宏はテレビ朝日でまあよくここまでいうものだ。とバブルつぶしをした。久米の後ろで同じようにコメントしていた左翼系某大新聞社の論説者も同様である。そもそも某大新聞社の人間にはまともなのがいない。それにのった大衆も大衆だ。野口悠紀雄という経済学者もバブル時の論調は異常だった。彼も今でこそ涼しい顔をしているけどバブルつぶし先鋒で日本経済つぶしの代表かもしれない。(彼のビジネスノウハウ本はおもしろいけど)
そういう出来事を短く端的な文章で小島氏は表現した。

そのあと環境問題にもメスが入る。
「環境にやさしいは必ずしも人の生活に優しいとは限らない」とする。
環境に優しいことをするとめぐり巡って、自分たちに不幸をもたらすかもしれない。

環境問題の異常な論じ方にはいつも嫌気がさしている。正直異様なコンプライアンスの順守と同じくらい嫌気がさしている。これを「欲望の二重一致がない」という論じかたで解いている。
読んでいてすっきりする。

でもこう続ける。
「前世紀の終わりごろから。。。。先進国の市民はこれ以上の経済的便益よりも、むしろ環境の改善を求めるように嗜好が変化した。。。。その結果多くの企業は、自社の生産が環境を配慮くしたものであることをアピールすることに関心を持ち始めた。。。。企業は「環境配慮企業イメージ」を打ち出すことになった。これまでの企業は。。。。環境を平気で犠牲にしてきたが、今度は同じ利潤動機から、環境配慮を目指すようになったのは、驚くべきことであり、前世紀の経済学者には想像もつかない展開であった。」

なるほど自分の会社も「環境配慮イメージ」を打ち出すのに必死である。ある意味会社のトップはこのように割り切って「環境配慮」と訴え続けるのである。やはりこのくらいの割り切りが必要なのであろう。頭の中には金儲けの事しかないのに、偽善的顔をしてれば、たっぷり儲けられると理解した経営者たちは、天皇崇拝から民主主義信仰に転向した戦後日本の支配者と同じかもしれない。

同様に不況脱出の景気政策も「環境配慮」に変わったと論じる。これまでの景気対策が環境破壊型の公共事業が中心であったのが、大きく転換したと著者は続ける。そして今後の検証の結果「環境配慮」型の経済政策が「環境破壊型」の公共事業と同じような効果があるのならば、既存の経済政策に逆転の発想をもたらす可能性があるとする。

環境への配慮が必ずしも生活に優しいと限らないと言っておきながら、環境配慮型の経済の動きは今後いい影響をもたらすととじるのは見事だ。

彼は宇沢弘文門下生のようだ。もともと数学科出身で数理的経済学の業績を作った後、公害問題で目指すモノを変えていく。その「宇沢ワールド」を語りながら、経済社会の理想を語る。
「GDPが内容を問わない単なる「数」にすぎず、必ずしも我々の幸せを表わしていない」と

ただ、なじめなかったのは都市設計者が「機能優先」で都市の設計をすることを著者が批判するくだりで、建築界の鬼才ル・コルビュジェを登場させる。
ここでジェイコブスの魅力的な都市の4条件を述べる。1.街路の幅が狭い2.古い建物と新しい建物の混在3.各区域が2つ以上の機能を持つ4.人口密度が高い。その都市設計の正反対としてル・コルビュジェを名指しで批判する。でも著者はル・コルビュジェの設計した建築作品をちゃんと見ているのであろうか?彼が設計した建築作品のほとんどが「機能優先」で設計した作品には私は思えない。むしろポストモダンのはしりでもあるわけだから。

村上春樹理論を数学でとらえるのはおもしろいし、確かに著者の言う通りと思う。だが、同じ村上春樹ファンである自分からするとあまりなじめなかった。ここはもう少し読み進めてもいいかなと思った。

いろいろ言ったが、再読に値する本だと思う。
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羊の歌  加藤周一

2011-01-17 21:48:13 | 
この前、加藤周一の話をした。
彼が生まれてから40歳過ぎまでの生き様を書いた「羊の歌」というのが岩波新書にある。
岩波新書でもナンバー96と2桁だ。

1919年の渋谷生まれだ。開業医の息子である。
小学5年で当時の東京府立一中へ飛び級、旧制一高、東大医学部のエリートコースを歩む。
それだけ聞くと何から何までうまく行っているように見える。でもそれを超越した何かを人生でつかんでいき成長する姿が描かれる。一種の私小説である。その中で様々な人物が出てくる。
祖父や父親といった親族、小学校の同級生、教員、身のまわりの世話をしてくれた人、旧制中学、高校の同級生、文学に目覚めた人たち、戦時体制についていこうとした人たち、反発していた人たち。医学の仲間、パリの在留邦人、さまざまな恋した女性などなど。その人たちの姿がスケッチをするがごとく描かれている。

父親の人物像がおもしろい。父親は埼玉熊谷の近郊の豪農の生まれで、跡取りは家督の兄に譲る次男坊
若き日より秀才で、東京帝大医学部を出たが、出世レースで不遇となり開業医になっている。
それも全然商売っ気のない開業医だ。目立たない看板を立てて、無愛想な診察をして、あえて薬を投与しないこともあるような変わり者の医者だ。隠者ということであろう。
はたまた母方の祖父の自由奔放振りが傑作だ。地方の素封家の息子で明治の時代に外遊で遊んでいるような希少価値の人だ。渋谷に多数の家作を持つ。その財産を食いつぶしてのんびり遊んで暮らしている。
妻のほかにも女がいるようだ。孫もたまにその女性と会うところに連れて行く。そんな祖父に父はあまり良い顔をしない。対照的な二人だが、祖父も父も徐々に落ちぶれていく。

また今から80年近く前の東京の渋谷周辺の様子が手に取るようにわかる。
渋谷の金王町で生まれ、育った町並みの様子。
縁日のテキヤの口上の響き
家の中で静かにしていれば聞こえるさまざまな音。
納豆売りの声や豆腐屋のラッパの音。シナそば屋の笛

少し前の東京では聞くことができた音だ
そういった物売りが近くに来る音などのさまざまな描写が素敵だ。

小学生時代の記述がある。
貧富の差が激しい時期、中学に行く人間とそうでない人間とが区別されてクラス替えになる話。
低学年のときに自分と同じくらい勉強ができた大工のせがれの家に遊びに行ったが、
兄弟の子守に追われて付き合ってくれず、家に帰って勉強できない彼を見て哀しく思った話。
彼は小学校で終えるクラスになったようだ。
縁日になり、道玄坂の氷屋にカキ氷を食べに入ったら、同じクラスの出来の悪い同級生がいた。
その同級生は学校の振る舞いとはまったく違う、身軽さで店に来るお客をさばいていた。
別人のような俊敏な友人を見たときの気持ちの表現などなど。。。大衆的な匂いもある
当時の金持ちの子は、普通の小学校に行くのではなく師範学校付属や私立などに行き、町民と違う
学問を受けていた。あえて父親がそうしなかった。その中で彼は「下野の世界」を知った。
でも、それ自体が加藤周一の奥行きの深さにつながっているように思える。
小学校5年でその世界を離れて府立一中にいく。
もちろんそのあとも面白い話が盛りだくさんだが、なんか彼もさみしげだ。

全般的にきれいな日本語を使った昔の都会の情景描写が美しい。
こんなにきれいな日本語ってあるのであろうかと思う。その美しい情景を願わくば、映像として観てみたいものである。しかも、文章がわかりやすい。だからといって軽くない。これってものすごく難しい。妙に難しい言葉をあえて使っていない。さすがである。

加藤周一は訳のわからない左翼政治理論家を否定していた。彼らからは、耳慣れぬ抽象的な言葉がたくさん出てくるだけで、どこへ続くのかわからない。「良く考えられたことは明瞭に表現される。」文章があいまいなのは、多くの場合に、単なる技術面ばかりでなく、言おうとすることを筆者がよく考えていなかったということ、あるいは文章の内容を、作者自身が十分に理解していなかったということを意味する。

そのいいお手本である。
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読書術と加藤周一1

2011-01-11 21:15:35 | 
正月明けて会社に出勤する時、いつもながらの通勤で何を読もうかと思った。

ふと考えて、小谷野敦の「バカのための読書術」を手に取った。何度か読んでいる本である。この人は確かに本を読んでいる。ちょっと変わったところはあるけれど、おもしろい。
小谷野敦の「読書術」をたまたま立ち読みしていたら、お勧めの本の一つに伊藤整の「氾濫」があった。映画評はこのブログでもコメントしている。佐分利信が主演であった。今現在、ほとんど絶版で売っていない本であるが、私の好きな本の一つである。軽いノリだが、こういうとき自分と波長があったと考えて、購入することにしている。
ちなみにその日家に帰って新聞を読んだら、芥川賞の候補に小谷野敦の名があった。偶然に驚いた。

そんな本を正月からパラパラ読んで今年読む本をピックアップしようと思った。
読んでいると、加藤周一の「読書術」の本のことを書いてあった。
いわゆる戦後知識人を嫌う小谷野敦加藤周一には一目置いている。

この本には思い入れがある。転居、転勤してもずっと書棚にある本がある。読書について書かれた本は
かなり読んだが、2冊だけ絶対にしまい込んだり処分したりしない本がある。加藤周一氏の「読書術」小泉信三先生の「読書論」である。2冊とも何度読んだかわからない。いずれも主要部分にマーカーがしてある。
基本的にはフセンをつけて読む方だ。その方がいざというときに処分できる。
でも本当に惚れ込んだ本は、きたなく使ってマーカーがしてある。その一つである。

高校2年にさかのぼる。
それまでは家の近所に住んでいたショートショートの星新一を読んだり、五木寛之の本を楽しんでいたりした。それでも人よりは本は読んでいる方だった。
席替えで自分の席の前に座った奴がいた。1年のときは別のクラスであった。長距離をやけに早く走って、校内マラソンでも上位に入る男だった。勉強も学年で10番以内の秀才であった。こっちは麻雀好きの柔道部員。もうこのころには主将となっていた。でもぐうたら高校生だった。
そんな彼が席を後ろに向いて話しかけてきた。「この問題ってわかる?」数学の積分の問題だった。2年の一学期が終了するころだったが、授業は積分まで進んでいた。容器から流れ出す水の量を計算する問題だったと鮮明に記憶している。しこしこやった。というよりも彼の方が自分よりも勉強ができる。そんな彼がこっちを試したのであろうか?こういうときは気合が入る。解けた。
でも彼はちゃんと答案をつくっていた。そんなの聞かなくてもいいのに。。。
その前の中間テストの世界史の点数が90点以上で自分が先生に名前を呼ばれた。まさに体育会系の自分がいい点数を取ったので驚かれた記憶がある。小学校のときから歴史が好きだったから、他は無理でもこれだけは頑張ろうと思ったのである。

そのことも彼が話しながら「今度家に遊びに行っていい。」といわれた。
品川の自宅はいつも雀荘のようになっていたぐうたら高校生のたまり場であった。
そこに彼が来た。
好きな音楽を聴きながら、本の話になった。自分の書棚を見せた。本は確かにいっぱいあるが、読んでいない本も多い。エロ本も山ほど。親父の書棚からかっぱらってきた本もある。その中に加藤周一の「読書術」があった。まさに親父の本だ。その本を彼はすでに読んでいた。
そしてこの本の通りに読書を進めていると言った。一年の夏休みに芥川竜之介を全部残らず読んだばかりでなく、そのあと夏目漱石も全部読んだと。。。。驚いた。
自分も加藤周一の「読書術」を読んでみようと思った。実にわかりやすくためになる本だった。スタートはそれが始まりである。その後30年以上たち100回以上この本読んだろう。
自分が年間200冊以上コンスタントに読むようになったのも彼とこの本のおかげである。

その後彼は元来の理系の才能を発揮して京大へ行った。受けた後東京に戻って絶対落ちたよと言っていた。発表すら見に行かなかったら、入学手続きの資料が大学から彼の家に届いた。当時京大は点数を公表していて、かなりの高得点だった。東大受けても楽に行けたであろう。もの好きで京大へ行った。
高校の最後には高木貞冶の「解析概論」を熟読理解していた。理系の天才系にはありがちのひらめきがあった。読書家の彼は歴史系が欠けていると思って僕に声をかけたのかもしれない。実は全然そんな力は持っていないのに。。。そのまま学者になるかとも思っていたが、大学で自殺未遂をした。これは驚いた。
校舎の階上から飛び降り、大変な大けがをした。これは自殺だったと思う。それでも病棟で「解析」の本を読んでいた。大学院に行き、そのあと民間の会社に行った。これが大間違いだったと思う。そうでなかったら、その後本当に自殺するなんてことなかったのにと。

今日そんなこと思い出した。加藤周一と高校の同級生が妙にダブった。
加藤周一の「羊の歌」読みたくなった。
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今年読んだ本

2010-12-31 22:06:02 | 
今年は150を超えたが目標の200冊読むことができなかった。
娘の受験があって、自分が教えるために問題集をやったりした。
それで時間を使ったかもしれない。

小説は何はともかく「1Q84」№3が印象に残る。
離れていた二人の接近のまとめ方にうまさを感じた。
読み切った後、村上春樹作品を読み返してみた。そこら辺の連載小説のような軽さはなく、どれもこれもじっくりと練られてつくられている。「カフカの海」「ねじまき鳥」は同じように練られていて小説を読んだという感じがほかの作家でしなくなっているのはちょっとまずいかも?

最近の経済情勢を反映して、論調がどれもこれも似たような気がした。
それでも読んだ甲斐があったのは

「成熟日本への進路」波頭亮
コンサルタントらしく、図表や数値を用いて日本の現在の状況を分析して、彼なりの日本の処方箋を書いていた。日本は成熟期に入ったと論じる。もうこれ以上今までの策をとっても経済成長はしないとしている。成長から分配策をと主張する。非常にわかりやすく現在の問題点がうきぼりになった。
「高福祉だから自由経済」という論理が、デンマークと日本の比較数値で的確に説明されていたのに感銘した。
「手厚い社会保障と固い雇用保護は、国民経済を不健全にさせる。」
公務員制度に対してもするどい論理を述べる。これまでの行政改革がことごとく官僚制度の強い抵抗にあって失敗したことも論じる。

「競争と公平感」大竹文雄
日本人の競争嫌いを論じた後、市場経済に対する拒否反応が強い日本の現状に疑問を呈する。
「日本の学習指導要綱では市場競争のメリットを教えるように書かれていない。」
「日本人は選択や努力以外の才能、学力、運などの理由で所得格差が発生することを嫌うため、そのような理由で格差が発生したと感じると、実際のデータ以上に格差感を感じる。」
格差社会言及に対する疑問である。
その他相対的貧困率が上昇の理由、正社員と非正規社員の問題、増えた祝日の功罪、最低賃金引き上げが労働市場に与える影響など。。。。
書き出すとつきない。わかりやすく面白い。

「分かち合いの経済学」神野直彦
これも最近特有の論調だ。労働市場についての矛盾を論じる。
意見が一緒という訳ではないが、興味深かった。
「歴史の曲がり角では、進む目的を間違えないように、車を止めてでも地図で目的地と現在地を確認する必要がある。」

無頼派の宗教学者植島啓司「生きるチカラ」が一番面白かった。
彼の本は必ず買って読んでいる。ばくち打ち的な発想が根底に流れている。
本音で語っていてくれるのがいつもうれしい。
「あらゆる選択には誤りが含まれており、成功か失敗かは簡単には判断付かない」
「予想外の収入は往々にしていい結果をもたらさない」
「1つのプラスでその人を好きになる」

スタンフォード大学のティナ教授が書いた「20歳のときに知っておきたかったこと」
日本の閉塞感のある論調とちがい、自由に論じている。
「手元に5$ある。2時間でできるだけ増やすといわれたらどうする?」
「ニーズを掘り起こすのに必要なのは、世の中のギャップを見つけ埋めること」
「1939年のサーカスとシルクドソレイユの違い。」
「問題解決に必要なのは、鋭い観察力、しっかりとしたチームワーク、計画を計画で終わらせない実行力、失敗から学ぼうとする前向きな心、独創的な解決策、必ず解決できるという気概である。」
「並はずれた業績を達成した人の最大の味方は、他の人の怠慢である。」
「外に出て多くの物事に挑戦する人の方が、電話がかかってくるのをじっと待っている人よりも成功する確率は高い」
「他人から学ぶことで失敗の確率は下げられる」
「努力すればするほど運はついてくる。」
「最高のチームプレイヤーは他人を成功させることに労を惜しまない」
などなど。。。書ききれない。実に感心した本だ

伊丹敬之「場の論理とマネジメント」には実際の仕事に生かしてみようとしたいことがたくさんあった。

最後は子供の受験準備にかかわり何気なく知った本だ。

有賀悠(ゆう)さんの勉強本
伝説の勉強本で、現在絶版である。でもこんなに凄味のある本があったとは驚いた。
今でも彼の発想をほとんどまねして書かれている勉強本はある。
本から伝わる迫力がぜんぜん違う。
東大薬学部を卒業する時点で、大学院試験と薬剤師国家試験、上級国家公務員試験と東大理Ⅲの大学入試4つに受かったという恐るべき実績を持つという。これってすごいなあ。
その昔こんなこと知っていたらとついつい思ってしまう。
「記憶ノート」「再生記憶と再認識記憶」の話には感嘆した。
「使える記憶だけが得点になる」
「まず5回読むこと。新しいことが行動パターンとして頭に定着し、習慣になるには100時間への脳への刷り込みが必要といわれている。習慣化するまで繰り返すこと。。。。。。」
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伊藤和夫の英語

2010-11-28 16:15:41 | 
駿台文庫の英語大意要約問題を通勤電車の中でやっている。
英文が30文のっている。東大の入試問題を中心とした要約問題に加えて、
駿台予備校の東大模試で伊藤先生が出題した要約問題が掲載されている。

でもこの本よくできていると思う。
この本を買ったのは日本語の要約のヒントになるかと思ったからだ。
30の文を読む練習だけでなく、大意要約が実際できるのか挑戦である。
単語は知らない単語がそれぞれ5~10程度ある。
それがなければ読めない文章もあるが、なんとかこんなこといっているんじゃないかと推測を立てる。
訳語と自分の読みとは大きな隔たりがあるが、こんなこと言っているんだろうとわからなければ意味がない。

伊藤和夫先生流の英文解釈の解説を読んでいると懐かしい。
大昔授業を受けた。昔風のインテリ丸メガネいわゆるロイド眼鏡をかけて、お腹をぐいっと出して黒板に向かう。決してうまいとは言えない発音である。この発音ならもしかしたら勝てるなと思わせる発音である。発音記号は英語の教師だけに間違ってはいないとは思うがネイティブとはおよそかけ離れていた。

その伊藤先生が英文の構造を説明する。
そして英文を鮮やかな訳語に転換する。この訳語の選択は老練だ。まろやかだ。
国語力と教養がないとこのようには訳せない。それをみているのは気分のいいものだった。
あれから30年以上の月日がたっても、伊藤先生の国語力には百歩及ばない。
当時伊藤和夫先生の著書は「英文法頻出問題演習」と「英文700選」だけだったと思う。
「英文解釈教室」は大学に入った後だった気がする。

最近英語を読むときは、主語、述語に印をつけるようにしている。
そうせずに読めればいいのだが、そこまでの実力はない。
TOEICに首を突っ込んでもいいが、それよりも文章が読めればいいのかと思っている。
最近つくずく日本語の力がないと思う。村上春樹が翻訳で自分の文章力が上達したような話をしている。自分もトライしてみるか。

娘の北辰テストの問題から一気に東大入試問題に飛躍するのもどうかと思うが、これはこれでやり終えよう。

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