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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「戦争と女の顔」

2022-07-21 05:33:50 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「戦争と女の顔」を映画館で観てきました。


映画「戦争と女の顔」第二次世界大戦の戦場に駆り出されたソ連女性兵士の戦後のトラウマに焦点をあてたロシア映画である。反体制派のロシア人若手監督がつくっている。戦闘シーンは一切ない。レズビアン映画の色彩もあるが、2人の愛を強調するわけでない。戦争によって受けた心と身体の傷がこの映画の焦点である。その傷の中で2人が起こす行動は常軌を逸している

1945年、終戦直後のレニングラード。第二次世界大戦の独ソ戦により、街は荒廃し、市民は心身ともにボロボロになっていた。多くの傷病軍人が収容された病院で働く看護師のイーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は、PTSDを抱えながら働き、パーシュカという子供を育てていた。


そこに子供の本当の母であり、戦友のマーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)が戦地から帰還する。後遺症や戦傷を抱えながらも、二人の若き女性イーヤとマーシャは、廃墟の中で自分たちの生活を再建しようとする。(作品情報一部引用)


わかりづらい映画であった。
観ている途中で誰かのいびきの音が鳴り響いたり、途中退席する人もいる。
映画としての質が高いのはよくわかる。主演の若い2人の女性の演技はかなり高いレベルだ。しかも、2人ともきっちり脱ぎ、美しい裸体を見せてくれる。精神不安定の中での性行為にも頑張って挑戦している。レニングラードの風景描写やその時代を反映するインテリアその他の美術も優れている。美しいと思う映像コンテも数多い。


それにも関わらず、説明が省略されすぎで、意味が読み取りにくい。自分の理解度に難があるかもしれないが、アタマがなじまない。映画情報その他を改めて読んで「これってそういうことなのか?」とわかるわけで観ている途中はよくわからない。先日観た「ボイリングポイント」は映画館の観客が固唾を呑んで映画に集中しているのがわかったのと対照的で序盤から中盤にかけては眠気に襲われる人は多そうだ。

上記作品情報にはないが、2人の女性の関係に入り込む1人の若い男性がいる。ひょんなきっかけでマーシャに近づく。ストーリーでは重要な部分をつくり出す。その三角関係の延長に、若い男性の両親が絡んできて、一気に緊迫した場面が生まれる。それまでの説明省略基調から一転する。後半30分は、すごいセリフの連発に圧倒されてしまう。途中退席する人ももう少し我慢すれば良かったのにと思った。
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映画「ルッツ 海に生きる」

2022-07-08 19:47:56 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ルッツ 海に生きる」を映画館で観てきました。


映画「ルッツ」は地中海の島国マルタでつくられた人間ドラマである。もちろんマルタには行ったことはない。シチリア島よりも南で、地中海を隔てたアフリカ側ではチュニジアに向かう位置にある。若き日に自宅でマルチーズを飼っていて、マルタ島が犬のルーツと聞いていた。そんな思いが脳裏にあり、映画館に向かう。マルタ出身のアメリカ人監督アレックス・カミレーリがメガホンをとる。

マルタ島の伝統漁船ルッツで海に出る漁師の青年ジェスマーク(ジェスマーク・スクルーナ)は、妻デニスと男の赤ちゃんと暮らしている。病院で息子の発育不良を指摘され、治療費が高額であることがわかる。その上、船に水漏れが見つかり、修理をするのにお金がかかる。獲った魚が市場で高く売れず金銭的余裕がないことで、大胆なことを思いつく話である。


古典的な題材でストーリーも単純であるが、マルタの海をバックに現役の漁師がドキュメンタリーのように演じる人情話に興味をひく。「コーダあいのうた」のように海で働く人の話って、大画面で船を走らせるシーンを見ているだけで躍動感を感じる。今回の上映館では画面の大きさが普通なのでそこまでの刺激はなかった。

題材には既視感があるが、途中で展開が予想と違ってくる。国民性の違いのようなものを感じる。

⒈窮地に追い込まれる
赤ちゃんが発育不良で、船の水漏れがあってとなれば、金が入り用だ。治療費の精算をするのもきびしい状態。不漁続きで思うように収入が得られていない。それなのに妻が実家に金を出してもらうことが気にくわない。メカジキが釣れて、これは金になると喜んでも、問い合わせた相棒は禁漁時期だからと海に投げろと言いガッカリだ。

しかも、市場でセリをしている仲介人は自分たちの魚を高く売ってくれない。料理店に売りに回るがダメ。妻が働いているレストランまで顔を出して、妻がいやな思いをする。悪いことが続くのだ。


主人公を奈落の底に落とすストーリー展開は既視感がある。でも、これを実際の漁師が演じているのが凄い。船に乗っての網さばきや魚の扱いを素人がやろうと思ってもうまくはいかないだろう。


⒉勧善懲悪についての考え方(軽いネタバレあり)
良いことが続かないジェスマークが、市場で禁漁のはずのメカジキが裏取引されているのを見てしまう。料理店が品薄の魚を高く買ってくれるのだ。取引には自分たちに意地悪している市場の仲介人が絡んでいる。ジェスマークは、わらをもつかむ思いで近づいていき、やがて裏取引に絡んでいくのだ。

ここからが、日本映画とちがう。勧善懲悪のエンドを望む日本人は、この漁師の悪さがバレて窮地に落とし込むストーリーを普通考えるであろう。実際コンプライアンスについて、日本は異常なくらいの社会である。そういった主人公をおとしめる話の展開がないのだ。禁漁時期のメカジキを獲るなというお達しがあっても、官憲に裏金がうごけば何とかなる。


地中海に浮かぶマルタ島は人口50万人の小さな国だ。しかも、淡路島の半分程度の領土だ。映画を観ると、最新の車が道路を埋め尽くしている現代的な部分もある。そんな中で、前近代的な体質が変わらないことが示したかったのか?わからない。
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映画「国境の夜想曲」

2022-02-13 17:12:30 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「国境の夜想曲」を映画館で観てきました。


「国境の夜想曲」はイタリアとアメリカの国籍を持つ映画監督ジャンフランコ・ロージによるドキュメンタリー映画である。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「海は燃えている」を見た記録が残っているが、感想は書いていない。インテリ系評論家の評価がよく、濱口竜介監督との対談の記事もあり、とりあえず映画館に行ってみる。


ジャンフランコ・ロージ監督イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境エリアに滞在して、3年がかりで作った作品である。もちろん娯楽性はあまりなく、紛争で揺れ動きこれまでの生活を破壊された現地を徘徊する中で出会った人たちの姿を映し出す。

戦争で失った息子を想い哀悼歌を歌う母親たち、ISIS(イスラム国)の侵略により癒えることのない痛みを抱えた子供たち、政治風刺劇を演じる精神病院の患者たち、シリアに連れ去られた娘からの音声メッセージの声を何度も聞き続ける母親、夜も明けぬうちから家族の生活のため、草原に猟師をガイドする少年。


監督自らカメラを持ち、触れ合った人たちを映像にしていく。美的感覚にすぐれた監督だけに、広大な平原や海をバックに油田の炎が映る映像ショットなどは飛び切り美しい。夜半に水辺に浮かぶ舟の向こうで、遠くに銃声が聞こえながら戦火の赤い光が見えるシーンも映像の美的センスにすぐれている。空がこんなに広かったのかとうなる場面が多い。


ただ、美しい風景描写を見せる映画ではない。しかも、この上なく暗い悲惨な生活を戦闘シーンなしで描く映画だ。観るのに疲れて途中で退席する観客も目立った。正直、インテリ筋の評価ほど傑作という感じはしない。観に行こうとする人には覚悟がいるだろう。

⒈ISISの悲惨さ
印象に残ったのは、幼稚園から小学校低学年と思しき少年が、子どもたちがクレヨンで描いた絵を見せながらISISの行為の悲惨さをしゃべって伝えるシーンだ。子どもたちの集落はISISの襲撃を受けている。連中は頭を切り落としたりするらしい。われわれがTVニュースで聞くイスラム過激派の酷さを子どもたちが見ているのだ。本当に怖かったんだろう。昨年末観た「モスル あるSWAT部隊の戦い」の映画でもISISとのゲリラ交戦を描いていた。アラブの人たちから見ても敵なのだ。


⒉学校も行けず一家の生計を立てる14 歳の少年
14 歳の少年が一家の家計を成り立たせるために、働く話で、猟師のガイドを日雇いでしている。いつも客がいるわけではない。普通だったら学校に就学する年齢だけど、そんな余裕はない。レバノンの映画で「存在のない子供たち」という映画があった。同じような年齢で、妹は金目当てで嫁に行かされるし、自身にはIDカードはなく何もできず八方塞がりで自分を産んだ親を訴える。この少年は街のスラム街で育ち口八丁手八丁でウソばかりついていた。この映画の少年は田舎の子でそんな度量はない。


朝が来ない日はないと宣伝に書いているが、とても来るようにも見えない。かなしい。

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映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」 マッツミケルセン

2022-01-31 19:43:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」を映画館で観てきました。


映画「ライダーズオブジャスティス」はデンマークの人気俳優マッツ・ミケルセン主演の新作である。前作アナザーラウンドでは酒好きのデンマークならではの楽しい映画だった。「真夜中のゆりかご」や「未来の子どもたちへなどこのブログでも取り上げたいい作品を提供している脚本家アナス・トマス・イェンセンがメガホンを持つ。このコンビなら間違いないと映画館に向かう。

地下鉄構内の爆破事件で妻を亡くした軍人の夫が、事故は犯罪組織の仕業だと断定する被害者の数学者たちと一緒になって犯罪組織に復讐をするという話だ。

ちょっと期待はずれかな。自分には肌に合わない。
これまでマッツミケルセンの映画にハズレはなかったが、今回は話自体が意味不明で、奇人変人を数多く登場させてコメディっぽくしようとしているが、そうなりきれない。


そのまま作品情報を引用

妻が列車事故で亡くなったという報せを受け、軍人のマークス(マッツミケルセン)はアフガニスタンでの任務を離れ娘(アンドレア・ハイク・ガデベルグ)の下へ帰国する。悲しみに暮れる娘を前に無力感にさいなまれるマークスだったが、彼の下を二人の男が訪ねてくる。

その中の一人、妻と同じ列車に乗っていたという数学者のオットー(ニコライ・リー・コース)は、事故は“ライダーズ・オブ・ジャスティス”と言う犯罪組織が、殺人事件の重要な証人を暗殺するために周到に計画された事件だとマークスに告げる。怒りに打ち震えるマークスは妻の無念を晴らすため、オットーらの協力を得て復讐に身を投じてゆくが事態は思わぬ方向に…。(作品情報引用)

⒈マッツミケルセン
007シリーズの悪役を経て人気俳優になる。デンマーク映画といえばマッツ・ミケルセンとすぐさま思い浮かぶような存在だ。名作偽りなき者では幼児の嘘に翻弄されて周囲からいじめられる役を演じた。もともと人相が柔和とは言えない。ワイルドな方だ。


今回は頭を剃って強面になる。鍛えられた軍人で格闘能力が圧倒的に高い役柄だ。デンマークでの軍人はこんなイメージなのかもしれない。銃も扱いファイターとしては完璧であるが、娘の彼氏を殴って呆れられる。いつもほどの存在感はない。

⒉理系の奇人変人
マッツ・ミケルセン演じる軍人と組むのが数学者という映画の宣伝文句に頭脳が鋭い男が出てくるのかと思ったら、むしろ間抜けな奴だ。引っ張った仲間には顔認証正答率90%以上の男などもいるが大デブで頼りない。いずれも奇人変人だ。都度奇想天外な動きをする。ミケルセンの家の納屋にでかいCPUを置いて分析もする。デコボココンビだ。


映画の前評判は何だったのだろうか?人気のあるコメディアンが、少しオチの弱いネタの言葉を発しても周囲が大受けということをよく見かける。おそらく、理系の奇人変人たちはデンマークでは人気俳優なんだろう。われわれに見せるパフォーマンスの数々は、自分が見てもおかしくも何ともないが、デンマーク人には大受けかも?デンマークで人気が高い映画だというのはそういうことなのかもしれない。

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映画「コレクティブ 国家の嘘」

2021-10-19 06:11:18 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「コレクティブ 国家の嘘」を映画館で観てきました。


「コレクティブ 国家の嘘」はルーマニアのドキュメンタリー映画である。ルーマニアは元社会主義国だけに、官民の癒着と腐敗はひどい。それに加えて医療の倫理がまったくない。それを顕著に表して、東欧には絶対行きたくないと強く思わせる映画である。

ライブ会場で火事が起き、火傷で多数の死者を出す。その後病院の衛生状態の悪さから、多くの死なせてはいけない追加の被害者をだす。病院はその治療に対して真摯に取り組まない。しかも、消毒液を手抜きする。こんなことありえる国って最低だ。まあ、ルーマニアの後進国ぶりには呆れる。

2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ“コレクティブ”でライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。

事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。


記者たちは真相を暴こうと進み続ける。一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる保健省大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが…。(作品情報より)

⒈消毒剤を10倍に薄めるって正気?
ライブ会場でのロックバンドが演奏する映像が残されている。興奮が頂点に達して会場内に花火が舞うわけだ。でも、そのあと建物の一部で火災が発生する。バンドのリードボーカルが火事は演出じゃないよと言っている間に火は広がる。停電してたちまち会場内が狂乱の渦となりカメラの映像も途絶える。大惨事となってしまう。

その後、カメラはジャーナリストの姿を映し出す。入院患者が次々に亡くなっていくのがおかしいと調べると、医療の不備があらわになる。消毒液を10倍に薄めているのを国家の保健大臣が当初認めない。正当な医療だと主張する。でも、調査が進み、真実がわかってくる。しかも裏もありそうだ。こりゃ酷い。入院患者をもともと生かせるつもりなんかないんじゃないの。薬品会社と病院とグルになっているみたい。ありえない。


⒉ルーマニアに比べれば日本はまとも
日本の「リベラルという名で金儲けをしている人たち」の談話が数多く作品情報にある。これは日本と同じだと。こういう人たちの偽くさいセリフに騙されてはいけない。いくら何でもこんなに酷い医療行政は日本には存在しない。いかにも社会主義国だったルーマニアだからでこうなるのだ。

火傷で入院した患者の火傷でただれた部分にウジ虫が群がるリアル映像が映る。見るのに耐えられない。これって病院内でしょう。野戦病院じゃないよ、清潔な病院に何でこんな虫が湧くの?!酷いや。何より看護師の皆さんが嫌でしょ。こんなに不潔なの。衛生的でない超薄めた消毒剤を出すのは患者を殺すつもり?倫理感どうなっているの?こんなことする医療関係者はいくら何でも日本にはいない。

⒊後任の保健大臣
観る前はジャーナリストの告発中心の映画かと思ったけど、そうではない。それだけにおもしろい場面が後半続く。事件当初の保健大臣は、レベルの高い医療処置だと病院をかばった。でも、真実が暴かれ辞任した。そのあとで、後任大臣が登場する。途中から後任大臣の日常をカメラが舐めるように追っていくのだ。就任してしばらくして選挙がある。それに対する反対派への対応を含めて追っていくのだ。この辺りでおもしろくなってくる。


保健大臣の対応に不満を持っている人も多い。肺移植を国内の病院で実施するのを大臣が容認しない。術後の医療体制が整っていないからだ。それに対して、ルーマニアの首都ブカレストの市長が猛反発、選挙では逆の立場のようだ。普通は単なる政治家を映し出しても、国家の中枢である大臣の日常をここまでドキュメンタリーでは映さない。政党間の対立も浮き彫りになるのだ。

いずれにせよ、共産主義主導になるとこういう風になるという悪い見本だ。今の日本人は共産主義者に誘導されないように気を付けたい。
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映画「THE MOLE ザ・モール」

2021-10-16 17:41:56 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )


ノンフィクションドキュメンタリー映画「ザ・モール」を映画館で観てきました。


これって本当にノンフィクションなの?と思わせる凄いドキュメンタリー映画である。国連制裁で貿易ルートを閉ざされている北朝鮮が自国で生産された武器を表立たないで諸外国で売ろうとする取引の一部始終をカメラで捉えるというわけだ。

北朝鮮に関心を持ちデンマークの北朝鮮友好協会に入会した元料理人のデンマーク人が、北朝鮮親善協会のボスとされるうさんくさいスペイン人に近づき信頼される。平壌郊外の汚い建物の中で北朝鮮の武器取引の幹部と密会し、ウガンダの離島で武器工場をつくる計画に関わったり、ヨルダンの密輸商と取引の話をしてシリアへの輸出の依頼をされたりする。

出来すぎたフィクションにも見える映像だ。BBCが関わっているので、信憑性は高い。10年にもわたる数多くの映像をまとめる構成力に優れる映画である。デンマークのマッツ・ブリュガー監督の力量を感じる。とはいえ、二度三度見ないと内容の真意は捉えられないかもしれない。

詳細を語るのも一度見たきりでは難しいので作品情報を引用する。

すべての始まりは、ブリュガー監督のもとに届いた一通のメールだった。その送り主であるコペンハーゲン郊外在住の元料理人ウルリク・ラーセンは、謎に満ちた独裁国家、北朝鮮の真実を暴くためのドキュメンタリーを作ってほしいという。ブリュガーは返答を濁したが、自らの意思でコペンハーゲンの北朝鮮友好協会に潜入したウルリクはたちまち信頼を得て、協会内でスピード出世を果たしていった。そして北朝鮮のピョンヤンでKFA(朝鮮親善協会)会長のアレハンドロという怪しげなスペイン人と出会い、違法の投資ビジネスに深く関わっていくことに。


ウルリクから報告を受けたブリュガーは、元フランス軍外人部隊の“ジム”という男に偽の石油王ミスター・ジェームズを演じさせ、陰ながらウルリクの潜入調査を指揮していく。やがて世界各国でアレハンドロ、北朝鮮の要人や武器商人らとの商談を重ねたウルリクとジェームズは、その巨大な闇取引の全貌を隠しカメラに収めていくのだった……。

⒈正規ルートの貿易から阻害された北朝鮮
何気なくTVを見ていたら、北朝鮮軍部が独裁者金正恩の前で武器のデモンストレーションをしている映像が出た。日本を脅威に陥れるミサイルを作っているだけでなく、工場でシコシコ兵器をつくっている。イスラム国にも渡ったこともあるようだ。麻薬だったり、武器だったり裏社会が取り扱う取引品目が多い。それが数少ない外貨獲得の手段だ。


気候の異変に弱く、国内は飢餓状態のエリアも多いと言われる。コロナで東京オリンピック出場辞退したけど、本当は貧困がひどくて来日できないのかもしれない。外国から来た人は平壌から外へは出ない。隠されたベールに包まれる世界だ。そんな郊外のスラム街の地下で取引をする。成立すると、可憐で美しい北朝鮮の女の子から歌や踊りで接待を受ける。「喜び組」的エロい微妙な世界もあるのであろうか?

この映画では、ウガンダの映像も映し出される。離島の子どもたちが大歓迎で迎えるが、最終的には住民は立ち退かされる。離島をレジャー施設の名目で開発して武器工場を隠密に作る計画だ。誰でも作れるというわけでなく武器工場づくりもノウハウがあり、専門の設計士が設計する。

北朝鮮のスウェーデン大使館員から取引の重要書類を受領する映像も映る。国家をあげての違法取引だ。国連制裁があるので、取引も石油などの別の物品を媒介して迂回するルートになるようだ。

でも、ビジネスのスケール感もそれなりにあるので、こんなこと偽のビジネスマンが長期間バレずにできるのかな?北朝鮮の当局は信頼できる取引者として綿密に調査していなかったのかな?という疑問も残ってしまう。

⒉佐藤優の本での北朝鮮の話
最近出版された佐藤優「危ない読書」という本は、内容がマンネリ化している佐藤優の本の中では、飛び切り面白かった。北朝鮮をうまく取り込めば、日本経済にとって利点が多いという話である。投資家ジムロジャースも北朝鮮の将来について希望的観測を語っているが、佐藤優の著述は妙に説得力がある。


日本の民間企業からすると日朝国交正常化は魅力的である。圧倒的に低コストのアウトソース先となり得るからだ。生きることに必死な北朝鮮の人たちにすれば日本語を学ぶことなどたわいもない話であるし,プログラマーやシステムエンジニアもおり,洋服工場などもある。時差もないので例えば日本の出版社がDTP作業を北朝鮮に発注するようなことも可能だろう。労働者一人当たり日給は200円位か。健康保険年金労災なしで31日労働も可能だ。高官の取り分として月4000円位プラスと想定すれば一人当たり月10,000円で労働力を確保できる。p63
片や韓国は世論の反日感情が強い故に,下手をすれば日本よりも最低賃金が高いためにアウトソース先には不適切だ。もし北朝鮮と韓国が統一されたらその道はなくなる。今後,日本と韓国の関係がさらに冷え込むと,逆に日本と北朝鮮の関係が近づく可能性は十分ある。p63





拉致問題で日朝両国は接点が見出せない。両国で意固地になっている人が多すぎる。ちょっとした発言でも議員の首が飛ぶ。ただ、北朝鮮と国交がある国は英仏をはじめ世界を見回すと少なくない。いったん味方にすれば日本にとってはとてつもないメリットがあるという論点を朝鮮人嫌いの日本人はなかなか気づかないけど重要だ。インチキ経済を抜け出せるかどうかは隣国日本にかかっている。



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映画「アナザー・ラウンド」 マッツミケルセン

2021-09-05 07:47:39 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「アナザー・ラウンド」を映画館で観てきました。

「アナザーラウンド」は2021年第93回アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞したデンマーク映画である。過去のアカデミー賞でデンマーク映画は、1987年にグルメ映画の傑作パベットの晩餐会や翌年の「ペレ」、2011年にも未来を生きる君たちへという受賞作がある。今年もわたしの叔父さんという愛情溢れた作品があり、デンマーク映画は気になる存在だ。


しかも、扱っている題材がアルコールと聞き、禁酒続きの自分もこれは観てみようと早速映画館に向かう。主演はデンマークが生んだ国際派俳優のマッツ・ミケルセン、トマス・ヴィンターベア監督との最強コンビというのも気になる。デンマークの原題は「druk」でなんかやばそう。英題の「アナザーラウンド」町山智浩によると、「もう一杯」という意味だそうだ。

セリフは簡潔である。決して多くはない。悲劇的な場面もそれと匂わせる状況事実を映し出し、説明に頼らない。描写でストーリーを示す高等技術で映画としての質は高い。笑いも常に誘う。でも、巷で絶賛されているほどまでは良いとは自分には思えなかった。

デンマーク、高校の歴史教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)は、生徒と保護者たちから授業の進行が支離滅裂で重要科目なのに困ると抗議を受ける。スランプ気味だったのだ。仕事を惰性でやり過ごしていて、妻アニカ(マリア・ボネヴィー)や2人の息子との家庭内の状況も良くなかった。


落ち込むマーティンは、高校の教員仲間に励まされる。そこでノルウェーの哲学者の「血中アルコール濃度を常に0.05%に保つと仕事も私生活もうまくいく」という仮説を知り、4人で実証してみようとするのだ。トイレで一杯引っかけて、授業のやり方をかえると、生徒にも歓迎されて、冷え切った家庭にも変化の兆しが出た。


そんな時、同僚との寄り合いで仲間の3人から血中濃度を上げるくらいもっと飲んでみようと誘われる。自分はやらないよと、その場を立ち去ろうとしたマーティンは一杯だけ試しに飲み始めたら、止まらなくなるのであるが。。。

⒈マッツ・ミケルセン
マッツ・ミケルセンは国際派俳優と持ち上げたが、二枚目俳優ではない。人相は決して良いとはいえない。007シリーズの「カジノロワイアル」での悪役ぶりで全世界に強い印象を残した。顔をみてあいつかと思う人は多いだろう。マッツ・ミケルセンとトマス・ヴィンターベア監督のコンビの前作「偽りなき者は幼児の偽証言に翻弄される大人を描いた物語で目をふさぎたくなるようなきつい映画だった。ちょっとやるせない話だ。


飲むつもりはないのに、一杯飲んだだけで止まらないというのは自分と同じ。そういう男の「悲しい性(サガ)」を巧みに演じている。ここでは、主人公だけにスポット当てられるというよりも同僚の3人も同じように酒に狂っていく。みんな仲がやけにいい。高校の教師同士って科目を超えてこんなに仲良かったかなあ。

⒉酒に寛容なデンマーク社会
映画ポスターの写真でマッツミケルセンが豪快に飲んでいる後ろに写るのは、卒業した生徒たちである。それも高校のフェアウエル路上パーティだ。初めて知ったんだけど、デンマークでは飲酒は何歳からでもOKだそうだ。ただし、購入できるアルコールが16.5%未満が16歳以上、16.5%以上が18歳以上という制限があるだけのようだ。これもすごいね。

実は、東京オリンピックで世界最強のデンマークハンドボールチームの試合をずっと追いかけていた。信じられないくらい上手い。でも、決勝でフランスに負けた。大番狂わせで驚いた。選手村でヤケ酒飲んだんだろうなあ。


日本は逆にキツくなる一方で、高校生の飲酒に対してかなり強く制限しているだけでなく、20歳前の大学生も飲めない。確かに、以前から20未満禁だけど、もっと世の中も寛容だった。選挙権年齢は下げても、飲酒可能時期は下げない。個人的にはどうかと思う。

確かに、大学のOB会に行った時、晴れて母校の教授になった4期後輩が部長になり、20歳以下の現役部員に飲まさないでくださいと挨拶の際に自分の名前を出していた。そう、自分が社会人1年目の時、新入生の歓迎会に行って現教授にしこたま飲ませまくったのが今でも印象に残るようだ。高校の時もフェアウェル宴会を卒業式の日にやって、男女仲良くしこたま飲んだなあ。担任も知っている。ネットSNS社会イコール恐ろしい監視社会だけに今の若者は告げ口気にしてかわいそう。

⒊アルコール濃度0.05%ではおさまらない
「血中アルコール濃度を常に0.05%に保つと仕事も私生活もうまくいく」これはわかる気がする。昭和50年代に阪急で活躍した今井雄太郎投手は、浮上できなかった時にコーチにビールを一杯飲んでから行けと言われ好投した。それをきっかけに20勝投手になり、完全試合も達成した。こんな話ってビジネスの世界ではいくらでも転がっているかもしれない。


ただ、一杯飲んで良い授業ができるようになったなんて話はさすがにないだろう。常に一杯だけで済ませられれば良いが、なかなかそうはいかない。自分もそうだ。植木等先生の「スーダラ節」でも「ちょっと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒」という歌詞がある。これこそ「アナザーラウンド」だよね。ここではかなりのエスカレートである。ドツボに落とされる。

⒋禁酒法日本
7月中旬から酒を飲んでいない。もともと家では正月や家族の誕生日などのイベント事以外は飲まない。飲まなければそれでも大丈夫。逆に飲むときはハシゴ酒。たまに、高級酒や高価なグラスをもらうことがあるが、困ってしまう。先日、市販で2万くらいするワインをもらった。しばらくとっておこうとしたら、飾っても仕方ないと家人が言い家のイベント事で飲みきった。γ-gtp は30を切ったままで肝機能はAだ。長期的悪化傾向だった肝臓機能も信じられない改善だ。


でも、これってやっぱりまずいよね。コロナでいつも通っていた店がかなり潰れた。今のデンマーク飲酒事情どうなっているんだろう。
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映画「モロッコ、彼女たちの朝」 ルブナ・アザバル&ニスリン・エラディ

2021-08-14 20:15:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「モロッコ、彼女たちの朝」を映画館で観てきました。


「モロッコ、彼女たちの朝」は日本で初めて劇場公開されるモロッコ映画である。北アフリカに属するモロッコにはエキゾチックなイメージを持っていた。歴史的にはイスラムの欧州侵攻と国土を取り戻そうとするレコンキスタに大きく関わりを持つ。残念ながら足を踏み込んだことはない。不朽の名作「カサブランカ」を連想しつつ、今の街並みが望めるかとモロッコ映画が見てみたくなった。

モロッコでは未婚の母がタブーである。求職しながら、寝る場所を探す妊婦をパン屋を営む母子家庭の母親が助けて、一緒に暮らすようになり、やがて来る出産の日を待つという話である。登場人物は少ない。未婚の妊婦サミアとモロッコ式パン屋を営むアブラとワルダの3人にアブラに求愛する1人の男くらいである。大半がアブラの家での室内劇で、カサブランカの下町の片鱗はほんの一部しか見れない。それだけが残念だ。


自分は男性なので、出産に向かう女性心理はわからない。余計なセリフは少ない。それでも、沈黙の中から様子はわかる。マリヤム・トゥザニ監督は長編初めてだというが、夫が映画監督というだけあって3人を追うカメラ目線は的確で映像としてのレベルは高い。

出産間近で大きなお腹を抱えているサミア(ニスリン・エラディ)がカサブランカの下町をさまよっている。一軒一軒訪ねて歩き、どんな仕事でもいいから働かせてくれというが相手にされない。モロッコでは未婚の母はタブーである。サミアが訪問して断られた中で、一軒のパン屋があった。店主であるアブラ(ルブナ・アザバル)は夜寝床につこうとした時に、昼間働かせてくれと言ってきたその妊婦が路上で横たわっているのに気づく。しばし考えて、サミアを家に招き入れた。


アブラは夫を亡くし、小学生の娘ワルダがいる。明るい表情は見せず、淡々と働いている。パン屋の仕事を手伝ってもらう気はなかったが、気を利かせてサミアが細長いルジザというパンを作ってくれた。おいしいので気がつくと売り切れてしまう。

娘のワルダは妙にサミアになつくが、アブラは気に入らない。サミアは家をいったん追い出される。しかし、出ていった後でアブラは後悔の念に駆られて街に探しに行き、連れ戻す。結局、出産をアブラの家で迎えることになるのであるが。。。

⒈モロッコとイスラム
ジブラルタル海峡を隔てて、北アフリカとスペイン、ポルトガルに最も接近する場所にモロッコは位置しているので、世界史的には最重要地点だと自分は思っている。イスラムが711年西ゴート王国を攻め落とした後から1492年レコンキスタが成立するまで長期にわたって、イベリア半島をイスラムが支配していた歴史というのは今も色んなところに痕跡を残す。

モロッコは今もイスラム教が国教である。この映画でも、ほとんどの女性はヴェールをしている。周知の通りイスラム教は女性蔑視の宗教であり、この映画でも言葉少なに男女差別への抗議が語られる。


カサブランカの下町が映し出される。曲がりくねった細い道の両側には真っ白な外壁の建物が建っている。北アフリカ独特の趣きがある。日本では細い路地があるだけで歴史がある街というのがわかる。でも、都市計画でどんどん少なくなっている。それに反して、カサブランカは永遠に変わりそうもない。

⒉キツイ女と母子家庭
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「灼熱の魂は宗教の対決の恐ろしさを感じさせる傑作である。すごい衝撃を受けた。今回公開早々に映画館に向かうきっかけは、灼熱の魂」の主演ルブナ・アザバルが出演しているというのもある。今回は未婚の妊婦を助けたパン屋の店主という役柄だが、その表情に優しさはまったく感じられない。仕草も性格もきつい。


子供に対しては、やけに教育熱心だ。この単語は動詞とか名詞なんて子供に教えるセリフがでてくるけど、10才以下と思しき娘にわかるのかな?最近かわってきたがイスラム教国家というのは、女性には教育を与えない伝統がある。調べると、モロッコの識字率も女性は2014年でも57%で特に低い。(ジェトロHP 引用)信じられない世界だ。

そう考えると、この母親は数少ない教育を受けている上層階級で育った女性の設定である。それにもかかわらず、夫が死んでしまい、暗い人生を送っている。街のお祭りにみんな繰り出すときに、アイラインを引いてほんのわずかだけ洒落っ気を示すシーンがある。この辺りの心境の変化については男の自分にはよくわからない。


⒊未婚の母
この映画では、どんな経緯でどんな男がサミアをはらませたのかは語られない。それはそれでいい。最初自分を売り込む際に5年間美容師をやっていたというセリフがある。実家に対して、心配をかけないように、この街で美容師やっていて指名もあるのよと電話している。出産したら、故郷に戻り普通に結婚するんだとも言っている。子供は養子に出すつもりだ。

結局、サミアはアブラの家で破水して、お産婆さんを呼んで出産した。病院で産むとなると、犯罪になってしまうというのもキツイなあ。でも、サミアは離れてしまう赤ちゃんに情を移さないように、泣いても乳をやらない。そうすれば、泣き止むわけがない。そこで、サミアはどうするのか?


映画の原題はAdamだ。最初にみてなんだと思ったけど、最後に向けてわかった。
この映画の終わり方はその先の行方をいかようにも感じさせる何かがある。
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映画「異端の鳥」 ペトル・コトラール&ヴァーツラフ・マルホウル

2021-04-15 14:33:15 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「異端の鳥」は2020年公開のチェコ映画

傑作である。

「異端の鳥」は昨年のキネマ旬報ベスト10の中で見逃した映画残り2つのうちの1つ。上映時間の長さにわずかな隙のロードショーで観るタイミングを逃してしまっていた。これは観れてよかった。映画の大画面に映えるショットが多い。いくつかの酷いショッキング映像の衝撃を緩和させるが如くモノクロ映画である。東欧の前近代的な村落で、親と離れて1人ぼっちになった人の少年がロードムービー的に渡り歩くいくつかの逸話を積み重ねている。


何でこんなにいじめられなくちゃならないの?と思うと同時に、少年は人間の持ついやらしい本能に向かい合う。いつ何時殺されてもおかしくないのに、ギリギリのところで助かる。司祭や鳥売り、老婆やソ連兵など哀れみで助けてくれる人もいる。でも、助けてもらう倍だけ迫害される。生きている方が地獄じゃないかと感じるくらいの仕打ちである。

映画ポスターの首だけ、頭を出しているシーンではカラスが大挙押し寄せ顔を突く。
ホラー映画ではないけど、それに近いシーンも多い。目を背けながら169分映像を追う。

東欧のとある国。ホロコーストから逃れて田舎に疎開した少年(ペトル・コトラール)は、因襲的阻害感が強い地元の人に異質な存在として退けられていた。預かり先の老婆が病死した上に火事で家が焼失したために、少年は村から追放されて1人旅にでる。


行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと必死でもがき続けるのであるが。。。

作品情報に監督のインタビューがある。映画がよくわかるための要素が盛り込まれているので引用する。

監督のインタビューから
35mmの白黒フィルム、1:2.35アスペクト比で撮影した。シネマスコープという画郭は、豊かに感情に訴えるフォーマットだ。他のフォーマットでは、このような正確さと力で、画面上に映し出される美しさと残酷さの両方を捉えることはできない。そして画の本質的な真実性と緊迫感をしっかりと捉えるために白黒で撮影した。(作品情報 引用)

映画館で観るべき作品としたが、人物のアップの度合い、バックの美しい背景をこれほど臨場感を持って映し出す映像は少ない。自分は映画館至上主義者の主張には時おり異常ともみなすタイプであるが、この映画に関しては、DVDで見るのがもったいないと感じる


ストーリーテリングのスタイルは口語的ではなく、映画的である。内的独白や説明的なナレーションはない。そして、現実感を保つためにストーリー順で撮影した。その結果、子役の成長は主人公の進化と成長を反映している。(作品情報 引用)
セリフは少ない。最小限だ。しかも、あまりのショック続きに主人公は言葉をなくす。2年にわたって撮影されたという。単なる田舎の子どもにすぎない当初の少年の姿から、最後の場面まで顔も身体も成長していることがわかる。実際にこの旅路が数年にかけての過酷な試練であることを肌で感じる。撮影すること自体がむずかしい場面がいくつもある。


私は断固として哀れみを避け、使い古された決まり文句、搾取的なメロドラマ、人工的な感情を呼び起こすような音楽を排除しようとした。絶対的な静寂は、どんな音楽よりも際立ち、感情的に満たされる。
この名作小説の映画化で私が目指したことは、主人公が経験する度重なる人間の魂の闇のまさに中心へと導く一連の旅を、絵画的に描写にすることだった。(作品情報 引用)

いくつもの物語では、理由もなく暴力を振るわれている。子どもに対しても容赦ない。宗教的な要素が強いのかな?と感じる部分も多い。飛行機が映るので20世紀の物語だとわかっているが、もしかして19世紀以前の話なのかと錯覚してしまうこともある。女性の性的欲望もかなり強調されている。別の物語で2人の淫乱女が出ていて、村の女たちに罰としてあそこに4合瓶程度ボトルを突っ込まれるシーンまである。何じゃこりゃという感じだ。


映画祭で何人も席を立ったいう逸話もわからなくもない。それでも、映画の大画面を生かしたこの映像表現は年にそうは見れない。ヴァーツラフ・マルホウル監督の力量はすごい。
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映画「DAU ナターシャ」

2021-03-01 13:01:52 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「DAU ナターシャ」を映画館で観てきました。

誇大広告ってこういうことなのかという映画である。
つまらない時はblogアップもしないが、近来になく呆れたので誤解して観に行く人のためにネタバレありで言っておきたい。

まず誇大広告から

実に、オーディション人数延べ39万2千人。衣装4万着。欧州史上最大の1万2千平米のセット。主要キャスト400人、エキストラ1万人。撮影期間40ヶ月。35mmフィルム撮影のフッテージ700時間。莫大な費用と15年もの歳月をかけて本作を完成させた。(作品情報引用)


どう見ても低予算で作られたのは見え見えだ。ちなみに、殆どが室内劇、キャストは少ない。エキストラもほとんどいない。ちなみにこれ撮るために40ヶ月かかったとは思えない。続編あるとはいうが、観るのはこれだけなんだからこの誇大広告はない。量産型の日本のAVよりもヒドイ。


科学者を収容する施設で働く2人の女給をクローズアップする。
①女給2人の大げんか②酒で酔ってメイクラブする外国人ハゲ科学者とナターシャ③大酒酔って大騒ぎの2人の女給④外国人のハゲ科学者とやったことがバレ、KGBの高官に訳もわからない拷問を受ける場面

大きくいうと、映画の構成はこれだけである。誇大広告も酷すぎる。それぞれがドキュメンタリーのように長い。2時間半以上のこの4シーンが30分~40分に収まっていて、全体の一部ならまだ納得するけど。


②に関しては、本当にやっているんじゃないかと思わせるような絡みの場面が延々と続く。これってまるでC級ポルノやAVみたいだ。④についても、拷問がキツい。スターリン時代の旧ソ連の粛清はあまりにも有名だけど、全裸にして、ブランデーのボトルを無理やりあそこに突っ込む。これも延々とやる。


ちょっと驚いた。

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フィンランド映画「世界で一番幸せな食堂」 ミカ・カウリスマキ

2021-02-23 06:58:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
フィンランド映画「世界で一番幸せな料理店」を映画館で観てきました。


これは心温まる牧歌的でやさしい映画である。

映画「世界で一番幸せな料理店」はフィンランド映画の名監督カウリスマキ兄弟の兄ミカ・カウリスマキ監督の作品だ。どちらかというと、弟のアキ・カウリスマキ監督作品を追いかけているが、雰囲気良さそうなので映画館に行ってみる。これは観て心洗われる。

昔の恩人を探しにフィンランドの田舎にやってきた中国人の父子が、世話になった女主人がいとなむ食堂で、料理人としての腕をふるうとみんなに大うけするという話だ。

映画がはじまってしばらくして、料理映画なんだと気づき、料理版「シェーン」とも言える伊丹十三の「タンポポを連想する。凄腕の料理人がひなびた食堂に現れてという設定は似ている。でも、ここでは森と美しい湖に接したフィンランドの田舎に、朴訥なカントリーおじさんたちや気のいい人たちを映画に放つ。その振る舞いが誰も彼もが純粋である。クリスマス以外では滅多に見ることのないトナカイまでが登場して、自然の豊かさに囲まれて純朴な世界を映し出す。

都会の荒波に日ごろさらされている自分にはこの安らいだ世界にはいやされる。おすすめだ!

森と湖に囲まれたフィンランド北部の田舎町にある食堂へ、中国人のチェン(チュー・パック・ホング)と息子のニュニョ(ルーカス・スアン)が入ってくる。この食堂はシルカ(アンナ=マイヤ・トゥオッコ)が一人で切り盛りしていて、チェンはフオントロンという人物を探している。シルカも常連のおじさんも知らない。地元にはホテルはなく、シルカは親子に空き部屋を提供し、しばらく居候して、食堂に来る人たちにフォントロンは知らないかと尋ねるのだ。そんな食堂に中国人観光客を連れてきたガイドが入ってくる。

日ごろビールのつまみの大味なソーセージしか出していないシルカは無理と思った矢先に、チェンが自分が料理をつくってあげるという。あわててあり合わせでつくった中華料理は大受け、ガイドはお客さんを連れてくるという。また来るということで、隣町まで食材と調味料を買いに行き、絶品の中華料理をつくり、地元の常連のおじさんたちもたべるという。そうしていくうちに、フォントロンの正体がなんとなくわかっていくのであるが。。。


1.フィンランドの田舎町と素敵なショット
弟のアキ・カウリスマキ監督作品ではむしろフィンランドの首都ヘルシンキ付近を映し出すことが多い。いきなり映す湖と森がこの映画のベースになる。われわれにはクリスマスにアニメでしかその姿を現さないトナカイが森の中を悠然と歩く。そういうところにあるシルカ食堂では、すでにリタイアしたと思しき初老のおじさんたちが常連で一人でビールを飲んでいる。これがまたいい味を出している。


森の中で迷子になったチェンの子どもを、日本のスーパーボランティアおじさんのように探し出してきたり親身になってくれる。最初はこんなもの食えるかとチェンのつくる料理に口をつけなかったが、途中からおいしいと食べる。チェンをサウナに連れて行ったり、イカダのような舟の上に乗っての飲み会なんて素敵なシーンが満載だ。

弟のアキ・カウリスマキ監督作品に映る登場人物は無表情で愛想がない。しかも、これでもかというくらい不幸の谷底に突き落とす。でも、この映画に映る田舎町の人からは笑顔が常に見える。そこがいい感じだ。

2.欲のない中国人料理人
チェンがいきなり料理人だとわかるわけではない。部屋まで提供してくれて、お世話になった女性店主シルカが困っているのをみて、自分の料理の腕を見せるのだ。でも、チェンに妻がいるのか?探しているフォントロンってどういう人物なのか?一緒にいるのが本当の息子なのかもわからない。そういう謎をつくる。そういう映画の展開がいい感じである。

しかも、思いがけず大勢の中国人が入ってきてお金を落としてくれた訳なのに、報酬をうけとらない。中国人というと金の亡者というイメージを与えるが、そうは見せないのも映画のツボであろう。この映画政治的要素もないし、ここまで中国人を美化した外国映画って少ないから中国で公開したらヒットするだろうな。


この主人公初めて見たけど、永瀬正敏に似ているな。

3.料理映画の傑作
とっさに、伊丹十三の「タンポポを連想したが、影響された部分はいくつかあるだろう。料理映画の傑作デンマーク映画バベットの晩餐会も田舎町が舞台になる。ここでも腕利きの料理人が恩人に腕をふるうという設定だ。田舎のグルメ的な生活をしていない人たちが絶品料理に驚くという設定は「バベットの晩餐会」のテイストに通じるものがある。


最初は鳥をベースにした麺を観光客に出して大受けして、湖で釣った魚をベースにしたスープがおいしそうだった。中華料理というと、アカデミー賞監督アン・リーが台湾時代につくった恋人たちの食卓でのよりどりみどりの中華料理もおいしそうだったなあ。エンディングに映る中華料理をみて「恋人たちの食卓」を連想した。中国人は北海道が大好きだけど、同じような感覚でフィンランドのこのエリア好きなんだろうなあ。

ただ、題名が俗っぽくていやだな。こんないい映画なのにもったいない。
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デンマーク映画「わたしの叔父さん」イェデ・スナゴー

2021-02-01 18:10:40 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「わたしの叔父さん 」を映画館で観てきました。


映画「わたしの叔父さん」はデンマーク映画、2019年東京国際映画祭でのグランプリ作品である。引っかかる何かを感じて映画館に向かう。少女時代に親を亡くし、叔父と共に農場で乳牛とともに暮らす若い女性の前に若い青年が現れるという構図である。

デンマーク映画というと、バベットの晩餐会という傑作中の傑作がある。あとは、007シリーズで悪役を演じたマッツ・ミケルセンの「偽りなき者くらいしか思い浮かばない。これはなかなか重い映画だった。もちろん、それらとの共通する俳優はいない。北海道を連想させる広大に広がる大地で、農場で叔父とともに暮らす1人の若い女性を追う。

セリフは少ない。同じ北欧のアキ・カウリマスキ監督の作風を思わせる。朴訥で無口な出演者というのは同じであるが、主人公のクリスを演じるイェデ・スナゴーは色白で美しい北欧美人だ。こういうストーリーなのかな?と思って映像を追ったが、途中から意外な方向に進む。そして、無言で映像で観客に察しろと言わんばかりだ。たぶん、自分と同じことを考えていた観客が多かったと思うけど、肩透かしにあった気分になるであろう。後味は悪くはない。


少女時代に家族をなくし、クリス(イェデ・スナゴー)は農場を営む叔父(ペーダ・ハンセン・テューセン)と2人で暮らす。叔父は足が不自由で、朝起きる時から一日中クリスは叔父の面倒をみて農場の仕事をしている。周囲と関わりをもつことは少ない。携帯電話すら持っていなかった。農場に出入りするヨハネスは獣医である。元々はその道に進みたかったクリスは農場でヨハネスに教えてもらおうと向かった。


そこで1人の青年マイクと知り合う。美しいクリスに魅せられたマイクは教会で音楽の練習を見にくるように誘う。そして、水門のあるホテルでの食事に誘ってくれた。叔父に行ってもいいかと確認して出かけることになるのであるが。。。

映画を見終わってから解説を読んで驚いた。ここでの娘と叔父はなんと実際の叔父と姪の関係だという。しかも、叔父はまったくの素人のようだ。この叔父さんは足が悪いだけでなく身体も弱そうだ。こういう役者よく探してきたと思ったら、なんと実際に酪農経営をしている人らしい。ロケハンもよくできているなあと思ったけど、フラレ・ピーダセン監督はこれだけで優位に立てたと言えよう。

⒈広大な大自然と静かな流れ
乳牛を養う典型的な酪農農家だ。地平線まで広がる大地が延々と続く風景に群れをなした大量の鳥が飛ぶ。なかなかいい。携帯電話も持たず、女友達もいそうもない。そういう2人をカメラが追う。音楽はない。TVで流れる各種ニュースの音が響く。国内の政治だけでなく、アメリカのハリケーンや北朝鮮の水爆実験までニュース音声がバックグラウンドミュージックだ。

そんな中で、クリスが若い男性に求愛される。クリスも満更でない。そこで、ようやく音楽が鳴り響く。この音楽どこかで聞いたことのあるような音色だ。香港のウォン・カーウァイ監督「花様年華」で主人公2人を追いながら繰り返し流れるあの曲によく似ている気がした。

⒉デートと奇怪な動き(一部ネタバレあり)
男慣れしていないクリスはデートに行こうか迷うけど、結局行く。ずっと後ろに束ねていた髪をカールするためにスーパーでホットカーラーのブラシを買ってもらう。でも、なんと叔父さんを連れて行くのだ。こういうコブ付きデートというのは男がつらいよね。


そのあと、色々軽い諍いがあって彼氏が家に誘いに来る場面がある。そこでとるクリスのパフォーマンスに驚く。さすがに映画を見てのお楽しみだが、これって乳牛とともに暮らしているので未成熟ということを表現しているのかなあ?

あと最後もちょっとビックリだな
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映画「この世界に残されて」

2021-01-05 21:01:54 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「この世界に残されて」を映画館で観てきました。


戦後ソ連によって厳しく弾圧された東欧諸国を映像にする映画は多い。「この世界に残されて」のストーリーを読むとその手の映画のようだ。批評を見ると比較的女性陣から絶賛されている。それなのに、女性が普通いやがりそうな中年の男性と16歳の少女との怪しい関係が描かれているようだ。この不思議な矛盾に興味を持ち映画館に向かう。

弾圧された東欧諸国を映像にする映画にはスターリンの肖像画のもとで、徹底的に共産主義思想を植え付けられるシーンが多い。しかし、ここではその色彩は少ない。暴力的なシーンは見当たらない。わりとたんたんと映画が過ぎていく。前のコメントで蓮實重彦の「映画の90分論」のことを書いたが、この映画は90分を切る。映画を見ているうちに時計をみると制限時間が近づいている。気がつくとラストを迎える。正直これで終わっちゃうの??という感じの映画だった。別にいやな映画ではないけど、最高点をつける人たちの感性はよくわからない。

1948年、ハンガリー。 ホロコーストを生き延びたものの家族を喪った16歳の少女クララ(アビゲール・セーケ)は、保護者となった大叔母オルギと暮している。周囲とも打ち解けないクララは寡黙な婦人科医師アルド(カーロイ・ハイデュク)に出会う。42歳のアルドの心に自分と同じ孤独を感じ取り、クララは父を慕うようにアルドを頼りにする。そんなクララを見て、大叔母オルギは「私は勉強をみてあげることもできないから」と、もう一人の保護者になってほしいとアルドに懇願する。アルドは快諾し、クララは週の半分をアルドの家で過ごすという不思議な同居生活が始まった。


ゲームに興じたり映画を観に行ったりして、クララは明るさを取り戻す。ホロコーストによって大切な人たちを喪ったアルドと共に心に傷を抱えながら、寄り添うことで徐々に人生を取り戻していく。スターリン率いるソ連がハンガリーで権力を掌握すると、党に目をつけられた者たちが次々と連行されるなど緊張が増していく。そんななかクララとアルドの関係は、スキャンダラスな誤解を招いているのであるが。。(作品情報一部引用)


⒈少女と中年医師の出会い
この少女クララは16歳にしてまだ初潮を迎えていない。それなので、婦人科にかかったのだ。診るのはアルドである。アルドからしたら、子どもみたいなものである。でも、クララはちがう。同世代の男女とまったくウマが合わないが、アルドには惹かれていく。最初の頃のクララの表情がきつい。わざとそうしているんだろうと思うけど、見るからにいやな娘だ。


でも、アルドを親代わりに思うのかどうかわからないが、急接近に寄り添う。もともとロリコンの気があったわけではないが、むごい時代を経て共感を持つのだ。同じベッドでもハグはあっても裸で交わることはない。そのような理性を持っている。そういう前提の映画で、不純な要素は少ない。よって刺激はあまりないのだ。

⒉ハンガリー
ハンガリーのブタペストは賢い人たちを多数生んだことでも知られる。たとえばコンピューター、原子爆弾、ゲームの理論に関わったフォン・ノイマンなんて天才もそうだし、近年ではジョージ・ソロスなんて有名投資家も生んでいる。第一次世界大戦の頃まであったオーストラリアと一緒だった帝国には逸材がビックリするほどいた。

しかし、第二次世界大戦の時にはエライ目に遭ったようだ。虐殺が相次いだようだ。フォン・ノイマンなんかはアインシュタインと一緒で早々とアメリカに渡っている。残ったモノはババを引く。その中でも医師であるアルドは上層階級に所属した人物だと思われる。でも、ホロコーストのいやな目に遭う。その点は悲しい。


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Netflix映画「日曜日の憂鬱」バルバラ・レニー&スシ・サンチェス&ラモン・サラサール

2020-12-06 10:52:19 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
Netflix映画「日曜日の憂鬱」は2018年のスペイン映画


Netflixの中をふらついているときに「日曜日の憂鬱」に出くわす。富豪の婦人の前に8歳の時にあなたと別れたという女性が現れる。10日だけ付き合ってくれという娘の頼みを聞いて過ごす日々の物語である。スペイン映画はペドロアルモドバル監督の一連の作品をはじめとしてその独特の色彩感覚に魅せられることが多い。出演者に見覚えのある女優がいる。映画マジカルガールでみた女性バルバラ・レニーだと気づく。この映画も変わった映画だった。スシ・サンチェスはペドロアルモドバルの「私の生きる肌」での印象が強い。

映像が美しい。室内インテリアも外部の風景もきれいだ。緻密な映像で作られている。おそらくは丹念にカメラアングルを練ったと思われる最高の映像コンテである。セリフが極端に少ない構造だ。観客に頭を使わせる。説明が少ないのでこちらの方で推測をしなければいけない部分が多々ある。娘の行動は奇怪な感じで途中までこの映画の締めをどうするのかがよくわからない。謎をラスト前までのこすというのはラモン・サラサール監督の脚本のうまさであろう。不思議な余韻を残す良作である。

富豪が主催する崇高なお屋敷での豪華なディナーの席で、作法が稚拙な女性がいた。ディナーが終わって主催の夫人アナベル(スシ・サンチェス)の前にその女性キアラ(バーバラ・レニー)が現れる。それは女性が8歳の時に夫人と別れた子供であった。別れてから30年以上たっていた。

改めて面会して何で自分の前に現れたか聞くと、金銭的な要求は何もいらないので10日間自分と付き合ってくれという頼みを受けた。アナベルは夫に相談して、弁護士とともにキアラにあう。他の要求は一切しないという書面を弁護士がだすと、内容も読まずにキアラはあっさりとサインした。


約束通りキアラの家に向かった。それは山奥の小屋であった。一緒に暮らすというもののお互い干渉せずに生活していた。母と娘の関係はギクシャクしている。お祭りの日には2人で向かったが、キアラは勝手に自由奔放に男とダンスして酒に酔い潰れていた。そのあとでキアラが体調を崩す。病院に向かい病状を聞くのであるが、様子が徐々におかしくなっていることに気づいていくのであるが。。。

1.何で10日間一緒に生活するの?
キアラの住まいは山奥で携帯も使えない。そんなキアラが母アナベルの前で感傷に浸るわけでもないし、ベタベタするわけでもなくお互い自由に生活している。「何で10日間一緒に生活するの?」と思ってしまう。キアラの行動は奇怪でかつ不審である。まずは湖のそばで弱っている鳥に危害を与えるシーンに驚く。動物愛護協会からどなりこまれそうなむごいシーンだ。知人の家にいる犬を自宅に連れてきて、井戸で困っている犬(本当は違う)を連れてきたといい泥だらけになので水をかけて洗ってくれとアナベルにいう。そしてそのホースの水を高そうな服を着ているアナベルにかけるのだ。なんか変??というストーリーが続く。


意味不明なシーンが多く戸惑うが、いくつかのシーンの美的センスが抜群だ。アナベルが自身の娘にこれから実の娘に会うと告げる場所のインテリア設計のすごさ、アナベルがキアラの家のステレオの曲にあわせてダンスをするシーンの優雅さ、メリーゴーランドでアナベルとキアラが遊ぶシーンなどスペイン映画らしい奇想天外なイメージで生まれたとおぼしきシーンが数多い。

この後はネタバレあり映画を観ていない人は読まないでください。

2.原題「La enfermedad del domingo」
英題は「Sunday's Illness」である。「日曜日の病気」?英語版だけ訳が違うのかと思ったら、スペイン語「La enfermedad del domingo」の訳も同じである。もっともこれを知ったのは映画を観た後、ただ映画を見終わっていればわかる。でもこの訳ってわかっていれば映画の途中は別の見方をしたかもしれない。ある意味日本のNetflix映画の担当者はうまいと感じる。

2人が雪の中ジェットコースターらしき乗り物に乗るシーンでキアラが目を閉じてくる。途中キアラが倒れて病院にいくシーンがある。そのときも何も説明がない。セリフもない。キアラが注射をしている。痛み止めのようだ。若いときにヘロインを摂取したことがあったというセリフがあったが、今はやめているという。


何それ?そんなことを考えながら最後のシーンに近づく。そうか、この映画が終活の映画だとわかるのは最後に近づいてである。コソコソ母親の耳で娘がささやくのがこういうことだったのか!自分も鈍いのか気づかなかった。

最後のシーンでは、渡辺淳一原作「白い影」を思い出した。ここでの主人公であるエリート医師はがんに犯されていることに気づき、民間の病院に移る。そこでがんに犯されている患者に処方されているモルヒネを大量に自ら摂取しているのである。しかし、もうこれ以上無理と感じたときに自ら死を選ぶ。北海道の湖の底に沈むのだ。自ら望んで湖の底に向かうその姿とキアラの姿がだぶった。でも何で裸になるんだろう?これは真意がわからなかった。
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Netflix映画「ザ・コールデストゲーム」

2020-11-23 19:55:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ザ・コールデストゲーム」はポーランドのNetflix映画


「ザ・コールデストゲーム」はチェスの米ソ対決がストーリーの柱になっている。先日チェスをテーマにしたNetflix「クイーンズ・ギャンビット」がものすごく面白かったので、いきおいで観てみる。1962年のキューバ危機のころ、飲んだくれの元大学教授が米ソチェス大会に代理出場するために無理やりポーランドへ連れて行かれチェス対決の裏で繰り広げられている米ソエージェント同士の諜報戦に巻き込まれるという話である。

世界を揺るがしたキューバ危機の最中にのんきにチェスで争うなんて設定はいくら何でもありえない。でも、60年代西側スパイ映画ではソ連が悪者扱いになっていた。そこに出演するKGB職員のような顔立ちのソ連側登場人物がこの映画に映ると、いかにも冷戦中の米ソ対決スパイ映画らしい雰囲気があふれる。どっちが味方でどっちが敵だかわけがわからなくなり、戸惑う場面もあるが、いくつかの謎をつくってくれるので最後まで楽しめる。

マンスキー(ビル・プルマン)は数学専攻の大学教授であった。第二次世界大戦の核爆弾製造に関わり、後悔の念を持ち大学教授を降りてしまった。今ではマンスキーはニューヨークブルックリンの裏通りでポーカー賭博をしたり飲んだくれていた。いつものようにポーカーをやった後、バーに入ると見知らぬ女に声をかけられる。いやな感じなので外へ出るといきなり暴漢に襲われる。気がつくとポーランドの首都ワルシャワのアメリカ大使館に拉致されている。


ワルシャワで開催予定の米ソチェス大会で予期せずアメリカ代表が急死した。マンスキーはチェスが得意でアメリカ代表にも以前勝ったことがある。そこでマンスキーに白羽の矢がたつ。しかし、ワルシャワにいる米国大使館員より戦いとともに任務が与えられ、ソ連に潜入している米国のスパイから核の設計図があるマイクロフィルムを受け取るという任務も与えられる。

マンスキーはソ連代表との勝負に挑む。マンスキーは酒飲むと頭冴える性向があり、初戦に勝ってしまう。ソ連陣営はあ然とするが、気がつくと裏で繰り広げられる米ソ対決巻き込まれるのであるが。。。

1.キューバ危機
社会主義国として独立したキューバをめぐって、米ソ対決が強まっていた。1962年フルシチョフ率いるソ連はアメリカにむけて発射できる核爆弾の基地をキューバにつくろうとしていた。キューバ危機である。ケネディ大統領はカリブ海でキューバへの海上封鎖に踏み切り、フルシチョフは急反発する。一触即発の場面に第3次世界大戦が始まる可能性があると世界中が恐れていた。ワルシャワでのチェス大会とへ並行してドキュメンタリー的にその図式が説明される。


2.何でポーランド映画なの?
この映画がポーランドで作られたことに意義がある。世界史の教科書では1939年9月ナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まったと強調される。しかし実情はソ連もポーランドに同じように侵略している。世界をあっと言わせた独ソ不可侵条約が侵攻の直前に締結されていたのだ。しかも、ポーランドでしたことはソ連の方がひどいことをやっている。戦後日本の左翼教育者による偏重教育でソ連のむごさが伝えられていない。

映画「エニグマ(記事)」でもこのことが語られる。映画化される「カティンの森」事件が有名である。戦後ソ連による支配が進んだポーランドであるが、相当な恨みがあるとみていいだろう。戦後のポーランドへのソ連のむごい支配は映画「残像(記事)」や映画「COLD WAR あの歌、2つの心(記事)」でも語られる。要はポーランドはソ連のことが大嫌いなんだ。基調は60年代の西側冷戦スパイ映画の様相でアメリカびいきだ。人相の悪いアメリカ大使館女職員もロシア人ぽいねえ。


3.チェスの米ソ対決
クイーンズギャンビットを見てチェスのことを調べているうちに、ソ連がチェスの世界大会で1972年にボビーフィッシャーにチャンピオンを譲るまでずっと勝ち続けていたことを知った。いくら米国チャンピオンを倒したことのある腕前のチェスプレーヤーでもソ連のチャンピオンにたいして一勝でもできるわけないと思ってしまうよね。米国びいきに見える映画だけど最終的にソ連に負けるだろうなあ。どうやってそうストーリーを運ぶんだろう。そんなことを途中考えていた。

3回戦目の対戦が終わってマンスキーがトイレに駆け込むと、トイレのタンクに酒が隠してある。それを飲み干したときにソ連の軍服を着た男が入ってくるシーンにはどきっとする。その後でアメリカ大使館の女性エージェントが入ってくる。これは味方なんだろうなあと思ったそのときに、いかにもロシアの悪者という感じの格闘技のヒョードルみたいな強そうな奴が入ってきて味方とおぼしき2人を手込めにする。ドキドキだ。こんなハラハラする面もあるから悪くはないよ。
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