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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」

2024-05-09 22:33:56 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」を映画館で観てきました。


映画「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」はドイツ映画。ドイツ居住のトルコ移民の男がタリバンの疑いをうけて強制収容所に留置されているのを救出しようと試みる母親と弁護士の物語である。アンドレアス・ドレーゼン監督による実話をもとにした人間ドラマだ。。肝っ玉母さんを演じたを演じたメルテム・カプタン第72回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(主演俳優賞)を受賞した。太ったオバサンの振る舞いが気になる。

 2001年10月、ドイツ・ブレーメン。トルコ移民のクルナス一家の母ラビエ(メルテム・カプタン)は、19歳の長男ムラートから、パキスタンのカラチへ旅行するという電話を受ける。ムラートはパキスタンでタリバンではないかと逮捕され、翌年2月、キューバの米軍グアンタナモ収容所に移送されていることがわかる。


警察も行政も動いてくれず、息子の無実を信じるラビエは、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルト・ドッケ(アレクサンダー・シェアー)の事務所に乗り込み無理やり協力を依頼する。そこでアメリカ政府を訴える集団訴訟に加わることを提案され、2人でワシントンD.C.へ向かう。

母親の奮闘ぶりは理解するが、ちょっと苦手なキャラクター
テロリストと疑われ、米軍のグアンタナモ収容所に収容された無実の息子を救おうと母が奮闘する。一家はトルコ出身でドイツに暮らす移民だ。主人公の夫はメルセデスベンツに勤めて、自分もベンツを乗り回す。3人の息子を育てるひと昔前の大阪のオバちゃんを連想させる猛烈なキャラだ。

正直こういう自分勝手で、自分の都合だけで振る舞うおばさんは苦手だ。弁護士事務所にも予約なしで乗り込んでいくし,運転すると一方通行路は逆走するし、信号無視もしょっちゅうだ。コンプライアンスの概念は皆無。からだ中に貴金属やアクセサリーをつけまくっているので,空港の手荷物検査場もなかなか通過できない。その強烈さで笑いを取ろうとするのがこの映画だが,自分は好感を持てなかった。一方で人権派弁護士は長身でやせていて、主人公と対照的。そのコントラストはいい。題名にあるジョージブッシュはまったく出てこない。


米軍のグアンタナモ収容所はいくつかの映画で取り上げられている。キューバ海上にある無法地帯のエリアだ。ジョディフォスター主演「モーリタニアン 黒塗りの記録」では、同じくテロの嫌疑のある男の弁護の話だった。そこでの拷問シーンは想像を超える酷いものだ。拘束されたムラートも無実なのに疑いを持たれたということになっている。当地では拷問を受けているようだ。ここではそのシーンはない。ただ、あの911テロ事件の直後にイスラム信仰のためとはいえ、疑いを持たれる渡航をするのは自業自得だ。

リベラル派はアメリカの残虐な囚人への仕打ちを糾弾するが、一方ではあのテロに関わった可能性で当然の処置とも考えられる。今のイスラエル問題同様意見がわかれる論点だ。平和な日本で良かったと感じる。

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映画「ミツバチと私」ソフィア・オテロ

2024-01-08 20:26:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ミツバチと私」を映画館で観てきました。


映画「ミツバチと私」性同一性障害に悩む8歳の男の子を取り巻く家族の戸惑いを描いたスペイン映画だ。スペインの女性監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレの初監督作品だ。主役を演じたソフィア・オテロベルリン映画祭で最優秀主演俳優賞(男女に区別はなくなった)を受賞している。LGBT系の映画は合うのと全くダメなのとに分かれる。写真を見ると、女の子っぽい主人公がかわいい。まだまだ幼いし、同性愛的映画のいやらしさもないだろう。ふと、小学校3年前後の自分のことが脳裏に浮かびこの映画を観てみたくなる。

スペインのバスク地方、母アネ(パトリシア・ロペス・アルナイス)と姉、兄と8歳の男の子アイトール(ソフィア・オテロ)が夫を家に残して夏のバカンスに母親の実家に帰る。アイトールは自らを男の子扱いされるのを嫌がり、女の子のような髪型で自らをココと呼んでいた。母親の親族からはもっと男の子っぽく髪を切れと言われても本人は従わない。母親はそんなアイトール(ココ)をかばっていた。

実家はミツバチを育てて蜜をとる養蜂業に代々携わり、父親ゆずりでアネも実家の工房で彫刻に専心している。アイトールは、母親がかまってあげられないので、自分の性に対する疑問により敏感になってきている。その悩みをオバに打ち明ける。


目線をグッと下げて観ると、8歳の子どもの悩みが伝わる。
女性監督が絶好のキャストを得て女性目線の強いドラマづくりをする。

ソフィア・オテロありきの映画である。古今東西の映画で、こんなに女性的にかわいい男の子っていただろうか?自分には思いつかない。女性監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレオーディションで主演ソフィア・オテロを選んだ。このキャスティングだけで成功は約束されたようなものだ。奇跡的な出会いと言える。もう少し年を重ねたら、この映画は撮れないのだ。ソフィアありきで物語をつくっていく。

回想シーンで幼いときのトランスジェンダーの姿を映す映画はあっても、子供自体の性同一障害がメインになる映画は記憶にない。

映画では、アイトールことソフィア・オテロ手持ちカメラで丹念に追っていく。髪の毛は肩まで掛かり女の子並みの長さだ。母親の実家に行って、親族や周囲から男の子っぽくした方がいいのではと言われ続ける。立ちションもするけど、まだお寝ショもしてしまう。プールに行ってもバスローブをしたままで水着にあえてならない。女子更衣室に入ると、同世代の女の子から男の子なのに何でいるのと言われてしまう。そういったエピソードが続く。そして、その悩みが次第に強くなってくる。


母親アネの目線も追っていく。ミツバチの養蜂業の家業を持つと同時に、彫刻にも造詣が深い家計だ。アネは彫刻に強い思いが残っていて、実家の工房に入ると諸事が目に入らない。連れてきた子どもたちのことも眼中に入らなくなる。


アイトールはやさしいおばさんと親しく時間を過ごす。「死んで生まれ変わったら女の子に生まれ変われるかなあ。」とビックリするようなことをおばさんに言うと、「既に女の子だよ」とおばさんは言ってくれる。そして、おばさんは母親アネにもっとアイトールの話を聞いてやってくれと忠告する。素直でない母親は反発する。このあたりの女性同士の関係や夫との関わりなど、女性監督ならではの視点を感じる。女性の方が感じることが多いのではないか。


実はソフィア・オテロ男の子なのか女の子なのか書いている途中でもわからなかった。ベルリン映画祭の授賞式の写真で初めてわかった次第だ。映画の中での振る舞いは極めて自然だ。演技を超越して、わざとらしさがない。すばらしい。大女優ナタリーポートマンやスカーレットヨハンソンが子役で登場したときを連想させる天才の登場だ。


自分が8歳の頃は家庭学習は全くやらず、成績も良くなかった。授業で手を挙げることはなかった。でも、出来がわるい自分を見かねて女の子たちが遊んでくれた。女の子が遊ぶタミーちゃんとかの人形を買って一緒に遊ぶ女性的な毎日だった。自分で呼べないのに誕生日になると、次々と女の子が来てくれた。母があわてて不二家にケーキを買いに行った光景を思い出した。映画のようなことはなかったが、普通に男の子っぽくなる転機が来たのはその直後だったかもしれない。
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映画「枯れ葉」 アキ・カウリスマキ

2023-12-15 21:07:54 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「枯れ葉」を映画館で観てきました。


映画「枯れ葉」はフィンランドのアキカウリスマキ監督の久々の新作である。復活してくれてともかくうれしい。Amazon primeに突如初期の作品がラインナップされて、未見の「マッチ工場の女」「真夜中の虹」まで見れた。いずれも独特の風味を感じる。

最初アキカウリスマキ監督作品を観た時、昭和30〜40年代の日本にタイムスリップしたようなフィンランドの背景の中、無表情で寡黙な登場人物が質素な美術のもと実に暗いと思った。ところが、観続けているうちに、二郎ラーメンのように中毒になってくる。この感覚がジワッと心に刺さる。いちばん好きなのは「ルアーブルの靴みがき」「浮き雲」だ。今回常連のカティ・オウティネンは出ていないが、評論家筋の評価は異様にいい。初日に映画館に向かう。


ヘルシンキの街で、アンサ(アルマ・ポウスティ)は理不尽な理由から仕事を失い、ホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は酒に溺れながらもどうにか工事現場で働いている。ある夜、ふたりはカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないまま惹かれ合う。だが、ホラッパはアンサが伝えた電話番号を書いた紙をなくしてしまう。アンサは連絡を待っているが来ない。そうしているうちに、アンサもホラッパも再び失職してしまうのだ。このまま連絡が取れないと思っていたところで、運がめぐって来る。しかし、それも続かない。

いかにもアキカウリスマキ監督作品らしいドツボの連続だ。
いつもながら、路面電車の走るヘルシンキの街は地味だ。建物も古ぼけている。人々を取り巻くのは昭和半ばの色彩だ。主人公をはじめとして登場人物は無表情かつ寡黙で、セリフは最小限である。そして、物語は単純だ。カップルとなる2人は単純な仕事に従事する労働者。しかも、2人とも運に恵まれずついていない。ここまでやるかと思うくらい窮地に落とす。そこに、ロックを基調としたバンドの音楽が流れる。この辺りは毎回似たようなものである。でも、そのワンパターンがいいのだ


時間も80分台にまとめる。すばらしい。
主人公アンサを中年の域に差し掛かりつつある未婚女性にしているのは「マッチ工場の少女」に似ている。ようやく運が巡るようにも見えたけど男はアル中だ。勤務時間中にも小瓶を飲むし、トラムの停留所で寝てしまい野宿することもある。

アンサの父も兄もアル中で死んだ。あんまり酒に溺れてほしくないと言うと男は反発していったんは話が潰れる。そこからがミソだ。未練たらたらの男が改心する。ここで再転換してラストに向かう。ところが、もう一度奈落の底に落とす。いかにもアキ・カウリスマキ監督作品らしい。最近年甲斐もなく、飲み過ぎで失敗した自分には心に響く。

アキカウリスマキの作品にはドツボのままで終わる作品もある。
でも、「ルアーブルの靴みがき」のように希望がもてるのは何よりだ。名曲「枯葉」が優しく包む。ぶっきらぼうだけど、ウォーミングハートのこんな感じがいい。
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映画「SISU/シス」ヨルマ・トンミラ

2023-11-09 06:34:14 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「SISU/シス」を映画館で観てきました。


映画「SISU/シス 不死身の男」はフィンランド映画、第二次世界大戦中にフィンランドに侵攻していたナチスに1人闘いを挑んだ元兵士の話である。フィンランド映画といえば、アキカウマリスキ監督の人情味あふれるシリアスドラマを連想する。その他で自分が観たフィンランド映画も似たようなおだやかな作品だった。今度は鬼のような人相の男がメインの写真に映っている。ちょっと違うなあとスルーする予定だった。

最近、映画好きの取引先の男性と昼食を共にした。その時、最近観た映画の話題になり「SISU/シス」って観ましたか?と言われた。まだという自分の反応に「痛快ですよ」と勧められて思わず観てみたくなった。映画館に行くと、予想よりも観客が多いので驚く。評判が良いのかもしれない。

1944年、フィンランド国内にナチスドイツの軍勢が攻め込んでいたが、撤退の態勢に入っている。そんな戦車を率いる師団の横を1人のフィンランドの老兵が歩いて通り過ぎる。老兵は金鉱を見つけて、金塊を持っていた。ナチスの兵士たちにちょっかいをだされて、金塊を持っていることがバレてしまう。危うくやられそうだったのに、逆にコテンパンに兵士たちを退ける


慌てたナチスが調べると、この男はアアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)だと判明する。フィンランドの特殊部隊出身で「不死身の男」の異名をもつ男だ。フィンランドを侵略したソ連との戦いでは300人のロシア兵を退治したという。ナチス当局は面倒だから相手にするなと言うが、戦車連隊の隊長ブルーノ・ヘルドルフ中尉(アクセル・ヘニー)はアアタミを始末しようとする。


たしかに、おもしろい。
スキッとする痛快アクション映画である。

怖い顔をした傷だらけの男を見ると、一瞬中世から近世にかけての昔の話かと思ってしまう。実は第二次世界大戦中の時代設定で、相手はナチスの兵士だ。どんな立ち回りをするのかと思ったら、次から次にいろんな格闘のネタがでてくる。アイディア満載だ。

当然1人で大勢を相手にするわけである。しかも、銃は向けられるし、戦車はぶっ放すし、周囲には地雷だらけだ。かなうはずがないのに、こうやって倒すのかとあの手この手で飽きさせない。挙げ句の果てには、「ミッションインポッシブル」トムクルーズばりに飛んでいる飛行機につかまる。


自分の脳裏で連想したのは、「バッドアス」ダニートレホである。しがない老人がならず者を倒してヒーローになる話だ。老人をクローズアップさせるのが似ているかもしれない。ヨルマ・トンミラは還暦越えと知り思わず応援する。でも、この映画の方が相手を倒す格闘シーンの捌き方のアイディアに富んでいる。ヤルマリ・ヘランダー監督の発想はおもしろいし水中の格闘をはじめ実現してしまうのがすごい。

実はナチスはフィンランドの女性を捕虜にとっていた。その女性たちが、アアタミの大暴れに乗じてナチスの軍勢に反撃するのも見どころだ。そんな活劇ばりの映画をキッチリ90分にまとめるのも好感が持てる。知人に勧められた「シス」は誰かにおもしろい映画はと聞かれたら思わず推薦してしまう気がする娯楽映画の見本だ。
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映画「ヨーロッパ新世紀」 

2023-10-15 21:39:10 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ヨーロッパ新世紀」を映画館で観てきました。


映画「ヨーロッパ新世紀」ルーマニア映画、移民で揺れ動くルーマニアの山村での出来事を鋭く描く。監督のクリスティアン・ムンジウ「4ヶ月、3週と2日」カンヌ映画祭パルムドールを受賞しており、この映画は自分も観ている。望まない妊娠をした女の友人が掻爬する手助けをする一部始終を映し出す作品で確かに作品のレベルは高かった。同じ監督なので、それなりのレベルは期待できると思って映画館に向かう。後半戦の展開にはぶっ飛んだ。すごい!

出稼ぎ先のドイツの工場で、マティアス(マリン・グリゴーレ)は別の工員にジプシーと言われて暴力沙汰を起こす。ヒッチハイクを続けて何とか故郷のルーマニアのトランシルバニアに帰郷する。妻のアナ(マクリーナ・バルラデアヌ)と息子がいる家に戻るが、まったく歓迎はされない。息子のルディは森で何かを見てから言葉が発せない。マティアスの年老いた父親はかなり衰弱していた。


マティアスは以前から関係のあったシーラ(ユディット・スターテ)の元に行く。シーラはパン工場の経営に携わっている。人手不足で求人しても集まらない。EUの補助金絡みでスリランカから2人雇い、1人追加する。ところが、村の人たちは歓迎せず、SNSに投稿した後で教会の集まりでも神父が工場にアジア系従業員を辞めさせるように言えと吊し上げるのだ。


田舎の村で出稼ぎアジア人に対する酷い仕打ちがあらわになる。
後半戦、エスカレートする住民集会を映し出す。集会に集まった住民にむかって固定カメラが一挙一動をとらえる。これまで観たことのない迫力のある場面は圧巻だ。映画ファンは必見と言えよう。

先入観なく観て、約1時間で登場人物の人間関係がつかめてくる。
そもそも主人公マティアスもドイツの出稼ぎ先で差別用語を浴びせられている。暴力沙汰を起こしてそのまま逃げるようにルーマニアの山間部に帰るのだ。この主人公もいい加減だ。子育てを妻に任せているのに、感謝の気持ちは少しもなく、逆に育て方が悪いといちゃもんつける。息子は言葉が発せなくなっている。

そして、もともと関係のあった工場経営者の女性シーラのところにもぐり込む。一度深い仲になった男女が離れても再度くっつくとヨリが戻るのは良くあることだ。ただ、マティアスの発言は聞いていて腹立たしくなる。


シーラが携わるパン工場は産業のないこの村では数少ない働き場所なんだろうけど、人が集まらない。求人広告をどうしようかなんて相談もしているけど、結局アジア人を引っ張ってくるしかない。スリランカ人を雇う。みんな真面目そうだ。でも、村の住人は気にいらない。村の周辺にあった炭鉱がなくなり職を失った人が多いというのに。ここまで何で避けるのか?という気もする。感染症ももってくるとかうるさい。むちゃくちゃ閉鎖的だ。

まずは、教会の集会に加わろうとしたスリランカ人を入れないように追い出した後に神父に詰め寄る。ここで住民たちの反対の発言がエスカレートした後で、スリランカ人たちが宿舎にしている家が襲われる。

そして、集会が始まるのだ。ここから延々と緊迫感がある場面が続く。自分は時間を計っていなかったが、作品情報によると17分の超長回しだ。このシーンには驚いた。集会で数多くの住民たちがスリランカ人を追い出そうと発言すると同時に、工場経営者や移民側につく人たちも反論の発言する。特定の人だけにセリフがあるわけでない。外野もうるさく、集会がぐちゃぐちゃになる。大げさではなく、こんなリアルな集会のシーンはこれまで観たことがない。これって何度もテイクを取ったのであろうか?やりとりが半端じゃない。最大の見どころのシーンを観るだけで、この映画を観る価値がある。


新生児の数が100万人を大幅に下回り、人口減少が予測されている日本では労働力の確保に移民に頼らざるを得ないのは間違いない。最近は食べ物の単価を上げないサイゼリヤにはアジア系といっても中東系の人種も目立つようになってきた。川口には1000人単位で中国人が入居している芝園団地もある。でも、この映画に出てくるような田舎の町に、移り住むこともあるだろう。この映画は対岸の火事のような捉え方はできない


印象に残ったことは多々あるが、シーラが聴いている音楽がトニーレオンとマギーチャン主演映画「花様年華」で繰り返して使われた弦楽の曲だ。シーラはチェロでこの曲を弾こうとする。


自分たちのそれぞれの伴侶同士で浮気していることに気づき、2人が出会うようになる。「花様年華」ではそんな場面に使われていた。当然、クリスティアン・ムンジウ監督は「花様年華」の不倫ムードを意識しているだろう。ただ、この映画は不倫を極めて描く作品ではない。家庭の混乱、周囲での人種差別と排除とかあるのに、ノホホンとしている主人公を責める。

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映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」

2023-07-25 06:45:53 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」を映画館で観てきました。


映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」はドイツナチスのゲシュタポに幽閉されたオーストリア人の法律家を描いている小説家ステファンツヴァイク「チェスの本」の映画化である。チェスが絡んだ映画で面白い作品が多い。フランス映画に比較すると,ドイツ映画を見ることの方が少ない。大学の第二外国語がフランス語だったせいもあるかもしれない。最近ナチスを題材にした映画は多い。ほとんど回避しているがチェスが絡むとなると見てみたくなる。

第二次世界大戦の前、オーストリアにナチスドイツが大きく政治に関わるようになった頃,ウィーンで法律事務所を営むユダヤ系のヨーゼフにもナチスの蝕手が伸びてきた。ヨーゼフ(オリバー・マスッチ)は高級ホテルの一室に監禁されて、管理している貴族の銀行口座の暗証番号を教えるまで閉じ込めるとゲシュタポ(秘密警察)のベーム(アルブレヒト・シュッヘ)により尋問される。長期にわたったためヨーゼフの精神は錯乱した。一方で、ヨーゼフは見つけた一冊のチェスの本を読み暗記するのに膨大な時間を費やし、お手製の駒を動かしてシミュレーションしていた。

監禁が解けたあとで、妻とともにアメリカ行きの船に乗る。船内のチェス大会で1人のチェスチャンピオンが大勢の乗船客を相手にしているときに、客船のオーナー(ロルフ・ラスゴード)の打ち手に横から口出しをして引き分けに持ち込んでしまい信頼を得る。ヨーゼフはチャンピオンと試合することになる。

映画の質はそれなりだけどイメージが若干違う展開であった。
別にナチスの代表者とチェスしているわけではない。ナチスに仕掛けたというのはちょっと大げさだ。チェスのチャンピオンと試合している時にたしかに映像にゲシュタポの男が幻のように現れるが現実ではない


主人公のヨーゼフはナチスによる長年の監禁で幻惑に悩まされて精神が錯乱されて統合失調症になってしまう。映画の基調は絶えず、幻惑として現れるナチスのゲシュタポ(秘密警察)の面々を映していく。妻とアメリカ行きの船に乗ったつもりだったけど、実際には1人だったのだ。妻の姿もまぼろしだった。

もともとヨーゼフはウィーンでハイソな世界にいた法律事務所を営む弁護士だ。お抱えのクルマに乗りながら、豪邸に住む。ウィンナーワルツが華麗に流れる舞踏会でも妻と踊る。(解説では公証人となっているが、違和感を感じる。映画のセリフでは法律事務所を主宰する弁護士だ。)


自分が感じるのに、ロンハワード監督ラッセルクロウ主演の「ビューティフルマインド」に流れるムードと一緒だ。ゲームの理論のナッシュ均衡でノーベル賞を受賞したジョンナッシュ暗号解読にかかりっきりになり幻惑を見るようになる。監禁で心の安定を失うヨーゼフとの類似点を見出す。統合失調症にとらわれる男の心の暗雲を映す映像としては、色彩設計や画面構造も含めてこの映画も悪くはない。


ただ、チェスゲームが基調のNetflix「クイーンズギャンビット」や映画「ボビーフィッシャーを探して」のようにチェスゲームの駆け引きや勝ち負けでの興奮を期待すると肩透かしにあうかもしれない。それに、いくらチェスの本を繰り返し読んでも、チェスのチャンピオンと対等に戦うなんて話はありえない気がする。将棋の定石本や棋譜を監禁されて集中してディテイルまで読み込んでも藤井聡太と対決レベルになるはずはない。
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映画「EO」

2023-05-12 19:02:24 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「EO」を映画館で観てきました。


映画「EO」はサーカスにいたロバが方々でさまざまな出来ごとに出くわす一種のロードムービー的な映画だ。ロバというと、自分の世代では日本TV「おはようこどもショー」のロバを思い浮かべる。あの時は愛川欽也のかぶり物だったけど、妙に大きく見えた気がする。ここではそんなに大きくないロバで控えめな性格だ。

もともとサーカスの見せ物用で若い女と戯れていたEOというロバが、動物愛護の観点から保護される。ところが、移った農場から勝手に飛び出してしまう。保護されるごとにハプニングがあり、気がつくと国をまたがっている。どうなるEO?


もちろん、ロバが何か話すわけではない。しかも、周囲のセリフは最小限だ。鳴り響くバックミュージックは、ロバの感情と苦難の環境を示すように高く鳴り響く。牧場を去り野生の動物が渦巻く森の中をさまよう。ところが一転、町のサッカーチームに出くわして守護神のようになる。欧州人のスポーツへの熱狂をコミカルに示すシーンだ。でもすんなり行かない。ライバルチームの恨みをかいEOが傷つけられるのだ。


そんな紆余屈折が続く。ロバの周囲を取り巻く人たちに翻弄されながら、賢いロバが最高の演技をして期待に応える。ロバを人間のように被写体として導くのはお見事である。でも、この映画好きかと言われれば、正直うーんといった感じだ。
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映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」 ザーラ・アミール・エブラヒミ

2023-04-23 15:06:16 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」を映画館で観てきました。


映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」イランで起きた16人娼婦連続殺人事件を題材に北欧で活躍するアリアッバシ監督が制作した作品である。主演のザーラ・アミール・エブラヒミ殺人犯を追うジャーナリストを演じてカンヌ映画祭主演女優賞を受賞している。中東らしい目鼻立ちがくっきりしたエキゾチックな美人だ。イラン社会の闇に入り込む映画で、ロケはヨルダンで撮影されているデンマーク発の作品である。

イランのシーア派の聖地マシュハドで、娼婦に絞って連続で殺害される事件が起きている。ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)がテヘランから来て、警察当局や被害者などから話を聞きだしている。その最中にも事件が起きる。犯人(メフディ・バジェスタニ) は毎回犯行声明を出す。捜査当局の緩慢さに我慢できないラヒミは自らおとりになって犯人を見つけようとする。


独特の薄気味悪さをもった作品である。
ゴルゴ31の中東を舞台にした劇画に出てくるあやしい雰囲気が漂う。街娼が道路脇に立ち、バイクや車を走らせる男をキャッチする。カネを持っているかどうかを確認した後で同乗してエッチする場所に向かう。イランではそういう買春システムなんだろう。


犯人が娼婦を殺すシーンをいくつか用意する。むごい場面である。まさに絞殺魔だ。警察当局は踏み込んだ捜査をしていない。どうやって捕まえるんだろう。最初はそう考えていた。そこではジャーナリストの大胆な行動が鍵となる。


でも結局、捕まってしまう。アレ?まだ映画終了まで時間がある。
捕まった後で日本では考えられないような言動が目立つ。街の浄化で殺人を犯したという犯人をかばうデモも繰り広げられる。日本でも安倍元総理の事件が起きて、一部にかばうムードも生まれたことも連想するが、比較にならない。これだけ殺人を犯しても家族は犯人の味方だ。イスラム社会の不可解さが根底に流れる。いかにもイスラム国家らしい女性蔑視の世界を象徴する場面も目立つ。

裁判が進んでも、何それ!と思う場面が続く。自分の知らない世界だけど見応えはある。イランを飛び出した人物によるイラン国家への批判とも読み取れる奇妙な映画だった。
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映画「コンペティション」 ペネロペクルス&アントニオバンデラス

2023-03-18 16:01:39 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「コンペティション」を映画館で観てきました。


映画「コンペティション」はスペインアルゼンチンの合作映画。ペネロペ・クルスとアントニオ・バンデラスの2大スターの共演に「笑う故郷」の名優オスカル・マルティネスが加わる。監督は「笑う故郷」ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーンだ。予告編を観て、ペドロアルモドバル監督作品のような色合い鮮やかで斬新な映像に目を奪われる。「パラレルマザーズ」では50近くなってもペネロペクルスの美貌が衰えていないことに驚く。ここでもペネロペクルスに期待する。

ある大富豪が自分の名声を残すために映画製作を思いつき、ベストセラーの版権を買い、異色の女流監督ローラ(ペネロペクルス)を起用する。ローラは世界的スターのフェリックス(アントニオバンデラス)と舞台俳優イバン(オスカル・マルティネス)に諍いの絶えない兄弟を演じさせるべくリハーサルをはじめる。そこでは3人の個性が衝突して強い葛藤が生まれるという話である。


思った以上に退屈な映画であった。
予告編で観た鮮やかな映像はこうやって映画を見終わると、いいとこ取りしたなあという印象を持つ。室内劇の要素が思いのほか強い。でも、建築デザインとして見どころのある建物で、大空間の中での撮影なので閉塞感は少ない。そんな中で、異色の女流監督というだけにやることが奇想天外で、リハーサル風景にはなかなかついていけない。残りの男性2人のパフォーマンスも普通じゃない。


そういう単調な流れだったのが、終末に向かう場面で転換期を迎える。ここでグッとおもしろくなっていく。どうストーリーをもっていくのか一瞬の緊張感を生みつつ、ペネロペクルスのアップで終了する。ある事件が起きたときのペネロペクルスの目が印象的であった。


この映画でおもしろいセリフがあった。「人は自分が理解できるものを好み、理解できないものを嫌う。」でも「理解できないことの中に大事なことがある。」後半戦で監督のこのセリフを聞いたとき、なるほどと思った。でも、この映画は自分にとって理解しづらい部類だと思った。最近観て調子が狂った「エヴリシング エヴリウェア アット ワンス」も理解できなかったけど、自分を超越した何かがあったのかな?そんなことを考えていた。
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映画「逆転のトライアングル」 リューベン・オストルンド

2023-03-02 05:00:12 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「逆転のトライアングル」を映画館で観てきました。


映画「逆転のトライアングル」はスウェーデンのリューベン・オストルンド監督がカンヌ映画祭パルムドール(最高賞)を受賞した作品である。サバイバル系の映画ってあまり好きじゃない。今回も迷ったけど、一応話題作なので観てみようという気持ちだけで映画館に向かった。

人気女性モデルのヤヤが豪華客船の旅に招待され、恋人の男性モデルのカールと乗船する。船には超富裕層がうじゃうじゃいる。ところが、嵐の中の航海の後で海賊に手榴弾を投げられて船は爆発して生き残った乗船客は無人島へと漂着する。そこでは、サバイバル能力のあるトイレ掃除の女が、立場を逆転してリーダーになる。

実につまらない映画だった。
前半戦が退屈だ。モデル同士で話す会話の意味がよくわからない。女の稼ぎがいいのに男がおごるおごらないで、こんなにネタになるの?退屈!乗船してからは、自分勝手な富豪の客たちの振る舞いの描写が続く。それぞれに個性を持たせているが、見ていて不快な感じしかしない。その不快な面々が嵐の航海で、嘔吐しまくる。小汚い。イヤー!ひでえ話だと思ったら、船が突然海賊に手榴弾を投げられて爆破してしまう。


無人島のサバイバルは今まで色んな映画で取り上げられてきたし、立場が無人島に来て逆転する話も過去にはいくつもある。もともと便所掃除のおばさんだったアジア系の女が急に威張りだした。海に潜って手づかみでタコを獲ったりするのだ。育ちが育ちなんで、原始的生活にも耐えられちゃうのだ。食料を用意するとなると、誰も何もいえずリーダーになってしまう。しかも、モデルのカールに無理やり性的に満足させるように仕向けるのだ。


まあ、いずれの話も中途半端で尻切れトンボ感が否めない。最後に向けて、たぶんこうなるんだろうなあと観ていて、その通りになりそうだった時に映画が終わる。普通の映画と違って、中途半端な感じがしたのでエンディングロールの後にオマケがあるのではと席を立つ人がいなかった。でも、何もなかった。

これがパルムドールだと推薦する人たちと自分とは感覚が違うのでは?と感じてしまう。これが欧州映画界の感覚か? それでも、前の年のフランス映画「TITAN」もかなり飛んでいたけど、まだ理解できた。つまらないなら、何も書かない。でも、パルムドールを受賞した作品だとすると、備忘録的に残しておかねばと思った。


ただ、大富豪たちが食べる船上ディナーの食事は、驚くくらい美的でおいしそうなものだった。その一方でこのおいしい食事を次から次へと嘔吐するシーンが続くのもすごいなあ。嵐で船の中が大荒れになった時に船長とロシア人富豪の1人がやたら社会主義の話をしていた。レーガンの言葉をはじめとした名言が飛び交う。大揺れで誰もが立っていられないその時にこれって何が言いたいのだろうと考えていたら船は爆破。。
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Netflix映画「神が描くは曲線で」バルバラ・レニー

2023-03-01 18:00:25 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
「神が描くは曲線で」はNetflix映画


Netflix映画「神が描くは曲線で」はスペイン発のサスペンス映画である。何気なくNetflixの画面を見ていて気になる。「マジカルガール」バルバラレニーが主演だからだ。同じくNetflix映画の「日曜日の憂鬱」でも強い印象を残したバルバラレニーは、精神病院内で起きた殺人事件の真犯人を見つけるために、精神に異常をきたしたふりをして侵入する私立探偵を演じる。

Netflixでは抜群の出来のミステリー作品だ。
スペインのペドロアルモドバル映画を思わせる不安感を感じさせる音楽が効果的に効いている。精神病院の患者は、誰もが曲者だ。猛獣がたむろうジャングルのようだ。映画館の大画面で観れば、もっとよかったと思うが、終始一貫何が起きてもおかしくない状況をつくり出す。

精神病院内でダミアン・デルオルモという患者が亡くなった。自殺として処理されたが、別の患者による殺人事件の疑いが強い。アリス(バルバラレニー)は事件に関心を持ち、夫殺し未遂がパラノイアのせいとされて精神病院に入院する。実はアリスは私立探偵で父親から息子の事情を聞き殺人事件の真相を知るのが主目的だ。

元々は病院内のスタッフや院長にも話が通じているはずだったが、様子が変だ。絶対おかしいとパラノイアとして扱われる。懸命に医師に説明しても通じない。しかも、重要人物と思った人物が他人だった。気がつくと、重症患者として隔離状態にされてしまう。


そんな展開だけど、観客の我々をいかにして騙すか?そんな監督の心意気が感じられる。おもしろい展開で進むのであるが、常に真実はどうなの?と疑う面が多い。

この映画は2回以上観ないと理解できないかもしれない。長い映画だけど、2度目で理解できたディテールがある。アリスは正気との前提でストーリーが進んでいる。観客にはアリスが罠にはめられたのかと想像させる展開をとる。病院内にはアリスの敵と味方の両方がいる。


この映画はいくつもの解釈ができるように脚本に迷彩が散りばめられている。かなり頭が錯乱させられたが、サスペンススリラーとして良い映画になっている。

ここ最近観たNetflixでは、最も印象に残る作品となった。
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映画「いつか君にもわかること」ウベルト・パゾリーニ&ジェームズ・ノートン

2023-02-18 18:09:28 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「いつかの君にもわかること」を映画館で観てきました。


映画「いつかの君にもわかること」は映画「おみおくりの作法」の監督ウベルト・パゾリーニの作品である。「おみおくりの作法」は日本でも阿部サダヲ主演で「アイアムまきもと」としてリメイク公開された。実に泣ける作品だ。そのウベルト・パゾリーニの作品であれば間違いないだろう。この作品も泣けるという評判だけ確認して映画館に向かう。

妻と別れて4歳の息子マイケルをシングルファザーとして育てる34歳になろうとするジョン(ジェームズノートン)は自分の余命が短いことを知る。育ててくれる親を探そうと、ソーシャルワーカーとともに子をもとめる親に会いにいく話
である。


ジーンとくるものがあるが、感傷的ではない
一般にこの手の映画は、お涙頂戴のエピソードを重ね合わせることが多い。でも一歩置くウベルト・パゾリーニ監督のインタビュー記事によると

これを映画として届けるには、観客のための余地をきちんと作る必要があると思いました。それはつまり感傷的なメロドラマにはしないということ。登場人物たちが泣き腫らしたり、成長した息子が父の墓に行くようなシーンがあると、あまりに極端で深刻な状況が続くことになり、観客がそこに入り込む余地を失ってしまう。

普遍的な生活の積み重ねを一つの風景画のように見せることが出来れば、観客は共感してストーリーに入っていける。(CINE MORE 香田史生インタビュー記事引用)


泣ける映画という評判があったので、映画を見終わったとき、あっさりとした印象を持った。もっと観客を感涙に誘導するシーンがあってもいいのになあと思ったものだった。なるほど、こういうことだったのね。

それでも、映画館の中では、終盤に向かうにつれて女性陣のすすり泣く声がずっと響き渡っていた。何せ、息子マイケルを演じるダニエル・ラモントかわいいこんなかわいい子と別れるなんてと想像しただけで、別に自分の子供でなくても悲しくなってしまう。しかも、「養子はイヤだ」というセリフがあったり、「死ぬ」ことについての素朴な疑問が次々と出てくる。そんなセリフだけでも切なくなるのだ。


父親役は「赤い闇 スターリンの冷たい大地」でナイーブな英国人記者を演じたジェームズノートンである。2020年日本公開では個人的には評価している映画だ。ただ、映画を観ているときには同一人物だとまったく思わなかった。ときおりやけになるときもあるが、子供のことを思うと養父母を淡々と探す父親になりきっている。好感が持てる。

映画を観ながら、父の本当の親のことを思った。この映画を観る前は、まったく考えもしなかった。父は1才になる前に、養父母の元へ行った。父の実父母は戦前は不治の病だった結核に2人ともかかり、父が預けられてまもなく2人とも亡くなっている。映画に近い状況である。

細かい言及はあえて避けるが、父を預けるときにどんな気持ちであったのであろうか。この映画を観ながら、ふと考えてしまう。父の実父母の親族との付き合いはまったくないので、当時何を考えていたのかはわからない。


父の養父母は2人の子どもを授かったが、幼い頃に亡くなっている。大正から昭和にかけての医療事情ではやむを得まい。私はその祖父母にかわいがってもらった。本来だったら孫はいない。人一倍ぜいたくさせてもらった。感謝しかない。父を引き取ったときの気持ちは母が祖母からきいている。いろんなことを振り返るきっかけにもなった。
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映画「コンパートメントNo.6」

2023-02-14 19:54:01 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「コンパートメントNo.6」を映画館で観てきました。


コンパートメントNo.6はフィンランド映画カンヌ映画祭でグランプリを受賞している作品である。大好きなフィンランドの名監督アキ・カウリマスキ作品のテイストもあるという話で行こうとすると、予約で一杯。東京ではシネマカリテしかやっていないのだ。それでもネット予約して何とか行くと、受付で門前払いされている客が多いのに驚く。もちろん満員だ。

基調はロードムービーだ。
舞台はロシアだ。モスクワからサンクトペテルブルグを経由して北端の駅まで2昼夜走る寝台列車に乗っていくのだ。外は雪が降り続く。主人公ラウラ(セイディハーラ)はフィンランド人だけど、モスクワに住んでいる。女性の恋人がいる。でも、一緒に行くはずだったのに、結局一人旅になってしまう。


何故か、まったくの他人の男女が同じ客室で一緒になる。何それ!と思ってしまう。同室のプーチンのような顔をしたいかにもロシア人リョーハ(ユーリーボリソフ)が大酒をくらって絡んでくる。これはヤバイと女性の車掌に部屋を変えてくれと訴えても無視される。


それが、仕方なしに列車に乗っているうちに、粗暴なリョーハの態度も少しづつかわる。お互い徐々に好感を持つようになるという話だ。それを見せつけるエピソードと小話を積み上げていく。

カネがかかっている映画ではない。元々、アキ・カウリスマキの映画に出てくるバックの風景のように、いかにもノスタルジーな世界である。二人の男女は美男美女ではない無愛想な女性車掌にカウリスマキ映画のテイストを感じる。列車で知り合った男の知り合いのおばあちゃんの肌合いも同様だ。純粋なロシア人の素朴な感じがにじみ出る。


好きなタイプのやさしい映画だ。列車は札幌から稚内に向かうような雰囲気だけど、この映画の移動距離は半端じゃない。しかも、行き先が世界最北端の駅ムルマンスクだ。嵐のシーンの風雪が凄すぎる。かなりのロングタームの旅の中で、狭い空間にいる二人の嫌悪の目が徐々に恋に近づいていく空気感にほのぼのとした感触をもった。日本ではなくなりつつある食堂車がいい感じだ。
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映画「パラレルマザーズ」ペドロ・アルモドバル&ペネロペ・クルス

2022-11-05 08:00:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「パラレルマザーズ」を映画館で観てきました。


映画「パラレルマザーズ」はスペインの奇才ペドロ・アルモドバル監督の作品である。ペインアンドグローリー以来長らく楽しみにしていた新作が観れてうれしい。盟友というべきペネロペ・クルスの主演で、たびたび映画の題材になる「取り違え子」の話に取り組む。いくつかの類似作品と比べて既視感のない展開である。48歳になるペネロペクルスは今でも魅力的で、いつもながらのペドロアルモドバルの色彩豊かな映像に花を添える。


ジャニス(ペネロペ・クルス)はスペイン内戦で迫害された人々の悲惨な歴史に関心を持つ売れっ子の写真家、同じ志を持つ仲間との不倫で懐妊する。シングルマザーになることを覚悟して出産のために入院した病院で若き妊婦アナ(ミレナ・スミット)と知り合う。2人は同じ日に出産した。


無事退院したあと、自分の娘セシリアと対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられる。自ら懸念していたことを言われ悩んだジャニスが、DNAキットで子どもと自分が本当の親子かどうか検査する。その結果、セシリアが実の子ではないことが判明するのだ。

ジャニスはそのことを黙って育てていった。そんなある時、自宅の近くのカフェで働いている病院で同室だったアナとバッタリ出会う

この後の展開は伏せる。ただ、日本人の脚本家がこの題材を選んだら違う書き方しただろうなあと感じる。日本人とスペイン人の感覚が違うのが歴然とわかる展開で意外な方向に進む。一緒の病室だったアナを演じるミレナ・スミットはペネロペ・クルスに引けをとらない演技力を持ち良かった。

⒈ペドロ・アルモドバル作品独特のムード
映画が始まり、いつものようにアルベルト・イグレシアスの音楽が流れていく。そして、ペネロペ・クルスcanon のカメラを持ち特異な色の被写体に向かう。ペドロアルモドバルワールドに入っていく感覚を覚える。色彩設計がいつもながらすばらしい。前作同様「赤」の使い方がうまいのと同様に補色的感覚の「緑」が際立つ。ペネロペクルスが入院する病室の壁も日本では考えられない派手な色づかいだ。視覚と聴覚で独特のムードに浸れるのはうれしい。

ペドロ・アルモドバルが長らく起用してきた女優ロッシ・デ・パルマがここでも登場する。奇怪なその顔がペドロアルモドバル作品のムードにピッタリだ。デイヴィッドリンチ監督作品のような別世界に入っていくような感触を我々にもたらす。

ただ、いつもの重層構造の脚本に比較すると、深みが少ないと感じる。「取り違え子」の話がベースである。いつもより展開は単純かもしれない。不安心理を誇張させるアルベルトイグレシアスの音楽も、音楽を印象づけるほどのシーンに恵まれない。

スペイン内戦で迫害を受けた祖先を持つという設定が加わり、始まりから「歴史記憶」という字幕が出てくる。何それ?という感じで現代スペイン史の基本的知識がないためか頭脳にしっくりこなかった。


⒉ペネロペ・クルス
48歳のペネロペ・クルスが美しい。強烈な印象を残したペドロ・アルモドバル監督作品「ボルベール」で32歳だった。写真家という設定もいい。canon カメラを手にする姿がカッコいい。さすがにバストトップは見せないが、軽い絡みを見せるシーンもある。いかにもラテン系美女というべきペネロペ・クルスが身近に現れたらゾクゾクしてしまうだろう。主人公のジャニスの名前はジャニス・ジョプリンからとったという。途中でジャニスの「サマータイム」が流れる。至福の瞬間だった。

自分の育てている子どもが、違う親から生まれた子だとわかる。普通だったら、出産した病院に問い合わせるだろう。でも迷わずそうしない。その展開に疑問を感じる部分はある。もしかして、自分の手元から去ってしまう不安もあるのだろう。一切黙っている。この辺りの微妙な女性心理の演じ方はうまい。各種女優賞の獲得は順当だろう。


大学卒業25年目に合同の同期会があった。ホテルに集まる男女の中で、48歳の着飾った女性に注目すると、衰えたと感じる女性と輝いている女性に分かれる。女性もまだ生理がある時期である。最後の盛りと思しき感じもある。この後還暦で集まると、かなり輝きが薄れる。ペネロペ・クルスはどうなっていくのであろう。そんなことを考えていた。
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映画「3つの鍵」 ナンニ・モレッティ

2022-09-20 20:27:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「3つの鍵」を映画館で観てきました。


「3つの鍵(Tre piani)」はイタリアの名監督ナンニ・モレッティの新作である。自ら俳優としても出演している。原題は3階建という意味で、イスラエルの作家エシュコル・ネボの原作「Three floors up」ローマに舞台を移して、3階建分譲高級アパートメントに住む4つの家族に起きる出来事を描く。映像はある交通事故の場面からスタートする。

ある夜、猛スピードで走る車が女性を跳ね、3階建アパートメントに衝突する。女性は亡くなる。衝突した建物の3階に住む裁判官夫婦の息子アンドレアが運転していた。その事故を2階に住むモニカが外で目撃していた。でも、出産のため病院に向かう途中でかまっていられない。車が衝突した1階に住む夫婦は仕事場がぐちゃぐちゃだ。共働きなので向かいに住む老夫婦に娘を預けることになる。


ここから話を始める。この後、それぞれの家族で異常と思える行動をとる人物が出てくる。オムニバス形式で時間が経って話がつながっていくというのではなく、最初から少しづつ接触してつなぎ合っている

重厚感のある映画である。
最初に映る交通事故のシーンから不安を増長させる音楽が流れる。音楽から感じられるムードと映像でこの映画は格が違うなと感じる。ヴィジュアル、音楽両方ともトップレベルである。特にフランコ・ピエルサンティの音楽は絶品だ。

いくつもの家族の話をまとめるので、ストーリーのつなぎがぎこちない部分もある。それでも、逸話がいくつもあると、訳がわからない場合も多い。ここではそうならない。極端な人物をクローズアップしているので、頭の中に要旨が印象深く刻み込まれる。

ヴィジュアル的にはデザインが進化しているイタリアならではのオーセンティックなインテリアに包まれる。木の素材感を散りばめた素敵な天井高の高いアパートメントの部屋だ。主要場面では、タンゴの伴奏で奏でられるバンドネオンの音色を混ぜた音楽で観ているわれわれの視覚と聴覚両方を高揚させる。なんと素晴らしいのであろう。

⒈ナンニ・モレッティ監督の演出
ごく普通の男女がそれぞれ普段の顔と違う一面を持っている。その悪い部分をエピソードにして誇張する。映画を観ている方は登場人物が何でこんなことするのと思ってしまう。そう思わせるのがナンニモレッティの作戦だ。それぞれのストーリーごとに登場人物の心の揺れの方向を予想と違う展開に持っていき、楽しませてくれる。

逸話がいくつもあるが2つだけ抽出する。

⒉交通事故を起こした男
いきなりの交通事故を起こした男の両親はともに裁判官である。どちらかというと、母親の方が息子を強くかばう。本来であれば、事故により人を殺したわけである。もっと反省せねばならないのが普通だ。でも、そんな気配はないどころか、知っている裁判官を懐柔して刑を軽くしてもらってくれとしか言わない。

結局、反省の色のない息子を父親が見捨てていると感じ、息子は大暴れするのだ。一部の異常人物を除いては、どの観客も息子に同情しないであろう。また、そうなるような息子のパフォーマンスだ。悪い部分を誇張する監督の一面がでる。でも、このままではストーリーが終わらない。この映画では5年後、10年後の展開まで映し出す。善と悪のバランスを時の流れでとっていく。うまい。


⒊老人が娘にいたずらしたのではと想像をする男
一階に住む共働きの夫婦は娘を目の前に住む老人夫婦に一時的に預かってもらう。老人の夫の方は若干ボケが進んでいる。物忘れがひどいと老人と遊ぶ娘が気がつく。それでもまたその老夫婦に預けるのだ。ところが、娘と老紳士が行方不明になってしまう。懸命に探して、父親が娘と一緒に行ったことのある公園に行くといた。老人は倒れて失禁していた。その時点で、父親は、老人が娘に性的いたずらをしたのでは?と疑う

老人はボケが進んでいているのに疑い方が半端じゃない。老人は何も覚えていないという。母親はいたずらするなんてあり得ないと思っていても、父親は血相を変えて老人に挑む。普通じゃない。


この話おかしいんじゃないの?と思っているときに、老人の孫娘が留学先のパリから帰ってくる。この孫娘は父親に男として好意を持っていて積極的に近づいていく。別に罠にはめようとしているわけではないが、気がつくと男女関係に進んでしまう。とんだところで脱線していくが、結局破滅に進む。


他にも、出産まもない母親の妄想やその夫の兄とのいざこざなどまだまだ盛りだくさんだ。こんな複雑な人間関係の話が続くと訳がわからないはずだが、そうならない。それ自体がナンニ・モレッティ監督のうまさなのである。ローマの崇高な背景の中で、ヴィジュアルよく描写しているのをみると、気分が悪くなってもおかしくない話なのに引き込まれていく見事だ
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