まあぼくもいろいろ不安です。
たとえば、本来のぼくとしては、この期におよんで、嘘ばかり言う“専門家”とか“原子力にくわしいお方”とか、ナントカ電力とか、ナントカ保安院とか、予想通りだめなセイジカ+カンリョウの、<批判>をしたいのだが、いまいちばん怖いのはパニックです。
まあ、自分が住んでいるのが、人がぼくをふくめウジャウジャいる地域=トキオなので、ここでパニックが起これば(どういうパニックが起こるかは、みなさんの想像力によりますが)、放射線のじわじわくる恐怖もさることながら、即効性でありえます。
ぼくは人格者でも悟りをひらいたひとでもないので、訓示はいたしませんが、“みなさん”、落ち着いてください(無理して!)
さて、このブログはいかなる時でも、“読書 → 引用”を看板にしてるんだから、たまたま昨日読んだ“言説”を引用しましょう。
しかし、この引用は現在の状況にたいする教訓をなんら含みません;
★ 意識とは、本来、人と人とのあいだの連絡網にすぎない、――ただそうしたものとしてのみ発達したに違いなかった。つまり、世捨人的な猛獣のような人間なら意識など必要とはしなかっただろう。・・・・・・人間は、最も危険に曝された動物として、救助や保護を必要とした、人間は同類を必要とした、人間は自分の危険を言い表し自分をわからせるすべを知らねばならなかった、――こうしたすべてのことのために人間は何をおいてもまず「意識」を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを「知る」こと、自分がどんな気分でいるかを「知る」こと、自分が何を考えているかを「知る」ことが、必要であった。
<ニーチェ『楽しい知』― D.オーウェン『成熟と近代』(新曜社2002)より引用>
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