Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“うつ”について

2012-09-09 07:08:10 | 日記


現在の“ぼく”の状態にもかかわりがあるので、國分功一郎ツイート引用。

ぼくはここで國分君が言っている事に“賛成”しているのではない。
つまり共感できる“部分”と、共感できない“部分”があるということ;



☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
あと、松本さんの論文では、鬱病の話が出て来て大変興味深かった。鬱病のって、こんなに話題になってるのに理論的な話を聞かない。一体鬱病はどうして発病するのか、そのメカニズムについての説明ですね。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
フロイトはメランコリーを、愛していた対象の喪失した時にその対象に対する愛がそもそも過度に自己愛的であった場合に起こる、と説明してますね。現代の鬱病についても、こういう理論的な説明を聞きたい。こういう人が鬱になりやすいとか、がんばれって言っちゃいけないとか、そんな話ばっかり

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
20世紀は哲学が文学に接近した世紀であるとはよく指摘されました。しかし同じく20世紀は哲学が精神分析に接近どころか、精神分析が哲学を飲み込んだとすら言える世紀でした。これは考えてみれば結構驚くべきことです

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
ハイデッガーが言うように、哲学の起源には「何かが存在すること」への驚きがあるのだとすれば、哲学がここまで精神分析と接近したことはやはり驚くべきことではないでしょうか?

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
岩波のフロイト全集月報にこんなことを書いたことがある。自分は精神分析というのは治療のための学問だと思ってた。だから精神医学に関わる訳でもない自分が面白がってそれを読むのは不謹慎であると。おれは長らくフロイトの著作を読むことができなかった。実際、大学生の時フロイトは殆ど読まなかった

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
同じようなことをブランショが言っていて、共感した。でも、実はフロイトを読むと、彼自身が精神分析は治療のための学問には限定されないと言っていた。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
突然、卑近な話になるけど、普通精神病の話を読みながら、やっぱ人間が生きていくのって大変なんだよなぁって思った。神経症になったり鬱になったり、なんとか精神病を生きていたり、それがフツーなんですよ。カント=フロイト的に言えば、自然は人間にそれだけ過酷な条件を課しているのです…。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
たまに、自分も簡単に気が狂うだろうな、気が狂って人に迷惑かけたりするだろうな、って思う。現代の正常、というより気が狂ってないパーソナリティのモデルが問題あり過ぎなんだよ。それを維持するためにどれほどの決死の努力が必要か…。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
『暇と退屈の倫理学』冒頭で書いたけど、部屋でじっとしていられないから金払って軍職を買って戦争に行くっていうパスカルが紹介してる事例って、近代の「理性」とか「正常」の基準からみたら、完全に頭狂ってるよ。でも、それが人間の当たり前なわけでしょ。人間が生きてくのはどれほど大変か。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
@suginamihikari カント=フロイト的に言えば、まず最初に自然が人間に「理性」と呼ばれるものを持ちうる条件を与えてしまった、そこから社会等々が与える困難が派生するわけですよ。僕はこれは基本的に正しいと思いますね。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
@syu_cho 仰る通りだと思います。そのことを歴史的、理論的に研究きたのがミシェル・フーコーの『狂気の歴史』です。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
@nakaraich まぁ、ツイッターとかで言葉を交換したりするのも結構救いになりますね。人間が生きてくってのはけっこう大変だってのを社会がもっと認知すべきですよね。

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
ちょっと文脈違うけど、昔、スペインにあるキリスト教世界三大巡礼地の一つサンチアゴ・デ・コンポステラに行った時、若い連中が昼から酒飲んで道とかで寝てるわけ。でも、そういうどうしようもない連中が教会に来ると両手を組んで、ホント心の底から祈ってる。@nakaraich

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
タバコの吸い殻は散らかすし、大声で喋ってうるさいし、本当にどうしようもない連中で、でも、そいつらが信仰によって見事に統率されてるわけです。あれをみた時に信仰の強力さと必然性を感じ、また、信仰がなければあんなになってしまう人間のだらしなさを実感しました。@nakaraich

☆ 國分功一郎 ‏@lethal_notion
主観的事実としては人間はメチャメチャ弱い。客観的にそういう人間なる存在を眺めるとメチャメチャだらしない。そういう真理から考え始めないと。これが何を意味するかというと、カントが言う通り、人間には文化と進歩が必須だし、進歩せざるを得ないということだと思う。@nakaraich

(以上引用)







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