Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
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“社会学”入門

2009-08-11 01:27:00 | 日記
またまた“入門書”の話で恐縮だが、出たてのホヤホヤの稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)を紹介したい。

ぼくはすでに“社会学入門”に関する2冊の本を読んでいる。
内田隆三『社会学を学ぶ』(ちくま新書2005)と見田宗介『社会学入門』(岩波新書2006)である。
もっとふるくは、大澤真幸編『社会学のすすめ』(筑摩書房1996)というのもあった。

まあいつまでも“入門”ばかりしていてもしょうもない、という立場もおありだろう(笑)
ぼくは、もちろん大学で社会学を専攻していない(専攻してたら、いまどき“入門”していない)

また、なぜ“社会学”にこだわっているかも、不明である。
実は、ぼくは“社会学に”こだわっているのでは、ない。
ぼくは“自然科学”にも、“文学”にもこだわっている(笑)

だが(なぜか)これらの“社会学入門”は、みな面白いのである。
ぼくの言うことを疑うのなら、この見田、内田、稲葉の3冊を比較検討しながら読むことを勧めたい。

さてこの稲葉氏の本は、例によってまだ途中(第8講)までしか読んでないが、新鮮な着眼点があると思えた。

稲葉氏は“社会学とは何か?”に対して以下のように回答している;
① 社会学とは、社会的に共有された形式についての学問である
② 社会学とは「近代とは何か」を問う学問である

さてこの二つの定義についての説明がこの本でなされている。
① で重要なのは、“形式”という概念である。
② というのを稲葉氏は、“モダニズム”という概念を中心に展開している、この部分が興味深い。

《モダニズムとは近代の自意識である》
そしてこのモダニズムの概念が、絵画・建築→幾何学(数学)→精神分析として展開されている。

これはぼくにとっては、“社会学入門”というより、“思想史(入門)”であると思えた。
もちろんこの講義は、あくまで概論(入門)であるから、こうした概説を手がかりとして、ぼくたちは、自分の認識を深めてゆくべきなのだ。

こういう“基礎”が、自分には“分かり切っている”と思うひとは、あまり自惚れないほうがよいのではないかと思う。
ぼくにはこの“近代の自意識”について理解している“日本人”が、そうたくさんいるとは思えないのだ。

この本も安い本なので直接読んだほうがいいよ。
サンプルとして、フロイトについての稲葉氏が述べている部分を引用しよう;

★ 以上のように、フロイトは「人間の精神には自分ではどうしようもない領域がある」という認識に到達した。これと「モダニズム」の、そして社会学の問題意識とは、たしかに共鳴しあっています。どういうことか?ここで無意識とは、自分で自分を自覚的に制御する、意図的な行為の主体としての人間の精神を、前もって拘束するものとして捉えられているからです。「人間は自分で自分のことがよく分かっている」という幸福な自己認識が崩れ、「いったい人間=自己とは何か?」という問いかけが心理学において本格的に浮上する。結果的には否定され、克服の対象とされてしまったとしても、このことをもってしてフロイトの精神分析は歴史に残るのであり、またそれは、同時代のモダニズム芸術、数学・哲学の核心、そして社会学の成熟と呼応しあってもいるのです。


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