Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

不破利晴への手紙 09-11-08

2009-11-08 07:03:00 | 日記
<不破利晴コメント>

僕も引用しちゃった (不破利晴)2009-11-08 00:47:08

不破でございます。

「11月07日(土)のつぶやき」の中で、僕もwarmgunさんの言葉を多数引用させていただきました。事後報告となりすみません。




<warmgun返信>

やあ。
風邪はいかが?
“11月08日(土)のつぶやき”ですか。
Twitter?これなんなの?ネット上会話かね、“鳥男”ブログで知ったけどね。

ここで君に返信するだけで無数の“会話”は可能だけどね。
まず、自分のブログ経験の“初期の文章”にめぐりあった。
ヘミングウェイやニール・ヤングやウッドストックについて書いたのは、ほんとうにDoblogの最初の最初だった。

そのころ、君もツナミンも鏡さんもヒメヒカゲさんもnajdaさんも“We we”も“車椅子の詩人”も知らなかった(当然)

いつから君や他の人々が、ぼくのブログを読み、ぼくが君たちのブログを読んだかも定かでない。
そしてぼくたちは、“現実に会い”さえしたのだが、まさに今年において、この関係は壊れた、つまり共感と、会話が途絶えた(君をのぞき)
ぼくがこのことに“こだわらない”ことは不可能だ。

客観的には、このなかでいちばん年長のwarmgunが、もっと“大人らしく”振る舞うことが要請されるのだろうが、ぼくは“大人として”このブログを書いてきたのではないし、たぶんこのことで、いちばん“傷ついた”のは、ぼく自身であり、そのダメージの大きさに対して、ぼくは自分の怒りを制御し、“大人らしく”振る舞わざるを得なかった。

ぼくをブックマークからはずし、ブログから撤退したり、自分の更新しない“引用ブログ”をさらし続けたり、君やぼくのコメントもろとも白紙にしたブログを晒し続ける鏡-ツナミンの無責任をあらためて指摘するまでもない。
なによりも不快なのは、“彼ら”が、ぼくwarmgunを嫌うのは受け入れるが、“彼ら”を現在においてもブックマークからはずさない“不破利晴”ブログに、この間、彼らがただひとつのコメントも書かないことだ。

彼らは、不破利晴はwarmgunの味方だから排除するということなのか。
まさにツナミンが嫌いな“全共闘世代”がおちいった“セクト主義”よりチンケなセクト主義ではないか。

“諸悪の根源”(笑)の“車椅子詩人”に君が関心を持っていないことはわかる。
この“車椅子詩人”という形容につき、鏡響子(まり)から許しがたいとの私信があったと君はぼくに伝えたが(この言葉をぼくはこの数ヶ月胸に秘めてきたが;笑)、
それを聞いたときぼくが君に言ったように、なぜ自分の妻が“車椅子”に近い状態にあるぼくが“車椅子詩人”ということばを“差別語”として使用するだろうか。

ぼくはこういうことを“私的・個人的”に認識しているのではない。
ぼくはたしかにこのブログでは、“そういう私的なこと”を語らないで(語れずに)きた。
しかしぼくの結婚後の生活は“難病者”と共にあり、近年の妻の“患者活動”にともなって、ぼくは多くの“難病者”と会ってきた。
さらにこれは偶然だが、ぼくの退職後のアルバイト仕事は、ヘルパー組織の“事務局”であり、そこでの“活動”は、認知症にかんする講座などの裏方である。

たしかにこれらの問題についてのぼくの取り組みの不充分さは、ぼく自身が日々考えていることだ。
まさに、“この現実”、この現実のリアルな底辺で、今、いったいどのような悲惨が進行しているかを、ぼくが知らないでいることは不可能である。

だからこそ、ぼくはこのブログで、“それ”とは逆のことを書いてきたのだ。
たしかに“難病者や認知症者とその家族の現実”を知る日常のなかで、ベンヤミンやサイードを語ることは、一種の<逃避>でもある。
しかし、ぼくのほんとうの野心は(たぶんぼくが生きている間に実現しえない野心は)これらの分断された領域を架橋することだ。

つまり“認知症的な世界(現実)”に対して、対症療法的な言葉を積み重ねるのではなく、“その根”に遡行することだ。
しかしぼくはすでに疲れており、集中力に欠ける。
そのような状況において書かれるこのブログも、拡散し、切れ切れなのだ。

きみが風邪でつぶやいていた昨日、ぼくは生まれてはじめて何百人かの聴衆の前でしゃべった。
まさに“ひとこと”。

産経新聞と製薬会社が共催したパーキンソン病に関する医師の講演会で、患者夫婦二組と医師が対話するという企画に招待された。
“産経新聞”だぜ(爆)
ぼくは事前になにも準備せず(ほとんど妻に質問がくると予想された)、ぼくの発言はただ一度だったが、ぼくは“うわごと”のようにしゃべった、たいして意味ないことを(笑)
ぼくの“結婚生活”は、すべて“パーキンソン病者”である妻との生活だったので、ぼくはそれ以外の生活を知らず、だから、“それ”が自然だったと言った。

このブログとおなじように(笑)、その発言が何百人もの聴衆に“どう聞かれた”のかを、ぼくは知ることができない。
もちろんぼくの“発言”も、まったく不充分であった。
40年にもわたる“この経験”を、いったいどう“ひとこと”で話せるというのか!

今思いついたが、ぼくはこのブログのアドレスを掲げるべきだった(爆)

要するに、<対話>はきわめて困難である。
しかし、まさに“しかし”、対話への試みは継続されなければならない。

無数の“誤解”を掻き分けて継続されなければならない。

ぼくも気力が萎え、ある日突然、このブログも途絶えるときがくるかもしれない。

しかし、ぼくはここにいる、逃げも隠れもしない。
ぼくがいつも“正しい”とは思っていない。
だからこそ、ぼくのまちがいを、“きみら”は指摘可能である。

ぼくが嫌いなのは、このブログでさえ展開される“睦語(むつご)”である。

睦語は、“恋人と”ベッドのなかでやってくれ。
ブログを、“擬似ベッド”にしないでいただきたい。

われわれが、ベッドで死ねるとは限らないし、ベッドで死ぬ時もただひとりであるかもしれない。

“今日のことは忘れよう、明日までは”
“希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらに与えられている”




車椅子詩人の言葉;

《つくづく人間は人間性なんだなあ》

ならば、<人間性>とはなにか?

《本当に井上さんは音楽を愛していますよね。
きっと音楽に愛されてるからでしょうね》

ならば“音楽に愛されるひと”は誰か?

スパリゾート井上君(『夫の月収10万、妻は乳がん』(茜新社)著者)にBOB DYLANというひとの“歌詞”をささげよう;


<MR. TAMBOURINE MAN>

ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
俺は眠くないが、行くところがない
ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
このゴチャゴチャの朝に、あんたについて行こう

俺は知っている夕べの帝国が砂にもどったこと
俺の手から消え失せたことを
とり残された俺はめくらのまま立ちつくし眠くはない
自分の倦怠にびっくりし、脚は釘づけになる
だれにも会うひとはいない
あの古臭いストリートは夢みるにはあまりにも死んでいる

ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
俺は眠くないが、行くところがない
ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
このゴチャゴチャの朝に、あんたについて行こう

連れてってくれあんたの魔法の渦巻く船に乗って
俺の感覚は裸にされ俺の手はなにもつかめない
俺の足指はかじかみブーツの踵がさまようのを待つ
どこへでも行くどこへでも消える
俺だけのパレードへ、あんたの踊る魔法で投げ入れてくれ
俺はきっとそこへ行く

ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
俺は眠くないが、行くところがない
ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
このゴチャゴチャの朝に、あんたについて行こう

そこでは笑い声、渦巻き、歌声が狂ったように太陽を横切る
なんの目的もなく逃げる
でもそこの空には顔にぶつかる柵はなく
はずむようなリズムのぼんやりした痕跡を聴くとしたら
あんたのタンバリンが道化師を従えてきても
俺は気にしないそれはただ追いかけてくる影だから

ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
俺は眠くないが、行くところがない
ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
このゴチャゴチャの朝に、あんたについて行こう

だから連れてってくれ俺の心の煙の輪をくぐりぬけて
霧深い時間の廃墟をくだって凍った葉っぱを通り過ぎて
恐ろしいおびやかす木々の風強い海岸を過ぎて
狂った悲しみのひねくれた領域から遠く離れて
そうさ、ダイヤモンドの空の下で片手を自由に降りまわし踊ろう
海を背景にサーカスの砂で輪になって
すべての思い出と運命を波に深く沈めて
今日のことは忘れよう明日までは

ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
俺は眠くないが、行くところがない
ヘイ! ミスター・タンブリンマン歌ってくれ
このゴチャゴチャの朝に、あんたについて行こう


<ONE MORE CUP OF COFFEE>

あなたの息はあまく
あなたの瞳は空に輝く二つの宝石のよう
あなたの背中はまっすぐで、あなたの髪はなめらかに
あなたが横たわる枕にひろがる
だけどあなたの愛情が感じられない
敬意も愛も感じられない
あなたの忠誠はぼくに対してではない
あなたの頭上の星々に対してだ

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの父さんは無法者
根っからの放浪者
彼はあなたに教えるコソ泥の仕方
ナイフの投げ方を
彼は王国の支配者
よそ者は閉め出す
彼の声は震える
おかわりを求めるときに

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの姉さんは未来を見る
あなたのママやあなた自身のように
あなたたちは決して読み書きを学ばない
あなたたちの棚には本がない
そしてあなたたちの快楽には底がない
あなたたちの声は草原のヒバリのよう
しかし、あなたたちの心は大海のよう
神秘的で暗い

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって



ぼくはボードレールやランボーを引用しないが、<詩>というものは、こういうものだと思います。





もっと“かわゆい”詩が好きならば;

<中学校の校庭>

われの中学にありたる日は
艶(なま)めく情熱に悩みたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寝ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日直射して暑く帽子に照りぬ。


<波宜亭>

少年の日は物に感ぜしや
われは波宜亭(はぎてい)の二階によりて
かなしき情歓の思ひにしづめり。
その亭の庭にも草木茂み
風ふき渡りてばうばうたれども
かのふるき待たれびとありやなしや。
いにしへの日には鉛筆もて
欄干(おばしま)にさえ記せし名なり。

(以上萩原朔太郎“純情小曲集”)



もっと“激しい”詩がお好きならば;

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)

・・・・・・

まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

・・・・・・

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

(宮沢賢治“春と修羅”部分)



そして、


ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ぺムペルがわたくしの右にゐる
・・・・・・・・・・・はさつき横に外(そ)れた
あのから松の列のところから横に外れた
  《幻想が向こふから迫つてくるときは
   もうにんげんの壊れるときだ》
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ぺムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
   《あんまりひどい幻想だ》
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになって遁げなくてもいいのです

(宮沢賢治“小岩井農場パート9”部分)



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2 コメント

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反応しました (不破利晴)
2009-11-09 00:56:23
例によって非常に長くなったので、エントリーにて反応いたしました(笑)
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Unknown (warmgun)
2009-11-09 03:38:32
Twitterか!
俺も歳なんで、なんかよくわからんよ。
なんか最近新しいものに適応できなくてさ(笑)
ただ短いセンテンスで決める、というのは、ちょっと面白いね。
でも自分でやる気はないなー。

いま3時過ぎなんだが(今日はやすみでね、ゴメン)
アーヴィング原作の「ホテル・ニューハンプシャー」見てたのよ。
ひさしぶりに気分がよかった。

もちろん公開当時にも(いつなんだろう?)見てて、わりと好きだったが特段の映画とは思わなかったが、今日の方がよかった。
つまりこの程度の映画も、最近はないね。
それで相対的にこの映画が、よくなったんだと思う。

最近の映画の“毒のなさ”(お子様ランチ)が、あらためて明瞭になったね。
なにしろ学園レイプや姉弟相姦だもんなー。
ジュディー・フォスター“さえ”魅力的に見えたよ。
それでいてドギツクないし、“開いた窓”のエピソードとか“ナタキン”の熊もよいねー(笑)
こういう映画を(この程度でも)やっててくれるなら、ぼくも硬直しなくてすむんだがなー。
まったく辛気臭い、糞面白くもないもの(ひと)にびっしり包囲されてるように感じる。
そのくせ“彼ら”は、糞面白くもないものではしゃいでいるんだ。
ほんと、こういう<空気>で、“みんな”息苦しくないんだろうか。

やっぱ、笑うのにも知性がいるねー(笑)
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