昨日は朝から飯田橋に仕事に出かけた、暑かった(笑)
飯田橋駅を降りて、水道橋寄りのビルの一室へ。
仕事でいろんな所へ行く人はめずらしくないだろう。
先日読了したビュトール『心変わり』主人公は、イタリアのタイプライター会社のフランス支店に勤めるフランス人なので、定期的にローマの本社へ(当時の鉄道で)通っている。
これがこの小説の“テーマ”である。
たとえば、今日は調布に行って、明日は飯田橋に行くひともいる。
しかしぼくにとっては飯田橋は特別な場所なのだ。
つまりぼくは1970年代の初めから1986年まで、“そこ”に通っていた(そこに“職場”があった)
その場所は、飯田橋駅のホームから見えそうな場所だった(実際は見えない)
その職場を去ってから、“そこ”へ行ったことがなかった。
ただ飯田橋駅を通過することは当然あり、その駅付近の変貌(大きなビルが建った)は見ていた。
昨日、1時に仕事が終り、神楽坂で昼食をとった後、帰るため、駅改札に向かったとき(激しい暑さだ)、急に“昔の職場”のあたりを歩いてみることにした。
予想通り(駅ホームから見て予想されたように)ぼくが通っていた小さなビルは、その高層ビルが建った位置にあった(つまり“夢のように”消えていた)
その区画や道路自体が変わっていた。
昼食を食べ、よく飲みに行った居酒屋の位置を確認できなかった。
すなわち“あの頃”ぼくが毎日過ごした風景は、ほぼ完全に消滅した。
ぼくはこのことを“なげいて”いるのではない。
ただ、“消滅したものがある”ことに、単純に驚いた。
たとえば、ぼくが学生時代母と過ごした阿佐ヶ谷のアパートも消えたのをぼくは、もう何年も前に確認した、そこでも道路自体がちがっていた。
ある時期、それも短期ではなく通った場所や住んだ場所が、忽然と消える。
まあ今は“そういう時代”である。
たとえば、ぼくが飯田橋に通っていた頃、読んだ本をぼくはまだ持っていることがある。
あるいは、(持っていないが)当時読んだ本の新刊をまた読むこともできる。
すなわち、“現実”は消えてしまうが、“本に書かれたこと”は残る。
いつまで残るかは、わからないが。
実はぼくは1990年代の初めに、別の会社員として、飯田橋の別の場所のビルの会社にも勤務した。
それは駅の北側(上記に述べた場所の反対側)であった。
昨日そのビルの裏の道も通過して(そのビルは、あった;笑)、神楽坂へ抜けた、映画館ギンレイ・ホールはあった(佳作座はとっくに消えている)
その会社の女子社員数名と駅の“ラムラ”コージーコーナーでケーキを食べたことがあったのを思い出した。
コージーコーナーはあった、ひとりコーヒーを飲んだ。
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