Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

大男、総身に智恵がまわりかね

2010-07-18 16:13:36 | 日記


★ あらかたろくでもないことであるが、彼に関する伝説は、数かぎりなくあった。人の部屋でウイスキーを二瓶、コーラを飲むようにまたたく間に飲み干し、へべれけになり、人の部屋の押入れをあけて長々と小便したとか、コンパの帰り、新宿駅流れ解散ということでホームにそれぞれ三人、四人かたまって立っていて、彼の意中の女の子が電車に乗ってしまうと、突然、彼は何を思いついたのか、走り出した電車の窓にとりすがり、電車を止めてしまったとか。

★ 大男、総身に智恵がまわりかね、とは、大男が薄のろというのではなく、その大きな身体をもてあまし制御できかねているということだろう。大男とは、体力と生命力がありすぎる者のことでもあると言って良い。

★ 彼は電車の窓にとりすがり、電車を止めて、それでその女と結婚した。女との間に娘二人が出来、女の両親とローンの返済を折半することにして、手狭まになった借家を払い、東京の郊外の建て売りに移った。そこで娘二人と女、その両親と、合計六人で住んだ。
夫婦喧嘩と呼べるようなものではなかった。が、彼は一人暴れまわり、工務店がつけたいかにも当世マイホームのインテリアという感じの、応接間につけてあるシャンデリアをたたき割り、冷蔵庫をぶん投げ、応接セットを壊した。酔っていたのだった。女は彼に殴られ、ボロ雑巾のようになって隅にうずくまり、泣くことも出来ずにいた。

★ もう疲れた、けっして顔も見たくない声も聞きたくないと思わないまでも、もういや、別れる、と言う女との間に仲人夫婦がはいり、その仲介で、ひとまず別居し、彼は会社に休暇願いを出し、故郷である熊野に戻った。

★ 彼は、修験僧のように熊野の山中を歩きまわった。杉木立の根方に眼をこらすと微かに残っている道をさがしながら、蝉の幾重にも入り混った鳴き声の他なにもない山中を、ただ歩いた。光は、頭上に茂った杉の梢で遮ぎられ、ところどころに木洩れ陽だけを残しているばかりだった。その時彼はいったいなにを考えていたのだろう、いや考えることなどなにもない。ただただ心を空ろにしようと、自分の吐く息の音と波をうつ蝉の鳴き声をきているだけだった。

<中上健次“修験”―『化粧』(講談社文芸文庫1993)>





最新の画像もっと見る

コメントを投稿