ジョン・アーヴィング―新潮文庫という連想から、わりと最近買って読んでないガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』を取り出した。
ガルシア=マルケスも“流行っていた当時”、ぼくがうまく読めなかった作家なのだ。
最初が夢の話である。
昨日は、これまた長い間ちびちび読み進んでいるピーター・ゲイのフロイト伝記(みすず書房)を読み、その関連でフロイト『夢判断』をところどころ読んだのだった。
これも新潮文庫である。
ぼくは近年の新潮文庫で出る本に不満であるが(ル・クレジオを文庫に入れるべきだと何度も抗議した)、この“活字を大きくした”文庫は読みやすい。
他の文庫や新書も追随してほしい(どうせ目の良い“若者”は読まないのだから)
ところで昨年は、ぼくは極めて明瞭かつ興味深い<夢>をいくつかみて、当時のDoblogに書いた。
今年、最近はさっぱりこういう夢をみない。
どうでもいいグチャグチャした夢ばかり見る。
見たい映画もなくなったのだから、せめて、夢ぐらい面白くあってほしい。
こういうのも老化なんだろうか。
近日、Googleで画像検索していて、とても魅力的な画像に遭遇した、火星の表面画像らしい(説明をよく読まなかった)
この“イメージ”は、ぼくの夢に出てきたわけではないが、なんか<夢>というもののイメージに連なるような気がした(参考に掲げる)
さて、『予告された殺人の記録』の書き出しは以下のようである;
★ 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、5時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。「あの子は、樹の夢ばかり見てましたよ」と、彼の母親、プリシダ・リネロは、27年後、あの忌わしい月曜日のことをあれこれ想い出しながら、わたしに言った。「その前の週は、銀紙の飛行機にただひとり乗って、アーモンドの樹の間をすいすい飛ぶ夢を見たんですよ」彼女は、見た夢を必ず朝食の前に話すという条件で夢判断をし、それがよく当たるので評判だった。しかし、自分の息子が見たこの二つの夢や、彼が死ぬ日の朝までに彼女に語った他の樹の夢については、何ひとつ不吉な前兆に気付かなかった。
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