Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Snapshot;学校という恐怖

2010-01-31 12:43:46 | 日記

★ なんか、「学校の怪談」というような映画があったようだが、<学校>という場所やシステムやそこでの“人間関係”が、<怪談>そのものである。

★ “ブログ”とかを見ていても、その書き手が(現在学校にいなくても)、学校にいたとき、どんな<位置>にいたかが推測される。

★ つまり“クラス委員長”タイプとか、その“補佐官”とか、“掃除当番主任”とか、“ガリ勉タイプ”とか、“ちょいグレ-タイプ”とか、“お笑いタイプ”とか、“ちょいギレ-タイプ”とか、“無気力タイプ”とか、“弁論部タイプ”とか、“体育会タイプ”とか、“ナンパ系”とか、“いじめられっ子”とか、“デレデレ系”とかである。

★ そうだね、<世界>を見てもわかる、“オバマ系”とか(爆)
昔は、<コイズミ系>とか<ホリエモン系>とか<タモリ系>とか<たけし系>とか<エーちゃん系>とか<下手なダンス系>というのもあったなぁー。

★ 最近仕事で、“コミュニケーション”についての<現在アメリカ理論>というのを、聞いたが、印象的だったのは、“コミュニケーションが苦手な職業”の典型は、<教師>だという(笑)

★ しかし、かつて柄谷行人は、“教え-教えられる立場”こそ、“命がけの飛躍”だと言った。

★ さて、学校での<関係>が、すべてを決定してしまう。

★ “余生”は、そこで身につけた<関係>を反復するだけだ。
<会社>でも<家庭>でも<老後>でも。
だからこんなに<たいくつなひと>が多いのだ。

★ つまり、“NEET”だろうと、“ひきこもり”だろうと、“ホームレス”だろうと、“引退老人”だろうと、“社会から脱落したひとびと”も、<永遠のガッコウ>で暮らしている。


<キング・オブ・ホラーから引用>

★だが飛行機がふたたび雲から出て揺れもなくなると、2万7千フィートのここで鳴っているのはたくさんのベルだ。たしかにベルだ。ベン・ハンスコムが眠るとそれはあのベルになる。そして眠りにおちると、過去と現在を隔てていた壁がすっかり消えて、彼は深い井戸に落ちていくように年月を逆に転がっていく―ウェルズの『時の旅人』かもしれない、片手に折れた鉄棒を持ち、モーロックの地の底へどんどん落ちていく、そして暗闇のトンネルでは、タイム・マシンがかたかたと音をたてている。1981、1977、1969。そしてとつぜん彼はここに、1958年の6月にいる。輝く夏の光があたり一面にあふれ、ベン・ハンスコムの閉じているまぶたの下の瞳孔は、夢を見る脳髄の命令で収縮する。その目は、イリノイ西部の上空に広がる闇ではなく、27年前のメイン州デリーの、6月のある日の明るい陽の光を見ている。
たくさんのベルの音。
あのベルの音。
学校。
学校が。
学校が

終わった!

<スティーヴン・キング『 IT 』第2部“1958年6月”の第4章“ベン・ハンスコム、ノックダウンのふりをする”>






<追記>

ぼくに<反-学校>のイメージを喚起したのは、『テヘランでロリータを読む』という本の書評に引用されていた言葉だった。

これについてDoblogに出したものの下書きを探したが発見できない。
ゆえに、今、Amazonマーケット・プレイスにこの本を注文した。
この本を読んでいないことが、怠惰だった。

それで、もうひとつスティーヴン・キングから引用しよう。
思うに、キングは、現代の<学校生活>をビビッドに書き得た作家であった。

この引用部分は1966年にメイン州立大に入学した主人公の回想である;

★ 「おっと、あれはなんだ?」ネイトが言った。足をとめて頭だけうしろにむけ、なにかをじっと見ている。スキップとわたしも足をとめ、背後に目をやった。ネイトになんのことかと質問しかけたところで、それが目に飛びこんできた。ストークはデニムジャケットを着ていた。その背中に、黒い油性マジックで書かれたとおぼしき、丸で囲われた模様のようなものがあるのが、初秋の夕暮れの薄れてゆく光のなかでかろうじて見えた。
「あんなの見たことないな」スキップが言った。「雀の足跡みたいに見えるが」
松葉杖をついた若者の姿は、変わりばえのしない十月の変わりばえのしない木曜日の夜に、変わりばえのしないコモンズへとむかってくる学生の群に飲みこまれていった。大半の男子学生はきれいにひげを剃っていたし、大半の女子学生はピーターパンカラーのついた<シップ&ショア>のブラウスとスカートという姿だった。満月に近い月がすでに空にのぼって、オレンジ色の光を学生たちに投げかけていた。<フリークスの時代>が最盛期を迎えるのはまだ2年ほど先で、わたしたち三人のだれひとり、たったいま自分たちが生まれてはじめてピース・サインを目にしたことに気づいてはいなかった。

<キング;『アトランティスのこころ』(新潮文庫2002)>






ぼくは<スティーヴン・キング>と<サリンジャー>と<カフカ>のいずれが、“客観的に”すぐれた作家であるかを、しらない。

しかし、<キング>が、好きであり、ぼくにとっては重要な作家であることは、知っている。





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