Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

未知

2012-07-28 10:55:09 | 日記

★ 人間の意識というものの不思議さを、改めて思う。まず身体がある。その信じ難く複雑精妙な働きによって生命がある(それだけでほとんど奇跡的だ)。生命がより効率的に生きるために原初の意識が芽生え、その身体/意識体験が沈殿して無意識の暗泥層をつくり、それとの交互作用(フィードバック)によって、意識は内部感覚としても外部感覚としても拡大深化して、次々と新しい意識層が、脳の構造のように重層的に形成されてゆく。

★ みずからの身体、無意識と切れた意識は、どんなに新しそうでも軽薄で力弱い。身体ごと、無意識の奥からの情動に動かされながら、その暗い力をコントロールしながら、それまでの自分/意識を超え出るとき、全身全霊の、魂の快感、精神の高揚、《いま生きて在る》透き徹るような現実感があることを、私は幾度か体験してきた。

★ 内に深く熱く暗く古く、同時に外に広くクールに明るく新しくあろうとするその相反するベクトルを、同時に生み支えるものは何であろうか。しかもとても重要なこと――そのような力は内的にも外部的にも滑らかに発動して広がるとき、相殺し合うように弱まるということだ。つまり内面的にも社会的にも平穏無事なとき、生きる力、考える力、新たな未知を探究する力、想像し幻想する力も弱まるどころか、消失さえする。世界と自己のイメージが限りなく縮小して固くなる。だがそのようなとき、身体がこの世界は恐るべき未知なるものであることを、言葉なく知っている。縮小された自己イメージを内側から揺するのである。

★ 大地震ひとつ取ってみてもこの世界に平穏無事はない。多年共に暮らした生活パートナーの寝言でさえ、その奥にうごめく無意識の内容は既知ではない。当然なことなど、この世界にも自分自身の内心の動きにもひとつもない、という危機意識こそ、意識自体の力を支えるものだ。

★ 力を見ることはできない。力は働くものである。働きを体感することができるだけだ。

<日野啓三『書くことの秘儀』(集英社2003)>








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