Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ユーラシア

2012-07-12 18:14:24 | 日記

日野啓三は2002年10月14日に亡くなっている。

いまぼくの手元にある日野啓三の写真と文からなる『ユーラシアの風景』は、その年の8月に刊行された。

この本の最後にある“新しいヒューマニズム”は、2002年6月7日の日付を持つ“談話”である、引用する;


★ ユーラシア大陸を旅すると、人間が作り出したものや、人間が自らの力で作り出しながら壊してしまったものを無数に見ることができます。歴史のこちら側の現実が剥き出しになって残されており、人間が何を欲し、何を恐れ、何を不安に思いながら今日まで生きてきたか、強い実感として理解できます。同時に、人間が人間になるために費やしてきた数々の厳しさに私は思いを巡らせます。

★ 変わるというと、世間では良くなるか悪くなるかという議論にすぐなってしまいますが、良い悪いではなく、厳しさを受けとめながら考えるべきを考えたうえで前に進むという作業を通して、人間は人間になっていくのだと私は思います。

★ この十年で、私は幾度もの「死に到りかねない病」を経験し、その思いをいっそう強くしました。だから私は自分の使命として考えることを放棄したりしない。いろいろなことが気になってしかたがない。気になって調べたり考えたりしている。そうしているうちに、昔から人間は同じようなことを続けてきたのだという思いに至る。そうした人間の精神に私はとても共感を覚えています。きっと何か目に見えない力が私を下支えして、私をそのように仕向けているのです。滅びの可能性を孕みながら、これまで人間はしなやかに生きてきたし、これからもそうできるはずです。人間は愚かさとともに賢さも強さも同時に持っているのですから。解決の道は何事も単純ではなく、複雑で、重層的で、とても難しいけれど、簡単に諦めることではない。

★ まだ色々なことを見て、勉強して、考えなければなりません。私はこのように長く生きてきて、今ごろになってわかってきたこともたくさんあるので、そこから何かをはじめていけるような気がしています。静かに悟ってしまってはだめです。人間はまだ人間になりきっていません。私はまだ私になりきっていません。不完全であることは、可能性に満ちていることです。私達には、まだまだ生きる意味や、やるべき仕事が残されています。今日の話を終えたところからも、何かが新しくなっていきます。

<日野啓三『ユーラシアの風景』(ユーラシア旅行社2002)>








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