★ 帝国主義的遭遇において、行動的な西洋の侵入者が怠惰で活気のない非ヨーロッパの原住民を追い詰めたということはついぞなかった。(サイード『文化と帝国主義』)
★ ベンヤミンはこの後に「文化財と呼ばれるものが文化の記録であることには、それが同時に野蛮の記録でもあるということが、分かちがたく付きまとっている」と彼の「歴史の概念について」というエッセイの中で言っている。ポストコロニアル批評の作業とは、ベンヤミンのプロジェクトを正統に後継することだったのである。それは歴史の中で敗者として埋もれてしまっている人たちの営為の痕跡を歴史の瓦礫の山の中から掘り起こすことなのだ。
<上野俊哉+毛利嘉孝「カルチュラル・スタディーズ入門」から引用>
ベンヤミンとサイードが“出会う”というのは、皮肉である。
方や“ユダヤ人”、方や“パレスチナ人”であるというような、“名札(レッテル)”を信じる人々には。
サイード『オリエンタリズム』(ぼくは未読であるが、これから序説を読む;笑)は、《“知識と権力”のミクロな権力関係の網の目を考察したフーコーの権力論を出発点にして》いるという。
フーコーは“フランス人”である。
まさに、ここに越境があり、出会いがある。
これを書いた“日本人”は、極東の島国の“アジア人”であり、いまここで、この文章を読み、ブログに“引用”しているwamgunも、ユダヤ人でもパレスチナ人でもフランス人でもない、アジアの民である。
しかし、越境はあり、出会いはある。
この可能性を信じずして、いったいなにを<信じる>のか。
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