Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
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ロックンロール

2012-05-02 15:42:45 | 日記

下記ブログをまたしても“書いてしまった”が、ぼくにとって<原発問題>それ自体は、思想の問題ではない。

その<問題>なら、“使用済み核燃料の処理”の不可能性によって、すでに明らかであり、なんら議論の余地などない。

ただし、全原発を即時ストップしたところで、膨大な使用済み核燃料の処理問題は残り続けるのであり、そのことは、“現実的問題(困難)”である。


現代世界での、思想的問題が、“何であり、いくつあるのか”は、ぼくにも把握できない。

しかし、そのひとつが、立岩真也が提起している問題群にあることは、明瞭であると思われる。

ぼくの読書範囲では、現在の日本で、あきらかに重要な問題を提起しているのは、立岩ひとりではないか、という気がしてきた。
その問題について、立岩真也が、正しい解答を提出しているかどうかではない。
まさにそれを、“読んで”いるのだ。

引用する、この部分の章のタイトルは、<嫉妬という非難の暗さ>である;


★ 分配の要求は「嫉妬」「ルサンチマン」に発している、発しているものでしかない、だから好ましくないという論がある。私にはこれもよくわからない。羨ましいと思ったりすることはありそうだが、それ自体は悪いことではないだろうし、非難する側がそれから離れたところにいるのだろうか、そのように非難する人はではどんな立場でものを言っているかと思う。だが「要するに羨ましいのだ」という揶揄は執拗に浴びせかけられる。そして「そんなことってやっぱりあるんじゃないの」という実感派からのさめた声がある。それにどう応えるか。また例えば「能力主義」とは単に財の分配だけのことではなく、人の価値に関わることでもある。だから考えておいてよい。

<立岩真也『自由の平等 簡単で別の姿の世界』(岩波書店2004)>






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