Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

文体;スタイル(辺見-藤原-大江-村上-中上)

2011-07-15 09:15:00 | 日記


★ 店にモーツァルトが流れている。窓際で対面している若い男女が影絵になっている。
双方とも黙したままである。けれど、腕と指とが、まるで曲を指揮しているみたいに、ときに緩く、ときに速く動いている。
二人の間に、鉢植えのサルビアがある。影絵の指の輪郭を、花がときおり緋色に縁どる。開いた朝刊を縦にずらし横にずらしして、私はシルエットを盗み見ている。都合二十本の指が、撓り、曲がり、折れ、くねり、弧を描き、射しこむ朝陽をたおやかに弾く。
店の外をダンプカーが地響き立てて通りすぎる。美しい指たちは、しかし、難なくノイズを跳ね返した。
二つの影絵から、やがて音のない声が私にも聞こえてくる。声のない声に豊かな抑揚を感じる。手話を、私は盗み聞きしている。抑揚の大きさを目でなぞっている。

<辺見庸“黙と抑揚”―『眼の探索』(角川文庫2001)>


★ 雨が止み、跨線橋の向こうに、一年越しのマーマレードみたいに萎びた太陽があらわれた。それが線路に沈み、ぐしゃりと貨車に轢かれて、この日もすっかり黄昏れたころ、私は首切り地蔵の隣の酒場に飲みに行く。
途中、惣菜屋の前で騒ぎがあった。薩摩揚げを二枚盗んだというので、中年男が小突かれている。ガード下で股引をつくろっていたあの男。路上に糞のように落ちた薩摩揚げを跨ぎ「ごめんなさいね、みなさま、ほんとにごめんなさいね」とつぶやいて、よろよろとあとじさる。昼にはまっすぐだった背を、くの字にして。
酒場では元鳶職のシゲゾウさんがいつもどおり、ただれ目に涙を浮かべて「みちのくひとり旅」をがなっていた。福建省から来た働き者のホステスのリンちゃんが、これもいつもどおり、私に「にいちゃん、元気か」と声をかけてくる。

<辺見庸“言葉の徒雲”―『眼の探索』(角川文庫2001)>




★ 海が荒れた次の日の静かな渚に、奇妙な形の海草がたくさん打ち上げられていた。
先端にバレーボールくらいの大きさの空気の入った球体があり、紐状の細長い茎が伸びている。茎の長さは50フィート以上もあり、引きちぎれた根の一部がついていた。その形状は別の天体から落ちてきた巨大な動物の子宮のように見える。
ホテルの人々は海を見ながら朝食をゆっくり済ませたあとで渚に降りてきた。そして海草を前に静かに語りはじめる。

★ 苦い思いのまま15分ほど走った。
ロング・ビーチの黒い海の広がりが途切れ、前方にロスアンゼルス川を渡る橋が現われる。橋が見えたとき私は無意識に先程から何かを躊躇している自分に気づいた。
あの橋を渡れば、
すべてが過去へと消え去るだろう。
夜の帳の中で橋が迫ってくる。
道が橋に向かってわずかに傾斜しはじめる。
何かの境界を示す振動が体に伝わる。
そのとき不意に手が動いた。
橋の直前でハンドルがまわる。
闇の中で車は金属音を発し、ヘッドライトが路上に大きな半円を描く。
怒鳴るようなクラクションが耳のわきを駆け抜けた。

<藤原新也“写真の女”―『アメリカ』(集英社文庫1995)>




★ ダケカンバの林にさえぎられて浅間は見えないが、噴火があると屋根に灰が降りつもる位置の、山小屋に来た。ソバにウドン、豚肉のショーガ焼き定食という種のものを出す、昔からの街道筋にある食堂で、近辺の狭い範囲に限られた地域に購読者を持つのらしい新聞を読み、僕はある記事に引きつけられ、それに発する想像をした。

★ 新聞で見つけたのは、ウガンダのマーチソン・フォールズ国立公園船着場で、日本人の青年が、若い牡の河馬に噛まれた、右肩から脇腹にかけて相当の怪我をした、という記事である。土地の新聞社の社長兼主筆が、日航の招待でヨーロッパ旅行をした。かつは自弁でアフリカまで足を伸ばしもした。その旅行記が一面トップに連載されているのである。河馬に噛まれたとはめずらしいし、わけても日本人の事故だからと、すでに負傷はなおり、リハビリテイションかたがたとでもいうか、観光客用のロッジで雑用をしている青年に会いに行った。ワーッ、ワーッと叫んだ、というほか災難の話はしたがらなかったが、浅間の麓で新聞を出しているというと、妙に懐かしがって、地形についてや気候のことをあれこれ聞いた。しかし言葉から、このあたりの人間でないことも確かな青年に、浅間周辺との因縁をたずねてみると、これは断固として一切話さない。新聞に紀行を書くことをいうと、自分の名をあきらかにしてはならぬというので、現地の言葉で河馬と闘う勇士と綽名されている、その「河馬の勇士」と呼ぶと、当の物語の記事はしめくくられていた。

★ そして僕の想像したところでは、やはり同じ匿名を用いることにするが、ウガンダで河馬に噛まれた「河馬の勇士」が、かつて僕とわずかながら関わりのあった青年で、かれのアフリカ行きには――つづまるところ国立公園の河馬に噛まれることになったいきさつにも――僕が責任の一半を問われねばならぬのではないか、ということである。

<大江健三郎『河馬に噛まれる』(講談社文庫2006)>




★ よくいるかホテルの夢を見る。
夢の中で僕はそこに含まれている。つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。夢は明らかにそういう継続性を提示している。夢の中では、いるかホテルの形は歪められている。とても細長いのだ。あまりに細長いので、それはホテルというよりは屋根のついた長い橋みたいにみえる。その橋は太古から宇宙の終局まで細長く延びている。そして僕はそこに含まれている。そこでは誰かが涙を流している。僕の為に涙を流しているのだ。

★ 目が覚める。ここはどこだ?と僕は考える。考えるだけではなく実際に口に出して自分自身にそう問いかける。「ここはどこだ?」と。でもそれは無意味な質問だ。問いかけるまでもなく、答えは始めからわかっている。ここは僕の人生なのだ。

<村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫1991)>




★ タイチはそうやって生まれた。タイチは驚くほど元気な産声をすぐにあげた。オリュウノオバはタイチを手でささげ、人の技とは思えない素早さでどこも欠ける事のない男の子だというのを確かめ、衝立の向こうで息を殺している菊之助に「こんな子が他におろか。見てみ、こんな子おったら何も要らんど」と言う。菊之助は素直に「ほんまか」と嬉んだ。「よかった。弦のようでなかってよかった」オリュウノオバは菊之助のその言葉に苦しんだ。

★ 確かに弦のように手が牛馬の蹄さながらにただ二本の又に裂けて生まれるより、五本の指がついている方が、子は苦しまなくても済むのかもしれないが、女の腹を蹴って生まれてくる生命そのものに違いはない。オリュウノオバはいつも女の腹から顔を出す子に言った。何でもよい。どんな形でもよい。どんなに異常であっても、生命がある限り、この世で出くわす最初の者として待ち受け、抱き留めてやる。仏が生命をつくり出す無明にいて、人を別けへだてし、人に因果を背負わせる悪さをしても、オリュウノオバは生命につかえる産婆として、愉楽に満ちたこの世のとば口にいてやる。

★ 夫の礼如さんもそうだった。金持ちの家であろうと貧乏の家であろうと祥月命日には必ず経をあげに行き、冥福を祈った。この世の入口に別けへだてがないようにこの世の出口にも別けへだてがない。オリュウノオバは五体満足というので嬉び入る菊之助にそう言って説きふせたかったが、「えらい大っきい声やねェ。山も海も俺のもんや言うとるみたいやねェ」とタイチに声を掛けるしか言葉がなかった。

<中上健次『奇蹟』(小学館文庫・中上健次選集7 1999)>







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