★ 1955年12月1日、アラバマ州モントゴメリ。一人の黒人女性ローザ・パークスが、人種分離を実施していた市内バスで白人専用の座席に座り続け、逮捕される。この事件をきっかけに一年間におよぶ大規模なバス・ボイコット闘争が繰り広げられ、ついに56年11月、連邦最高裁は地方バス路線における人種分離を違憲と判定した。この闘争は、旧来の法廷闘争の枠を大きく破った新しい形態の黒人解放闘争=公民権運動の端緒となった。さらに60年2月1日、ノースカロライナ州グリーンズボロで食堂における黒人差別に抗議して自然発生的に始まった「座り込み(シット・イン)」が、「市民的不服従」の有力な戦術として使われるようになった。
★ 奴隷解放宣言百周年にあたる1963年は黒人の公民権運動がおおいに盛り上がり、5月のバーミングハム闘争に続いて8月にはワシントンで25万人の大デモが展開された。その大行進を導いたマーティン・ルーサー・キング牧師は、自由と正義、友愛の未来像を描きだしながら、「私には夢がある」と繰り返す名演説を残している。
★ 他方、南部では保守派の白人による公民権運動家の暗殺、黒人教会の爆破などのテロ行為があいつぎ、ついに同年11月テキサス州ダラスにおいて公民権運動の支持に動いていたケネディ大統領が凶弾に倒れる。
★ すべての公共施設における人種差別を禁じた64年の公民権法によっても、黒人の実質的平等は実現されず、翌年には公民権デモが組織されさらに66年、黒人の自立・武装自衛を説く「ブラック・パワー」路線がSNCC(学生非暴力調整委員会)によって首唱されるにいたった。他方、64年9月にはカリフォルニア州バークレー校で、18人の学生団体からなる共闘組織FSN(フリー・スピーチ・ムーヴメント)が当局による政治活動の制限に抗議して「反乱」を起す。これが全国の大学に「スチューデント・パワー」を飛び火させ、また北爆開始にともなう反戦ティーチインや徴兵カード焼却といった市民的不服従のベトナム反戦運動も、65年から本格的な動きを見せるようになっていた。
★ (その後3年間の主な動き)
① 死者41名を出したデトロイトでの黒人蜂起(67年7月)
② ペンタゴン前に10万人を結集したベトナム反戦の大デモンストレーション(67年10月)
③ 不服従運動のシンボル的存在であったキング牧師の暗殺(68年4月)
④ 小児科医ベンジャミン・スポックらベトナム反戦運動活動家に対する有罪判決(68年6月)
⑤ シカゴの民主党全国大会の会場周辺で、反戦・平和を訴えるデモ隊と警官隊とが衝突(68年8月――翌年7人の被告が「騒擾防止法」違反容疑で取り調べを受け、いわゆる「シカゴ・セブン」の冤罪事件として世人の注視するところとなった)
⑥ 「法と秩序」回復を謳った共和党リチャード・M・ニクソンが第37代大統領に当選(68年11月)
<川本隆史『ロールズ 正義の原理』(講談社・現代思想の冒険者たちSelect 2005)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます