★ 「真の」知識が基本的に非政治的であるとする(逆にあからさまに政治的な知識は「真の」知識ではないとする)一般的でリベラルな多数意見というものは、知識の生みだされる時点でその環境としてある、たとい目には見えずとも高度に組織化された政治的諸条件を、いかにして覆い隠すものとなっているのか。本書が明らかにしようとしているのはその点である。
★ 実は私が本当に言いたいことは、オリエンタリズムが、政治的であることによって知的な、知的であることによって政治的な現代の文化の重要な次元のひとつを表現するばかりか、実はその次元そのものであって、オリエントによりはむしろ「我々の」世界のほうにより深い関係を有するものだということなのである。
<エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』序説(平凡社ライブラリー1993)>
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