★ もう10年ほど前のこと、いったい何でそんなところを歩いていたのかもうまったく覚えていないが或る晩遅く榎田は、日暮里駅のあたりから山手線の線路に沿って鶯谷の方へ戻ってゆく途中で妙な喫茶店に立ち寄ったのである。入谷の方へ向かう自動車通りから細い路地を右に折れてゆくともう本当に国電の線路ぎりぎりのあたりに時代から取り残されたような古ぼけた一角があって、建って何十年たっているのか見当もつかないようなせせこましい家がごたごたと立ち並んでいる。しかしそのごたごたした感じが丹精した植木鉢が路地にはみ出していて濃密な生活感の漂っているいわゆる長屋の町並というのとは少し違って、もう住民からも見棄てられ、取り壊されるのを待つばかりの線路脇の一角でそのわずかな猶予の期間だけ影の薄い人々が辛うじて生活を営んでいるといった気配なのだ。そんなところに迷いこんでいくらか当惑していた榎田は、そのくねくね続く路地奥にほんの5坪ほどの小さな公園が不意に現れて、そこには玩具のようなブランコと滑り台がもっともらしく据えられたりしているのを見て、いくらか心が温まるような気持になったのだった。
★ その公園の向かいのどう見ても普通の民家としか見えない一軒に「珈琲 並木」という小さな看板が出ていたのだが、もう深夜といってもいいような時刻だというのに、汚れた曇りガラスの嵌った禿ちょろのスウィング・ドアを押してよくもまあそんな得体の知れない店に入る気になったものだと榎田は後になって自分を訝る気持にならないでもなかった。・・・・・・
★ それにしてもあの「並木」という名前はいったい何だったのだろうかと榎田は訝り、それはこの10年間一度も頭に浮かんだことのなかった疑問だった。並木さんという人が店をやっていたのだろうか。そうでなければ並木とか並木道とかいった概念とあれほど無縁な界隈もなかったような気がする。しかしあれはたしかにあの店にぴったりの名前だったというのが榎田の実感だった。鶯谷のプラットホームで電車を待っていると青空の高みから街の喧騒を貫いてピピピピピというヒバリの長い鳴き声がはっきりと聞こえ、あの女主人は死んでしまったのだという直観が榎田の頭に閃いた。
<松浦寿輝“並木”―『ものの たはむれ』(文春文庫2005)>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます