Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

つまらない

2010-09-07 14:19:12 | 日記


下記ブログを書いていて、何度も(書くのを)やめたくなった。

現在、政治-経済-社会についてなにか言うことは、とても不快である。
だから“大メディア”でそれを仕事としている人の<神経>はボロボロなのだ。

(つまり大メディアにまともな神経のひとが入社したとしたら。
たぶん下記のぼくのブログを一番理解してくれるのは、大メディアに入社して壁にぶつかり悩んでいるひとである)

しかも、そもそも、ぼくは大メディアとまったく関係ない。
親戚に日経新聞記者がいるらしいが、彼には彼が赤ん坊の時しか会ったことがない(笑)

というか、“この歳”では、<政治-経済-社会>にほとんど関係ない。

もちろんぼくも“巻き込まれて”いるのだが、それはほぼ完全な“受動性”である。
“ぼくの一票”で政治が変わらないことは、明日の天気が晴れのち曇りより明確である。

“だから”このブログで、遠吠えするのだろうか。
そんなことは、徹底的にアホらしい。
“自己満足”?  ないよ、そんなモン。
それほど、ぼくは馬鹿じゃない。

だから、じゃー、何で書いてるんだろう?と思う、思うよいつも。

ぼくはインディオやアレクサンドリアのことを書いた文章のほうが、好きだ。
好きである。
好きであるというのは、快適であるとか、ぼくの欲望(欲求)にフィットするということだ(あたりまえだ)

この人生の黄昏に(タソガレに―もちろんそんなにカッコいいもんじゃない)、しかもこのクソ暑いのに、昨日も明日も乏しい時給のパートタイマー仕事に行くのに、なんでこのせっかくの休日に、天声人語“批判”なんか書いているの?

あほらしい、つまらない。

実はメガネのツルの接合部分が劣化して、はずれてしまったので、メガネを買い替えた(出費だ!)
今日出来上がるので、吉祥寺に取りに行く。
現在、ぼくが使用しているメガネは、はずれた接合部分を“ギプス”で固定している(笑)

ああ、“読者”にはどうでもいいことを書いた(いつもだ!)

しかし、ぼくの“人生の悩み”とは、日々の“こうしたこと”である。





朝日新聞の“常識”

2010-09-07 12:52:14 | 日記


今日の天声人語(引用);

▼ この「首相選び」は政治史に残るだろう。だが、祭りばやしが高鳴るほど隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いは募る。〈いつの日か直に決めたい国の顔〉と先の川柳欄にあった。「直に決めた」といえる去年の祭りを、むなしく遠く思い出す方もおられよう▼さて、どちらが首相にふさわしいか。小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった。他紙も似た傾向のようだ。民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう▼民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。バッジ組は、新人議員とて利害損得の渦中にあろう。民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す▼もとより政治は対立を前提とする。そして政治家とは対立の中で勝者をめざす人たちだ。だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない▼去年の祭りでの熱を帯びた参加は、たった1年で村祭りの傍観に変わってしまった。頼りなげな清廉にせよ不人気の剛腕にせよ、選ばれるのは村の顔役ではなく、国の顔である。(以上引用)



何度も言っているように、天声人語だけでなく“大メディア”の言説は、自分の“意見”を<常識=良識>であるかのように語る。

しかしその<常識=良識>こそが、まちがっており、でたらめであることを、ぼくは“しつこく”指摘してきた。

そしてこのメディアの常套手段は、“自分の意見(書いていること言っていること)”が、“大衆の意見を代弁している”という一貫した<ポーズ>によって成り立っている。

しかしもし、大メディアが<大衆>を支配したいと望むなら、“私は大衆の意見を代表して語る”という<ポーズ>を取ることが、いちばん“有効”である。

“大メディア”を経営する方々や論説を書く方々は、一般に、頭の良い人々で、優秀成績で<学校>を出て、難しい入社試験を突破し、海外駐在などを経て、“現在の地位”を獲得した方々であると想定できる。

よもや、コネ入社ではあるまいに(笑)

しかし上記の<優秀な方々>の経歴が、すでに画一的である。
あるタイプの人々でなければ、“大メディア”に就職していない。

なぜぼくはこのような、あたりまえで退屈なことを書いているのか?
まったく“字数”の無駄である。

しかし、忘れられていることがある。

すなわち、大メディアで何かを書く人々(言う人々)は、<大衆ではない>。

彼らはいつも<大衆>を“想定”し、大衆の化けの皮をかぶって、“大衆でない自分の意見”を書いているのだ。


以下最初に掲げた今日の天声人語で、“そのこと”を指摘する;

①《この「首相選び」は政治史に残るだろう》

政治史に残るかどうかなどわからない、第一、“政治史に残る”かどうかなどどうでもよい。


②《「直に決めた」といえる去年の祭りを、むなしく遠く思い出す方もおられよう》

これは、想像である。
《去年の祭りを、むなしく遠く思い出す方》は、いるかもしれないが、いないかもしれない(笑)、ぼくは思い出さない。


③《他紙も似た傾向のようだ。民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう》

これも“推測”である。
すなわち<民意>というのは、大メディアの世論調査によって<形成される>。


④《民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている》

これがこの文章の<キモ>である。
しかしこの文章の根拠となっている、“素人大衆”と“しがらみに巻かれた玄人”という分割は、成り立つだろうか?
たしかに、この“選挙”では、“選挙権を持つ人”と“そうでない人々”という図式は成り立つ。
しかし、たとえすべての成人が選挙権を持つ総選挙においても、<民意>が反映されていないという現状こそが問題である。
要するに誰も選びたいひとがいないのに、無理やり選ばざるをえない選挙という茶番劇が、どうして<民主主義>なのだろうか?

しかももっと決定的なことがある。
《しがらみに巻かれない素人》など、どこにもいない。
もちろんこの天声人語を書いているひとにも、<しがらみ>はある。


⑤《民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す》

笑う。
笑うほかない。
《むなしさはいや増す》という文章の、<主語>は誰か?
この文章の書き手(朝日新聞社員)の《むなしさはいや増す》のだろうか?
この文章の“読者”(朝日新聞社員から見た、素人!)の《むなしさはいや増す》のだろうか?

いやいや、ぼくはとっくに、《むなしさはいや増す》です。
つまり朝日新聞の言説にさ。


⑥《▼もとより政治は対立を前提とする。そして政治家とは対立の中で勝者をめざす人たちだ。だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない》

ああもういやになってきた(笑)
まさに、この文章に、《むなしさはいや増す》。

《このあたりの陰影に人は鈍くはない》
という文章の<人>とは誰か?
朝日新聞社員か?読者か?政治の素人か?大衆か?
????????????????????????????????
いったいどこに《権力ゲーム》からまぬがれている<人>がいるのか?
朝日新聞社員だって、《権力ゲーム》の渦中にある。


⑦《▼去年の祭りでの熱を帯びた参加は、たった1年で村祭りの傍観に変わってしまった。頼りなげな清廉にせよ不人気の剛腕にせよ、選ばれるのは村の顔役ではなく、国の顔である》

いや、この国の<民主主義>は、“ずっと”、《村祭りの傍観》である。

《頼りなげな清廉にせよ不人気の剛腕にせよ》とは、誰のことか?

もちろん“選ばれるのは”、いつも<村の顔役>である。

なぜなら、朝日新聞など大メディアも、<村の顔役>によって経営されているから。


ぼくは、菅も小沢も支持しません。
朝日新聞も読売新聞も日経新聞も支持しません。



自分の《権力ゲーム》でカネを稼ぎながら、《むなしさはいや増す》などと言っている人々が消滅しない限り、民主主義がないだけではなく、やはりすべての<終り>は近い。





消えた職場

2010-09-07 06:50:49 | 日記


昨日は朝から飯田橋に仕事に出かけた、暑かった(笑)
飯田橋駅を降りて、水道橋寄りのビルの一室へ。

仕事でいろんな所へ行く人はめずらしくないだろう。
先日読了したビュトール『心変わり』主人公は、イタリアのタイプライター会社のフランス支店に勤めるフランス人なので、定期的にローマの本社へ(当時の鉄道で)通っている。
これがこの小説の“テーマ”である。

たとえば、今日は調布に行って、明日は飯田橋に行くひともいる。
しかしぼくにとっては飯田橋は特別な場所なのだ。
つまりぼくは1970年代の初めから1986年まで、“そこ”に通っていた(そこに“職場”があった)

その場所は、飯田橋駅のホームから見えそうな場所だった(実際は見えない)
その職場を去ってから、“そこ”へ行ったことがなかった。
ただ飯田橋駅を通過することは当然あり、その駅付近の変貌(大きなビルが建った)は見ていた。

昨日、1時に仕事が終り、神楽坂で昼食をとった後、帰るため、駅改札に向かったとき(激しい暑さだ)、急に“昔の職場”のあたりを歩いてみることにした。

予想通り(駅ホームから見て予想されたように)ぼくが通っていた小さなビルは、その高層ビルが建った位置にあった(つまり“夢のように”消えていた)
その区画や道路自体が変わっていた。
昼食を食べ、よく飲みに行った居酒屋の位置を確認できなかった。

すなわち“あの頃”ぼくが毎日過ごした風景は、ほぼ完全に消滅した。

ぼくはこのことを“なげいて”いるのではない。
ただ、“消滅したものがある”ことに、単純に驚いた。

たとえば、ぼくが学生時代母と過ごした阿佐ヶ谷のアパートも消えたのをぼくは、もう何年も前に確認した、そこでも道路自体がちがっていた。

ある時期、それも短期ではなく通った場所や住んだ場所が、忽然と消える。

まあ今は“そういう時代”である。
たとえば、ぼくが飯田橋に通っていた頃、読んだ本をぼくはまだ持っていることがある。
あるいは、(持っていないが)当時読んだ本の新刊をまた読むこともできる。

すなわち、“現実”は消えてしまうが、“本に書かれたこと”は残る。

いつまで残るかは、わからないが。

実はぼくは1990年代の初めに、別の会社員として、飯田橋の別の場所のビルの会社にも勤務した。
それは駅の北側(上記に述べた場所の反対側)であった。
昨日そのビルの裏の道も通過して(そのビルは、あった;笑)、神楽坂へ抜けた、映画館ギンレイ・ホールはあった(佳作座はとっくに消えている)

その会社の女子社員数名と駅の“ラムラ”コージーコーナーでケーキを食べたことがあったのを思い出した。
コージーコーナーはあった、ひとりコーヒーを飲んだ。