Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

つまらない

2010-09-07 14:19:12 | 日記


下記ブログを書いていて、何度も(書くのを)やめたくなった。

現在、政治-経済-社会についてなにか言うことは、とても不快である。
だから“大メディア”でそれを仕事としている人の<神経>はボロボロなのだ。

(つまり大メディアにまともな神経のひとが入社したとしたら。
たぶん下記のぼくのブログを一番理解してくれるのは、大メディアに入社して壁にぶつかり悩んでいるひとである)

しかも、そもそも、ぼくは大メディアとまったく関係ない。
親戚に日経新聞記者がいるらしいが、彼には彼が赤ん坊の時しか会ったことがない(笑)

というか、“この歳”では、<政治-経済-社会>にほとんど関係ない。

もちろんぼくも“巻き込まれて”いるのだが、それはほぼ完全な“受動性”である。
“ぼくの一票”で政治が変わらないことは、明日の天気が晴れのち曇りより明確である。

“だから”このブログで、遠吠えするのだろうか。
そんなことは、徹底的にアホらしい。
“自己満足”?  ないよ、そんなモン。
それほど、ぼくは馬鹿じゃない。

だから、じゃー、何で書いてるんだろう?と思う、思うよいつも。

ぼくはインディオやアレクサンドリアのことを書いた文章のほうが、好きだ。
好きである。
好きであるというのは、快適であるとか、ぼくの欲望(欲求)にフィットするということだ(あたりまえだ)

この人生の黄昏に(タソガレに―もちろんそんなにカッコいいもんじゃない)、しかもこのクソ暑いのに、昨日も明日も乏しい時給のパートタイマー仕事に行くのに、なんでこのせっかくの休日に、天声人語“批判”なんか書いているの?

あほらしい、つまらない。

実はメガネのツルの接合部分が劣化して、はずれてしまったので、メガネを買い替えた(出費だ!)
今日出来上がるので、吉祥寺に取りに行く。
現在、ぼくが使用しているメガネは、はずれた接合部分を“ギプス”で固定している(笑)

ああ、“読者”にはどうでもいいことを書いた(いつもだ!)

しかし、ぼくの“人生の悩み”とは、日々の“こうしたこと”である。





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