読むことと書くことにつき、高橋睦郎氏の詩を‘もじって’以下のように展開したい。
まず原詩である;
私の見ることは 塩である
私の見ることには 癒しがない
視界のはるかな果てに立つ樹は 落ちる鶫(つぐみ)の群れは
痛い異物となって 眼の肉に突き刺さる
見ることへの 絶えまない渇きによって
私の眼は 内へ 円錐形に剥(そ)がれた
私の見ることは 容赦ない錐もみである
慰めの水がない 影がない
<変奏>
No.1
私の読むことは 塩である
私の読むことには 癒しがない
視界のはるかな果てに立つ樹は 落ちる鶫(つぐみ)の群れは
痛い異物となって 眼の肉に突き刺さる
読むことへの 絶えまない渇きによって
私の眼は 内へ 円錐形に剥(そ)がれた
私の読むことは 容赦ない錐もみである
慰めの水がない 影がない
No.2
私の書くことは 塩である
私の書くことには 癒しがない
視界のはるかな果てに立つ樹は 落ちる鶫(つぐみ)の群れは
痛い異物となって 眼の肉に突き刺さる
書くことへの 絶えまない渇きによって
私の眼は 内へ 円錐形に剥(そ)がれた
私の書くことは 容赦ない錐もみである
慰めの水がない 影がない
もちろん<現実には>もっと安易なんよ、ぼくも。
しかし現在、プロもアマも、あまりにも安易に<読み書き>しているのは、いかがなものか。