Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

いまを凝視する

2014-06-19 00:53:01 | 日記

★ 辺見庸:私事片々 2014/06/17
甘く見てはならない。高をくくってはならない。相手を見くびってはならない。前例はもうなにもあてにならない。これは、この機に自衛隊を「日本国軍隊」として、どうしても直接に戦争参加させたがっている、戦後史上もっとも狂信的で愚昧な国家主義政権およびそのコバンザメのような群小ファシスト諸派と、9条を守り、国軍化と戦争参加をなんとしてもはばみたいひとびととの、とても深刻なたたかいである。それぞれの居場所で、各人が各人の言葉で、各人が各人のそぶりで、意思表示すること。「日常」をねつ造するメディアに流されないこと。ことは集団的自衛権行使の「範囲」の問題ではない。そもそも集団的自衛権じたいに同意しない、うべなうことができないのだ。9条に踏みとどまること。ひとり沈思すること。にらみ返すこと。敵と味方を見誤らないこと。いまを凝視すること。静かにきっぱりと、反対を告げること。「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性」をいま眼前にしている。それはよみがえったのだ。虚しくても空疎でも徒労でも面倒でも、たたかいつづけること。怒りをずっともちつづけること。安倍政権はうち倒されるためにのみ存在している。エベレストにのぼった。


★ 辺見庸:私事片々 2014/06/19
おい、安倍晋三よ、以下を読め。衆院本会議での答弁。吉田茂首相「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませぬが、第9条第2項において、一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。従来、近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変が然り、太平洋戦争また然りであります」「戦争放棄に関する憲法の草案条項におきまして、(質問者は)国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが戦争を誘発するゆえんであると思うのであります。(自衛のための軍隊などという)御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます(拍手)」(昭和21年=1946年6月26日。下線は引用者)。安倍、高村、石破よ、よく読め。「正当防衛権を認むることが戦争を誘発するゆえん」。日本の戦後はこうしてはじまり、<新しい戦前>のいまがある。




人間を守る読書

2014-06-15 20:12:12 | 日記

俺はこのブログで本やネット記事などの引用を続けている。

けれども、今朝はワールドカップのイタリア対イングランド戦、日本対コートジボワール戦を見るため早く起きたりもするのである。
(それにしても日本人“集団”は、すぐ同質化できるので、それが長所となることもあるが、欠点が連鎖することもあるわけだ―サッカーの話である)

つまり人間は、いろいろなことをするし、ひとによって“趣味”はちがうのである。

俺には、本の一節から“名言”を取り出してくるような趣味はないが、ひところ、ベンヤミンの《希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている》(野村修訳)にはまいった(今でも)

昨日、読んでいた本には、“名言”ではないが、“よいことば”があった。
すなわち、ぼくが読んだことがない藤田省三というひと(故人)が、40代なかばで勤め先の大学を辞めて《イロハのイから勉強し直そう》としたというのだ(松浦寿輝『クロニクル』による)

俺は現在70歳を数年で迎える老人であり大学に勤めたこともないが、この言葉=《イロハのイから勉強し直そう》に感動したのである。

“勉強する”ということにも、いろいろな方法があろうが、本を読むこともそのひとつである(本を読むこと以外が、勉強であってもかまわない)

問題は、A:何を読むか、B:どのように読むか、である。
このA、Bについて、模範的な解答はない。
俺も、ずっと考えて(迷って)きた。

数年前に読んだ四方田犬彦『人間を守る読書』の、《人間を守る読書》もよい言葉だ。
四方田犬彦によると、ジョージ・スタイナーの言葉だという(つまりスタイナーはオーストリア系ユダヤ人として、“人間対する暴力”を身近に感じた)

《野蛮な時代には読書が人間を守る側に立たなければいけない。野蛮で暴力的ではない側に人間を置くために必要なんだ》(スタイナー)

これを受けて四方田犬彦は、(人々が互いに不寛容になっている現在日本社会においてこそ書物を読まなければならない)《書物というのは他人が考えていることです》と述べる。

俺は現在テレビによくうつる人々(アベとかいうひとをはじめとする政治家とか、あらゆる才能ある人々=つまりタレント!)というのは、現在、お忙しくて本なぞ読んでおられないだけでなく、その過去においても、ろくな本を読んでこられなかったのではないか?と、おおいに疑う。





チューリッヒの図書館で

2014-06-09 18:54:52 | 日記

★ 1916年から、レーニン夫妻は、チューリッヒに移った。ここの図書館がとくにレーニンの気にいったからであった。
チューリッヒの生活も「どん底」というべきもので、狭くるしい袋小路の靴屋の一室に住んでいた。クルプスカヤの記すところによれば――
「おなじ部屋代で、ずっといい部屋を見つけることはできたのであるが、私たちは主人夫婦を尊重したのである。ここは労働者の家庭で、革命的な気分があり、帝国主義戦争を非難していた。この家はまさにインターナショナルであった。主人夫婦が二部屋に住まい、他の一つにはドイツ人の兵隊、パン屋の妻が子どもたちとともに住み、第二の部屋にはあるイタリア人、第三の部屋にはオーストリアの俳優たち、にんじん色の子猫、そうして第四の部屋がわれわれロシア人であった。ここにはショーヴィニズムのにおいはすこしもなかった。」

★ このような環境のなかで、1916年の秋から17年の初めにかけて、レーニンは理論的な仕事に没頭した。朝は9時までに図書館にいき、12時まですわりどうし、ちょうど12時10分に帰宅して、昼食後はまた図書館に出かけて6時まですわりとおした。家で勉強するのは不便であった。彼らの部屋は明るかったけれども、外庭に面してソーセージ工場が建っており、悪臭がひどくたちこめていたので、夜ふけになってからでないと窓をあけることができなかった。

★ まったく目立たない存在だった。この中立国スイスで、各国の外交官は一、二年前まで交際していた人々も、たがいに敵国人としてそ知らぬ顔をしてすれちがいながら、しかも当然、情報網は縦横に張りめぐらされていたのであるが、この貧相なウラディミール=イリッチ=ウリヤノフに注意を払うものはなかった。著名な社会主義政党の指導者たちについて侮蔑的に語り、その方法を正面から批判するこの狷介とも思われる人物が、無産者たちの小さなカフェーに招く会合には、せいぜい15人か20人の青年が集まる程度だった。

★ この年、彼はヴェルダン要塞の攻防戦を聞きながら、有名な『帝国主義論』を脱稿した。彼は戦争の進展につれて、反戦運動が強まり、革命の機運の進むことを疑わなかった。しかし、それがいつになるかは予知できなかった。1917年1月22日、チューリッヒの人民ホールで、1905年のロシアにおける「血の日曜日」の12周年を記念して一場の講演がおこなわれたが、47歳のこの亡命革命家は、きたるべき革命がプロレタリア革命、すなわち社会主義革命であることをくりかえし強調しつつも、講演を次のように結んだ――
「われわれ老人は、もしかすると、この革命の決定的戦闘まで生きのびられないかもしれません。」

<江口朴郎責任編集『第一次大戦後の世界』(中公文庫・世界の歴史14―1975)>




天使と前方が見えない世界

2014-06-01 12:52:44 | 日記

★ 先日、ヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン天使の詩』をみて、『内省と遡行』以来の自分の仕事のことをぼんやりと考えた。これは、天使が人間の女に恋して人間になるという話である。物語としては、古いパターンであるが、ただこの天使たちは、ベルリンという都市の人々を見守ってきて、しかもベルリンがナチズムとスターリニズムのもとで荒廃するにいたるまで、無力でしかなかった天使たちなのである。つまり、天使として描かれているけれども、彼らは、ある種の人間のことだといってよい。それは、実践家ではなく、認識者であり、しかも、どんな人間的実践にも物語にも幻滅したがゆえに二度とそれに加担することがなく、ただ実践がなにも生み出さないことを確認するためだけに生きているというようなタイプの認識者である。

★ 天使たちには、地上の人々がどこにいようが見えるし、彼らの内心の声がすべて聞こえる。しかし、天使たちは、何も「経験」しないし、「知覚」しない。彼らが把握するのは、いわば「形式」だけなのだ。彼らは、人間の歴史をずっと見てきているが、一度も生きたことがない。さらに、彼らにとって、歴史は、たんに形式の変容でしかなく、なにごともそこでは起こらない。つまり、歴史は存在しないのである。映画では、彼らの世界はモノクロームで描かれており、主人公の天使ダミエルが人間になったとたんにカラーに転じる。彼は、自分の流した血をみて、はじめて色彩を経験するのだ。むろん、色彩はひとつの例でしかない。それは、いわば「形式」の外部を経験するということである。

★ 天使ダミエルは、人間になろうとする。それは、天使たることの放棄であり、有限で一回的な世界に生きることである。人間になるとは、彼にとって、他者(女)を愛することである。そのとたんに、彼は前方が見えない世界のなかで生きはじめる。それは「暗闇のなかでの跳躍」である。天使たることとは、何たる隔たりであろう。にもかかわらず、天使たちは、人間になることを欲する。それは、「外部」を欲するということである。

★ 「形式的」であることは、べつに特権的な事柄ではない。それはハイテク時代において、われわれのほとんど日常的といってよいような生の条件である。われわれは、そこでありとあらゆるものを「知覚」したり「経験」した気になっているだけで、実は天使と同じくモノクロームの世界、すなわち自己同一性の世界に閉じこめられているのである。私たちは、ブラウン管を通して血まみれの死体を見慣れているが、実際に血の色を見たことがないのだ。

<柄谷行人『内省と遡行』(講談社学術文庫1988)―“学術文庫版へのあとがき”>




最後の審判

2014-05-30 14:13:31 | 日記

★ 出来事の連鎖に必然の様相を帯びさせる最後の審判の視点そのものが、究極的には、偶然の選択の所産である。そこで、異なる最後の審判の視点を採用すれば、どうなるのか。それまで、存在していなかったことにされていた、過去の失敗や挫折が、存在しえたこととして見出され、しかるべき意味を受け取ることになるのだ。

★ こうした最後の審判の視点の置き換え、再選択は、しかし、歴史を専門とする学者の象牙の塔の中での知的努力の問題ではない。ある社会に内属する者として、歴史を振り返るとき、われわれは、その社会の基本構造を規定する規範や枠組みを受け入れてしまっている。言い換えれば、最後の審判の視点は、この場合、支配的な体制の視点と合致するほかない。それゆえ、過去の中の「存在していたかもしれない可能性」を救済するということは、現在の体制そのものを変換することを、つまり革命を意味しているのだ。革命は、未来を開くだけではなく、過去を救済するのである。

★ 逆に、こうも言える。「もし敵が勝てば、死者でさえも安全ではない」(ベンヤミン“歴史哲学テーゼⅥ”)。今、歴史の中で、輝かしい勝者や英雄として登録されていた死者も、革命の結果によっては、無視される敗者の方へ、遺棄されるクズの方へと配置換えになるかもしれないからだ。死者が、もう一度死ぬこともあるのだ。

<大澤真幸『量子の社会哲学』(講談社2010)>




“私はついに決心した”

2014-05-29 23:48:49 | 日記

このブログを4月18日以来更新してないので、(ほとんどいないと思うが)ぼくのことを心配している方がおられるなら、ぼくは生きています(笑)

この自分のブログを、(ほとんど)見さえしないのだけれど、たまに見ると、それなりの“訪問者”さえあるので、不思議です。

ただし、このブログは、ずっと“引用”なので、(更新されなくても)これまで引用された文章の数々を読み返していただけるなら幸いです。

ぼくまったく“気分”でこのブログをやっているので、また、新しく“引用”をはじめるかもしれないが。

最近のぼくの“生活”もこれまでとさして変化しているわけではありません(変化しようないじゃん!)

“読書”は、どうも新しい本を読むより再読が多いね。
“再読”すると、ほとんど初めて読むような気がするので、いったい俺は(最初)なにを読んでいたんだ、とばかり思う。

さてこのブログのタイトル=“私はついに決心した”は、スピノザからの引用ですが、ぼくはいくつになっても、“私はついに決心した”とは言えません(ああ!)
だから、“こう言えたら、カッコいいな~”と思うよ;

★ 一般の生活で通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったものは、どれもただ心がそれによって動かされる限りでよいとか悪いとか言えるのだと知ったとき、私はついに決心した、われわれのあずかりうる真の善で、他のすべてを捨ててもただそれだけあれば心が刺激されるような何かが存在しないかどうか、いやむしろ、それが見つかって手に入れば絶え間のない最高の喜びを永遠に享受できるような、何かそういうものは存在しないかどうか探求してみようと。

(スピノザ『知性改造論』―上野修『スピノザの世界』(講談社新書2005)より引用>





“政治”とは?

2014-04-18 16:58:58 | 日記

★ 政治は社会の至るところにあるという考え方は、あらゆる社会関係がもっぱら政治的だということではなくて、あらゆる社会関係には政治的関係としての側面・性格を見出すことができるということを意味している。したがって、この意味での「政治」とは、ある社会的現実が対象自体としてもつ特質ではなく、私たちが社会を見るときのものの見方、より正確には社会に対する関わり方の性質なのである。私たちは、あらゆる社会的事態に対して、それを政治的関係「として」みること、関わることができる。しかし、逆に、その同じ対象に対して経済的・文化的・その他の関係「として」みること、関わることもできる。そしてそれは第一義的には、私たちの関わり方の問題であって対象自体の特質ではないのである。

★ とはいえ、政治的「として」みることが大事であったり他の人々の共感を得られやすかったりする場合と、そうでない場合とがある。したがって、のちに述べるように、ある現実を政治的「として」みるかどうかそれ自体が論争の対象となる。

★ このように、政治性=権力性とみなして、政治は社会の至るところにあるという考え方は、権力関係という側面に注目するときに社会の政治性がみえてくるということ、より正確には、権力関係という側面に注目するときにみえてくるものを社会の政治性と名づけているということを意味しているのである。

★ だが、政治性というものを、私たちの社会への見方・関わり方として考えるとしても、社会的現実を政治的としてみるということは、権力関係に着目してみるということに尽きるのだろうか。ここでは、権力とともに公共性という要素にも注目したい。

★ だが、政治を権力と公共性という観点で特色づけるといっても、権力という観点は社会における対立の要素を強調するのに対して、公共性は協調や合意と親和的なようにみえる。そうだとすると、その関係はどうなるのだろうか。実は、この対立と協調という相矛盾する要素の絡み合いこそが、政治をみる・関わるときの最もむずかしい、また興味深い問題である。

★ そして本当は、権力も公共性も、ここで簡単に述べたように一筋縄ではいかない。権力にも協調と合意の要素があり、公共性にも対立と争いの要素がある。

<川崎修・杉田敦編『現代政治理論』(有斐閣アルマ2006)>





エゴイズム/愛

2014-04-04 22:30:32 | 日記

★ 動物個体が生きることの「目的」は遺伝子をのこすことなのだから親が子の世話を自己犠牲的に行うことも「当然」だというふうに考えられているのだろうが、それならアリやハナバチの献身も端的に「利己」行動であり(遺伝子を残すのだから!)、はじめから「利他行動」などと定義する必要はない。

★ そもそも女王といいワーカーという。(ダーウィンは「奴隷」とさえいう)それは人間の母性主義的なイデオロギーの投影である。つまりメスの幸福は子を産むことにのみあるはずだという思い込みの投影である。暗い湿った巣の底に生涯幽閉されて(若い頃の新婚旅行の他は!)、産卵労働を強いられている産卵蜂と、風の中、陽光の下で芳香を放つ花から花へと飛び交う収集蜂たちと、どちらがメスの生き方として幸福だろうか?そんなことは人間には分からない。

★ 動物の個の身体が本来はそれ自身の「ために」ではなく、そこに乗り合わせた遺伝子たちの自己複製のメディアとして形成され展開されてきたものである、という社会生物学の理論の合理的な核心自体が、(俗見と逆に)個体の「利他性」の普遍性をこそ立証している。

★ 本来は、という限定は、起源回帰論的な含意ではなく、むしろ反対に、少なくとも高等生物の行動において、(最低限、文明化された人間の個体において)この個体という上位のシステムの創発的な自律化が、みずからの創造主たる遺伝子のテレオノミーに反逆し、個体の自己目的性を獲得することがありうるという事実に論議を開くためである。エゴイズムはむしろ高等な能力である。産卵死する宿命を拒否し、大海にひとり悠然と遊ぶ紅鮭はいるか

<真木悠介『自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波現代文庫2008)>




アンチ・オイディプス(消費税引上げ記念、再録-B)

2014-04-01 13:23:53 | 日記

★ ただ欲望というものと社会というもののみが存在し、それ以外の何ものも存在しないのである。

★ 社会的再生産の最も抑圧的な、また最も致命的な形態でさえも、欲望そのものによって生み出されるものなのだ。あれこれの条件のもとで欲望から派生する組織の中で生み出されるものなのだ。我々は、このあれこれの個々の条件を分析しなければならないであろう。

★ したがって、政治哲学の基本的な問題は、依然としてスピノザが提起することができた次の問題(この問題を再発見したのはライヒである)に尽きることになる。すなわち、「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか」といった問題に。いかにして人は「もっと多くの税金を!パンはもっと減らしていい!」などと叫ぶことになるのか

★ ライヒが言うように、驚くべきことは、或る人々が盗みをするということではない。また、或る人々がストライキをするということでもない。そうではなくて、むしろ、餓えている人々が必ずしも盗みをしないということであり、搾取されている人々が必ずしもストライキをしないということである

★ なぜ人々は、幾世紀もの間、搾取や侮辱や奴隷状態に耐え、単に他人のためのみならず、自分たち自身のためにも、これらのものを欲することまでしているのか

<ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』;國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』から引用>




貧窮問答(消費税率引上げ記念、再録)

2014-04-01 10:42:05 | 日記

★ 憶良は、同時代の他の歌人が詠わなかった題材――それはまた19世紀末までその後の歌人もほとんど詠わなかった題材でもある――を、詠った。
第一に、子供または妻子への愛着。
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 何処(いづく)より 来たりしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸りて 安眠(やすい)寝さぬ
また、
憶良らは今罷(まか)らん子泣くらむそを負う母も吾を待つらむそ
これは「宴を罷(まか)る歌」である。その後の日本の男は、こういう歌をつくらなかったばかりでなく、徳川時代以後には、そういって宴会から退出することを恥とする習慣さえもつくりあげた。この歌が今かえって爽やかに響くのは(『万葉集』の時代にはまだそういう習慣がなかった)、そのためである。

★ 第二に、老年の悲惨。たとえば「世間(よのなか)の住り(とどまり)難きを哀しぶる歌一首」は、「何時の間か」髪が白くなり、面に皺がよることをいい、女と寝た夜のいくほどもないうちに、老いさらばえた惨めさをいう。

★ 第三に、貧窮のこと、飢えと寒さ、しかも税吏の苛酷さのそれに加わる光景。「貧窮問答」の長歌にはその光景がよく描かれていて、次の反歌一首が全体を要約している。
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

★ 彼の歌には他の『万葉集』歌人の誰にもない自分自身に対する皮肉、一種の「黒い諧謔」に近い調子がある。たとえば、「風雑(まじ)へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば」ではじまる「貧窮問答」の長歌は、塩をなめて、濁酒を啜ることをいった後に続けている。
……しかとあらぬ 鬚かき撫でて 我を除きて 人は在らじと 誇ろへど 寒くしあれば……

★ 自分自身を含めての対象への知的な距離は、子どもや老人から「我よりも 貧しき人」に到るまで、他の歌人には見えなかったものを、憶良の眼には見えるようにさせたのであろう。その知的な距離は、彼の外国文学の教養を俟ってはじめて可能となったのである。憶良は大陸文学を模倣したから、わが国で独特の文学をつくったのではない。大陸文学を通じて、現実との知的距離をつくりだす術を体得したから、日本文学の地平線を拡大したのである。

<加藤周一『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫1999)>




賢治の旅

2014-03-31 11:59:33 | 日記

★ わたしたちはすでにそのまえの『鈴谷平原』で、旅の極北に立つ詩人をみてきた。
《 こんやはもう標本をいつぱいもつて
  わたくしは宗谷海峡をわたる
  だから風の音が汽車のやうだ 》
 それは存在のゆくえを求めるその旅にあって、詩人の乗り継ぐべき鉄道がもはや、風の鉄道でしかありえないことを予告している。

★ 《 永久におまえたちは地を這ふがいい 》
詩人の幻想は旧約聖書風のこのような呪詛のことばを吐き捨てて、「上方とよぶその不可思議の方角へ」向かう鉄道にのりうつる。

★ このようにして「銀河鉄道」は、解き放たれた挽歌行である。もはや蒸気の力ではなく、つまり「科学」の力ではなく、あらかじめ重力の法則がその効力をもつことのできない、もうひとつの力で走る汽車である。

★ 前年の『小岩井農場』の旅が、その長い歩行による助走のあとに、ついにその第九のパートに至って、道ははっきりと第四次元の<透明な軌道>の方へと曲がったように、「オホーツク挽歌」の旅もまた、その長い助走のあとで、鉄道は異の空間の内部に方向をとることとなる。

★ けれどもこのときの旅で詩人が得たものはまだいくつかの<標本>であって、これらの標本を全面的に展開し賦活することは、詩人のその後の生涯を賭けてなお余りのある仕事となった。

★ <鉄道>が想像力の解放のメディアであったということを、わたくしたちはこの節のはじめにみてきた。けれどもこの解放のメディアが同時に、幻想の都<東京>に向けて、つまり近代資本制国家の興隆という物神に向けて、津々浦々の共同体の想像力を収束し収奪してゆく権力の装置でもあったということもみてきた。『銀河鉄道の夜』の賢治はこの鉄道の軌条を転轍することによって、現実のような幻想である<東京>の閉空間から、幻想のような現実である<宇宙>の開空間へとゆくてを解き放つ。それはこの鉄道による想像力の解放の解放であった。

<見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫2001)>




  

単独性と“世界市民”

2014-03-25 14:09:01 | 日記

★ ここで私は混乱を避けるために言葉を定義することにしよう。まず一般性と普遍性を区別する。これらはほとんどつねに混同されている。そして、それはその反対概念に関しても同様である。たとえば、個別性や特殊性や単独性が混同されている。

★ したがって、個別性-一般性という対と、単独性-普遍性という対を区別しなければならない。

★ たとえば、ドゥルーズは、キルケゴールの「反復」に関してこう述べている。《わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりの一般性と、単独的なものに関する普遍性としての反復とを対立したものとみなす》(『差異と反復』)。ドゥルーズは、個別性と一般性の結合は媒介あるいは運動を必要とするのに対して、単独性と普遍性の結合は直接(無媒介)的であるといっている。これは、別の言い方では、個別性と一般性は、特殊性によって媒介されるが、後者はそうでないということである。ロマン派においては、普遍性は実は一般性というべきものである。

★ たとえば、ヘーゲルにとって、個別性が普遍性(=一般性)とつながるのは、特殊性(民族国家)においてであるのに対して、カントにとって、そのような媒介性は存在しない。それはたえざる道徳的な決断(反復)である。そして、そのような個人のあり方は単独者である。そして、単独者のみが普遍的でありうる。むろん、これはカントではなくキルケゴールの言葉であるが、根本的にカントにある考えである。

★ 個人は、たとえば、まず日本語(日本民族)のなかで個々人となる。人類(人間一般)というような普遍性はこのような特殊性を欠いたときは空疎で抽象的である。「世界市民」が彼らによって侮蔑されるのはいうまでもない。それはいまも嘲笑されている。しかし、カントは「世界市民社会」を実体的に考えたのではない。また、彼はひとが何らかの共同体に属することそれ自体を否定したのではない。ただ思考と行動において、世界市民的であるべきだといっただけである。

★ 実際上、世界市民たることは、それぞれの共同体における各自の闘争(啓蒙)をおいてありえない。

<柄谷行人『トランスクリティーク-カントとマルクス-』(岩波書店・定本柄谷行人集3、2004)>





Dylan;Girl from the North Country

2014-03-24 01:11:13 | 日記

BSで“ボブ・ディラン30周年記念コンサート(1992)”を見ました。

If you're traveling in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was the true love of mine.

If you go when the snowflakes storm
When the rivers freeze and summer ends
Please see if she's a coat so warm
To keep her from the howlin' winds.

Please see if her hair hangs long
If it rolls and flows all down her breast
Please see from me if her hair hangs long
That's the way I remember her best.

I'm a-wonderin' if she remember me at all
Many times I've often prayed
In the darkness of my night
In the brightness of my day.

So if you're travelin' in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine.




二人の女

2014-03-14 14:19:44 | 日記

別に自分のことでなくともいいのだが、“ぼく”も“ぼくでないひと”も長く生きていれば、さまざまな“ひと”に出会ったのである。

大別して、この出会いには、実際に出会うのと、本や映画のなかで出会うのとがある。

必ずしも、実際に(“現実に”)出会うのことの方がリアルなわけでもないだろう。
たとえば、男であるぼくは、“女”という生物にいかにして出会ったか?そのすべてを書くことなどできはしない。
ここでは昨日・今日たまたま本で出会った二人の女性のことを書くのみである。

いずれも、“すでに”読んだ本の再読であったので、ぼくはすでにそれらの女性に出会っていたはずなのに、再読によって、あらためて出会った。

ひとりは、日野啓三の『聖岩』という単行本(1995年刊行)の最初に収録された「塩塊」に出てくる金沢のシンポジウムのため来日した米国人女性(この『聖岩』が文庫化された『遥かなるものの呼ぶ声』ではなぜかこれはカットされている)

この“ネイチャーライティング”女性作家と日野啓三と思われる作家は、英訳された日野の小説(「牧師館」だと思われる)と彼女の小説の日本語への翻訳ゲラ刷りを交換し、金沢行き飛行機のなかで読んだのである。

この出会いが起こったのは“草をにぎりしめる”という体験である。
シンポジウムの講演で、彼女は140年来ユタ州に住み続けてきた自分の一族の女たちが近年、次々と乳ガンにおかされたことが、ユタ州西隣に広がるネバダ砂漠における核実験によるとうったえた自分の本を朗読した。
《私は片胸の女たちの一族に属している》
そして講演の最後に彼女はライターで火をつけたヤマヨモギの束を客席に手渡し巡回させたという。

もうひとりの女性は、辺見庸『水の透視画法』収録の“永久凍土のとける音”にでてくる、辺見が行ったゆうちょ銀行の窓口女性である。
《愛想のよくない眼鏡の女性がでてきた。応答にせよ動作にせよ、あっけにとられるほど重くてにぶい》
《旧式のパソコンのようにあくまでもゆっくりと話すのである。かすかに口臭がした。見た目よりほんとうは若いのかもしれないが、くすんだ灰色の古壁みたいに十回見ても記憶に残らないような人なのだ。けれど、なんだか気になった》

《やっと心づいた。彼女のリズムと気配に、私は皮膚でいらだちながら、心の奥はじつのところ、なごんでいたのだ。せかず、せかせず、媚びもしない。飾りのない心ばえ……それは非効率的で、非生産的であるがゆえの、滋味と安らぎでもあった》
しかし、1ヵ月後におなじ銀行へ行ったら、彼女はいなかった。

ぼくは上記ふたりの女性を比較したかったわけではない、ふたりともそれぞれに魅力的である。

このところ、“ノーベル賞クラスの”研究発表をした女性のインチキ!が話題である。
ぼくは、この“業界”やSTAP細胞についてなにも知らない。
もちろん、この問題は、“彼女ひとりの問題”ではないだろう。
しかし、ぼくは彼女をテレビで見たとき、“なんかインチキくさいひとだな”と思った。
そういうことが一目見てわかるひとが人気者になる、いまの日本社会の感性こそが、ぼくには不快である。



不死

2014-03-13 18:35:53 | 日記

★ むかしのことを思い出すと、心臓がはやく打ちはじめる。
(ジョン・レノン:“ジェラス・ガイ”)

★ ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。
(サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』)

★ そして突然、この春のことだ、ぼくは街を歩いていて、不意になんの理由もなく、怯えた子供らの一群から石礫を投げられた。ぼくがなぜ子供らを脅したのかはわからない。ともかく恐怖心からひどく攻撃的になった子供らの一群の投げた拳ほどの礫が、ぼくの右眼にあたった。ぼくはそのショックで片膝をつき、眼をおさえた掌につぶれた肉のかたまりを感じ、そこからしたたった血のしずくが、磁石のように舗道の土埃を、吸いつけるのを片眼で見おろした。その瞬間、ぼくのすぐ背後から、カンガルーほどの大きさの懐かしいひとつの存在が、まだ冬の生硬さをのこす涙ぐましいブルーの空にむかってとびたつのを感じ、ぼくは思いがけなく、さようならアグイーと心のなかでいったのである。そしてぼくは見知らぬ怯えた子供らへの憎悪が融けさるのを知り、この十年間に《 時間 》がぼくの空の高みを浮遊するアイヴォリイ・ホワイトのものでいっぱいにしたことをも知った。それらは単に無邪気な輝きをはなつものだけではないだろう。ぼくが子供らに傷つけられてまさに無償の犠牲をはらったとき、一瞬だけにしても、ぼくにはぼくの空の高みから降りてきた存在を感じとる力があたえられたのだった。
<大江健三郎:“空の怪物アグイー”>

★ するといま嬉しいことが起きる。ペン軸と覗き穴のなかの小宇宙とを想い出す過程が私の記憶力を最後の努力にかりたてる。私はもういちどコレットの犬の名前を想い出そうとする―と、果たせるかな、そのはるか遠い海岸のむこうから、夕陽に映える海水が足跡をひとつひとつ満たしてゆく過去のきらめく夕暮れの海岸をよぎって、ほら、ほら、こだましながら、震えながら、聞こえてくる。“フロス、フロス、フロス!”
(ナボコフ:『記憶よ、語れ』)

★ 背筋をまっすぐにのばして目を閉じると、風のにおいがした。まるで果実ようなふくらみを持った風だった。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子のつぶだちがあった。果肉が空中で砕けると、種子はやわらかな散弾となって、僕の腕にのめりこんだ。そしてそのあとに微かな痛みが残った。
(村上春樹:“めくらやなぎと眠る女”)

★ 毎日の昼間のことはよく覚えていない。陽光の激しさがものの色を失わせ、すべてを圧しつぶしていた。 
  夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。
(デュラス:『愛人(ラマン)』)

★ その被慈利(ひじり)にしてみれば熊野の山の中を茂みをかきわけ、日に当たって透き通り燃え上がる炎のように輝く葉を持った潅木の梢を払いながら先へ行くのはことさら大仰な事ではなかった。そうやってこれまでも先へ先へと歩いて来たのだった。山の上から弥陀(みだ)がのぞいていれば結局はむしった草の下の土の中の虫がうごめいているように同じところをぐるぐると八の字になったり六の字になったり廻っているだけの事かも知れぬが、それでもいっこうに構わない。歩く事が俺に似合っている。被慈利はそううそぶきながら、先へ先へ歩いてきたのだった。先へ先へと歩いていて峠を越えるとそこが思いがけず人里だった事もあったし、長く山中にいたから火の通ったものを食いたい、温もりのある女を抱きたいといつのまにか竹林をさがしている事もあった。竹林のあるところ、必ず人が住んでいる。いつごろからか、それが骨身に沁みて分かった。竹の葉を風が渡り鳴らす音は被慈利には自分の喉の音、毛穴という毛穴から立ち上がる命の音に聴こえた。
(中上健次 “不死”― 『熊野集』)

★ 私たちは、恋人と部族の豊かさを内に含んで死ぬ。味わいを口に残して死ぬ。あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木。あの恐怖は、私が隠れ潜んだ洞窟。私たちはそれを内にともなって死ぬ。私が死ぬときも、この体にすべての痕跡があってほしい。それは自然が描く地図。そういう地図作りがある、と私は信じる。中に自分のラベルを貼り込んだ地図など、金持ちが自分の名前を刻み込んだビルと変わらない。私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。
(M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』)

★ 世界そのものとの出会いと、それによる自分自身の新たな発見という体験において、東京湾の埋立地をうろつくのも、中国奥地の砂漠まで出かけるのも同じようなものだ。
意識の深みがたかぶり開いているとき、世界はどこでも荒涼と美しい。
(日野啓三:『聖岩』 あとがき)

★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。
(ル・クレジオ:“春”)