Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

人間を守る読書

2014-06-15 20:12:12 | 日記

俺はこのブログで本やネット記事などの引用を続けている。

けれども、今朝はワールドカップのイタリア対イングランド戦、日本対コートジボワール戦を見るため早く起きたりもするのである。
(それにしても日本人“集団”は、すぐ同質化できるので、それが長所となることもあるが、欠点が連鎖することもあるわけだ―サッカーの話である)

つまり人間は、いろいろなことをするし、ひとによって“趣味”はちがうのである。

俺には、本の一節から“名言”を取り出してくるような趣味はないが、ひところ、ベンヤミンの《希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている》(野村修訳)にはまいった(今でも)

昨日、読んでいた本には、“名言”ではないが、“よいことば”があった。
すなわち、ぼくが読んだことがない藤田省三というひと(故人)が、40代なかばで勤め先の大学を辞めて《イロハのイから勉強し直そう》としたというのだ(松浦寿輝『クロニクル』による)

俺は現在70歳を数年で迎える老人であり大学に勤めたこともないが、この言葉=《イロハのイから勉強し直そう》に感動したのである。

“勉強する”ということにも、いろいろな方法があろうが、本を読むこともそのひとつである(本を読むこと以外が、勉強であってもかまわない)

問題は、A:何を読むか、B:どのように読むか、である。
このA、Bについて、模範的な解答はない。
俺も、ずっと考えて(迷って)きた。

数年前に読んだ四方田犬彦『人間を守る読書』の、《人間を守る読書》もよい言葉だ。
四方田犬彦によると、ジョージ・スタイナーの言葉だという(つまりスタイナーはオーストリア系ユダヤ人として、“人間対する暴力”を身近に感じた)

《野蛮な時代には読書が人間を守る側に立たなければいけない。野蛮で暴力的ではない側に人間を置くために必要なんだ》(スタイナー)

これを受けて四方田犬彦は、(人々が互いに不寛容になっている現在日本社会においてこそ書物を読まなければならない)《書物というのは他人が考えていることです》と述べる。

俺は現在テレビによくうつる人々(アベとかいうひとをはじめとする政治家とか、あらゆる才能ある人々=つまりタレント!)というのは、現在、お忙しくて本なぞ読んでおられないだけでなく、その過去においても、ろくな本を読んでこられなかったのではないか?と、おおいに疑う。





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