wakuwakuな生活

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淵辺義博は護良親王を連れて安房国に渡った

2013-10-20 13:03:34 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
 私が住んでいる淵野辺に境川の中里橋のところに「縁切り榎とわかれ橋」という史跡がある。
   

これは1335年、中先代の戦いの時に足利尊氏の弟の直義が家来の淵辺義博に命じて、後醍醐天皇の皇子である護良親王を討ったという史実を180度変えることが書かれている。「実は淵辺義博は家来の首を差し出して直義を安心させ、護良親王を近くの龍像寺にかくまり、ほとぼりが冷めてから、妻子と別れて石巻の方に旅立った」と。

 以前に「風の群像」を読んだときに、淵辺義博の名が出てきて、護良親王を討った場面が描かれていた。その時初めて、地域の地名とこの淵辺義博を知り、でも、前記の「縁切り榎とわかれ橋」のことも偶然知って、どちらがほんとなのかしらとずーと疑問に思っていた。


 でも、今回知人に、「南北朝異聞」(護良親王と淵辺義博)中丸祐昌著を紹介され読んだ。
     


何と、直義はまだ、護良親王が利用価値があると思い、信頼できる部下であり、捨石にもなれる淵辺義博に内密に温暖な地である安房国に連れて行き、しばらくのあいだ隠れているようにと命令したのではないかということだ。でも、実際は兄の尊氏が武士の世の中を確立してたことにより、利用価値がなくなり、そのまま歴史上から姿を消していったのではないかということである。

本では、鎌倉が北条時行に襲撃された時、淵辺義博ら7名の屈強な武士たちは、護良親王を籠に乗せ、鎌倉の海から船に乗せ、海岸沿いに進んで、房総半島の安房国白浜の野島岬あたりに上陸し、大六天山の麓に位置する榎ヶ谷の山中にたどり着いて、護良親王を匿ったということである。その証拠にその村(榎ヶ谷・名倉地区)には、「淵辺」という苗字が集中しているということをこの本の作者である中丸氏も言っている。

本を読んでいて、今までの定説は全て「太平記」からのものであり、でもこの太平記は直義が監修していて、都合の悪いことは編集できるという。と考えると、この本のほうが信憑性が高いのではないかと考えられるが、如何なものだろうか。

いずれこの地には行って、淵辺さんに会ってみたいものである。
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4 コメント

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Unknown (たぶっちゃん)
2013-10-26 22:41:48
こんばんわ。こんなに身近に
歴史がたくさん転がっているんですね。

帰国後はすっかり東北の魅力にはまっています。
今日は、台風の合間をぬって、
山形の山寺へ行きました。
薬師如来の御開帳で、神奈川・東京からもたくさんの人が。

明らかな観光地のお寺もいいけれど、
私は、小さなひっそりとしたお寺が好きです。
福島には、松尾芭蕉に関わる足跡が多く、
ちょっとリサーチ中。

返信する
Unknown (みなちゃん)
2013-11-19 09:22:09
護良親王については、いろいろな説があるんですね。
歴史はそれぞれ根拠があると思うけど。長い間にいろいろな伝説も加わり・・・その時代に行って聞いてみたくなりますね。
でも、いろいろな道をたどり、追求し推しはかることが楽しみなんですね。
返信する
Unknown (子孫)
2014-03-18 21:32:02
こんばんは。
たまたま検索していたら
興味深いブログを拝見しました。

親類が過去を調べたら確かに足利直義の家臣
だったようです。祖先が血なまぐさいことを、と
思っていたので、逆説的なこの本は読んでみようと
思います。白浜には、親類だけでなく同姓の方が
沢山いらっしゃいます。

名前が変わっているので、いつも通じなくて困り
ますが、白浜に行くと一般的になった感じで安心
します。

幼い頃から、名倉という無人駅を列車が通るのが
怖くて仕方なかったのですが、何かあるのかな~
と思ったりして。曾祖父母がいたようなんですが、
理由もなく怖かったです。
返信する
子孫さんへ (wakuwaku)
2014-03-21 10:37:10
コメントありがとうございます。
この地域に長年住んでいて、この地名と同じ名字の人は、聞いたことがなくて、
やっぱり逆賊であるので、名前を変えて暮らしていたのかな~と、考えていたのです。

この本を読んで、白浜の方にこの苗字がたくさんあるということは、この本の説の方が正しいんではないかと確信したのです。

名倉駅が無人駅ということは、あまり人は住んでいないのですね。ぜひ一回は行って確かめてみたくなりました。
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