wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

今川家の菩提寺 観泉寺へ

2023-05-04 09:27:30 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
令和5年5月2日、杉並区の今川にある「観泉寺」に行ってきた。
大河ドラマ「どうする家康」で、今川家の菩提寺であるとドラマの最後に流れていたのが気になっていたことと、「城めぐり」でまだ行ってないところがその近くにあるということで、千ちゃんと意気投合した。
「観泉寺」は幼稚園も経営していて、この辺の土地が全部「観泉寺」が持っているのではないかというくらい広かった。
お寺の庭はとてもきれいで、よく手入されているなと感じた。さすが高家と言われる今川家のことはある。家康が今川家を裏切って仲たがいをしても、妻の実家の北条家を頼り、その後、北条が滅んだあとは徳川にお抱えられる。今川家は滅びずに残っていくあたり、運がいいというか、したたかさもあるんだなと思った。


下井草駅の反対側に「いわさきちひろ」の美術館があるというので、行ってみる。
    


お昼を食べようと思ったが、ラーメン屋さんばかりで、ファミレスみたいなところは見当たらない。
結局、新装開店したてのラーメン屋さんへ。具はたくさんだったが、いまいちだった。
 


帰りに城めぐりで、板橋城、中野区和田山、練馬区練馬城、右馬頭屋敷をゲットしてきた。
練馬城跡は、豊島園があったところで、公園には遺跡が残ってなかったが、奥のほうには「ハリーポッター」の大きな看板が掲げてあった。イベント会場ができるのかも。
 


連休の狭間で、天気が良くてウォーキングには最適だった。
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江戸城門巡り

2023-03-05 11:06:18 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
令和5年2月25日(土)、前から計画していた歴史散策へ行ってきた。
私たちは2018年12月26日に赤坂見附を皮切りに、「城めぐり」アプリを攻略してきた。現在3000あるお城のうち490城をゲットしている。
そんな中で、千ちゃんが皇居の門を確認したいといい、私はまだゲットしていないところを攻略したいということで、今回の歴史散策になった。

まずは橋本駅で待ち合わせて、京王線で、新宿へ。新宿駅は改装工事が進んでいて、前に行った時と、だいぶ景色が違っていた。
そこから総武線で、浅草橋駅にいき、浅草見附跡に行った。駅から出るとすぐに、大きなたい焼き屋さん。何人か並んでいた。
早速食す。皮がパリパリで、あんこは甘さ控えめでまあまあでした。
そこには神田川が流れていて、その脇に、赤坂見附があった。


次に、いよいよ皇居の大手門へ、秋葉原駅まで歩き、東京駅へ。


歩いていると、皇居の周りを走っているランナーたちが。おちおち歩いていると、ぶつかりそうで危ない。
 


次に、罪人等が通る平川門。
     


中に入ると、梅林坂があって、梅が咲き誇っていた。
  


次は、田安門。
     
  

出ると、千鳥ヶ淵があり、桜が咲き誇ったら、さぞかし見事であろうなと感じた。
   


食べるところを探す。ちょっと入ったところにステーキ屋さんがあるとと検索したら出てきたので、そこへ。なかなかボリュームがあってしゃれたレストランであった。
  


半蔵門へ。以前甲州街道を歩いた時、甲州街道はここから始まっていて、国道20号線や京王線と並行して走っているのが分かった。近くには服部半蔵の屋敷があったような気がする。非常時には将軍をここから天領である甲府へ安全に避難させるのである。


最後に桜田門である。小田原街道の始点で、小田原口とも呼ばれた。この門の近くで井伊直弼が藩士に暗殺された。憲政記念館の辺りに彦根藩井伊家の屋敷があったらしい。
堀伝いに歩いていくと、日比谷公園やニッポン放送ビルがあったりして、なかなか趣があった。
    


帰りの電車の中から、汐留屋敷、浜御殿、以前行った高輪大木戸を「城めぐり」アプリでゲットして帰ってきた。

今回も実り多い散策になった。ちょうど大河ドラマ「どうする家康」が放映中なのでか、多くの人が、特に外国人の観光客が多くいた。




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畠山重忠ゆかりの地 鶴ヶ峰

2022-10-23 15:36:11 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
令和4年10月22日(土)、久しぶりのウオーキングに行ってきた。場所は大河ドラマの「鎌倉殿の13人」で、壮絶な死と遂げたは畠山重忠最期の地である横浜市旭区鶴ヶ峰駅周辺である。なるほど、中川大志さんのかっこよい演技の影響か、また、近場で行きやすいのか、私たちと似たような、地図を片手に歩いていた人たちがちらほら見かけられた。

実朝の妻を迎えるために重忠の長男重保や北条時政の息子正範が京都に行った。そこで正範が亡くなるという事件が起こってしまう。息子の正範を失った牧の方は娘の婿平賀朝雅と組んで、有力御家人の畠山氏を排除しようと陰謀を画策し、夫の時政に訴えた。それを受けた時政は畠山討伐を義時に命じて、今回行ったこの地が最期の地で討ち取られてしまう。看板にも書いてあったが、重忠自身は時政に呼ばれたから、埼玉の菅谷から鎌倉まで来ようとしたので、まさか討ち取られるとは思ってもみなかった。
この二俣川まで来て、(ちょうど川が帷子川と二俣川とに分かれていたところがあった。)気づき、「ここで引き返したら、謀反を企てたと思われ、梶原景時の二の舞になる」と150騎という少ない数で、死を覚悟して戦ったという。

首塚、首洗い井戸、二俣川合戦の地、重忠公石碑,駕籠塚(重忠の二人いる妻の時政の娘でない方、かごに乗って駆け付けたが、死を知って自害した。)(時政は娘の旦那を殺したことになる、非情だなぁ)、薬王寺(境内に重忠と家臣らの墓がある。)

昔はただの広い野っ原であったろう。横浜は土地が平らではなく、高低があるので、近場にまとまってはいたが、歩くときつかった。それにあまり食べるところがなくて、結局駅まで戻って、遅いお昼を食べて帰ってきた。
でも、今回も充実したウオーキングであった。
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檜原城へ

2021-01-11 14:39:30 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
令和3年1月11日(成人の日)、城めぐりアプリでまだゲットしていない「檜原城」へ行ってきた。北条氏の家紋がある蔵があったり、お寺があったりしたから、多分この辺りに「檜原城」があったと思うんだけど、はっきりした跡は残ってなかった。


帰りには、秋川渓谷沿いを帰ってきた。やはり渓谷だけあって、素敵な景色だった。
     

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「トリケラトプス」㏌あつぎ郷土博物館

2021-01-04 16:02:59 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
令和3年1月4日(月) 今年のお正月も快晴だ。この天気に誘われて、富士山を見に行く。
でも、遠くには行けないので、近場のいつも行く厚木の戸田。暮れには雪があまり見られなかった富士山だったけれど、大分雪が積もっていた。

その後、厚木に郷土博物館ができたというので、行ってみた。
ちょうど相模川の歴史が3万年前から現代までの事が丁寧に展示してあった。
   

でも、そこで一番に驚いたことは、アメリカ大陸にいた「トリケラトプス」の化石が展示してあったことだ。
    

その恐竜の化石を見てから、相模川の歴史に入った。
旧石器時代(33000年位前)から縄文時代(約5000年前)、弥生時代、古墳時代(4.5世紀)とこの辺りも随分開けていたようだ。古墳時代には剣も発見されているので、戦いもあったのではと憶測される。
        

古代(7世紀~)には仏教が伝来して、国分寺などもたてられている。
   

中世(平安時代の終わりごろ~)、地方に力を持つものが出て、武士が台頭し始めます。津久井城もこの頃建てられたらしい。
     

江戸時代になると、この相模川が最もにぎわった時代になる。
        

やっぱり川は物や人を運び、文化を発展させる役割もあったんだ。
 

新年早々なかなか面白いものが見られた。
ちなみに、この「相模川の遺跡紀行」は、県立博物館でも2/6から3/7までやるそうで、それに先駆けてみることができてラッキーだった。
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