wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

漢字三千年 ~漢字の歴史と美~ に行ってきた。

2016-10-23 16:04:41 | その他
平成28年10月23日(日) 漢字のことで、面白そうな展示会があると聞いて、東京富士美術館へ行ってきた。
漢字の成り立ちが年表になっていた。

漢字は、三千年前の中国の倉頡(そうけつ)という人が作ったとされ、動物の足跡を形にしたという。余りにもよく特徴を見られるので、この人には目が四つあったと逸話が残っているほどである。
魏(商)の国で使われ、それが滅んだ後も、周で使われていったことで、長年表意文字として、東アジアの国々に伝わっていったとあった。
最初は、亀の甲羅に書き、それを火にくべて、祈祷師がヒビの様子を口で伝えて、占ったことから甲骨文字が漢字の初めで、青銅器に書かれた青銅器文字、石に書かれた石器文字と、だんだん漢字が形になっていった。
            

漢字の成り立ちがそこかしこに掲げてあったが、特に、「友」は二つの手を合わせた形から、こういう漢字になっていたことがわかったのが、印象的だった。
また、「取」という漢字は、中国では昔、捕虜は耳を剥ぎ取られることからこの漢字が作られたとか。「夢」も王様が呪いをかけられてとある。「幸」も罪人が手錠をかけられた形から罪が軽くて幸せとあった。ちょっと怖い発想から生まれたものが多い感じがする。
        

兵馬俑にも、誰が作ったのかがわかるように、印(漢字)が書いてあったようだ。
  

遣唐使で中国に渡って、現地で亡くなった人(井真成)が埋葬されていて、その墓碑にも漢字で書いてあった。
   

則天武后の金の御札にも漢字がぎっしり書いてあった。
  

また、この東京富士美術館は、お金があるのか、随分有名な絵画(モネ、マネ、ルノアール等々)が展示されてあって、驚いた。

   墓石碑に
      夏草埋れ
         日本人

   雪跡に
      漢字の起こりは
            倉頡さん
コメント (1)
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ルーツを探しに

2016-10-16 08:35:11 | その他
平成28年10月9・10日(日・月) 体育の日が月曜日で、三連休の後半の2日間、
福島県相馬市に行ってきた。

義父が亡くなり、義母に名義替えをする手続きで、主人が戸籍謄本を取り寄せた際、福島から北海道に開拓に来て移り住んだという話は聞いていたが、義父の父母の詳しい住所が分かったので、今回、是非とも行ってみたいというので、行ってきた。

それというのも、北海道に移り住んだ時に、このお父様は、自分の敷地に、この生まれ故郷の中村神社の「妙見様」を分社して、神社を建てたという。そして、義母が嫁いだ際には、この父親から「一度本家の神社にお参りに行って来い」と言われ、今回行った「相馬中村神社」に何十年も前に拝みに行ったという。

それでは、順を追って、載せていく。

まずは、朝7時に家を出て、圏央道に乗り、東北道に乗って、郡山市中田町へ。そこが義父の父母が生まれた場所。二人は近所同士で結婚した。
       

近くに、相馬小高神社(そうまおだかじんじゃ)相馬馬追の元祖の神社だそうです。
     

元々は、源頼朝が、藤原三代と戦い、勝ったことで、相馬氏が受け継いだ土地で、この小高神社は相馬氏が建てた神社で、その後、江戸時代に相馬中村神社に移っていったということだ。

いわき市のビジネスホテルで泊をとり、つぎの日に、福島の海岸沿いを北上して、相馬市に入る。その間、事故のあった原子力発電所の付近を通ったが、大震災から5年も経っているけど、まだ「避難区域」が続いていて、高速道路は通っているけど、脇の道には入れないように、鉄杭等が、そこかしこに立っていた。道路には、何箇所にも、放射能の測定値が提示され、実際行ってみないと、こういうことって、知らないし、分からないなと感じた。

そして、妙見様が祀っていある「相馬中村神社」へ。馬追で有名なだけあって、入口には、白馬がいた。
               

帰りは、羽生サービスエリアで休憩、江戸時代の街並みが再現されているという。
   


  父母に
    妙見様の
       影見たり

  秋しぐれ
    中村神社は
        先祖の思い
コメント
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