wakuwakuな生活

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「正倉院フオーラム東京」に行ってきました。

2018-09-08 19:52:56 | その他
平成30年9月8日(土)、よみうり大手町ホールで開かれた「正倉院フォーラム東京」に行ってきた。

昨年行った「正倉院展」。今年はどうしようかなと迷っているときに、こんなフォーラムが開かれるのを知り、だめもとで応募してみたら、運よく当たって、こういう運びになった。会場は満員で、開演10分前に行った私たちは、一番後ろの端に案内され、こんなに混んでいるのかと驚いた。次の日新聞にて、500人もの人が聞きに来ていたことを知る。澤田さんも言っていたが、関西に住んでいる人の方があまり奈良に関心を持たないんではと。

    

「正倉」というのは、奈良から平安時代、中央・地方の官庁や大寺にあった重要物品を納める倉のことである。「正倉院」というのはその「正倉」が集まっているところである。

正倉院宝物は、東大寺大仏を造立した聖武天皇のご遺愛の品々を后の光明皇后が大仏に献納したことに始まり、東大寺の儀式に使った法具などを加わって、1200年もの間、正倉院に保管して守ってきたものである。
今回の目玉は、写真に乗せた「平螺鈿背八角鏡」(へいらでんはいのはっかくきょう)、「縫線蛙」(ぬいのせんがい)、「沈香木画箱」(じんこうもくがのはこ)等で、奈良国立博物館長がその素晴らしさを力説していた。

もう一つの講演は、澤田瞳子さんの「日本史の中の正倉院」で、
➀正倉院文書の中の「政争」。
 東大寺の宝物や薬や屏風やらを「出入帳」に記載してあるのを詳しくひも解いて、刀や弓兜など・兜などを貸し出したのを記載していて、それから「藤原仲麻呂」の乱を説明していた。

➁権力者たちの正倉院。ここでは、正倉院の宝物を拝観した歴史上の人物を紹介していた。
 1、藤原道長(966~1027) あまり熱心に拝観していなかった
 2、鳥羽上皇(1103~1156)矢を入れて遊ぶ壺を持って帰ってしまった。
 3、九条道家(1193~1252)宝物を見て、藤原家の流れを意識
 4、足利義満(室町幕府第3代将軍)碁石と沈香を持ち帰る。
 5、足利義教(室町幕府第6代将軍)碁石と沈香を持ち帰る。
 6、足利義政(室町幕府第8代将軍)碁石と沈香を持ち帰る。
 7、織田信長(1534~1582)香木の「蘭奢待」(らんじゃたい)を切り取って持ち帰った事件は有名である。東大寺に拝観を申請し、大和国多聞城に沈香木を運ばせ、その後自ら倉に足を運ぶ。権力の証であったらしい。
 8、明治天皇 この人も切り取ったらしい。

 何しろ50か所余りの切り取りが確認されているらしい。上にあげた人以外にもこの香木を切り取り持ち帰った人はあまたいる。人間は人が持っていないものを持ちたがる欲の強い生き物である。

 1200年もの前の時間をさかのぼり、昔に誘えたひと時であった。
コメント (2)
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