平成25年6月15日(土) 久しぶりのウォーキングを行った。
天気予報は、雨マーク。雨なら資料館にでもと思ったが、とんでもない。日差しが強く、湿度の高い晴天になってしまった。壮年の私たちにとって、この天気は、体に応える。特に湿度は、体を疲れさせる。早めの休憩を入れながら、今回も歴史への探索を楽しんできた。
今回は、「分倍河原」である。この読み方は「ぶばいがわら」と読む。「分梅河原」とも書くようであるが、駅前に、どーんと騎乗して刀を振りかざす勇ましい姿の新田義貞公之像がある。
新田義貞は、高崎を根拠地とする武将であるが、この義貞が、鎌倉を攻める時に、いろいろな戦いの中で、この鎌倉街道沿いのこの地、分倍河原で北条氏を破り、勢いをまして、鎌倉を滅ぼしたとされる。
前に、鎌倉に行った時に、新田義貞が刀を奉納して海を鎮めたという逸話が残っている稲村ヶ崎にも行ったし、三方から攻めた、その一つの極楽寺切り通しにも行った。
また、資料館に行ったら、ちょうど私たちの疑問に答えてくれる本に出会った。
「武蔵府中と鎌倉街道」という本である。
高崎から鎌倉までの道筋が、細かい地図であるが、載っているのである。
それを見ると、分倍河原で戦った新田義貞は、その後、井出の沢古戦場でも戦ったのが分かった。
以前、「新田井戸」にも行ったことがある。町田の七国山のところである。七つの国を見渡せたからこういう名前の山になったと言われるという。その地名もちゃんとその本には出ていた。確かそこの説明書きにも、高崎にこの道は続いていると書いてあった。
なるほど、新田義貞は高崎・・・・・・分倍河原・新田井戸・境川を下って鎌倉に入ったと軌跡が少し推測できた。
こんなことが、自己満足で、おもしろい。
では、今回の散策を順におって、残しておこう。
まず、府中駅に降りる。駅から「大國魂神社」まで欅並木通りがある。
その通りは広く源義家の像もあった。万葉仮名の和歌があったり正岡子規の句碑もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/62/02/1112912d13fadeaa558df54b537e73d7_s.jpg)
「大國魂神社」(おおくにたまじんじゃ)に着く。その中には、「武蔵国府跡」(むさしこくふあと)がある。昔の国府がここにあったそうだ。
武蔵国とは、今の埼玉県・東京都・横浜市・川崎市を合わせた地域を指す。その中心地が、このところにあったという。国府が再現されていたが、大きな柱の割にはその間隔が狭くこじんまりとしていた感があった。資料館では、CGでその時代の生活や国府の中の様子を説明してあってよく分かった。
次に、その近くの「高安寺」に行く。このお寺は足利尊氏と縁があって、かって尊氏もこの武蔵野の国府に任命されたことがあると、説明書きがあった。
武蔵坊弁慶の硯井戸(すずりいど)もあった。この辺の出身の坊さんだから、武蔵と名前に付くのかな。縁のものが他にもいくつかあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7e/95/87fae56ee9e76ff29ff8334caa390fad_s.jpg)
鎌倉街道を歩いて、分倍河原駅に行き、新田義貞公之像を見てから、府中駅に戻る。欅通りのお店で、ちょうど閉店セールをやっていたので、思わず、家族の家着を買ってしまった。そこからは重たい荷物を持っての散策になってしまった。
朝、八王子駅で、料金表を見たときに、千ちゃんが「平山城址公園駅」なる駅名を発見し、帰りに寄ってみようという話になっていた。
そこで、府中をあとにし、この「平山城址公園駅」に行ってみた。
初めて知ったのだが、源平一の谷合戦の先陣争いを始め、数々の合戦で勇名を馳せた源氏方の侍大将、平山季重(すえしげ)の見張り所があった場所であるらしい。
四季折々の草花が咲き乱れる自然豊かな公園であった。季重神社もあった。
宗印寺には季重の墓もあった。
今回もいろいろ発見があった。特に願望だった、新田義貞の像が見られたことは大満足である。
そして、八王子の駅ビルで、いつものように、このウォーキングを振り返って、こうやってできることに感謝して、今回の旅も終了である。
24589歩で約18キロ歩いたことになる。
天気予報は、雨マーク。雨なら資料館にでもと思ったが、とんでもない。日差しが強く、湿度の高い晴天になってしまった。壮年の私たちにとって、この天気は、体に応える。特に湿度は、体を疲れさせる。早めの休憩を入れながら、今回も歴史への探索を楽しんできた。
今回は、「分倍河原」である。この読み方は「ぶばいがわら」と読む。「分梅河原」とも書くようであるが、駅前に、どーんと騎乗して刀を振りかざす勇ましい姿の新田義貞公之像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0c/2f/641e9972ec964bc4e757b51a8657173d_s.jpg)
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新田義貞は、高崎を根拠地とする武将であるが、この義貞が、鎌倉を攻める時に、いろいろな戦いの中で、この鎌倉街道沿いのこの地、分倍河原で北条氏を破り、勢いをまして、鎌倉を滅ぼしたとされる。
前に、鎌倉に行った時に、新田義貞が刀を奉納して海を鎮めたという逸話が残っている稲村ヶ崎にも行ったし、三方から攻めた、その一つの極楽寺切り通しにも行った。
また、資料館に行ったら、ちょうど私たちの疑問に答えてくれる本に出会った。
「武蔵府中と鎌倉街道」という本である。
高崎から鎌倉までの道筋が、細かい地図であるが、載っているのである。
それを見ると、分倍河原で戦った新田義貞は、その後、井出の沢古戦場でも戦ったのが分かった。
以前、「新田井戸」にも行ったことがある。町田の七国山のところである。七つの国を見渡せたからこういう名前の山になったと言われるという。その地名もちゃんとその本には出ていた。確かそこの説明書きにも、高崎にこの道は続いていると書いてあった。
なるほど、新田義貞は高崎・・・・・・分倍河原・新田井戸・境川を下って鎌倉に入ったと軌跡が少し推測できた。
こんなことが、自己満足で、おもしろい。
では、今回の散策を順におって、残しておこう。
まず、府中駅に降りる。駅から「大國魂神社」まで欅並木通りがある。
その通りは広く源義家の像もあった。万葉仮名の和歌があったり正岡子規の句碑もあった。
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「大國魂神社」(おおくにたまじんじゃ)に着く。その中には、「武蔵国府跡」(むさしこくふあと)がある。昔の国府がここにあったそうだ。
武蔵国とは、今の埼玉県・東京都・横浜市・川崎市を合わせた地域を指す。その中心地が、このところにあったという。国府が再現されていたが、大きな柱の割にはその間隔が狭くこじんまりとしていた感があった。資料館では、CGでその時代の生活や国府の中の様子を説明してあってよく分かった。
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次に、その近くの「高安寺」に行く。このお寺は足利尊氏と縁があって、かって尊氏もこの武蔵野の国府に任命されたことがあると、説明書きがあった。
武蔵坊弁慶の硯井戸(すずりいど)もあった。この辺の出身の坊さんだから、武蔵と名前に付くのかな。縁のものが他にもいくつかあった。
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鎌倉街道を歩いて、分倍河原駅に行き、新田義貞公之像を見てから、府中駅に戻る。欅通りのお店で、ちょうど閉店セールをやっていたので、思わず、家族の家着を買ってしまった。そこからは重たい荷物を持っての散策になってしまった。
朝、八王子駅で、料金表を見たときに、千ちゃんが「平山城址公園駅」なる駅名を発見し、帰りに寄ってみようという話になっていた。
そこで、府中をあとにし、この「平山城址公園駅」に行ってみた。
初めて知ったのだが、源平一の谷合戦の先陣争いを始め、数々の合戦で勇名を馳せた源氏方の侍大将、平山季重(すえしげ)の見張り所があった場所であるらしい。
四季折々の草花が咲き乱れる自然豊かな公園であった。季重神社もあった。
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宗印寺には季重の墓もあった。
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今回もいろいろ発見があった。特に願望だった、新田義貞の像が見られたことは大満足である。
そして、八王子の駅ビルで、いつものように、このウォーキングを振り返って、こうやってできることに感謝して、今回の旅も終了である。
24589歩で約18キロ歩いたことになる。