wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

三保の松原・寸又峡・奥大井湖上駅と絶景、秘境スポット目白押し

2024-09-16 13:03:14 | 近県・県内の名所
令和6年9月14・15日(土日)とクラブツーリズムのツアー「富士山を仰ぐ絶景スポットと個人では行きにくい秘境寸又峡・奥大井湖上駅2日間」に行ってきた。このネーミングうまいな、思わず行ってみたくなった。そういう人が多いのか、バス2台になった。寸又峡や奥大井湖上は山奥なので大型バスでは行けないので中型になったためと添乗員さんが言っていた。

9月になってもこの暑さ。今回もうだるような暑さの中での行程であったが、ずーとカンカン照りではなく、時々は雲で太陽を覆う時もあった。何しろ歩くことが多いツアーで、これは参加して分かったことなのだが、2日目の寸又峡では3時間もの散策時間があり高低差のある山道をずーと歩いていなくてはならない。何と2万歩は下らない結果となった。なので雨が降らなくて本当によかったと思った。

では行程を書いておこう。
1日目はまずは三保の松原、富士山の絶景スポットである。こういっちゃあなんだけど、富士山は雪がかぶっていた方が富士山らしいなと感じる。天女が羽衣をかけていた松は3代目になっていた。
前に東海道を歩いていた時に、この辺まで来たんだけれど三保の松原は見つけられなくてスルーした経験があった。なのでリベンジしたいなと思ってこのツアーに参加したいきさつもある。
砂浜を歩き、打ち寄せる白波を見て、海の青さと富士山が織りなす風景は雪はなくてもさすが絶景である。古の昔から人々はこの景色に魅せられてきた。世界遺産の登録されている。
神の道なる松林の中を歩き、東海道を歩いた人たちが感嘆したこれが三保の松原なんだなと感じた。

今度は三保港から日出港までミニクルーズ。船からの富士山を見られた。三保港と書くと大きな港を想像するが、桟橋である。
   

エスパルスドリームプラザという所で自由昼食。サッカーが盛んな静岡。ここでは清水エスパレスの選手の人たちの実物大の写真とか掲げてあった。ちびまる子ちゃんで有名なさくらももこさんの出身地ということでちびまる子ちゃんに関する催しも開かれていた。清水市は合併で静岡市となったとか。
 

高台から港とすそ野が広がる富士山を望むことができる日本平夢テラスへ行く。隈研吾さんの事務所が設計した。
赤い靴のモデルとなったお母さんがこの地の出身だそうで、像が建てられていた。
  

大井川に架かる世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」。890mもあり、「やくなし」と読めることから、渡ると厄がおとせると言われているらしい。大井川は上流にダムがいくつもできているせいか、江戸時代に参勤交代で殿さまや旅人たちが渡れなくて困った「越すに越されぬ大井川」とはだいぶ違い、川幅の中に何本かの川ができている状態だった。
    

宿泊は掛川にあるサウスウイングという、大きなリゾートホテル。敷地は東京ドーム23個分もあるんだそうだ。お風呂に行くのに無料シャトルバスに乗っていかなければならないというので、私たちは部屋風呂にした。でも食事はよかった。和洋どちらもあって種類が豊富で、カニは食べ放題で、餃子やオムレツもその場で焼いくれていた。

2日目は大型バスでは行けない寸又峡に行く。「夢のつり橋」が有名だそうだ。寸又峡は大井川の上流にある。だからずーと大井川に沿ってバスを走らせていた。
           

寸又峡には温泉もあった。3時間も滞在するので、夢のつり橋の入り口まで行って引き返してこようと、黙々と暑い中、木陰を選びながら上る。それに今日は人が多いので一方通行になっているという。夢のつり橋を渡ったら引き返せずに、ぐるーと、もう少し上流にある飛龍橋を渡って戻ってこなければいけない。それに夢のつり橋は谷底にあるので、そこまで降りて、橋を渡り、また上って、飛龍橋まで歩かなければならない。私たちの足腰では無理なので、早々リタイアして、上から夢のつり橋を見て、高低差のないまま歩いて飛龍橋を見て、下に戻ってきた。それでも1時間以上時間があまりバスに乗ってみんなを待っていた。
                

次に、奥大井湖上駅に行く。その名の通りきれいなエメラルドグリーンに輝く湖面にあった。
大井川鉄道「南アルプスあぷとライン」の駅である。そこの駅まで行くのも細い急な山道をひたすら歩く。なるほど秘境である。中部の駅100選に選ばれている鉄道ファンには喜ばれる駅なのであろう。
奥大井の渓谷の景色をのんびり車窓から約1時間かけて終点の千頭駅まで行く。途中原島ダムで放水しているところが見られたり、大井川の様々な景色が見られた。崖ぎりぎりに電車が走っていたり、小石が線路に落ちていて電車が止まったりとローカル線ならではの光景もあった。
                     

千頭駅ではトーマスの電車があった。どうも以前トーマスの電車が走っていた線路が廃線になり、お金がないために元の場所にも帰れない状態なのだそうだ。きかんしゃトーマスといえば子どもには絶大な人気を博しているのだろうが、ここにいるとなんだか物悲しい。
   

帰りは最終のバスにぎりぎり間に合いそうだと帰ってきたが、何と1時間見間違えていたようで、もうなかった。タクシーは待っていたがなかなか来ない。家の方面に行くバスに飛び乗って、途中から家まで歩く。おまけに小雨が降っていた。
まあ最後に小雨にあったが、無事に行ってきたことに感謝しよう。
実は2,3日前から腰が痛くて、歩きが多そうなツアーで大丈夫かなと心配していたが、何とか乗り切った。頑張った。

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富士山5合目にドライブ

2024-05-18 16:46:33 | 近県・県内の名所
令和6年5月18日(土)、久しぶりに何の予定もない土曜日。
以前富士山の3合目辺りにある新屋山神社の奥宮まで行って金運アップを願って拝んできたが、その時に富士山5合目までは車で行けるんだねと、地図を見て確認していた。
それで今回その時に食べられなかった静岡限定の「さわやか」のハンバーグを一緒に食すことを目的に、天気も良いので富士山5合目までドライブしてきた。

結果的にはこの「さわやか」、整理券を発行するくらいの無茶苦茶お客さんが来るお店であった。10:30に開店するというので、その時刻に着いた。運転しながら先に富士山に行くかハンバーグを食べるか迷っていたが、人気店らしいので食べられなかったら残念だということで、少し早いが「さわやか」に行くことにした。
その選択がラッキーだった。着いたら誘導員の方が整理券を取って予約をしないとダメなんですよと教えてくれた。取りに行ったら、何と98番で14時ごろにまた来てくださいと言われた。
えー、10時30分の予約で、14時である。でもQRコードを読み取ると、あとどのくらいかかるかが分かるようになっているので、その点は安心感はある。
すごい人気である。お店の人に聞いたら、早い人は9時ころ来ていて、9時30分から予約ができるということであった。
余談であるが、静岡の東側の端にある御殿場店、アウトレット店は私たちみたいに関東各地からも来ているので、とりわけ混んでいるということだ。最大9時間待ちがあったと、スマホに書いてあったらしい。。

それで、14時までは時間があるので、富士山5合目まで行き、その近くにある胎内神社に行ってから、早めに「さわやか」に行って、その時間ではもう270分待ちになっていた。げんこつハンバーグを食べて帰ってきた。9時に出て16時帰宅である。
この胎内神社というのは、胎内信仰を祀っている神社である。いろいろな考えがあるらしいが、一つには昔の人はお天道様は東から上り西に沈み、富士山の下の隧道のような道をくぐっで、また東から上ると考えていたらしい。また、一つには、人間は死んでもその霊は人の胎内を通ってまたよみがえってくることを信仰とする考え方がある。ここの胎内神社は後の方の考えのようである。それを祀っている神社である。

それでは順を追って写真を載せておこう。
まずは厚木から東名に入る。今回も富士山がくっきりはっきり雄大な勇姿を見せてくれた。
     


舗装されていて走りやすい道を抜けると、5合目である。駐車場に車を止めて、散策。まだ登山道は閉鎖されているので、登山者はいなかったが、ハイキングコースは若干開放されていたので、ウオーキングやジョギングをしている人たちはいた。
自動販売機があり、下では130円くらいの飲み物が、260円で売っていた。
          


少し奥の方へ歩いていくと、木々が減り、丸い小石(溶岩)やごつごつした細かい石の道が広がっている。
     

富士山とは反対側の景色、こんなに上ってきたんだなと分かる。
 


そこから車で20分くらいの胎内神社へ行く。公園になっていて、その中にあった。隧道が祀られていて、中に入ってその中にある本殿で拝めるらしいが、少し入ってみたが、明かりがなく携帯のライトでは辺りが見えず、それに道が狭く、かがめないと歩けないので、私たちでは無理と判断。拝んで写真を撮ってきた。
              


どこでも富士山は拝める。
 


最後にさわやかハンバーグである。牛肉100パーセントであるのでほとんど中は生の状態である。100度以上で熱してあるので殺菌は大丈夫だということだ。それが本来の味であるのか美味しかった。
     


こんなに予約してまでみんなが食べたいと思うところもあるんだなあ~と感心した日でもあった。
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新屋山神社奥宮

2024-05-04 14:42:29 | 近県・県内の名所
令和6年5月4日(土)、連休後半の2日目。五月晴れというよりも真夏を思わせるような暑い日の中、新屋山神社の奥宮に行ってきた。3月末に経営コンサルタントの船井幸雄氏が言ったとされる「お金に困ったら富士山のこの新屋山神社に行け。金運が上昇し、商売繁盛するスポットだ」ということでお参りをしたが、そこから車で30分ほど行ったところに奥宮があり、そこは雪が積もっている間(4月末まで)は入れないところなのだが、そこはもっとご利益があるということで、行ってみた。
では、順に書いていこう。
家を出たのは午前7時。果たして連休中であるので、空いていれば1時間半くらいで行ける道が、何と相模湖に辺りまで1時間もかかってしまった。でも天気が良く、富士山がとてもきれいに鮮やかにそびえたっていたので、心が少しは和むことができた。また、大月当たりでは岩殿山城の絶壁が見え、いつ見てもこんなところによく建ったものだと感心する。


富士山の斜面で登山道の三合目あたりにあり、背の高い木々に囲まれた静かなところに奥宮はあった。3つの祠があり、それぞれにお参りをした。お参りをするのに、並んで順番を待つほどにたくさんの人が来ていた。磁気あふれる空気を吸ってご利益を感じるのがいいといわれていたので、たくさん空気を吸ってきた。

その後、3月末に行った荒倉山神社の富士山と五重塔の絶景を見たいと思い、そちらの方へ行ったら、みんな思う所は一緒で、車が動かないほどの渋滞で、思わず引き返してきた。また、テレビで静岡にだけしか出店しない美味しいハンバーグ屋さんがあり、御殿場にあるというので、行ってみようかなと思ったが、この分じゃあ行列だろうなと推測し、そちらも後日ということにした。
ということで帰路に。談合坂サービスエリアで食事をして帰ってきた。ここも混んでいた。有名かどうかわからないが、田所商店という店のラーメンを食す。北海道味噌ラーメン、一見スープが濃厚で濃すぎるかなと思ったが、食べているうちにそれがうま味に変わってきて、まあまあ美味しく食べられました。
     


果たしてほんとに金運上昇になるか、乞うご期待である。
でも実は私はお金よりも叶ってほしいことがあるので、それをお願いしてきた。
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国立競技場と神田明神と両国にある回向院

2024-04-28 16:54:43 | 近県・県内の名所
令和6年4月28日(日)、連休中日、本来は習い事があったのだが、急遽先生の具合が悪くなったので中止に。
そこで、以前読んでいたく感動した井上靖氏の「おろしや国酔夢譚」(こくすいむたん)で、両国の回向院に神昌丸の積み荷の荷主が施主となり大黒屋光太夫らの供養塔があるというのが気になっていたので行ってきた。ついでに、国立競技場の東京オリンピックのオブジェを見て、神田明神にも行ってきた。
では順に書いていこう。
まずは国立競技場へ。ADOのコンサートが夕方からあるからか、ずいぶん中若男女がいた。今まで日本で開かれたオリンピックのトーチが展示されていた。もちろん2020のもあった。

近くのラーメン屋さんへ。2階席から国立競技場が見られるというのが売りの背油ぎっとリで、2回目はいいかな~
      

次に神田明神へ。ここでお祭りには神輿がひしめき合うそうだ。
      

両国駅構内では餃子を自分で焼いて食べる催しがされていた。3番線ホームは今は使われていないそうだ。
 

最後は行きたかった両国にある回向院である。ここは江戸時代、明暦の大火で被害にあった人たちを供養していることが有名なんだそうだ。探していた供養碑が他の石碑と共に一回り小さかったが建てられていた。
石碑には船に乗っていた16人とはいかないまでも、光大夫や長次郎ら3,4人の名前が刻まれていた。
三重県の鈴鹿市白子港から江戸に向けて出港した神昌丸が、暴風雨に巻き込まれてアリューシャン列島の方まで流されてしまった。光太夫たちは厳寒に耐えながらも、飢餓に苦しみながらも、仲間を失いながらも、その土地土地の生活に適応し、新しいことに興味を持ちながら、言葉を覚えながら、生き抜いた。特に船を作って海を渡ったり、シベリアを横断してエカチェリーナ2世に謁見したことが「すごい!」と感動した。ほんとたくさんの困難を乗り越えて日本に戻ってこられたと思う。結局4人生き残ったが、そのうちの2人はロシア正教に入信したため日本には帰らずロシアに残り、光太夫と磯吉2人は日本に戻ってきた。最後まであきらめずに生き抜いた光太夫たちに日本人の気概を感じていたく感動した。
荷主はそんな光太夫たちを崇め奉ったのかもしれない。
      

4月下旬だというのに真夏のような暑さで、参った。
でもまた知らなかった歴史の一部を知ることができてうれしかった。


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富士山の有名な写真を追いかけて

2024-03-27 08:39:48 | 近県・県内の名所
令和6年3月24日(日) 今年は暖冬だったので桜が早く咲くかなと思っていたが、ここへきて足踏み状態で、なかなか咲かない。よく見かける富士山と桜と五重塔が写っている有名な写真があるが、そこへ行ってみたいと常日頃思っていて、今回桜は望めないが、行ってみようということで出かけてきた。朝は少し雲が出ていて、富士山は拝めるか心配だったが、西に向かって行ったが不思議とだんだん雲がなくなってきて、壮大な富士山が拝めたので、よかった。 

山梨県の富士吉田市にある「荒倉神社」正式には「新倉富士浅間神社」まで、高速を使ったら約2時間弱で行けるので、朝早く出たから、11時ごろにはもうこちらに戻ってこれた。

この神社は混んでいて、外国でもあの絵葉書(写真)は有名なのか、来ている人たちはほとんど外国の方で、中国や東南アジア系、欧米の方たちもたくさんいた。日本人はやっぱり桜が咲いてから来るんではないかしら。

やはり桜がないと少し物寂しい感じはするが、間近にあの絵葉書通りの光景が見られて大満足だ。写真にある五重塔は大阪の四天王寺や奈良の法隆寺にあるのとは一回りも二回りも小さくて、それにこれは忠霊塔で戦没者を慰霊しているそうだ。
          


次に、同じ富士吉田市にある、会社を興した有名が人が言っている、金運アップや商売繁盛のご利益があるといわれている神社「新屋山神社」(あらややまじんじゃ)へ行く。まず驚いたのは、鳥居が参道沿いに重なって立てられて奉納されていた。どこかで見たことがあるなと考えたら、伏見稲荷大社も同じように鳥居が連なっている。こういう所は意外と多いのかも。この場所は自然記念物の林で守られていた。

今回も好きな富士山が見られて、名所に行けて、金運がアップのお参りをして、なかなか楽しかった。
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