平成23年1月8日(土) 昨年から計画していた、第4回の東海道中珍道中、神奈川から保土ヶ谷までを決行した。歩くには程良い気候の中、いつものリーボックのウオーキングシューズを履き、リュックサックを担いでいでたちの二人で、特に千明さんは前回の反省も踏まえ、荷物も軽く何よりも肩周りをスムーズにした軽装で、東神奈川を10時に待ち合わせて、出発した。
東神奈川駅近くは前回の終点だったので、駅や駅近くの変化を改めて感じてキョロキョロ景色を見ながら国道15号を歩いた。途中私が勤めていた建物の前も通ったが、20年も前なので変わった様子もよく分からないが、壁が明るくなったかなーと思った。
近くに滝の橋という小さな橋がかかっていた。この橋のある辺りがかっては宿場の中心地で、神奈川本陣や青木本陣があったそうである。でも今はこの国道15号の大きな道路に変わっていて、ほとんど昔の面影は残っていない。近くにローマ字の創設者ヘボン博士(本名はヘップバーンというらしい)が診療所を開いていたお寺宗興寺があった。
この先そのまま東海道を歩くと、広重の浮世絵でも有名な海側の崖に沿って多くの茶屋が並び、海を見ながら休憩ができる神奈川の台と呼ばれる景勝の地へ行くことができる。ただ、今回は神奈川から保土ヶ谷まで、距離にして5キロほどの短いものなので、千明さんが提案して、途中東海道を離れて、横浜のみなとみらいの方(関内駅近く)の県立歴史博物館へ足を延ばした。
東海道からそれて、横浜方面に海沿いを歩いていくと、おしゃれな街に出た。犬を連れた若いご夫婦が楽しそうに歩いていたり、しゃれたスーパーや教会があったりと、東神奈川とは対照的な雰囲気を醸し出した所が、こんな近くにあるとは驚いた。歴史博物館に着くまでうつらうつらと約1時間近く歩いてやっと到着。地図で見ると近く感じる所も、実際歩いてみると、意外と遠いということがあるが、今回がまさにそれであった。でもおしゃれな街に出会ったり、遠くから海岸沿いのウオーターフロントされた景色を見たりと、再発見できたので、こういうことも旅の楽しみの一つである。
神奈川県立歴史博物館は、明治時代に建てられた旧横浜正金銀行本店をそのまま使っている。重要文化財にも指定されていて、重厚な面持ちでまさに歴史を感じさせられる。11時30分にこの建物に入り、大体1時間位かなーと思ったら、さに有りなん。結局お昼もここで食べたので(ひじきご飯定食800円)、ここを出たのは3時30分位であった。正味4時間もここにいたことになる。
私たちの向学心が生んだ賜物であると言いたいところであるが、見学客が少ないため、各階、各フロアーに行くたんびに、ボランテアや学芸員の方々が私たちに説明をして下さる。聞き上手の千明さんは、助け船を出したりしながら説明員の方たちの話をうまく引き出し、合いの手を入れながら聞いている。そして私たちはなかなか動くことができない。
この博物館は時代ごとのくくりになっていて、神奈川の地の旧石器時代から現代までの歴史を展示掲示している。主に記憶に残っているのは、古代から魔除けのために土器や土偶を朱色に塗っていたということが行われていたことである。この塗料は鉄の種類の鉱物で土に含まれている「べんがら」といわれていて、それを塗ることで朱色になり魔除けの意味があるという事が分かった。現代でも鳥居など朱色に塗られているのは同じような意味があるのかもしれない。
また、鎌倉時代では、頼朝が伊豆のひるが小島に流された時に北条政子と知り合ったことや伊豆から鎌倉に入る道すじ等も初めて知ることができた。その際箱根の山を越えずに足柄峠を越えてきたということも教えていただいた。
そして、江戸時代末に来航した黒船が展示されていたが、それが何と帆船であったのも驚いた。戦うための駆逐艦と思っていたが、帆を張って進む様子を想像すると、幕末の喧騒もなぜか優雅に感じてしまうのだが。横浜が開港して、外国人も行き交うハイカラな街に変貌していったのだろう。その当時の街の模型も展示されていた。
3:30歴史博物館を後にして、京急電車で神奈川駅まで戻る。さあ本格的に東海道珍道中の再開だ。神奈川駅の近くには神奈川台という江戸時代、道の左側はすぐに海であり、そこに茶屋が並ぶ、景勝の地であったところがある。何と、そこの一つの茶屋が「田中屋」といって、坂本龍馬の妻おりょうさんが、勝海舟の紹介で働いていたところである。高杉晋作やハリスも来たことがあるということで、歴史を今なお伝えている唯一の料亭でもある。今もちゃんと商売がされていて、玄関の引き戸をのぞくと、おりょうさんの当時の写真と爪弾いていたとされる月琴が飾られていた。ここでおりょうさんの歴史の史実と対面できるとは嬉しいことである。
坂を登り切ると、そこには神奈川台の関門跡の碑が立っている。外国人の殺傷事件の警備のために設けられたということである。苔むした城壁のようなもので囲まれ、江戸時代の風情を醸し出している。少し歩いていくと「天気井戸」と呼ばれていた井戸を発見。水量によって天気が予想されていたとか。
そのまま東海道を進んではいたが、何やら違う道に入り込んだらしい。優しい薬屋さんに聞いたら、一本道を間違えて進んできてしまったらしい。そのままだいぶ戻り正しい東海道に入り歩き続ける。日暮れも近い。正月の怠惰な生活の付けがきたのか、身体が重い。日暮れまでには保土ヶ谷に着きたいと、足取りも速くなる。
やがて、にぎやかな商店街を過ぎ、国道16号を渡ってそのまま歩いていくと、「旧東海道追分」と書かれた立て柱があった。伊勢原市の大山に行く道と分かれるところらしい。関東各地から大山詣でを行っていたんだろう。
道を進んで天王寺駅近くになると、帷子川と帷子橋がある。現在では川の流れを変わり、水のない場所に帷子橋だけが取り残されてしまっていた。
午後5時40分、日暮れも迫る頃、保土ヶ谷駅に到着。やはり距離的にはだいぶ少ないが、歴史博物館へ寄り道をした分、今までと同じ位の距離、そして万歩計の歩数であった。今回も駅のマクドナルドで旅の思い出を振り返り、こうやって気楽なことをできる幸せに感謝して、一日を締めくくった。
20709歩 約11キロ
東神奈川駅近くは前回の終点だったので、駅や駅近くの変化を改めて感じてキョロキョロ景色を見ながら国道15号を歩いた。途中私が勤めていた建物の前も通ったが、20年も前なので変わった様子もよく分からないが、壁が明るくなったかなーと思った。
近くに滝の橋という小さな橋がかかっていた。この橋のある辺りがかっては宿場の中心地で、神奈川本陣や青木本陣があったそうである。でも今はこの国道15号の大きな道路に変わっていて、ほとんど昔の面影は残っていない。近くにローマ字の創設者ヘボン博士(本名はヘップバーンというらしい)が診療所を開いていたお寺宗興寺があった。
この先そのまま東海道を歩くと、広重の浮世絵でも有名な海側の崖に沿って多くの茶屋が並び、海を見ながら休憩ができる神奈川の台と呼ばれる景勝の地へ行くことができる。ただ、今回は神奈川から保土ヶ谷まで、距離にして5キロほどの短いものなので、千明さんが提案して、途中東海道を離れて、横浜のみなとみらいの方(関内駅近く)の県立歴史博物館へ足を延ばした。
東海道からそれて、横浜方面に海沿いを歩いていくと、おしゃれな街に出た。犬を連れた若いご夫婦が楽しそうに歩いていたり、しゃれたスーパーや教会があったりと、東神奈川とは対照的な雰囲気を醸し出した所が、こんな近くにあるとは驚いた。歴史博物館に着くまでうつらうつらと約1時間近く歩いてやっと到着。地図で見ると近く感じる所も、実際歩いてみると、意外と遠いということがあるが、今回がまさにそれであった。でもおしゃれな街に出会ったり、遠くから海岸沿いのウオーターフロントされた景色を見たりと、再発見できたので、こういうことも旅の楽しみの一つである。
神奈川県立歴史博物館は、明治時代に建てられた旧横浜正金銀行本店をそのまま使っている。重要文化財にも指定されていて、重厚な面持ちでまさに歴史を感じさせられる。11時30分にこの建物に入り、大体1時間位かなーと思ったら、さに有りなん。結局お昼もここで食べたので(ひじきご飯定食800円)、ここを出たのは3時30分位であった。正味4時間もここにいたことになる。
私たちの向学心が生んだ賜物であると言いたいところであるが、見学客が少ないため、各階、各フロアーに行くたんびに、ボランテアや学芸員の方々が私たちに説明をして下さる。聞き上手の千明さんは、助け船を出したりしながら説明員の方たちの話をうまく引き出し、合いの手を入れながら聞いている。そして私たちはなかなか動くことができない。
この博物館は時代ごとのくくりになっていて、神奈川の地の旧石器時代から現代までの歴史を展示掲示している。主に記憶に残っているのは、古代から魔除けのために土器や土偶を朱色に塗っていたということが行われていたことである。この塗料は鉄の種類の鉱物で土に含まれている「べんがら」といわれていて、それを塗ることで朱色になり魔除けの意味があるという事が分かった。現代でも鳥居など朱色に塗られているのは同じような意味があるのかもしれない。
また、鎌倉時代では、頼朝が伊豆のひるが小島に流された時に北条政子と知り合ったことや伊豆から鎌倉に入る道すじ等も初めて知ることができた。その際箱根の山を越えずに足柄峠を越えてきたということも教えていただいた。
そして、江戸時代末に来航した黒船が展示されていたが、それが何と帆船であったのも驚いた。戦うための駆逐艦と思っていたが、帆を張って進む様子を想像すると、幕末の喧騒もなぜか優雅に感じてしまうのだが。横浜が開港して、外国人も行き交うハイカラな街に変貌していったのだろう。その当時の街の模型も展示されていた。
3:30歴史博物館を後にして、京急電車で神奈川駅まで戻る。さあ本格的に東海道珍道中の再開だ。神奈川駅の近くには神奈川台という江戸時代、道の左側はすぐに海であり、そこに茶屋が並ぶ、景勝の地であったところがある。何と、そこの一つの茶屋が「田中屋」といって、坂本龍馬の妻おりょうさんが、勝海舟の紹介で働いていたところである。高杉晋作やハリスも来たことがあるということで、歴史を今なお伝えている唯一の料亭でもある。今もちゃんと商売がされていて、玄関の引き戸をのぞくと、おりょうさんの当時の写真と爪弾いていたとされる月琴が飾られていた。ここでおりょうさんの歴史の史実と対面できるとは嬉しいことである。
坂を登り切ると、そこには神奈川台の関門跡の碑が立っている。外国人の殺傷事件の警備のために設けられたということである。苔むした城壁のようなもので囲まれ、江戸時代の風情を醸し出している。少し歩いていくと「天気井戸」と呼ばれていた井戸を発見。水量によって天気が予想されていたとか。
そのまま東海道を進んではいたが、何やら違う道に入り込んだらしい。優しい薬屋さんに聞いたら、一本道を間違えて進んできてしまったらしい。そのままだいぶ戻り正しい東海道に入り歩き続ける。日暮れも近い。正月の怠惰な生活の付けがきたのか、身体が重い。日暮れまでには保土ヶ谷に着きたいと、足取りも速くなる。
やがて、にぎやかな商店街を過ぎ、国道16号を渡ってそのまま歩いていくと、「旧東海道追分」と書かれた立て柱があった。伊勢原市の大山に行く道と分かれるところらしい。関東各地から大山詣でを行っていたんだろう。
道を進んで天王寺駅近くになると、帷子川と帷子橋がある。現在では川の流れを変わり、水のない場所に帷子橋だけが取り残されてしまっていた。
午後5時40分、日暮れも迫る頃、保土ヶ谷駅に到着。やはり距離的にはだいぶ少ないが、歴史博物館へ寄り道をした分、今までと同じ位の距離、そして万歩計の歩数であった。今回も駅のマクドナルドで旅の思い出を振り返り、こうやって気楽なことをできる幸せに感謝して、一日を締めくくった。
20709歩 約11キロ