wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

退職の際しての言葉

2020-03-29 14:24:17 | 挨拶文
令和2年3月31日に退職を迎える。その際にみんなの前で話す言葉をまとめたので、ここに載せておく。

今日は私の退職にあたり、このようなご時世の中、集まってお祝いの会食会を開いていただきありがとうございます。
このように気持ちよく今日の日を迎えられたのも、校長先生をはじめとする東小の先生方そして、〇〇先生をはじめとする学年の先生方のお陰と切に思っております。心からありがとうございます。

39年間、公務員として働いてまいりました。ですが、最初の9年間は、違う職種でしたので、正味30年間の教員生活を送ったことになります。この教員生活を送ることができたきっかけは、二人目の子供が生まれたときに、友達がお祝いに来てくれて、「これからどうするの?教員の資格があるのにもったいないね」みたいなことを言ってくれたんですね。それがきっかけになって当時東神奈川まで通っていたのですが、そこまでの通勤の行き帰りで、ボチボチやっていたのが、功を奏して、教員になることができました。友達のそんな言葉が無ければなっていなかったかなと思います。今はそんな珍しくはありませんが、当時は結婚して子供二人もいる人はいなくて、異色な新採のスタートでした。

あれから30年。公麿さんの言葉ではありませんが、いろいろなことがありましたが、過ぎてしまえば、あっという間でとても短くと感じます。振り返って、こうやって続けられたのはなんでかなと考えました。三つ考えました。

1つ目は、心も体も健康だったからと思います。体が資本という言葉があります。気持ちが大事という言葉もあります。心も体も健康だったからこうやって続けられたと思います。だから、ほんとに、元気に生んで育ててくれた、今は亡き両親に感謝ですし、家族をはじめとする、今まで私とかかわって支えて下さった方々にはほんと感謝が絶えません。中島みゆきさんが「糸」という歌で、「逢うべき人に出逢えることを人は幸せと呼びます」というフレーズがありますが、その通りだなと思います。こうやって教員生活を続けられて幸せなのも、逢うべき人に出逢えて、心も体も健康に過ごせたからだと思います。

2つ目は、子どもたちに力をもらえたことだと思います。毎日接していると力をそがれることもありますが、多くは力をもらっていると感じます。子どもと話すと楽しいですし、子どもからの話に耳を傾けるのも楽しいです。私は「ダーウインが来た」「世界ふしぎ発見」のテレビ番組が好きでよくみているのですが、子どもたちにもその内容をよく話していました。目を輝かせて聞いてくれ、図書館で「ダーウインが来た」の本を見かけると、この間話していたことだと持ってきてくれたりして、よく聞いて覚えてくれていたんだなと思うと、うれしくなります。自然の中では人間なんてちっぽけなものなんだという事を感じてくれたらいいなと思い、そんなことを話しています。また、この間の25日には、手紙を書いてきてくれた子が何人かいましたが、その中で、千人針のように一針一針刺繍をして先生大好きと持ってきてくれた子がいました。休みの間、私の事を考えて、こんな刺繍までしてくれたこと、うれしいですし、私も頑張らなくっちゃという気持ちにもならせてくれました。そういう気持ちにさせてくれる子供たちの力が長く30年間も勤めさせてくれたと思います。

3つ目は、毎日の積み重ねが大事だと思います。「ローマは一日にしてならず」とも言われます。大変だなとか嫌だなとかいうときも、逃げ出さずに、一日一日をなんとか自分を鼓舞できたのも、長く働けた要因かなと思います。渡辺淳一さんが「鈍感力」という本を書いて、昔ベストセラーになっていました。細かいことにあまり気づかずに鈍感に毎日を過ごせたのも、長く勤められた一つの要因だと感じます。
さて、還暦が近くなってきて、これからどうしようかと思ってきたときに、一つの文章に巡り合いました。若い人は知らないかもしれませんが、B&Bというお笑いグループの島田洋七さんという人が「がばいばあちゃん」という本のあとがきに、「人生は死ぬまでの暇つぶし。暇つぶしには仕事が一番いい。暇がつぶせてお金ももらえる。」と。幸い家は、主人のお母さんの面倒を主人が退職して、見てくれていますので、主婦は二人はいらないので、元気なうちは働いていこうかなと思います。来年度もこの学校で働かせ頂けるというので、皆さんの足を引っ張らないように、頑張っていきたいと思います。

これだけ長いと、覚えるのはちょっと、でも読むとなると長いなと、主人が言う。どうするかあ~
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大洗の日の出、素晴らしかった。

2020-03-28 09:33:50 | 城めぐりアプリの巻
令和2年3月26日、27日と春休みを利用して、車で茨城県へ行ってきた。このご時世で出歩くのはどうかなと迷ったが、私の一つの区切りの年でもあるので、それに免じて強行することにした。

なんで茨城に行こうと思ったのかは、以前テレビ番組で、牛久大仏を紹介していて、それに付随するように、牛久沼のウナギ屋さんや沿岸の鮟鱇屋さんの焼きそばが美味しいと放映していた。そんな訳で、近場でと考えて、茨城となった。

それに茨城を調べると、平将門の終焉の地のようで、首塚や胴塚があって神社やお寺で祀ってあった。また、大洗の海岸に神が降臨したとされて、神聖な場所を強調するかの様に海の中に鳥居が立って祀られているという。茨城もいろいろ面白そうだなと思いながら、出発した。

26日の午前9時ごろ出発した。郵便局によって定期貯金の解約をしてから、そして軍資金を調達してから、行った。
圏央道や常磐道を使うと、休憩を入れても3時間くらいで着く。圏央道ができて、全く便利になったもんだと思う。

まずは、幸手市にある「浄誓寺」(じょうせいじ)、平将門の首塚がある。

     


茨城は山が余りなくて、平地で田園地帯が続いていた。湿地帯で水が豊かで、作物がよく取れる場所だったのだろう。川の土手には菜の花が咲き誇っていた。
 

今回、ナビがきちんと反応しない。大まかな場所はあっているのだが、到着してもその場所に検索した神社が無かったりした。迷っているところに出会たのが、将門が馬を調教した「富士見の馬場」。
  

スマホで入れなおしてやっと着いた、将門の三女が父の為に建立したとされる「国王神社」。かやぶき屋根が古くて、押しつぶれないか心配したほど、傷んでいた。将門がご神体だそうで、写真があった。
    

将門が戦いで命を落としたとされ、胴体をこの地に埋めたとされる「延命院」。きれいに供養されていた。
     


お昼はテレビで見た牛久大仏に行く途中にある牛久沼の湖岸にある「鶴舞屋」。元祖うなぎ屋と看板があった。幹線道路から分かりずらくて通り過ぎてしまい、Uターンして戻った時には車が動かず、何かあったかなと思ってたら、どうも事故があったようで、ガードレールにぶつかっていた車があった。まあその間、宿を決めていなかったので、電話で予約を取ることができたので良かった。このご時世だからどこでも大丈夫かなと思ったが、一軒目は予約がいっぱいでダメだという。2軒目でやっと取れた。宿が取れたのでひと段落。昼食にもやっと着いた。
 


そこから牛久大仏へ。4時になってしまって、もう閉館で、残念ながら外から写真を撮っただけだった。でもコロナの影響で大仏の中には入ることができなかったので、こういう事でもいいかなと思う。
牛久大仏は120メートルもの高さで、中に入れて、胸の所に窓があって、外が見られていい景色だそうだ。仏教の聖地インドの方をこの大仏さんは向いているらしい。

  


大洗ホテルに到着。飛び込みで申し込んだ所にしては、オーシャンビューが望めるなかなか立派なホテルである。明日は、5時31分が日の出時刻である。疲れたので早めに休む。
5時15分ごろ、ホテルを出て海岸沿いを歩く。風が冷たい。石や砂が歩きづらいが、鳥居があるところまで3分くらい歩く。ご来光が見え始めたときは、やっぱり「うおー」っという気持ちになり、自然に対する敬虔な気持ちが湧いてくる。

             

近くには、「大洗磯前神社」があって、お参りしてきた。水戸黄門ら藩主らが本殿を建立したらしい。たくさんの神様が祀ってあり、格式高い神社だと感じた。
    


朝食までの時間、部屋で海を見ていたら、灯台に泊まっているカモメがジーとして動かない。それに沖の方には、魚の群れがあるのかその周りに鳥が群がっている光景が見られた。潮の満ち引きも感じられ海もまた敬虔の賜物である。
   


大洗魚市場まで歩いて行って、アンコウ釜めしをお義姉さん夫婦のお土産にした。
次に、国営ひたちなか海浜公園へ。スイセンが見事に咲き誇っていた。何種類ものスイセンがあり、何色ものスイセンがあると知った。ネモフィラは見頃にはまだ早かったが、どうしてどうして大分咲いていて丘を占めつくしているところもあった。人は思ったより多いと感じた。

                 


アンコウ料理で有名なところが、焼きそばやもつ煮が美味しいというので、テイクアウトしてもらい、偕楽園で食した。焼きそばは普通の味だったが、もつ煮の方が美味しかった。
       


帰りは友部サービスエリアから私が運転して帰ってきた。久しぶりに高速道路で運転して緊張したし疲れた。ずーと左車線を大型車の後ろに車間距離を置いて運転してきた。
また、ホテルで意外にも人が多かったので、浴場にいた従業員の方にお話を聞いたら、「先日、県外から来ていた方が、茨城は海の近くだから、この潮風と水戸の名物の納豆はウイルスを弱らせる効力があるから来たんだと、話していた。」と、言っていた。それに、納豆は朝よりも夜に食べたほうが血をサラサラにする効力が効くとも。まあ、外出自粛の要請が出る前の話だけど。

今回も「城めぐり」アプリを起動して、様々なお城をゲットしてきた。順に記載しておこう。
所沢市根小屋城、所沢市山口城、狭山市城山砦、坂戸市田派目城、川越市大堀山城、北本市石戸城、桶川市三ツ木城、久喜市菖蒲城、桶川市加納城、蓮田市井沼館、幸手市幸手城、久喜市久喜陣屋、久喜市足利政氏館、坂東市逆井城、野田市関宿城、常総市古間木城、野田市金野井城、野田市木野崎城、守谷市守谷城、つくば市谷田部城、取手市高井城、牛久市牛久城、牛久市東林寺城、龍ヶ崎市龍ヶ崎城、稲敷郡塙城、牛久市小坂城、稲敷市江戸崎城、土浦市木田余城、土浦市土浦城、かすみがうら市志筑城、石岡市府中城、石岡市石岡城、笠間市湯崎住吉城、東茨城郡飯沼城、東茨城市小幡城、東茨城郡松川陣屋、ひたちなか市勝倉城、東茨城郡祝町向洲台場、ひたちなか市多良崎城、水戸市見川城、水戸市河和田城、

41城ゲット。計410城




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高安寺城は尊氏が建てた。

2020-03-22 20:18:11 | 城めぐりアプリを車で
令和2年3月20日(金)春分の日で休日。府中にある高安寺へ行ってきた。
高安寺は平安時代は性見寺と言われ、義経が兄の頼朝に腰越で拒否されて帰路に立ち寄った所であるという。
     

山門が見事で、四天王や地蔵尊、奪衣婆(だつえば)が祀られていた。奪衣婆が祀られているのは珍しいと主人が言っていた。
   

その後、新田義貞は分倍河原合戦の時に、ここを本陣にしたという。
室町時代は、ここを尊氏は安国寺と名乗り建てたという。その後は、上杉氏や後北条氏の軍事的に利用されることが多かったという。
関戸城の脇を通った。
                                  369城ゲットした。
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