wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

岩壁の間から何本もの白い絹糸が「白糸の滝」

2023-11-18 08:41:00 | 関東近辺の日帰り旅行
令和5年11月12日、最近、滝や水に憩いを求めている私は、25,6年前に家族で行ったことがある「白糸の滝」を見たくなり行ってきた。だいぶ整理されていて、記憶の白糸の滝とは周りの様子は違ったが、滝本体は岩壁の間から太さが様々な白い滝が何本も流れていて昔と変わっていなかった。自然の力を感じることができ、壮大で敬虔でマイナスイオンに包まれて、パワースポットとうたわれているのが分かるところである。
          

また、偶然にも、以前読んだことがある「曽我兄弟の密命」の舞台を見ることができた。この本は、曽我兄弟が父の仇である「工藤祐経」を討つ算段をするが、だんだん頼朝を討たなければという考えになり、この鷹狩りが絶好の場になり決行するという話である。だからこの白糸の滝辺りは、曽我兄弟が工藤祐経を討つ相談をしていた隠れ岩や滝の音で相談の話が聞こえないので神に念じたら音がしばし止まったとされる音止めの滝や工藤祐経の墓もあり、私にしては昔に読んで歴史が好きになるきっかけにもなった本の舞台が垣間見れ嬉しかった。
 

また、水が汲めるところはないかなと探したところ、頼朝がこの鷹狩りの時に、乱れた髪を撫でつけたところ「お鬢水(おびんみず)」があった。用意してきたペットボトルに汲んで帰ってきた。
宇都宮焼そばをお昼に食べたが、焼きそばは今一だったが、そこで出た水はことのほか美味しかった。やっぱり富士山の水は違うなと思った。そこのお店の人に汲んできたことを話すと、私はそこで大きな白蛇を見て、この土地を買ったとか言っていた。ずいぶん儲かったのだろう。
     

また、そこの公園では、世界各国の国から子どもの描いた絵が大きく拡大されて展示してあった。中にはウクライナやガサ地区の子どもの絵もあり、感慨深かった。
       


完全な紅葉とまではいかなかったが、少し赤づいているところもあり秋を楽しめた。
帰りは私が高速道路を運転して帰ってきた。久しぶりだったので少し心配だったが、ちょうどNHKラジオでは70年代、80年代の歌が流れていて、私の好きな米米CLUB「浪漫飛行」やブルーハーツ「情熱の薔薇」も流れ、軽快に口ずさみながら運転できて、無事に帰ってこられた。
         
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聖神社へ、そして西銀座チャンスセンターへ

2023-11-03 15:49:11 | 関東近辺の日帰り旅行
令和5年10月30日(月)、今日は代休で久しぶりの平日休み。
以前行ったことがある埼玉県のセメントで有名な秩父にある「聖神社」へ行く。この神社は、お参りをすると「宝くじに当たる」という触れ込みがある。金運に見放された主人は神にもすがる気持ちである。
実際行ってみると、当たってお礼参りに来たらしい札が貼って飾ってある。そして、金運アップアイテムが賽銭箱の隣に鎮座してあった。中でも打ち出の小槌みたいのがあって、私の前に長い時間参拝している人が、最後にその小槌を鈴がついていて鳴らしながら体に振りかけるようにしていたのが、面白そうで、またご利益がありそうで、それに何と無料だったので私も主人もやってきた。実際どうなのかこうご期待である。

行く途中、生川(うぶがわ)の「延命水」なるところがあると地図で見て、何だか寿命が延びて元気が湧いてくるなと感じて、行ってみることにした。木々の生い茂る山間にあって、あまり目立たないので一度は通り過ぎてしまった。
         


せっかくお参りをしたのだから、宝くじを買いに行こうということで、
11月3日(文化の日)に、当たる確率が高い西銀座チャンスセンターにわざわざ行ってきた。
実は、32年も前の話、宝くじを買いに行こうという話になり、今年亡くなった義母と当時2,3歳だった長男と私と3人でこのチャンスセンターに宝くじを買いに来たことがあった。行ってみて、売り場の前に植え込みがあり、息子がちょろちょろとその植え込みの中に入ろうとしていたのを思い出した。また、東京交通会館とチャンスセンターがもっと近いと思っていたが、そうでもなく、スマホを駆使してやっと着いた感じであった。今思えばよく行ったなーと当時の私をほめてあげたい。義母は籤運がいいので、5千円が当たったのを覚えている。
年末ジャンボ前だったので、空いていた。
いつもニュースで行列ができている1番窓口はどこなのかと聞いてみたら、今日は閉じていて、1番窓口から隣の隣の3番窓口で、東京都宝くじ「実りの秋くじ」を買ってきた。ご利益は如何に!
      


有楽町マリオンでは「ゴジラ」をやっているのか、トラックにゴジラが積んであった。
 

東京交通会館のとんかつ「あけぼの」という所が行列ができているということで行って並んでお昼を食べる。
私には思ったより、油がきつくて、また並んでまで食べようとは思わないかな。
   


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浜川砲台方面へ

2023-09-24 11:40:21 | 関東近辺の日帰り旅行
令和5年9月23日秋分の日、近郊のまだ城めぐりアプリでゲットしていないところをゲットしに行った。
場所は15年位前に歩いたところである品川。その時は東海道を歩き始めたばかりの時で、まだアプリを起動していなかった。
確か、日本橋から品川方面に歩いて、夕暮れ時に泉岳寺に着いて、時間が過ぎていたので中に入れなかったのである。

そんなことを思い出しながら、京急線の立会川駅に降りた。
そこには立会川商店街があり、坂本龍馬像が桂浜のと同じサイズだそうな、立っていた。
    


次に梶原氏館へ、ここは「来福寺」という、福が来そうなハッピーネームな寺になっていた。
  


竜馬が警備していたという浜川砲台へ。立会川に沿ってオレンジ色のキバナコスモスが咲きそろい、川沿いは散歩道になっていた。
   


次に竜馬が通っていたという蕎麦屋「吉田屋」へ。休日の昼時だからかとても混んでいた。近くにはこういった飲食店がないのも一因かな。安藤広重が描いた東海道53次の版画にちゃんとその当時の吉田屋が描かれており、由緒ある蕎麦屋であることが分かる。人間の記憶というのはあいまいだと思うのは、15年前にもこの吉田屋で食べた記憶があるのに、当時の私の頭にある風景とは全く一致しないのはどういうことなんだろう。
鳥そば、おかめそば、汁がとてもおいしくて飲み干しそうな具合だった。
     


近くに馬込城があるというので行ってみたが、ここも「湯殿神社」になっていた。
昔はここでお殿様がお湯につかったのだろう。
  


今回は14000歩近く歩き、4つの城や館(梶原氏館、浜川砲台、馬込城、池上氏館)をゲット。
今までにゲットした数は654城になる。
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東京駅でラーメン

2023-08-04 07:47:27 | 関東近辺の日帰り旅行
令和5年8月3日(木)東京駅
お腹が空いてきた。でもせっかく食べるのだから、美味しい所でと思って、行列が出来ているラーメン屋へ。
待つこと30分。柔らかいチャーシューで、スープがコクがあるのだけれどあっさり飲めて、並んだ甲斐がありました。
南国酒家の清湯ソバ
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和田塚から妙本寺へ

2022-03-27 16:03:25 | 関東近辺の日帰り旅行
令和4年3月26日(土)、久しぶりの歴史散策へ行ってきた。今回は時間がないので、近場で直ぐに行って帰ってこられる所を千ちゃんが計画を立ててくれた。今やっている大河ドラマのゆかりの地である「鎌倉」。
それもあまり人が来なさそうな「和田塚」と「妙本寺」である。
和田義盛は13人の御家人の一人で、私の住んでいる相模原とも縁がある。横山党の党首の娘を嫁にもらっている関係で、この辺によく来ていたようで、和田坂や箸に使った榎を指しておいたら大きく育ったという大木榎、藤の蔓を敷き詰めて橋にして渡ったという藤橋などがある。そこで今まで気になっていた「和田塚」を先ずはじめに行ってきた。
北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)で犠牲になった人たちを埋葬した塚として今日まで伝承されているそうだ。

次に、おにぎり屋さんで昼食。混んでいた。でもランチがおにぎりが選べて安くておいしかった。
でも、千ちゃんと同じものを頼んだのに、何かが違う。よく見たら、唐揚げが私のに付いていない。下でそのランチを見たときに、唐揚げまでついていて、豪勢だなと思ったのを覚えているので、間違いない。迷ったが、そのランチを持って、下の調理場に。
言ったらすぐに「すみません」と言ってくれた。
    

次に、妙本寺へ。
ここは比企家の館があったところだ。当主である能員(よしかず)の娘(若狭局)が頼家に嫁ぎ、一幡や公暁?を生んでいる。
力を増してきたことで、そして、頼家が病に倒れると、北条時政ら方に攻められて、能員は謀殺され、一幡も殺され、頼家は修善寺に流された。境内には、一族の墓や若狭局が身を投じた井戸も残っていた。
            


次に近くにあった「本覚寺」へ
   


お茶をして帰ってきた。
  


そこで、比企のことをまとめた。
 


武士の時代は自分の御家を残すために、戦いの連続だったんだな。そのために女子は一族郎党と同じ運命になる。
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